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すっかり夏になったというのに、冷房が効き過ぎて逆に寒いと感じてしまう、東京行き新幹線ひかり号。窓にもたれ掛かっていた芽依も、いつの間にか俺の腕に抱きついていた。
「暑いのがいいってわけじゃないけど、夏なのに寒いってのはもっとイヤだよお」
「そうだよな。いくらなんでも冷房効き過ぎだとは思うけど、東京まであと少しだから」
先程新横浜を通過したので、東京まではもう二十分もない。けれど、一時間強の間タンクトップとショートパンツしか身につけていない中冷風に晒され続けた芽依は、唇が真っ青だ。そういえば、昔冬の東京に遊びに来た時、芽依はビル風が吹くたび縮こまっていたな。とはいえ、こんな真夏日に掛けてあげられるような毛布も上着も持っていないので、芽依の身体を引き寄せて思いっきり抱きついた。芽依の体温と恥ずかしさで、俺はもう暑いくらいだ。
「もう、央芽。こんなところで……恥ずかしいよ」
「俺だって恥ずかしいさ。でも、芽依の震えが止まるまでは離さない」
「ううぅ……じゃあ、なるべく早く暖かくならないとね」
芽依からも背中に手を回され、俺に負けない勢いで強く抱きしめられた。これは、息苦しさと恥ずかしさでこっちが死んでしまう。
そんな幸せの最中だったが、無常にも東京に到着するというアナウンスが鳴り響いた。今日の目的地は俺の実家なのだから、ここで降りなければならない。
「あ、東京着いちゃったね」
芽依が俺の胸から顔を離し、ペロリと舌を出して微笑んだ。その悪戯っぽい顔があまりにも妖艶で、公衆の面前だというのに思わずその唇に、舌に貪りついてしまった。
「んっ……おうが……んあぁっ」
時折芽依の口から切ない吐息が漏れ出て、それが余計加虐心を煽る。もう降りなきゃいけないのに、止めなきゃいけないのに。
「央芽、降りなきゃ」
息を吸おうと一瞬離れた瞬間、芽依の小さな手で頬を包まれた。いつでも暖かい芽依の手を冷たく感じて、やっとのことで我に帰った。自分のしたことを思い返すと、更に顔が熱くなるのを感じた。
「央芽―顔真っ赤だよー。ふふふ」
「う、うるさい! ほら、さっさと降りるぞ。他にもう乗客いねえじゃねえか」
「誰のせいだと思って……ちょ、引っ張らないでよお」
これ以上羞恥を悟られたくないという思いから、芽依を引く手に力が篭ってしまう。俺の手にすっぽりと収まった芽依の手は、やっぱり暖かかった。
新幹線から降りて、また別の電車に乗って数駅。実家の最寄駅まで一切座れなかったが、せいぜい十分程度のことなので対して気にならなかった。まあ、ここら辺で暮らしてた頃から、基本電車で座れるだなんてことはなかったのだけど。
俺たちの手は、新幹線を降りてから今までずっと握り合ったままだった。何となく離すのは名残惜しいし、そもそもこの人混みの中だと迷子になりかねないから。というわけなんだけど、こんなに長く手を握り合っていたことはこれまで数えるほどしかなかったから、こそばゆいと同時に手汗が気になってしょうがない。でも、普段なら芽依から俺の腕に抱きついてくるけど、こういう恥ずかしさはクセになりそうだ。芽依が俺の手汗を気持ち悪く思ってないのなら、ずっと握っていてもいいくらいだ。
けれど、改札に見えた二つの人影を見るやいなや、思わずその手を離してしまった。芽依は俺と改札を見比べた後、ジト目で俺の顔を見上げてきた。
「お、央芽と芽依ちゃん。こっちこっちー」
「おい、急に耳元で叫ぶな清美!」
「兄ちゃん、姉ちゃん。別に迎えになんて来なくてもよかったのに」
芽依の目から逃れるように、久しく会ってなかった兄姉の元へと駆け寄った。
「そうは言っても、央芽は俺たちの大切な家族だからな」
「もーう、英司らしくもないこと言っちゃって。芽依ちゃんも久しぶり。って、前ほどそうは感じないか」
