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前編

この作品はトリトニアの伝説の外伝です。

パールの侍女を務めるフィシスの視点から、彼女のパールへの思いを書いてみました。

詳しくは本編をご覧下さい。

 パールはフィシスに背中を拭ってもらっていた。

 海の中に風呂はない。

 当然海人たちに入浴の習慣などなかった。

 常時海水に晒されているのだから汚れなどすぐ落ちてしまうと思いきや、そんなことはない。

 地上の人間は数日間身体を洗わないと垢が溜まる。

 擦るとボロボロ剥がれ落ちてくるのは古くなった皮膚、角質層だ。人間は一日一回程度皮膚が生まれ変わる。

 イルカなどはこれが日に十二回も繰り返される。垢を落とさなければ皮膚が硬くなり、生き抜くのに必要な泳ぐスピードが出せなくなる。

 そのため、イルカは始終ジャンプをして身体を水面に叩きつけ、その衝撃と水流で身体の垢を落としているのだ。


 イルカほどではないが海人たちにもこれは当てはまる。早く泳げるか否かは時によって死活問題に発展する。日に一度くらいは身体を拭って古くなった角質を払い落とす必要がある。

 身体を使う仕事に携わっている人はより汗を掻くし、仕事によっては汚れが身体に付着する。より頻繁に身体を拭うことが必要になる。

 パールの場合、施術は神経を遣うし体力が必要にはなるが、怪我人相手でなければそれほどの汚れ仕事ではない。だが、うら若き女性であるので、身なり、見映え、といったことにはより気を遣う必要がある。王女の身分も大きく関係する。


 成人し、人々に尽くしながら守人の妻となるべく修行に励む王女を、それに相応しい姿に保つことは、フィシスの第一義命題と言ってよい。

「ありがとう、フィシス。もういいわ。あとは自分でできるから」

 拭い布を受け取ろうと掌を差し出すパールにフィシスは穏やかな眼差しを向けた。

(恥じらっていらっしゃる…)


 パールは十五になっていた。青科の副科に籍を置いてかれこれ二年近くになろうとしていた。中将に昇進したパールの恋しい人はついに望みの地位を手に入れた。青の剣の守人に就任し、パールとの結婚式が行われたのは数時間前のことだ。

 パールはこれから一平と共に右宮に入る。衣装を改めるため、一旦主宮の自室へと戻ってきていた。

 かつてあれほど幼くて子どもっぽかった幼魚も、王族として恥ずかしくない気品と淑女と呼べる淑やかさをも兼ね備えるようになっていた。

 あけっぴろげで、己の胸を曝け出すことにもさして抵抗のなかった女の子はもういない。小柄で貧弱ではあったが、小さな胸の膨らみも丸みを帯びた腰のラインも、男のそれとは比べ物にならないほど女性的であった。

(ここまで成長なされるとは…)

 初めて会った時には考えられないほど、パールは気高く美しく成長していた。



 王女専属の侍女となった頃、王女はまだ幼魚であった。

 三年の間行方知れずだった王女が帰還してすぐ、フィシスは国王の勅命を受け、王女専属の侍女に就任した。

 子育てを終え、一番下の娘を嫁に出し、一息ついたところだったが、家から子どもたちの笑い声が消える生活となったことで、フィシスの喪失感は思った以上に大きかった。連れ合いはすでに他界しており、世話を焼く相手が一人もいなくなったことは、家庭内の細々したことを整えるのが好きなフィシスには張り合いがなく、時間を持て余す日々が続いていたのだ。だからフィシスはこの勅命に飛びついた。


 幼い王女のことはひどく病弱だとしか耳に入ってこなかったから一抹の不安はあったが、フィシスはかつて王宮専属のお医師の手伝いをしていた経験もある。詳細を聞くと王女はかなり健康になったという。喜んで、と返事した。

 果たして、顔を合わせた王女は儚げといっていいほどの可愛らしい少女だった。成人間近の年回りだというが、とてもそうは見えない。フィシスは娘を四人育てたからよくわかる。普通一般の成長曲線からは著しく下回っている。


