悪役と乙女ゲームとハッピーエンド
私には前世の記憶がある。
生まれたとき……はさすがに覚えていないが、二歳のときに年長の子と三輪車を取り合ったことも、小三のときの新任の先生への淡い初恋も、中二のときにボカ○にはまってカラオケで友達に引かれたことも、高一で始めて告白されときの戸惑いも、その後の帰り道でトラックにぶつかった痛さも、ちゃんと、覚えている。
だから私は今世で生まれてからずっと考えていた。なぜ私はここに生まれたんだろう、と。剣も魔法もない、前世とさして変わりもない、地球の日本に。
いや、違いはあった。前世で住んでいた場所に行こうとしたときに気づいた。私の家ではなく、私の住んでいた場所の地名そのものがこの世界にはなかった。
それを知った私は狂喜した。狂喜して、違いを徹底的に調べた。違いがあれば、私のこの前世の記憶を使って――何をしたかったんだろう? 前世で起こった災害と今世で起こった災害の日時が一致することはなかったから、預言者として名を馳せたり人を救ったりすることは出来なかったし、文明の違いなんて微々たる物で、専門の教育を受けたわけでもない私にはその違った技術を紹介する力も、その場もなかったから発明家なんていうこともまた不可能だった。
どうして私はここに生まれたんだろう。ずっと、ずっと考えてきた。そしてその答えが今日わかった。
ここは乙女ゲームの世界だ。
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桜の舞う丘の道を真新しい制服に身を包んだ少年少女が登っていく。正装の大人の姿もちらほら見える。今日はここ万学園の入学式だ。その子もゆっくり徒歩を進め、門をくぐろうとしたところで、強い風が吹いた。桜吹雪が彼女の視界をさえぎり、彼女はよろめく。
「大丈夫?」
後から歩いてきた少年が彼女をそっと支えた。
「あ、ありがとう」
「いいよ。気をつけてね」
短い会話を交わし少年は去っていく。
式が終わり新入生たちは教室へ。会話は一部の同じ中学から来た子達だけ。大部分は周りの席の者と顔を確認しあう。その中に、小さな再開。
「あ、さっきの」
「……ああ。偶然だね、隣の席になるなんて。俺は一井幹人」
「私は生田零。これから一年よろしくね」
「うん、よろしく」
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彼女はその手に山積みの教科書を運んでいる。新学期早々担任の三鷹藤吾郎に頼まれたのだ。一緒にいた男子生徒は先に行くぞといってしまった。階段の手すりに荷物を置いて、一息。さて再びと奮起したとき、声がかけられる。
「大丈夫ですか?」
彼はこの学校の生徒会長二宮貴一。一人奮闘する彼女を放っておけなかったのだろう、教室の前まで教科書の半分を一緒に運んでくれる。
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渡り廊下、出来たばかりの彼女の友人にひどくぶつかってきた赤毛の生徒。とっさに謝った彼女の友人とその子に謝りもせず去ろうとする彼に怒る彼女。口論になりながらも彼女は彼にも謝罪の言葉を口にさせる。
「……生意気な女」
後に彼女は彼が中学時代に地元を占めていた不良であること、この学園で今年度最も警戒される問題児、四代馨であることを知る。
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眩暈がした。
入学式の会長の挨拶から、前の席で繰り広げられた再開劇、担任の挨拶と学校中の恐ろしい噂までに聞いた名前に入る、零、一、二、三、四。いくらか遭遇した、少女漫画ならテンプレートと呼んで差し支えない場面。偶然の再会に親切なお手伝い、イケメンの担任に不良との諍い。
それらが皆、前世でプレイした乙女ゲームで見聞きしたものだったから。
私はしばらくそれらを観察することにした。
主人公は実に良く動き回る子で、朝休みには図書室で生徒会長と歓談し、小休憩には担任の御用聞きをし、昼休みには女友達と昼食を、放課後には川原で不良少年と拾った猫にじゃれていた。
