13
とはいえ、やっぱりこの芽依に対する気持ち、恋なのだろうか。知遥にからかわれるのが嫌でつい否定していたが、実際そう考えると色々と合点がいく。芽依の澄んだ瞳で見つめられると心臓を鷲掴まれたような気分になるのも、触れられると無性にそこが熱くなるのも、薄そうなのに柔らかい唇に吸い込まれてしまうのも。何も考えないようにしても、気付くと心のどこかで芽依を求めてしまう。ここまで相手を求める恋など生まれて初めてだ。今まで求められることこそ多けれど、求めることなどほとんどなかった。自分は相手ほど気持ちが大きくなかったのだと、後から自覚することしかなかった。それなのに――。
賭けてもいい。今俺が芽依を思う気持ちは、芽依が俺を思う気持ちより間違いなく大きい。そもそも芽依の俺に対する気持ちなんて、頼れるお兄ちゃんとかその程度のレベルだろう。
「しっかしなあ……」
だからどうしようというのだ。相手は明らかに自分のことをそういった対象として見ていない。それなのに気持ちを伝えても、わかりきった答えをぶつけられるだけじゃないのか? ただお互い傷ついて、それで終わりではないか? これから最低三年は今の生活が続くというのに、気まずい思いをするだけではないか? そう考えると、この気持ちは自分の中に押さえ込み、芽依とは単なる親戚同士。それか仲のいい兄妹くらいの距離感を保つべきなのだろうか?
あれこれ考えてると頭が痛くなる。俺は元来考える前に行動する気質だ。地理を覚えたければ何度も懲りることなく、地図を書くのがいい例だ。だが今回は? 何もしないということをしなければならないというのか? そんなこと俺に出来るのだろうか?
「ただいまあ」
そう言って家の扉を開くが、芽依からの返事は返ってこなかった。ただ錆びた扉が軋む音のするだけだ。
寝てるのかと思ったが、違った。奥に入るにつれ徐々に、誰かと話すような、くぐもった声が聞こえてくる。
「あっ央芽おかえり。……それで何の話だっけ、真知」
真知。どうやら電話の相手は芽依の妹、真知のようだ。
「えっ、うん。央芽が帰ってきたんだけど。……へっ? 何で真知が? ……もう、わかったわよ」
一杯冷たい牛乳でも飲もうかと冷蔵庫を開いた俺の元に、芽依が無言で携帯を差し出してくる。あえて目を逸らしているようにみえるのは気のせい、なのか?
「俺?」
「――うん」
何で、と問いかけても芽依は困ったように首をすくめるだけだった。仕方なく携帯を耳に当てる。
「もしもし、真知か?」
『うん。央君だよね。久しぶりー』
「まあ、あれからひと月も経ってないけどな」
だがここ最近環境が変わったりと色々あったので、確かに真知と話すのも久しぶりな気分だ。何年も会ってなかった期間もあったというのに、それと変わらず久しく感じるというのも変な気分だ。
『そうだねえ。ところでさあ、央君ってゴールデンウィーク暇?』
「んー……今んとこ予定は入ってなかったと思うけど、何で?」
『いやあ、ゴールデンウィークにお姉ちゃんにこっち帰ってきてもらおうかなって思ってるんだけどさ、』
「はぁ?」
電話の向こうで、真知がクスッと笑った。声だけだと芽依そっくりで、不覚にも心臓が跳ねた。
『そんなムキになんないでよう。それで、一人寂しく悶えるであろう央君も一緒にうちに来ないかなあ――っていうお誘い。もう答えはわかっているようなもんだけど、どーする?』
憎たらしい口効きは相変わらずだな。だがうん。真知の言うとおり、結論はもう出ている。
「しょうがねえなあ。俺も行ってやるよ」
『だろうと思った。それはそうと央君、』
「何だ?」
真知から投げられたその一言に、身体の芯がカッと熱くなった。
『――お姉ちゃんに何したの?』
***
「それで、もう身体は大丈夫なのか?」
「うん。央芽が大袈裟に看病してくれたから、もうバッチリ」
玉ねぎを切る芽依の手つきはしっかりしている。もう本当に大丈夫だろう。
今晩は二人でカレーを作っている。芽依が切っていった野菜を俺が炒める。それが終わると具を鍋に移し、水とコンソメを入れて煮込んでやる。水が沸騰する頃にルーを入れてやれば完成だ。
「それで、央芽も一緒に家来るの?」
布巾で手を拭きながら芽依が尋ねた。その視線は手元に落としたままだ。
「まあ、そうさせてもらうよ。お前の家なんてもうどれだけ行ってなかったっけか。十年くらいか?」
「そうだね」
なおも俺の方を見ようとしない。今までならこちらがどぎまぎするくらいに強く見つめてきたというのに。
「芽依はさ、俺が来るの嫌なのか?」
「……」
芽依はハッとしたかのように顔を上げた。
「嫌ならそうハッキリ言っていいんだからな」
「――なわけないじゃない」
「ん?」
「イヤなわけないじゃない!」
その瞬間部屋中の空気が刃となって、俺に襲いかかってきた。そう感じるほどの迫力を、芽依から感じた。しかしすぐ芽依は口に手を当てて、俯いてしまった。先程のが嘘みたいに芽依が小さく感じられた。
「ゴメンね」
芽依が謝ることじゃないのに。その一言が上手く口に出せない自分がもどかしい。一人布団に潜り込んでしまった芽依をよそに、俺はのろのろとルーを混ぜる。
『お姉ちゃんに何したの?』
芽依によく似た声が、頭の中で響く。よく聞けば真知の方が半音高いことに気付くが、瞬時には区別がつかない。芽依に『私に何したの?』と言われたような錯覚すらした。
結局その時真知には何も話さなかった。話せなかった。だが俺のLINEを聞いてきたかと思うと、その後しつこく問いただされた。文章だと芽依と全然雰囲気が違うのもあって、少しずつ、キスまでの出来事を打ち込んだ。全て打ち明けるまでの間に真知が使った『w』の数は、ゆうに五十は超えていただろう。
『じゃあさ、その気持ち、何でお姉ちゃんに伝えないの?』
何かのキャラクターの可愛らしいスタンプと共にそのメッセージが送られてきたとき、正直あきれた。この子にはそれで俺たちがさらに気まずくなったらという考えがないのか、と。
若干イラつきながらそう言ったら、真知はこう返してきた。
『じゃあ央君はそれでお姉ちゃんのことを諦めきれるの? 無理でしょ。何にもせずに気持ちを断ち切るのって、実は一番難しいんだよ』
恋の終わりは振るか振られるかしか知らない俺にとって、その言葉は重く、そして的確に俺の弱っているところに突き刺さった。真知にはそういった経験があるのだろうか。そう訊いても『今はそんなの関係ない』と返されてしまったが。
『じゃあさ、今度家に来るときにでもする? それなら私も手助けできるだろうし』
すっかりノリノリになってしまった真知を止める術は、もう俺には残されていなかった。だが俺も、もう真知に抗おうとは思わなかった。このままならきっと俺は、どこか変なところで気持ちが漏れてしまい、芽依を傷つけることになってしまう。この間のキスのように。それならいっそ、真知の力を借りたほうが不用意に傷つけなくてもすむのではないか。そう思ったのだ。
「芽依。晩飯出来たぞ」
気まずそうに布団から顔を出した芽依が、この子が、ただただ愛おしい。告白する瞬間のことを思い浮かべて、途端に照れくさくなった。その感覚すら心地よいと、思ってしまった。
感想、批評等くださると嬉しいです。




