過去のわだかまり
俺には昔、好きな奴がいた。
誰にも打ち明けたことがないが、確かにいた。
運動もできたわけじゃない、勉強だってできるわけじゃない。
どこにでもいる、普通の俺が恋をした相手。
それは俺とは対照的に、輝きに充ち溢れている人。
「えりー!」
水連英莉。学級委員長でバレー部の主将、さらには学年主席に生徒会長と学校の顔と言っていいほどの少女。
さらには顔立ちもよく、礼儀も正しい謙虚な女子故に学校側としても申し分のないほどの超優等生。
俺なんかが話しかけていいのか、そう思わせるくらいのスペックの持ち主。
しかしその謙虚さからか、むしろあっちから進んで話しかけてくれているのもまた事実で、俺は彼女と話して行くうちに心の中に秘めている思いが大きくなり続けているのもまた事実だった。
「なにー?」
そんな彼女はいつでも誰かとともに話をしていて、彼女の話していない姿をみる方がすくないくらいだった。
傍から見れば、青春真っ盛りな中学生を模範にしたような生徒、そのものであった。
「今度のテストのときさ、また教えてくれない?」
「いいよいいよ、私なんかの説明でいいならいつでもいいって!」
「やった!これで今回も赤点は免れたも同然ね!」
「ちょっとも―……たまには自分で勉強とかしないとだめじゃなの!」
たわいもない会話を女子としている彼女は、心の底から笑っているようなそんな表情で、みているこっちもなんだか嬉しくなるような、そんな感じもした。
だけど同時に、俺はどうしようもない虚無感に襲われているのも事実であり、ちょっと考えただけでも胸が苦しくなると言う、中学生にありがちなピュアな心が苦しめられていた。
「……ハァ……」
届くことのない思い。
見ているだけで満足感すら得られるこの気持ち。
だけど、どうしてもこのもやもやは解くことはできないまま。
いっそ気持ちを伝えて、砕けてしまおうか。
そんなことをちらほらと思い詰め始めている自分が、心のどこかにいた。
そんな気持ちがもやもやとしたまま、どんどんと時は過ぎていった――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そんな思いを胸に秘め続けていたある日、俺は明確な異変に気付いた。
『明らかに彼女は、俺のことを避けている』
最初は何かの勘違いだと、そう思っていた。
相手が気付いていないだけかもしれない、忙しいだけかもしれない。
心のどこかではその明確な異変に気がつきたくなかっただけなのかもしれないと、本当はわかっていたのに目を伏せ続けていた気付けなかったのかもしれない。
だけど、今日の帰りの時に明らかな異変を察知した。
「あ、あの――――」
「ごめん、近づかないで」
堕ちた彼女の消しゴムを拾おうと近くによっただけ。
それだけでこんな言い方をされた。
理不尽極まりない話しだ、ただの親切心でこんな言い方されるなんて、俺はいじめにでもあっているわけでもないのに、どうしてこんな風に言われないといけないんだ。
俺が何をした、何かしたっていうのか。
「ご、ごめん――――」
その場で何も言い返すことができなかった俺は、すぐその場を離れて屋上へ真っ先に向かった。
「あっ、ちょっと――――」
「英莉!?あれちが―――――」
女子の声なんて聞こえない、悔しさと悲しさだけが心の中を支配し続けていた。
うちの中学の屋上は、珍しく誰もいなかった。
この屋上解放の手続きをしてくれたのも、他でもない彼女であった。
「なん……で……」
やりきれない思いが心の中をさまよい続け、どうしようもない心のわだかまりが広がり続ける一方の最悪な悪循環に、気持ちを放り出しきれない俺はどうする事も出来ずにただひたすらに広大な屋上の隅で膝を抱えて小さくすすり泣いていた。
「……君?」
「……?」
「やっぱり猛君だ!」
いつの間にか日も傾き始めた夕方になっていた。
あのときの出来事が昼休み頃だったから、どうやら俺は授業をさぼってしまったみたいだ。
情けない限りだ。これでまた彼女との差が開いてしまった。
もう、俺はどうしたらいいんだ――――
「心配したんだから!大丈夫?」
そうやって話しかけてくれる人は、俺の好きな彼女の声にひどく似ていて――――
「……って水連さん!?」
もとい、彼女そのものだったことに、俺はどうしていいかわからなくなってしまう。
さっき……まぁ2時間以上も前だから何とも言えた話ではないがあんな風に遠ざけておいて、俺の目の前であんな笑顔を見せるなんて、どうかしてるんじゃないか。
「さっきは……ごめんなさい」
「へ?」
「あの時、私猛君だって知らなくて……」
「僕じゃなくて、誰だと――――?」
「……隣のクラスの鬼勢君だと思ってたの」
鬼勢智、この学年唯一の問題児であり、公表的に彼女に好意を寄せている大きな存在である。
大柄な所などが俺と少し似ているので、シルエットだけでは俺と智は見分けがつきにくいこともあるが……ちょっと心外な気もする。
俺はあんな奴とは違うっていうのに、なんか一緒にされているような気がして。
「結構うんざりしててね……あんなに言い寄られても、私には好きな人がいるからダメだって、そういってたのに――――」
「えっ?」
ある意味爆弾が投下された気分だ。
彼女に、水連さんに好きな人がいるだなんて―――ー
「それでも何度も言いよってくるから……だんだん少し怖くなってきて…
