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後編

 予期していたことではあったが、王女の大変態は十四の誕生日を迎える頃だった。

 やはり他人(ひと)より遅い。普通ならばそれは十三の誕生日前後に訪れる。未熟児で生まれ、九歳になってからも修錬所に通えないほど虚弱だったというから、ここまで普通の生活ができるようになっただけでも驚異的なことだと言えよう。

 大変態前にはいくつか兆候が見られるものだが、パールの場合かなり微細なものだったらしく、本人も周りも気づくことができなかった。そして当然まだだろうと、見通しが甘かったことも確かだ。


 そのためパールは森の中で成人への大変態を迎えることになってしまった。通常なら周りの者が気づいて本人を隔離する。ひとりでその時を迎え、ひとりで耐え抜いてこそ、大人への階段を登ることができるのだと信じられている。

 変化した身体は一糸纏わぬ瑞々しい、若く美しい女体である。男性の目に触れさせることはあってはならない。

 そんなことになろうものなら、めでたいはずの成人は真っ黒に塗り潰される。そんな姿を見て、海人の男性が衝動を抑えられるはずがないのだ。成人してすぐ男性と通じてしまったと見做されるくらい、海人たちは己の子孫を残すことに命をかけていた。


 人の目の届かない所で誰にも見られることなく困難を乗り越えてこそ、立派な母となることができるというのがここの見解だった。実際、大変態時には子どもを出産するのと同じくらいの痛みを伴う。ごく稀に変形することも無きにしも非ず。そのため、すぐお医師を呼べる環境で過ごさせることが必要になる。

 それを、王女でありながらパールは森の中の洞窟で迎えることになってしまったのだ。しかも同行者は男性二人、実弟のキンタと、あろうことか王女に想いを寄せる一平だったのだから身近な人たちは耳を疑い、頭を抱えた。


 その最たる被害者はその場に居合わせた一平だった。

 キンタはともかく、一平はトリトニアで育っていない。必死で勉強中だが、多くのことが未経験だ。その上、事は異性の生態に関することで、男性の一平の耳に入れようとする者はいなかったから、現場でキンタに聞かされた時には驚愕に顎が外れそうだった。

 キンタとてまだ未成年、男児の大変態については一応心得てはいたが、女性ほど大変なわけではなく、また、女児については子ども同士の噂程度の知識しかなかった。



 森の中で三人で一夜を過ごす羽目になったのは不可抗力であったが、そもそもはパールが引き金を引いたと言ってよかった。

 妖物退治の腕を見込まれて調査に出掛けた一平恋しさに、格好の口実を見つけてその赴任地に追いかけて行ったのだ。

 パールが見つけた薬草採集の仕事先が、一平のいるはずのリリの森だったからである。

 会えると決まったわけでもない。そもそもどこにいるのかわからない妖物を探し出してその生態を調べるといったものだから、あちこち歩き回っているはずだ。それでも、一平が同じリリの森のどこかにいると思うだけで、パールはウキウキすることができたのだった。

 

 薬草の採集は当初は教授と数人の学生とで行われるはずだった。この頃トリリトンでは流行り風邪が流行していて、熱冷ましなどの薬が引っ張りだこで品薄になっていた。そのため、学生の手を借りた採集行が企画された。ところが当日になると教授も学生たちもみな流行り風邪に罹ってしまい、都合がつくのはパール一人になってしまったのだ。

 一人だけだからと言って、採集行を取り止めるつもりはパールにはなかった。薬が必要なのはわかっていたし、当の薬草の判別もパールは心得ていた。リリの森は近場でさほど危険な場所ではない。何より、一平の近くに行けるのだという気概が彼女を突き動かしていた。なるべく沢山摘んできたいので、弟のキンタを荷物持ちに誘い、二人で森に出掛けたのだった。


 人の役に立てるのが嬉しくて、パールは採集に夢中になった。夢中になりすぎて遅くなり、おまけに道に迷った。見たこともない妖物に出会い、キンタが絡みつかれるという事態にもなった。

 日も暮れ、あまり動かない方がいいと判断した二人の前に、任務を終えた一平が現れて合流したのだ。妖物との格闘の際に上げた叫び声が一平を呼び寄せたのだった。

 すでに辺りは暗くなり、三人は無理に帰るのをやめてビバークすることにした。疲れたのかパールに体調が悪そうな様子が垣間見えることも気になったからだ。

 手頃な洞窟を見つけた頃にはパールは既に眠り込んでいた。



 それが大変態の始まりであることにはパール本人が気づいた。

 明らかに具合が悪いと思われる声をあげているのを心配する二人に、パールは大丈夫だと告げる。

 ―パール。大人になるのかもしれない―

 その一言に男二人は凍りつく。

 より動転したのはキンタだ。

 一平はこの時点でまだそれほどの危機感を抱いてはいなかった。成人への大変態が大変だとは聞いているが、世の女性の誰もが経験することなのだ。

 