明るい性格、くるくると変わる飽きない表情、芯にある絶対的な公正さとやさしさ。二、三、四の攻略対象たちが彼女に惹かれていく様子を私はただ眺めていた。
だってそうだ。彼女は主人公。この世界に望まれて、明らかな役割があって、それを邪魔することなんて、まして奪うことなんて、とても出来なかった。ただ静かに、見ていた。
そうして私は気づく。梅雨の開けたあたりからか、彼女と一井幹人との話だけが進展していないことに。彼女の選択肢はいつも正しい。なのに彼のあるイベントが発生していなかった。そしてそれ以降のものも。
足りないピース。それを考えたとき、この世界に生まれたときからの悩みの霧が一瞬にして晴れた。
――わたしは悪役だ。一井ルートで避けては通れない、一井が主人公に恋するきっかけとなる悪役。主人公と一井との恋の炎の可燃剤。
一井幹人は誰とも親しい。けれど決して特別を作らない。彼の特別な人はいつも彼を置いて去ってしまうから。彼の母親は彼の幼いころに死に、彼の親友は初恋の相手が彼に好意を持っていることに気づいて絶交し、彼の初恋の人は彼に恋するほかの誰かのいじめによって転校した。
彼は思う。特別だから失うのだと。それは愚かで自己中心的な考え方に思えるが、彼の中では絶対的な、ジンクスのようなものになる。特別を作ってはならない、特別なものは必ず失われてしまう、と。
そこに現れた主人公、生田零とも彼は単に友人として付き合おうとする。かわいらしいと思えどそれだけ、好ましいと思えど友人どまり、それで終わるはずだった。
けれど、偶然女生徒とぶつかったことにより階段から落下しかけた主人公を抱きとめた瞬間、彼にある考えが浮かぶ。それはこれまでの大切なものも、こうやって抱きとめ、引き止めることをすれば失われずに済んだのではないかという、後悔にも似た考え。
それから彼は主人公を守るということに執着した行動を見せ始める。それは恋ではなかったが、彼の行動原理を知った主人公が彼を諌め、理解していく中で少しずつ恋へと変化していく。
これが一井ルートの大掴みである。
さて、一井の行動は日常で少しおっちょこちょいなところのある主人公を些細な怪我から守るということから始まる。これは夏休みの迫るこの時期ではもうおなじみの光景だ。そして次に、彼に好意を抱く人間が主人公に小さな悪意ある言葉をぶつける。それをたまたま通りかかった一井が聞いてしまい、一井の脳裏に初恋の少女の記憶が鮮やかに浮かぶ。そうして一井の執着パートが、先の人間による主人公へのいじめと平行して始まるのだが、これが起きていない。
その主人公に悪口を言うはずのわたし、『久道十火』が行動を起こしていないからだ。
それに気づいたのが今日、この日である。
気づいたわたしは早速行動を起こした。放課後、人のまばらな教室で、友達との会話の中で、主人公に聞こえるくらいの声量で、記憶にある台詞を口にする。
「生田さんてさー、一井くんはべらして何様のつもりっていうかさー」
まさにそのタイミングで、一井幹人が戸を開ける。忘れ物をあわてて取りに来たという格好だ。窓際にいた私の声はさぞかしよく聞こえただろう。
ぎょっとした顔を作ったわたしはまとめてあった荷物をつかんで友達を急かし、教室を後にする。これも一井幹人がぼんやりと回想にふけっているおかげだ。お人よしの主人公はおろおろとうろたえるばかり。
教室を最後に見渡した私に廊下に先に出ていた友達が問うた。
「なに? 急に」
「お役目」
彼女は可哀相な人を見る眼で見てくる。こういうやつだけど、むかつく。
「見つかったの。役割」
彼女には前世云々は話していない。ただ、自分の生まれた意味を探している、とは言ったことがある。彼女はふうんといっただけだった。本気で馬鹿にするようなことはなかったので友達づきあいは続いている。
驚く彼女に行くよと声をかけて歩き出す。
家に帰った私は早速本棚から少女漫画を取り出して読み始めた。決してサボっているわけではない。読み飛ばしがちな悪役たちのテンプレートな嫌がらせを学ぼうと思ったのだ。陰口、物隠しから始まって無視、器物損害、しまいには肉体的暴力。うん、あのゲームの描写でもそんな風だった。さいわい彼女への女子の不満は着実に溜まってきている。わたしはその火付け役になるのだ。