 しかし、見た目は儚げでも中身は違った。

 なんというか、口にすることもやることも、予測ができない。流石にはちゃめちゃとは言わないが、これはわかっていて当然、ということがわかっていない。自分の基準というものの存在が大きくて、意外と譲らないところがあり、頑固だ。わがままと言ってもいいが、一口にわがままだと言い切れないかわいらしさが同居している。


 王族の一員なのだからそれも仕方ないか、と思いきや、王族の姫とは思えないほどお行儀が悪い。そういうことを身につけるべき時期にトリトニアを離れていたのだから無理もないが、これはいただけない。そこも丁寧に教えていかなければならない。

 王女専属の侍女とはそういうことだ。身の回りの世話をするだけが仕事ではない。王女の為人を王族として恥ずかしくないよう教育するのが重要な役割であった。


 ―これは思った以上に大変かも知れない―

 フィシスは当初そう思ったが、、いくらもしないうちに考えを改めた。

 ―大変どころではない。これは自分の身が保つだろうか―と。

 なぜなら…。

 王女はすでに自分の伴侶となる者を選んでいたからだ。

 まだ幼魚であるのに、成人男性から結婚を申し込まれていた。


 

 フィシスがそのことを知ったのは、王女が帰還して十日ほど経った頃だ。

 目が覚めるなり、何時(なんとき)か尋ねると、慌てて寝台から出て部屋の帳を開けた。身なりを整えもせず、急いで部屋の外へ出てゆく。

 小用か?と思ったが方向が違った。二部屋ほど先の部屋へと飛び込んで行った。

「え?」

―そこは‼︎―

 王女をトリトニアへ連れ戻した英雄、勇者と謳われつつある男の仮住まいだったのだ。

「姫さま‼︎」

 フィシスは大慌てで後を追った。


 勇者は王女の恩人で三年間共に過ごした相手ではあるが、赤の他人の男性である。嫁入り前どころかまだ成人にも至っていないが、年頃の娘が朝っぱらから男の部屋へ侵入するなどあってはならない。

 驚愕のためバクバク言う心臓を鎮めながら、フィシスも姫に続いた。不覚にも足がもつれて二度ほど転んだ。

 帳を引き開けて目にした光景にフィシスは自分が卒倒するのではないかと思った。

 王女が半裸の男性を寝台に押し倒して接吻を迫っていたのである。


(…もうだめ…)

 フィシスは自分の首が飛ぶのを覚悟した。

 だがこのままにしてはおけない。

「姫さまっ‼︎」フィシスは精一杯声を張り上げた。「離れてくださいましっ‼︎王妃さまに合わせる顔がございません。一刻も早くお部屋にお戻りになられて朝のお支度にかかれるようお願いいたしますっ」

 その声に今にも触れ合わんばかりだった唇が動きを止めた。

「これは…」

 男性が顔を上げ、フィシスを見る。

 見知らぬ顔ではない。この十日ばかりの間に何度も顔を合わせている。王女と親しいのは知っていたが、このような仲だという認識はしていない。王からも王妃からも一言も聞いていない。


 だったらこれは許すわけにはいかない。止められなかったでは済まされない。自分の責任だ。

 男性―一平―は照れて頭を掻いた。王女をそっと押しやり、すみませんと謝る。

 フィシスが一応無礼を詫び、立場上見過ごせないと注意喚起をしたからである。

 気まずそうに頬を染めた姿は可愛らしいものだった。

 一方で王女―パール―の方はまるで悪びれた様子がない。一平に追いやられたのが不満で抱きつき直そうとしている。

「こらっ!離れろって…」

 フィシスは王女を怒鳴りつけたいのを懸命に抑えて物申した。

 ―あなたはトリトニアの尊い血を受け継ぐお方で未婚の女性だ。めったやたらと殿方に抱きついたり迫ったりしてはならず、将来の旦那様のお耳に入れないためにも慎むように―と。


 自分はまたお行儀の悪いことをしてしまったのかと、王女は神妙に耳を傾けるが、意味不明なところがあったらしい。

「旦那様になるのは一平ちゃんなのに、一平ちゃんにしたことを一平ちゃんの耳に入ると困るって、変じゃない?」

「は?」

(今。この姫はなんと言った?旦那様になるのは一平ちゃん?)