 急に落ち着きがなくなり、何か言いたそうにもじもじし始めたキンタに場所を移されて聞かされた慣習に、一平はあんぐりと口を開けた。

 自分がここにいるだけでパールの将来をめちゃめちゃにしてしまうのだと知って途方に暮れた。

 なんということだろう。だがよく考えれば理に適ったことではある。目の前に何も身につけていない成人したパールの姿が現れたとしたら、理性が保てるかどうかは甚だ自信がない。だからと言ってパールひとりをこんな場所に置き去りにすることなどできるわけもない。二人のうちどちらかが万が一に備えてお医師を連れてくることにも問題があった。

 結果、行動を起こしたのはキンタで、一平の短剣を盾にしてひとり王宮に戻ることを実行した。



 残された一平はパールの大変態を逐一見届けることになる。こんなことをしていてはいけないと思う一方で、目が離せなかった。だからと言って人々が邪推するようなことをするつもりは毛頭なく、ただただ美しいものに感激していた。

 何時間もかけて進んだ大変態の後、キンタが連れて来た王宮御用達のお医師ザザに世話をされ、パールは生まれて初めてドレスを身に付けて一平とキンタの前に現れた。

 もう子どもではない。長く伸びた髪を簡単に結い上げ、飾りの少ない清楚なドレスを身に付けたパールは、慣れない身体をうまく扱えないがゆえに挙措がゆったりとして女らしく見えた。容貌も子どもっぽさが抜けて非常に垢抜けていたし、母親のシルヴィアに似て思えるのだから美人になったと言ってよいのだろう。


 プロポーションはと言えば、やはりパールはパールであり、成人したからと言って急にグラマラスな体型に変わるわけではなかったようだ。でも、ドレスの下にある小さな膨らみを一平は既に見てしまった。転寝をしていた一平をわざわざ起こしてまで、パールは見て、と言ってその裸体を晒してきたのだから。

 一平はこんなことなら成人などしない方がよかったと思った。もしパールが他の男の前でもこんな姿を晒したらと思うとたまらなかった。男の気持ちなど何もわかっていない初心な娘に、これからどうやって己の想いを伝えていったらいいのか、全く想像がつかなかった。


 ザザはパールにも一平にもキンタにも、手厳しい訓示を垂れ、今日のことは決して口外無用と念を押した。ここにいる四人と両親の国王夫妻との間のみの密約である、と。

 ザザは失念していたが、すぐにフィシスもこの密約の同盟者となる。主のパールが夜になっても帰ってこないことで眠れず朗報を待っている有能な侍女に、このことを隠すのは不可能だった。そしてフィシスも、卒倒しそうになりながらも安堵の気持ちを以てパールの帰還を歓迎した。

 世間で思うような黒歴史はこの王女には似合わない。何より、あの求婚者がそうはさせないだろう。そう確信する自分を、ずいぶん感化されたものだと俯瞰した。



 成人して以来、どういう心境の変化があったものか、パールの破天荒な部分はなりを潜めて行った。癒しの力も今や万人が認めるところとなり、引く手数多で忙しい。一平の方も遠征や討伐で王宮を留守にすることも多くなり、なかなか二人一緒に寛ぐ時間を捻出できないでいる。

 その代わりと言っては何だが、何日も離れることがわかっている場合は、約束のキスをその日数分まとめてするというおかしな状況が日常化している。一平と一緒にいられないことはパールにとってかなりのダメージであり、その思い出を胸に抱いて気持ちを上向けているようだ。一目会って話をする間もなく任務に赴かなければならなかった時などは、見ていて気の毒なくらいパールは消沈し、鬱憤を溜めていた。


「お帰りになったらその分してもらえばいいではありませんか」

 ついそんなことを口にして慰めてしまいたくなる。

 パール自身も、いろいろな所へ召喚され、施術行に勤しむことが多くなっていた。

 会えない時間が長くなればなるほど恋人たちの想いは募る。それは自然だ。パールと一平の二人とて例外ではない。切ない想いは少女を大人の女性に近づける。



 フィシスが末娘の出産のために里帰りしている二ヶ月の間に、パールの身にはそれまでの人生で一番辛いと言っていい出来事が起こった。自分の分身とも言える影の少女ニーナの壮絶な死を目の当たりにしたのである。