~・~
翌日からゆっくりと、いじめは始まった。
授業中に手紙が回る。押し付けられた彼女は送り主のわからないそれをいぶかしげに開き、凍りつく。またも隣の席になっていた一井はそんな彼女に気づき、休み時間に問いただそうとするが彼女は口をつぐむ。
久しぶりに見た一井ルートの進展に私は小躍りしそうになった。少し神経質になっている一井はこれから彼女へのガードの視線を強めていくはず。わたしはそれをかいくぐっていじめを行わなければならない。腕が鳴る。求めた役割のために能力を磨いた私は、勉強でも運動でも知名度でもドンとこいだ。
「なんて書いたの?」
「ナイショ」
「えー。せっかく回してあげたのにー」
友達とけらけら笑いながら次にするお役目の内容を話し合う。
~・~
夏休み、わたしは一井と仲良く神社の花火大会に来た主人公の姿を目撃した。このイベントは一井の個別ルートに入っていないと発生しない。思わずほほが緩んだ。
「花火なのに」
「こんなときでもないと来ないし」
せっかくの神社なので神様におまいりすることにする。不満顔の友達と一緒に。賽銭は五円。がらがらを鳴らして手を合わせる。進行が遅れてごめんね。このルートを選んでくれてありがとう、わたしはちゃんとやるから、だから幸せになって。強く、思った。お願い事じゃないけど、決意表明ってことで。聞いてますか、私をこの世界に転生させた神様。
「トオカ、来年も、また、来よう?」
「えー、どうしよう」
「絶対」
珍しくしつこかった友達にしぶしぶながら約束する。来年か、私はどうなっているんだろう?
~・~
新学期、彼女と一井がデートしていたという噂はひっそりと広まる。一井に生田零と付き合っているかと聞いた生徒もいた。答えはNO。付き合ってもいないのに、と女子の嫉妬は燃え上がる。いじめが本格化するのはこの時期だ。一井は事態に気づき、首謀者を探すがなかなか見つからない。いじめの事実だけ学校側に伝えられたりなどしないことがわたしがこの世界の登場人物であることの証明のような気がして嬉しかった。
ただ、ちょっとばかり嫌なこともあった。
「トオカ、らしくない」
友達の一人とけんかした。梅雨明けぐらいからおかしいだの、いじめなんてしない方が私のためだの、あげく役割なんかやめれば、だとか。言いたい放題した彼女の前で、私はどんなことを言ったんだろう、どんな顔をしていたんだろう。頭が真っ白になって、どうやって家に帰ったかさえ覚えてなかった。生まれた意味、悪役。彼女に否定されたことが悲しくて、悔しかった。
~・~
文化祭、どこからか降ってきた水で濡れ鼠の主人公は中庭を歩いている。赤頭巾ちゃんの衣装が台無しだ。一井が駆け寄って自分の身に着けていたマントをかけ、苛立たしげに主人公の手を引いてどこかへ去っていく。二階から眺めていた私と友達。友達が忌々しげに舌打ちした。
「なんなのよ、あいつ」
「……」
「ねー、ユーにトー、ライブ行こー」
誘いに来た友達とイベントついでにバンド部の野外ライブを見に行くことにする。
案の定、一井が屋外ステージに乱入して、零に手を出すなら容赦しない云々の演説をはじめた。たしかバンド部の連中がさっきのバケツの水の犯人だってばれて、自分たちだけじゃないとか言い訳をしてこの流れになったんだっけ。とにかくすごい剣幕で、一緒に見に来た友達が青ざめている。
~・~
文化祭の後、主人公へのいじめは下火になったけれど、細々とわたしの手によって続けられていた。これもシナリオどおり。
そしてクリスマス間近の二学期最終日、とうとう一井と彼女はいじめの首謀者、わたしを見つける。一井の一時の恐ろしさは鳴りをひそめ、主人公と共に改心を迫る――はずだった。
シナリオどおり、わたしは下駄箱にいたずらをしているのを主人公と一緒に下校しようとしていた一井に見咎められ、この屋上にまで追い詰められていた。だが、話が違う。
「君か、このっ、零を奪おうとするのはっ」
「幹人くん、」
