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芽依が高校に入学してから、十回目の桜。あの日芽依が新入生の豊富を述べた壇上では、今日から俺が担任をするクラスの男子生徒が、固くなりつつもそつなく挨拶していた。うん、今まで見た新入生の中では一番しっかりしているんじゃないか。芽依には敵わないけど。
将来は地理に関わる何かしらがしたい。それだけを考えて地理学科のある大学に進学したが、地理に関わる仕事は意外と少ない。
入学から卒業まで成績トップを貫いた和泉は大手の地図出版社へ就職したが、バカップル――松井と森永は地元の地理と何ら関係ない中小企業に就職した傍ら、山岳レスキューボランティアを続けている。そして、国交省を目指して見事公務員試験に合格した剛史は、何故か厚労省に配属されてしまったらしい。知遥はというと、卒業直前に妊娠が発覚し、そのまま就職辞退、結婚してしまった。まあ、内定先も元々そこまで志望していなかった地元企業だったので、本人はあっけらかんとしていて、卒業と同時に剛史と共に東京へ旅立っていった。
そんな俺が教職を目指したのも、元々志望していたわけではなく、保険のつもりで所得した教員免許が活きているに過ぎない。だが、そんな切っ掛けでも、やってみるとこれが案外楽しい。地理を大学受験で使う生徒は、私大進学が圧倒的なうちの高校には少ない。だから、ただ教科書の内容を読み上げるだけでは生徒は寝るか内職をするかになってしまう。だから俺は、地理の楽しさを伝えることを大切にしている。地図を読み解くことで得られる情報は、地形や道だけではない。なぜその場所に三角点が設置され、どのように多角測量され等高線が引かれたか。地図を作る過程を知ることは、その地域の今を、過去を、ひも解くことに他ならない。そして、その考え方は地理以外でも活かされる。いわゆる、論理的思考。その実践を交えた練習に、地理ほどふさわしいものはない。俺は教師になってから、前以上に深く地理に向き合えている気がする。結果的に天職だったのだ。これだから、人生何があるかわからない。
しかし、変わらないこともある。
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「ただいま」
変わらないこと一つ目。この扉、この部屋。初めてこの街に来た日から一度も引っ越しをすることなく、狭くて落ち着くこの部屋で暮らし続けている。そして、変わらないこと二つ目。
「おかえり、央芽」
「ただいま」
笑顔で出迎えてくれる、可愛い芽依。元々が大人っぽかったのもあるが、高校生の頃から全然変わらない。普段在宅の仕事をしているため、化粧っ気が無いというのもあるが。
芽依は、短大卒業後に広告会社でグラフィックデザイナーとして働いていたが、去年ついに独立してフリーで働いている。芽依の繊細なタッチに絶妙な空間の使い方に、根強いファンも多いらしい。そんな芽依は、俺が仕事の日は積極的に家事をやってくれている。俺は普段残業が多いので、芽依がフリーになってからは時間に余裕ができて助かっている。その代わり、俺が休みの日や芽依の仕事の締め切り前は、俺が一手に家事を引き受けることになる。もはや恋人ではなく夫婦。だが、籍を入れることができないため、厳密には夫婦ではない。そもそも俺らが兄妹であること自体を知っている人は少ないけども。
「そういえば、今日知遥さんから連絡が来たよ。今夜三人でうちに来るって」
思わず味噌汁を吹き出しそうになった。
「今夜!? ここに!?」
「うん。あ、真知も来るって」
「真知まで!?」
真知は大学卒業後も地元に残り、もう今月から社会人二年生。職場の人間関係に気を遣うから大変だって、いつも俺や芽依にぼやいている。そういえば、一番変わったのは真知かもしれない。芽依より背丈が低かったのが、いつの間にやら百七十センチ手前までスラっと伸びてしまった。そして、トレードマークだったポニーテールは大学時代に肩の高さまで切り揃えられて、こちらは逆に芽依よりも短い。元々大人びた顔つきなので、芽依と並ぶと芽依の方が妹に見えてしまう。
「あれ、千尋ちゃんって何歳になるんだっけ?」
「えーっと、俺らが大学卒業の翌年に産まれてるから、六歳か。もう小学生なのかあ」
「早いねえ」
子供。俺も芽依も、嫌いではない。むしろ好きだ。でも、作らないと決めた。作ってはいけないんだ。親とか血筋だとかで苦しむのは、俺たちだけでいい。その代わり、他の家族以上に二人の時間を大切にする。そういう形の家族があってもいいじゃないか。この先も、まだまだ人生は長い。もしかしたら、今の俺らには想像もつかないような受難が待ち構えているのかもしれない。でも、もう大丈夫。俺たちはもう迷わない。だって、貴女への地図がここにあるから。部屋の片隅で十年前からずっと変わらず輝く夕日は、俺たちの道標であり続ける。大切な気持ちが全部籠った、この絵は。
「あっ、さっそく来たみたい。ほら央芽、ボーっとしてないで早く」
「ああ、ゴメン。さて、どっちが来たのかな」
これからの楽しい時間への期待を胸に、思い切り扉を開いた。
(完)
これにて、貴女への地図は完結です。連載開始当初から読んで下さってた方々、大変お待たせして申し訳ありません。
ご愛読ありがとうございました。