 悲劇のヒロインはむしろニーナの方だった。ニーナはパールの身代わりとして、自ら死地に赴いたのだ。レレスクの王ロトーの邪な企みを自分が代わりに引き受けた。癒しの力だけでなくパールの純潔をも己のものにしようとするロトーに嫉妬と憎悪の心を煮えたぎらせた一平も、最低最悪の日々を送った。


 パールは無事戻った。だが、自分の代わりにニーナが死んだという事実は決して喜ばしいものではない。パールの心は大きな負債の気持ちを抱えることになった。

 里帰りを終え、元の職に戻ったフィシスが目にしたパールは二ヶ月前のあどけない少女ではなかった。深い悲しみを心に秘め、自分を見つめ直して謙虚に生きるという指向がはっきりと読み取れる目の色をしていた。


 一平に対する態度は変わらない。王族として毅然と振る舞う姿は表向きのことで、彼の前では二重人格かと思えるほどの甘え上手で過ごしている。

(ご成長あそばされた…これなら…)

 守人の妻として恥ずかしくない女性として認じられるだろう。

 ただひとつ、男女の営みを理解していないことを除けば。



 これが一番厄介なのだ。

 一平があれほど悩んでいるというのに、パールはどこ吹く風である。

 こういうことは成長に従って自然と感じ取る部分が大きいと思うのだが、全くと言っていいほどその気配はない。何でも話せる年頃の友達がいないというのも大きな要因だとは思う。身分が身分なだけに難しいところがある。先だって亡くなったニーナが一番適任であったが彼女は既に存在しない。

 誰もが及ばぬ癒しの力を持っていて医科で学んでいるくせに、そういうことには無知である。出産の手伝いもしたことがあるはずだが、その前段階のことは医科では取り扱わないようだ。地上と違って遺伝子操作だの体外受精だの妊活だのとは無縁の世界ゆえ、医科に於いての処置とは、出産時と妊娠時の注意事項喚起ぐらいしかなかったのだ。


 あんな幼稚なキスばかりでなく、濃厚なのをかましてくれれば少しは姫さまも目覚められるのでは?

 そうは思うが、そのようなはしたないことをフィシスの方から勧められるわけもない。焦れったいが、一平には一平の事情があるのだろう。下手にそんなことをして自制が効かなくなっては元も子もないのだから。

 パールが関心を示せばいつでも教えようと様子を見ているが、なかなか機会は訪れない。


 そうこうしているうちに、何とたった二年で一平は試儀に受かり、二人の結婚も決定となってしまった。

(これはまずい…)

 宣旨が下りれば話はとんとん拍子に進む。通常の仕事に加えて婚礼の準備に追われる。

 その日は衣装の選定に忙殺されていた。婚礼衣装、守人就任式の衣装、守人の妻としての衣装、外交のための正装、普段着、夜着、etc…。

 これはどう、あれはだめ、こっちはもうちょっと…と、衣装係と共にああでもないこうでもないと議論が続く。着せ替え人形状態のパールは既に疲労困憊している。


「今選んだものではいけないの?」

 パールが尋ねる。

 青の剣の守人の住居、右宮へ持参する服を選んでいた。

 全て新調するというわけではなく、使えるものは使うという方針は質実剛健と謳われるトリトニアだからこそでもあった。パールが今まで着用していた服の中から、新妻に相応しいものを選び出したところであったが、衣装係のサリアは不満げに並べられた衣装を眺めている。

「あまりに子どもっぽいものはねえ…」と、パールの選んだお気に入りの服を摘み上げて除けていく。


「やはりお仕立て致しましょう」

 これから仕立てるということはこれからまたデザインだの生地だの仮縫いだのと、やることが増えるということだ。パールの眉が思わずハの字になる。

「何しろ、初夜のお衣装ですから」

「ショヤ?」

(まずい…)