実際には激しくわたしを糾弾する一井に主人公も怯えて手が出せない、という現状――何が起こった? こんなイベントあるはず――私は頭の中、前世の記憶をぐしゃぐしゃに引っ掻き回す――あった。
「顔を見せろっ」
一井幹人はわたしの胸倉をつかみ上げ、わたしと始めて目を合わせる。まあ、いじめの首班として初めてなだけで、私と一井とは中学時代からの同級生として会話もする仲だったのだけれど。わたしの顔を確認した一井はぎょっとした顔で手を放した。わたしはバランスを崩して地面に崩れ落ちる。
「きゃっ」
似合わない高い悲鳴を上げる余裕は残っていたけど、痛い。
「久道さ、え、何で……」
あれ、シナリオとセリフが違う。……ああ、ゲームじゃ『久道十火は中学時代からの想い人に声もかけられずにいた』んだっけ。ここでもわたしが行動を起こすのが遅かったツケが来ているのか。もっと早く、中学時代から、『久道十火』の役割に気づいていればよかった。いまさら遅いので流れに合うよう『セリフ』の順番を入れ替える。
「な、なんでって、一井くんが好きだから、なのに、何でその女なの? 私のほうがもっと早くから一井くんのことっ……」
しまったな、涙が出ない。目薬はあいにく教室のかばんの中だ。
「好きだったのに、好きだからこの学校にも来たのに、隣の席だったこともあるのに、どうしてわたしじゃないのっ」
本当はもっとのろけ交じりの罵倒を聞かされた後のはずなんだけどな、このセリフ。『わたしが恋ゆえにとった行動』を散々踏みにじられた後に。ちなみに直前に入るセリフは一井の「ああ、一応聞いてあげるけど、何で?」だ。ブラックだ。
ともかくここで病み気味だった一井にわずかに同情の心が生まれる。自分のために、今にも壊れそうな少女に。
「君が、どういう思いでいたのかは、知らなかった、けど、零を傷つけるのは、間違ってる」
セリフはあっているのだけれど、どこかたどたどしく感じる。そこはさらっと言うところ。声が同じな分余計に差異が気になる。
「俺が零といるのは、放っておけなかったからだ。危なっかしくて、壊れそうで、目を離せなくて、」
そこで切られる。一井のセリフにはぼつぼつ抜けがある。まあ、大筋はあってるから、合格、かな。彼が何か言うより先に、わたしは最後のセリフをつむぐ。
「じゃあ、あぶなくして、こわれたら、みてくれる?」
颯爽と主人公たちに背を向け、屋上のふちに足を向ける。この学校、屋上に出入り禁止の分柵が低いんだよね。ひょいとまたいで、もう一度主人公たちを振り返った。我にかえったようにあわててこちらに駆けてくる主人公、生田零。
今進行しているのは、『一井幹人.ED4』――つまり、一井バッドエンディング。一井幹人は隠しキャラを除けば最も攻略の難しいキャラで――もしかすると進行の遅れが響いたのかもしれない――この十二月時点で好感度が九割なければこのBED。一井幹人の激しさを鎮め切れなかった主人公は、彼の言葉によって追い詰められた、散々自分にひどいことをした人間の自殺を目の当たりにする。酷いことをしたのはあの人なのに、でも死ぬことは、でも、でも――さいなまれ続ける主人公。頼みのはずの一井は、持ち前のジンクスを逆に取り、失われた『久道十火』の方が自分の大切な人であったと信じ込み、主人公とは疎遠になっていく。
ごめんね、生田さん。幸せにする、つもりだったんだよ、ほんとだよ。
でも、これがこの結末を辿るなら――これが私の生まれた意味だから。
主人公の手が、あと少しでわたしに届くというとき、わたしは柵から手を離してコンクリートを蹴った。
肝のひやりとする感覚が私の全身を巡る。けれど、肉体の怯えとは裏腹に、私の心は幸せに満ちていた。
ああ、もしかすると私にはこの結末で一番良かったのかもしれない。あの夏の日、生田さんの幸せを願ったのは本当だけれど、友達との約束に恐れてもいた。来年の夏、『久道十火』の役割が終わった後、また生まれた意味をなくした後、どうやって生きればいいのか、何のために生きればいいのか、わからなくなりそうだったから。ここで終われることに、とても安堵している。
だから、主役のバッドエンドこそが、私にとってのハッピーエンド。
私の最後の思考はとても悪役らしかった。