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さらに一時間ほどが過ぎ、時刻は八時半を回ったところ。一旦芽依の説得を諦め、簡単な晩飯を作ることにした。芽依だってずっと泣きっぱなしなのだから、お腹だって空くだろう。何か手の込んだものを作ってやりたい。
と、思うことは簡単だが、実際やるとなると無理がある。手抜き料理しか作ったことのない俺が、毎日料理をしている芽依に敵うはずがない。それでも何かしらはしないとならない。俺の勝手のせいで傷つけてしまった芽依への、せめてもの償いなのだから。
何の考えも無しに冷蔵庫を開けてみると、パックに入った豚のバラ肉が目に入った。見てみると賞味期限は今日だ。そして開いた扉の裏側には、この間の週末に買った卵が四つほど残っている。そういえば春芽依と行った中華料理店に、木須肉という、卵と肉の炒りつけと書かれた料理があった。店の味を再現するのは無理でも、それっぽいものなら作れるかもしれない。やってみよう。
三十分ほどかけて、それらしきものが出来た。いや、きくらげも筍も入っていないものを木須肉と呼んでいいのかはわからないけど。卵と豚肉を炒めて、味覇と塩胡椒で味をつけただけの代物だし。とにもかくにも食べられそうなものができたので、白米とインスタントの味噌汁を添えて、それらを乗せたお盆を持ってリビングへと入った。そこには、いつの間にかトイレから出てきた芽依が、パーカーだけを着てちょこんと座っていた。いつもは履いているショートパンツは履いていないようで、パーカーがミニスカートのワンピースみたいになっている。普段のテンションなら剥き出しの太ももに目がいってしまうけど、今日は思わず目を背けてしまった。
「芽依、さっきは本当にごめんな」
小さく頷きはしたが、一言も喋ってくれない。視線を合わせてくれない。怒ってるのならひたすら謝って許してもらおうとするのだが、どうもそんな気配は感じられない。芽依の顔には怒りの表情がない。その代わりに占めているのは、悲しみだ。芽依は俺の行為に対して怒ってはいない。が、深く傷ついている。俺が、傷つけてしまった。だからこそ、どうすればいいのかわからない。何かしようものならまた芽依を傷つけてしまいそうで、怖い。でもこのままでいいわけがない。俺にとっても。多分、芽依にとっても。
結局芽依が口を利くことはなく、さっさと寝てしまった。料理の味についてはまずまずだった、と思う。頭の中芽依のことでいっぱいで、正直飯どころじゃなかったけれど。
洗い物を一通り済ませてしまうと、もうやることがなくなってしまった。そういえば芽依、洗濯機をかけないまま寝ちゃったのか。まあ今日は仕方ないか。それに一日くらいなら平気だろう。
今日はもう寝てしまおう。そう思うのだけど、果たして芽依と同じ布団に入っていいのだろうか。今まで関係が変わる前も後も、一度も拒まれることはなかった。でも今日は? 入るべき? 入らないべき? 結局結論は出せず、布団の隅にこっそり入るという、どっちつかずの手段を選ぶことになった。
普段と違い、芽依と肩が触れ合うこともない。寂しく感じながらも、あえて背を向ける。芽依を傷つけてしまったのだから、芽依の暖かさを享受できるわけがない。そう思っていた。だが――。
背中に感じる柔らかさと暖かさ。回される細い腕。寝てしまったとばかり思っていたのに。
「キスするのがイヤなわけじゃ、ないんだよ」
囁くような声で、芽依がそう零す。聞き逃してもおかしくない声量だが、他に音のないこの部屋では、一言も漏らさず芽依の気持ちが伝わってくる。
「でも今日の央芽は……怖かった」
俺を抱く芽依の腕に力がこもる。芽依がどれだけ苦しんだのか、それでもなおどれだけ俺のことを想っているのか、痛いほど伝わってくる。俺もいいのだろうか。どれだけ芽依のことを大事に想っているか、どれだけ今回のことを後悔しているか、芽依に負けないであろう大きな気持ちを返して良いのだろうか。いいや、良いか悪いかではない。この気持ちを返したい。伝えたい。芽依と共有したい。
振り返ると、今にも涙が溢れ出しそうな瞳がそこにあった。頭を撫でると、安心したかのように瞳を閉じ、一筋の光るものが頬をつたった。親指でそれを拭うと、そこに唇を落とした。しょっぱい。
「ごめんな。ついカッとなって、あんな強引なことしちゃって。芽依の気持ちも考えずに。最低だな、俺」
目の前で芽依が、髪が乱れるのも気にせず、ブンブンと首を横に振る。
「ううん、私だって悪いの。あんな風に叫ばれたら、私だっていい気はしないもん。でもね、」
ひと呼吸置き、一段と頬を赤くして口を開く。
「たとえ央芽が相手だとしても、恥ずかしいものは恥ずかしいんだからね。正直あんなはしたない姿を見られたことは、今も気にしてる」
「そういうのってやっぱ嫌なもんなのか?」
頬に張り付いた髪を耳にかけてやると、なめらかな頬に指が当たった。どうして芽依の頬はこんなにも柔らかく、弾力があるのだろう。あまりの心地よさに、一度触れてしまうと離せなくなってしまう。
「嫌……じゃないけど、イヤ」
「何だよそれ。どっちなんだよ」
形だけそう返すが、俺の手に頬を預けて目を閉じる芽依を見れば、答えは明白だろう。そんなちょっぴり素直じゃない唇に、俺の気持ちを控えめに落とす。一瞬じゃ飽き足らず、更に深い気持ちを注ぎ込む。俺の気持ちを受け止めた芽依も、それに負けないほどの気持ちを返してくる。照れくささと酸欠で自分の身体が熱い。芽依の身体からは、触るまでもなく熱気が伝わってくる。今なら、お互いの気持ちが最高潮に高ぶっている今なら、この先に進んでもいいんじゃないか? というかとても止められない。溢れる芽依への気持ちは、口だけには到底収まりそうにない。
「芽依、その、触っていいか?」
「…………すー……」
「……は?」
まあ、仕方ないか。今日は芽依も疲れてるだろう。疲れさせたのは俺なんだしな。この気持ちをぶつけるのはまたの機会だ。
幸せそうに眠る芽依の頭を撫でながら、俺も明日へと意識を手放した。
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