 目が点になり、二の句が継げないでいると、見兼ねたのか一平が説明してくれた。

 聞けば、昨日、この男は王女に求婚したらしい。しかも国王公認。今すぐというわけではないようだが、条件さえ整えば婚約の運びとなるという。



 ―青天の霹靂だ―

 そんな重要なことをなぜ知らせてくれないのだ、とフィシスは主君を恨めしく思った。

 一気に力の抜けたフィシスに一平は続ける。

「けれどさっきのはいただけませんね」

 一平とて起き抜けの気の緩んだ格好のところを好きな女性に突撃されたら理性など簡単に吹っ飛んでしまう。あれはあれで心地好いひとときではあったが、毎日これをされるのは正直辛い。我慢しなくていいのなら問題ないが、そういうわけにはいかないだろう。


 ―パールはもっと女性としての嗜みを身につけなければ。フィシスの言うことをちゃんと聞いて―

 そう、王女に静かに諭す。

 一平の落ち着いた物言いに、フィシスも落ち着きを取り戻す。王女も同様だ。一平の言うことには素直に耳を傾ける素地が出来上がっているようだ。

 一平はフィシスに頭を下げた。

「ご婦人の前でこんな格好で失礼しました」

 声もかけずいきなり入室してきたのはフィシスの方である。フィシスは急に恥ずかしくなった。


 ―自分の方こそ見苦しかった。あなたさまのことは姫さまの婚約者との認識の上で接することにする。ただ、成人前ゆえ、越境した行為には及ばれませんようお願いいたしたい―

 そう告げると一平は静かに肯じた。そしてひとつ訂正をと願い出た。

「ボクはまだ、パールの婚約者ではありません。守人になれるまではただの求婚者にすぎません。出過ぎた真似だと思ったら注意して頂けるとありがたいのですが…」

 フィシスは感服した。一本取られた、と思った。

 この一平という男は器が大きい。そしてめちゃくちゃ爽やかだ。何より王女のことを心から大切に思っている。この王女のどこをどうしたら妻になってほしいと思えるのか、フィシスには大きな疑問だったが、王女に男性を見る目があるということは確かだと思った。



 どうやら二人の間にはひとつの約束が交わされているらしい。

 一日一回は必ずキスすること。

 おはようのキスはお互い一番最初にすること。

 おそらく王女の方からの提案だろう。恋人同士とあればそれを止めるのは野暮というものだが、せめて人目のない所でやってほしいとフィシスは思う。まあ、二人のキスは、王女が父母にするキスと大差のない軽いものだから、大目にも見ようが。それにそこまではオスカー王からも許しを得ているということだからフィシスが口を出すべきことではない。よく付き合っていられるものだと、一平の心の広さに感心してしまう。


 体格の差も影響しているのだろうが、二人はどう見ても恋人同士には見えない。一方が幼魚であることが一番の原因だが、王女が成人してからも、よく言って兄と妹か、お嬢様とその護衛といったところだった。

 国王の眼鏡に適ったというだけに、一平という人物はめきめき力を発揮して、どんどん出世していく。

 最終的にトリトニアに来て僅か二年で頂点に上り詰めた。人々からの信頼も尊敬も一手に集めて守人に就任した時には、全ての国民が熱狂の渦に巻き込まれていた。


 そんなどこから見ても非の打ちどころのない男が妻にと望むのがこの見るからに幼い姫だというのが、当初フィシスは納得いかなかった。フィシスから見ればパールは真実躾が必要な子どもであったから。