姉ちゃんが芽依の頭を軽く撫でると、芽依は気持ち良さそうに目を細めた。美人な二人が戯れるところって、何か無駄に絵になるな。
「確かにそうですよね。あまり久しぶりって感じはないです」
ちなみに、「兄を呼び捨てにするな!」と叫んでる兄ちゃんには誰も見向きもしない。芽依も大体兄ちゃんの扱いがわかってきたみたいだね、うん。
再会も済ませ、俺たちは実家へと向かった。相変わらずいちゃついてるようにしか見えない喧嘩をしながら歩く馬鹿兄たちの後ろ姿を眺めていると、芽依に袖を引っ張られた。
「央芽?」
「いや、わかってるんだけど、つい」
芽依は俺の袖から手を離し、小さく溜息をついた。
「もう、そんなんで大丈夫なの? 決めたよね。今日、私たちの関係を央芽の家の人たちに報告するって」
「だからわかってるって。でも、だからって自分の家族の前でいちゃつくのは恥ずかしいっていうか、気まずいっていうか。芽依だって、真知ちゃんの前でいちゃつくのには抵抗あるだろ?」
「うーん、そう言われてみれば確かに。でも央芽だからなあ。結局尻込みしちゃって言えないまま、なんてなりかねないなあ」
芽依の声から真剣さが消え、からかうような色に染まった。そんな態度が小憎たらしいと思うときもあるけど、やっぱり俺にしか見せないそんな態度が嬉しい。なんて。そう思えるまでに、芽依に惚れ込んでいることを改めて実感した。
路地を一本入ったところにある、何でもない一軒家。でも、無機質なブロック塀一つにさえ親しみが込み上げてくる。早くも我が家を懐かしいと感じていることに、俺が家を出てから、芽依と暮らすようになってからの時の流れを意識させられた。
兄ちゃんが扉を開くと、何ら変化のない我が家の玄関が出迎えてくれた。何もかも、春から変わっていない。そう、思った。だけど、それはあくまで外面だけに過ぎなかったんだ。
リビングに入ると、いつになく重苦しい雰囲気に包まれた。その元凶たる両親は、ほとんど表情を変えることなくソファに腰掛けている。
「父さん? 母さん?」
「ちょっと、二人ともどうしたのよ」
兄ちゃんと姉ちゃんもこの変化に適応できておらず、ただただ困惑していた。そんな中、母さんが顔を上げると、俺たち――俺と芽依をジッと見つめた。
「とりあえず、二人ともそこに座りなさい」
重苦しい母の口調を前に、俺も芽依も吸い寄せられるようにカーペットの上に座り込んだ。
「お前たちも、大事なことだからそこでちゃんと聞いてなさい」
行き場がなくオロオロしている兄ちゃんたちに父が声をかけると、二人とも手近のソファに腰を下ろした。それを一瞥すると、母が口を開いた。
「いきなりこんなこと言われて信じられないかもしれないけど、これが真実だから、よく聞いてね」
一瞬、本当に言おうかどうかまだ迷っているように見えた。でもそれは一瞬のことで、俺が頷くよりも前に続けた。
「央芽、あなたは私たちの子供じゃないの。由実の、あなたの従姉の由実の子供なの」
母さんの言ってることが理解できずに唖然とする俺の横で、芽依が小さく息を呑んだ。
貴女への地図episode2「多角測量」はこれにて完結になります。従姉の由美が誰だったか忘れてしまったという方は、episode1「三角点」の方を今一度ご確認ください。
このような爆弾を落としておいてなんですが、episode3「等高線(仮題)」の連載までにはまたお休みの期間を頂きます。どれくらい連載休止するかは未定ですが、リアルの方で色々忙しくしております故、episode2連載前よりも多くの休みとなってしまうかもしれません。また連載再開する時にはTwitter、割烹等でお知らせしますので、それまで気長に待ってくださると幸いです。
感想、批評等励みに、また参考になるので、どしどしお寄せください。
それでは、ここまで読んでくださった方々の全てに感謝を込めて。
高階珠璃