だからごめんね…わざとじゃないから……」
ちょっとうるんだ瞳になって、泣きそうな顔になって。
少しうつ向いて、何かを呟いているようだった。
「えっと……今なんて―――?」
何をいっているのか聞こえなかった俺は、再度聞き返してしまった。
何かここは、聞かないといけないような気がして―――
「……嫌いに…ならないで――――」
「え?」
「……好き…だから……嫌いに……なって欲しく……ないから―――――」
耳を疑った。
何かの間違いじゃないかって、思った。
俺が好きだなんて、何かの嘘で、何かの間違いなんじゃないかと、幻聴だったんじゃないかと思ってしまうほど。
「好きなんです……猛君のことが……」
必死に絞り出すその声は、本当に切なげで。
一世一代の決心をしたような表情で。
こんな何も取り柄のない俺に、告白をしてきた。
「……変なの」
「え?」
そう思ったら、なんか凄く変な風に思えてきた。
「俺が水連さんのことを振るなんて、そんな大それたことなんてできないよ、絶対さ」
「え??」
「だから俺も――――」
「好きな人に告白されて、そんなに嬉しいかよ。頬が緩みきってるけど?どうなってんだよ英莉」
俺がまさに言おうとした途端、大きな音を立てて一人の男が現れた。
俺とシルエットがそっくりな、鬼勢その人である。
「俺にはお前が必要なんだよ!高賀なんかに譲る気なんざねぇよ!」
「猛君……」
鬼勢の罵声に恐怖心からかとっさに俺の後ろに隠れる水連…じゃなくて英莉。
そりゃそうだ、こんな気迫で迫られたら誰でも一歩下がるだろう。
「そこをどけ高賀!死にたくないならな!」
「ばっかじゃねぇのか!?俺がここを離れると、そう思ってるのか?」
「これみても、そういえるのかな?」
そういってニヤリとすると、ポケットから一筋の刃がこぼれおちた。
どこからどうみても、バタフライナイフそのものである。
そんなもの学校に持ってくる時点で、こいつの頭はおかしいんじゃないだろうか。
中学と言う義務教育だからって、やっていいことと悪い子との判断すらも鈍ってきたと言うのか。
ある意味哀れではあるが、そんな悠長なことも言ってられない。
「き、鬼勢君!?」
「そもそも英莉が俺と付き合えば何ら問題なく終わったのになぁ?お前が変に引っ張るせいだよ、バーカ。これで尊い好きな人が消えちまうなぁ?あぁ?」
全てを見通していたような口ぶりで余裕そうに話す鬼勢。その発言を聞いた英莉はさらにからだをこわばらせ、既に涙がこぼれてしまっているようだった。
その瞬間、俺の何かが切れた気がした。
「……なに泣かせてんだよ、それでも男かよ」
「あん?」
「自分の好きな奴が泣いててどうも思わないとか、お前の頭本格的にどうかしてるのかもな。ご愁傷さまとしか言いようがな言わ本当に」
「なんだとぉ!?」
「悔しかったらやってこいよ。相手くらいしてやるよ」
勝算なんて一切なかった。むしろここを動いたら英莉が狙われかねない。だから余計に動くことは彼女自身の身が危険にさらされてしまうわけだから、動くことなんてできない。
だけど、守りたいものを守るために、虚勢を張るくらい、許されたことだろう?
「はっ、いきがってろ!!」
勢いよく俺に近寄ってくる。その目は人殺しの目、殺めることになんの迷いもない目をしていた。
避けるな、避けたら英莉が死んでしまうのだから。
「!?」
そう思った刹那、俺の後ろにあったはずの体温が消えて俺の目の前に血しぶきがあがる。
痛みは感じない。代わりに倒れてくる異様に冷たい温度の体がのしかかってきた。
「あ……あ……」
予想だにもしない出来事のせいか、未だに状況のつかめていない鬼勢はその場に尻餅をついてしまった。
俺はというと、どうすることもできないままその体を支えることしか出来なかった。
「ごめん……ね――――」
黒い長い髪の毛、着崩すことのなかった真っ白な制服には真っ赤な血で染まっていた。
その腹部には深々と鬼勢のバタフライナイフが突き刺さっており、離すことができることが奇跡なくらいの大量の出血をしていた。
そこにいるのは紛れもなく、水連英莉、その人だった。
「……なんかの…冗談だろ……?」
首を横に振る彼女に、俺は泣き崩れることしか出来ない。
「うそだ!そんなの違う!!」
現実を受け止めきれない俺は、必死に彼女の体を抱きしめた。
「……私が、はっきりしなかった……罰だから……」
「違う!お前が罰を受けるなんて、そんなの間違ってる!!」
「…間違って…なんか……ない…から…
好きだって……言えなかった…私…が…悪い……から…」
「ごめん……ね―――――――」
小さな謝罪とともに、彼女は俺の胸の中でそっと息を引き取った。
告白されて数十分の、俺の苦い青春だった。
あの時、俺がもう少し強かったら。
もう少しだけ、頼れる人間だったなら。
英莉は、助かったんじゃないか。
守ることが、出来たんじゃないか。
心の中のわだかまりが、一層深まった。
もう、守ることのできないのなら守らなければいいんじゃないか。
そうとさえ、思うようになってきた。
もう人とかかわるのはやめよう。
これ以上、弱い自分といて、傷つく人は見たくないから。
そういって、俺は心を閉ざした。
いつか、強くなる日が来るまでは。
いかがでしたか?
何か感想等がありましたら、よろしくお願いします。