表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

炎に舞う蝶

作者: 不動 啓人

 燃え上がる炎は華麗にして優雅。乱れ舞う火の粉は幻惑の輝き。

 磨き抜かれた床板は煌々と、高き天井は深々と。

 赤き空間にあって、超然と佇む影が一つ。炎を照り返す艶やかな豊かな黒髪に、白く透き通った美しき容貌。召したる着物は煌びやかで、それはまるで狂おしき女神のような神秘の姿。ゆらゆらと立ち上る白煙が、曖昧にして神々しさに手を携えていた。

「御方様!」

 女神を呼ぶ声が響く。女神――それは信長が正室、濃姫のうひめ

 だが、濃姫は緩やかに微笑むと、

「近寄るでない信雄のぶかつ殿。そなたは人じゃ。悠々とこの世を生き長らえるが良い」

 手には白銀の刃を携えて。

 思えば信雄は、濃姫の申し出を警戒すべきだったのだ。


 1582年(天正10年)6月2日、明智光秀あけちみつひでの謀反により、信雄の父、織田信長おだのぶながは本能寺にて討たれた。

 安土城にあった濃姫は、その他の奥方や姫君と共に、蒲生賢秀がもうかたひでの手により日野へと逃れた。

 そして6月13日、山崎において羽柴秀吉はしばひでよしが明智光秀を破ると、信雄は安土城あづちじょうの奪還に動いたのだが、その軍中に濃姫が現れたのだ。

 信雄は今だ安土城には明智秀満あけちひでみつがおり、危険ゆえにと日野へ引き返す事を薦めたが、濃姫は頑として首を縦に振らず、同行する事を求めた。

 信雄は無下に濃姫の申し出を退ける訳にもいかず、已む無く了承したのだが……

 安土城に入った濃姫は、なんと城に火を付けさせたのである。そして自らは天守閣に火をかけ、炎の中に身を置いたのだ。


 信雄は濃姫の真意を測りかね、尚も叫び続けた。

「御方様、なぜこのような事を!」

 すると濃姫は僅かに天井を仰ぎ見、

「全ては、浄化の為……」

 炎の勢いは、濃姫を包まんばかりであった。

「光秀殿がここを治むるならば、それも良しと思うたが、織田の手に戻るとなれば、またこの城は鬼城と化す。あの鬼めの痕跡を残しておいてはならぬのじゃ。鬼……信長の……」

 床を這う火炎の舌なめずりが、濃姫の着物の裾を掠める。

「悪逆非道、悪鬼羅刹。信長の重ねたる罪状数知れず。光秀殿と謀りて、まんまと退治せしが、あの猿めが余計な真似を」

 本能寺の裏に隠された真実。濃姫が策謀。信長の姿に鬼を見、その鬼を野放しにしておく事を潔しとせず。

「まさか……」

 濃姫の告白に、信雄は言葉を失った。

「殿、最早ここは危険でござる!」

 家臣に肩を揺すられ我に返った信雄は、濃姫を求めるように手を伸ばすが、

「さぁ、お行きなされ。わらわも鬼に身を任せし罪深き者、この業火に焼かれ、浄化され、願わくば極楽浄土へ……」

 ついに炎は濃姫を包み、火炎を纏うたる濃姫は安らかなる笑みに、白銀の刃を自らの喉に突き立てた。それはかつて濃姫が父、道三どうざんより賜れし短刀。

 ゆっくりと崩れ落ちた濃姫は、最早動かぬ無魂の塊。ただ乱れ舞う火の粉が、飛び去りし姫の魂を蝶に似せた。

 濃姫の霞む姿に信雄は、

「よいか、この事、一切他言無用! この火は儂の命ずる事なり」

 やがて炎は天守閣を全て包み込み、信長の栄光を灰に帰した。


 安土城炎上は、信雄最大の愚行と伝わる。

 後に濃姫はその信雄に養われ、この後も生きたという。しかし、その劇的な登場とは裏腹に、その後は二度と歴史の表舞台には現れず、その死も、実に曖昧なものであった。

 魂は静かに舞ったか。それとも……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