 サリアとパールのやりとりにフィシスは青ざめた。

 サリアはまさか結婚間近の王女がその言葉の意味からして知らないとは思っていない。

「ええ。初めての夜ですもの。旦那様もきっと楽しみに…」

 と続くサリアの言葉をフィシスは不自然でない言葉で遮る術を探す。

「まあ、もうこんな時間。…サリアどの、姫さまはもう十分お疲れです。残りは明日…」

 と進言してサリアを下がらせた。



「フィシス…」

 案の定、パールは問い直してきた。意味がわからないことをそのままで済ませてしまう娘ではないことはわかっていた。

 なぜ、今までと同じではいけないの?とパールは訊いた。フィシスは瞑目し、一大決心をしてパールの疑問に臨んだ。

 ―結婚には姫さまの知らない、とても大事なことがある。子どもの作り方を知っているか―

 パールは首を横に振った。

 いつもと違う場所や違うキスをされたりしたことはあるかと訊くと、とてもきもちよく、またしてほしいと思ったと答える。それなら大丈夫、心配ありません、とフィシスは優しい声をかける。


(何が大丈夫なのだろう?心配って、何が?ショヤって何?)

 パールの疑問は尽きない。

「ご結婚後、初めて迎える夜のことを初夜と呼び習わします。そこでは大抵の場合、ご夫婦は初めて契りを交わすのです。互いを労り、心身ともに愛し合うのです。女は男に抱かれます。俗には寝るとも申します」

 なんだ、そんなこと。パールは明るく言った。言葉通りの意味ではないことを全くわかっていない。


 ―お子を成すには添い寝して抱き締めてもらうだけではない。男の方の赤ん坊を兆す種が女の方の赤ん坊の元と結びつく必要がある。男の方にしかないものを通じて女の方の中に送られる。足の付け根にその入り口がある―

 淡々と、フィシスは説明する。いやらしい表現にならないよう気をつけて。

 だが婉曲な言い回しは避ける。誤解を生みかねないから。

 パールはフィシスの言葉をシュミレーションしている。何かしら腑に落ちたところがある様子だ。そして思いついたことを訊いてきた。


「でもそれじゃ、痛いんじゃない?」

 無理やりされれば痛いに決まっている。一平さまはそんなことはしない。姫さまが苦しいことなどしたいはずがない。自分は信じている。フィシスはそう答えた。

「一平さまは姫さまとひとつになれることを待ち望んでおられます」

 一番肝要なのはここだろう、とフィシスは思った。

 フィシスの言う様々な言葉に、パールの疑問はひとつずつ解けていった。修錬所の女の子たちが匂わせていたことも、一平がこのことをずっと前から知っていたことも。

 一平のする通りにしていればいいのだ。自分は一平を信じていればいい。なぜなら、パールに様々なことを教えてくれたのは他ならぬ一平だったのだから。

 夢見る瞳で静かに頷くパールを見つめ、これでわかってくれただろうかと、フィシスは自信なげに思った。



 今やパールはフィシスにとって娘とも孫とも思えるほど近しい存在になっている。突拍子もないことをしでかして頭を抱えたことも一度や二度ではなく、幾度となくお手上げだと天を仰いだ。出来の悪い子ほど可愛いと言うが、不遜ではあるがもはやそのような心境だ。


 パールの本質は善良そのもので、他者への思いやりで満ちている。毎日そばで見ていればいやでも見えてくる。あけっぴろげな性格であることで、余計に何を考えているのか読み取りやすい。思考の大部分が恋しい一平のことで埋まっているのは一目瞭然だ。彼のことを想う心は浮き沈みも激しい。フィシスもつい一緒になって揺れてしまう。

 そして、一平がパールに入れ込むのも尤もだと、自分がこの年頃の男だったら、同じように彼女に恋していただろうと近頃は思うのだ。


 それほど、パールは魅力溢れる女性に育った。

 可憐な幼さを残しながら美しく淑やかに。時に毅然として困難に立ち向かう姿は男心をくすぐってやまないのだとも思う。

 一平だけではなく、彼女を取り巻く人々の中には想いを寄せる者がたくさんいるはずだ。そんなことには一切気づきもせず、一平への気持ちを隠そうともしない一途さを一身に受けている一平は果報者だ。


 勿論、ここへ来るまでに艱難辛苦もあり、紆余曲折もしただろう。それを乗り越えて、二人は今宵夫婦となる。

 一抹の不安はあれど、パールは誠心誠意尽くすだろう。

 一平も、やっと漕ぎ着けた瞬間を台無しにするようなことはしないだろう。どうか、姫さまをきちんと妻として迎えてやってほしい。

 自分にできることはここまでだ。

 昼間の汚れを落とし、身なりを美しく整えて、フィシスはパールを送り出した。一平の元へと。

 娘を嫁に出した時よりも、心高鳴る夜だった。

 ―いってらっしゃいませ。姫さま。どうかお二人に、神のご加護がありますように…―

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