 だが二人が本当に思い合っているのはよくわかる。纏う空気が似ているし、互いを見る目に深い愛情がこもっている。


 主宮での晩餐後に二人はよく三の庭で共に過ごしている。離れていた時間を埋めようとするように床に就くまでの数刻を大事にしている。

 かなり丈夫になったとはいえ、体力の微弱なパールは他人(ひと)より睡眠を必要とした。一平と会っていても眠くなってしまうことがある。退屈なわけではなく、むしろその逆だ。ぴったり寄り添って互いの鼓動を感じると安らかな気持ちになって寛ぎ過ぎてしまうのだ。一平が眠ってしまったパールを王女の部屋に運んでくるのは日常茶飯のこととなっていた。



 その晩もフィシスは一平からパールを受け取った。

 用事があって外に出ると、三の庭にぼんやり座っている人影を見つけた。

 一平だった。

 声を掛けると、少しトレーニングをしていたのだと言う。

「パールはもうぐっすり?」

「はい。一平さまは寝かしつけの天才ですわ」

 一平の問いにそう答え、さっさと寝てしまうなんて申し訳ないと少しだけ軽口を叩いた。恋人としてはご不満でしょうと揶揄したのが図星だったらしく、一平は少しはにかんだ。


 パールがいないこの機会にちょっと訊いておこうと思った。

「一平さまはあのようなキスだけで満足していらっしゃいますの?」

 侍女風情がこのような立ち入った質問をしてきたにも拘らず、一平は真摯に受け答えをしてくれた。

 満足していないように見えるのか、自分たちはどういう関係にみえるのか、と一平は逆に訊いてきた。

 おそらく、こういう話題を持ち出されることは初めてではないのだろう。

 彼はまだ若い。周囲の人間も、多かれ少なかれ同じような年頃だろう。恋バナに花を咲かせる中、この青年が格好の肴にされていることは想像に難くない。


 フィシスは正直に言った。肉親に対する愛情とでもいうか、とても恋人同士には見えない、と。

 仮にも結婚しようという相手だ。肉欲があって然るべき。だが、知らないが故にパールにはそれがない。だが一平は?何も知らない生娘を一方的にどうこうすることができる男には見えないし、まだそれは不可能なのでどう処理しているのだろうと不思議でならない。

 どうしたらいいか教えてもらいたいのはこっちの方だ、と一平は言い捨てた。

 どこかで遊んでくればいいのに、とフィシスは思う。トリトニアにも一応そういう場所はある。後腐れのない場所で発散してくれば少しはモヤモヤも晴れるだろうと。だが、パールのことを思えばそれは困る。できればパールひとりを一途に思い続けてほしかった。パールの幸せを心から(こいねが)っていた。

 

 一平は言った。

「ボクは満足しています。今のパールをボクは好きだ。壊したくないと思うボク自身が壊す側に回ってはならないんです。ボクの都合なんか、その後の問題だ。

 あなたをヤキモキさせてしまったのならお詫びします。しかし…ボクは、パールを裏切るようなひどい男に見えたのでしょうか?」

 無礼なことを言った。心得違いをしていたようだ。フィシスは深く頭を下げ、聞き流してくれるようにと申し出た。

 一平は面と向かって責めるのではなく、自分が下手に出て思い知らせることのできる類の人間だった。

 そう簡単にできるものじゃない。何と心が深く、広い人だろう。王女が羨ましい。そんな気持ちさえ浮かんでくる。

 

 最後に一平は言った。

「誓って申し上げます。パールは誰にも傷つけさせません。たとえ、ボク自身からも。彼女と出会ってから、ボクはずっと自分にそう言い聞かせてきました。それはこれからも同じです。ボクの望みはパールが幸せであること。それさえ守れるのならどんなことでもするし、どんな犠牲も厭わないつもりです。ボクの個人的な満足など二の次、三の次なのです。わかっていただけますか?」

 出過ぎた真似はこちらだ。余計なお世話だった。フィシスは深々と頭を下げた。


少し長いので後編に続きます。

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