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貴女への地図  作者: 高階珠璃
episode2 多角測量

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19/45

 さらに一時間ほどが過ぎ、時刻は八時半を回ったところ。一旦芽依の説得を諦め、簡単な晩飯を作ることにした。芽依だってずっと泣きっぱなしなのだから、お腹だって空くだろう。何か手の込んだものを作ってやりたい。

 と、思うことは簡単だが、実際やるとなると無理がある。手抜き料理しか作ったことのない俺が、毎日料理をしている芽依に敵うはずがない。それでも何かしらはしないとならない。俺の勝手のせいで傷つけてしまった芽依への、せめてもの償いなのだから。

 何の考えも無しに冷蔵庫を開けてみると、パックに入った豚のバラ肉が目に入った。見てみると賞味期限は今日だ。そして開いた扉の裏側には、この間の週末に買った卵が四つほど残っている。そういえば春芽依と行った中華料理店に、木須肉(ムーシーロー)という、卵と肉の炒りつけと書かれた料理があった。店の味を再現するのは無理でも、それっぽいものなら作れるかもしれない。やってみよう。


 三十分ほどかけて、それらしきものが出来た。いや、きくらげも(たけのこ)も入っていないものを木須肉(ムーシーロー)と呼んでいいのかはわからないけど。卵と豚肉を炒めて、味覇(ウェイパー)と塩胡椒で味をつけただけの代物だし。とにもかくにも食べられそうなものができたので、白米とインスタントの味噌汁を添えて、それらを乗せたお盆を持ってリビングへと入った。そこには、いつの間にかトイレから出てきた芽依が、パーカーだけを着てちょこんと座っていた。いつもは履いているショートパンツは履いていないようで、パーカーがミニスカートのワンピースみたいになっている。普段のテンションなら剥き出しの太ももに目がいってしまうけど、今日は思わず目を背けてしまった。


「芽依、さっきは本当にごめんな」

 小さく頷きはしたが、一言も喋ってくれない。視線を合わせてくれない。怒ってるのならひたすら謝って許してもらおうとするのだが、どうもそんな気配は感じられない。芽依の顔には怒りの表情がない。その代わりに占めているのは、悲しみだ。芽依は俺の行為に対して怒ってはいない。が、深く傷ついている。俺が、傷つけてしまった。だからこそ、どうすればいいのかわからない。何かしようものならまた芽依を傷つけてしまいそうで、怖い。でもこのままでいいわけがない。俺にとっても。多分、芽依にとっても。



 結局芽依が口を利くことはなく、さっさと寝てしまった。料理の味についてはまずまずだった、と思う。頭の中芽依のことでいっぱいで、正直飯どころじゃなかったけれど。

 洗い物を一通り済ませてしまうと、もうやることがなくなってしまった。そういえば芽依、洗濯機をかけないまま寝ちゃったのか。まあ今日は仕方ないか。それに一日くらいなら平気だろう。

 今日はもう寝てしまおう。そう思うのだけど、果たして芽依と同じ布団に入っていいのだろうか。今まで関係が変わる前も後も、一度も拒まれることはなかった。でも今日は? 入るべき? 入らないべき? 結局結論は出せず、布団の隅にこっそり入るという、どっちつかずの手段を選ぶことになった。


 普段と違い、芽依と肩が触れ合うこともない。寂しく感じながらも、あえて背を向ける。芽依を傷つけてしまったのだから、芽依の暖かさを享受できるわけがない。そう思っていた。だが――。

 背中に感じる柔らかさと暖かさ。回される細い腕。寝てしまったとばかり思っていたのに。

「キスするのがイヤなわけじゃ、ないんだよ」

 囁くような声で、芽依がそう(こぼ)す。聞き逃してもおかしくない声量だが、他に音のないこの部屋では、一言も漏らさず芽依の気持ちが伝わってくる。

「でも今日の央芽は……怖かった」


 俺を抱く芽依の腕に力がこもる。芽依がどれだけ苦しんだのか、それでもなおどれだけ俺のことを想っているのか、痛いほど伝わってくる。俺もいいのだろうか。どれだけ芽依のことを大事に想っているか、どれだけ今回のことを後悔しているか、芽依に負けないであろう大きな気持ちを返して良いのだろうか。いいや、良いか悪いかではない。この気持ちを返したい。伝えたい。芽依と共有したい。

 振り返ると、今にも涙が溢れ出しそうな瞳がそこにあった。頭を撫でると、安心したかのように瞳を閉じ、一筋の光るものが頬をつたった。親指でそれを拭うと、そこに唇を落とした。しょっぱい。


「ごめんな。ついカッとなって、あんな強引なことしちゃって。芽依の気持ちも考えずに。最低だな、俺」

 目の前で芽依が、髪が乱れるのも気にせず、ブンブンと首を横に振る。

「ううん、私だって悪いの。あんな風に叫ばれたら、私だっていい気はしないもん。でもね、」

 ひと呼吸置き、一段と頬を赤くして口を開く。

「たとえ央芽が相手だとしても、恥ずかしいものは恥ずかしいんだからね。正直あんなはしたない姿を見られたことは、今も気にしてる」

「そういうのってやっぱ嫌なもんなのか?」

 頬に張り付いた髪を耳にかけてやると、なめらかな頬に指が当たった。どうして芽依の頬はこんなにも柔らかく、弾力があるのだろう。あまりの心地よさに、一度触れてしまうと離せなくなってしまう。


「嫌……じゃないけど、イヤ」

「何だよそれ。どっちなんだよ」

 形だけそう返すが、俺の手に頬を預けて目を閉じる芽依を見れば、答えは明白だろう。そんなちょっぴり素直じゃない唇に、俺の気持ちを控えめに落とす。一瞬じゃ飽き足らず、更に深い気持ちを注ぎ込む。俺の気持ちを受け止めた芽依も、それに負けないほどの気持ちを返してくる。照れくささと酸欠で自分の身体が熱い。芽依の身体からは、触るまでもなく熱気が伝わってくる。今なら、お互いの気持ちが最高潮に高ぶっている今なら、この先に進んでもいいんじゃないか? というかとても止められない。溢れる芽依への気持ちは、口だけには到底収まりそうにない。


「芽依、その、触っていいか?」

「…………すー……」

「……は?」

 まあ、仕方ないか。今日は芽依も疲れてるだろう。疲れさせたのは俺なんだしな。この気持ちをぶつけるのはまたの機会だ。

 幸せそうに眠る芽依の頭を撫でながら、俺も明日へと意識を手放した。


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