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第八話「舞台裏」

「カガリちゃん、」

 ふと、自身の目の前を歩くカガリをユキネが呼び止める。学園長のもとで編入生(シロエ)の入学手続きを無事に終えた三人は今、校内案内の真っ最中であった。

 時刻は陽の傾き始めた正午過ぎ。あの話の後、教員達が緊急の職員会議でしばらく席を外すため、その(かん)にどうだろうか――と、ノエル(学園長)から提案を受けたのだ。

 教員が不在である以上、実践を伴う授業の見学等は出来ないものの、校内を見て回るだけであれば何ら問題は無い。既に、図書室や会議室、食堂、体育館と、学園生活に関わる各所を見て回った後だった。

「? なあに?」

 友人の声にカガリは目を丸くし、キョトンとした表情で振り返る。そんな彼女につられるかのように、すぐ隣を歩いていたシロエも少し後ろのユキネの方を見た。


「そろそろ、雛芥子(ひなげし)先生のところにも行かないと……。転移薬(てんいやく)で送った魔物のこと、まだ聞けてないでしょ?」

「あっ!?」

 忘れてた、と言わんばかりにカガリが普段よりも大きな声を上げる。それから、右手の人差し指で自身の頬を軽く()きつつ、申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた。

「そ、そうだった……教えてくれてありがとう……」

 黒狐の少女はしばし脱力した調子を隠さずにいたが、ふと何かに気が付いたのか、ふにゃふにゃと緊張感の無い笑顔から一変、僅かに眉をひそめる。

「……ん? でも、今は職員会議中なんじゃ?」

「多分、大丈夫じゃないかな? 会議は担任の先生達だけでやるって、学長が言ってたから」

「え……あ、あれ……? そんな話されたっけ……!?」

 くるくると万華鏡が回るかのように、(せわ)しなく表情を変えるカガリに、今度はユキネが少し困ったような笑みを(こぼ)す。二者の会話――あの騒がしくもどこか気持ちの(ほころ)ぶ言い合いを、即座に脳裏へと呼び戻すのは容易(たやす)いことだった。

「あはは……カガリちゃん、学長に遊ばれてたもんね……」

「うぐ…………」

 学園長の奔放(ほんぽう)さに振り回されていたとはいえ、重要な話を聞き逃してしまうのは不覚以外の何物でもない。そんな自分自身に呆れ果てた彼女は思わず目を(つむ)ると、すぼめた両肩を落とさぬまま、()き場の無い手指の先だけをぴくりと動かした。

 

「すみません、シロエさん。急に行き先を変えてしまって……」

「ううん。気にしないで」

 固まるカガリをそのままに、はたと視線を移したユキネと目が合う。元々垂れ下がった両耳をより一層寝かせて謝る彼女に対し、シロエは、大丈夫、という意味も込めて首を横に振った。

「ほら、行くよ。カガリちゃん」

 彼から正式な同意を得られたことで安堵したのか、ユキネは軽く頭を下げる。そして、まだどこか上の空な友人(カガリ)の手を取ると、半ば引きずるようにして、三人の生徒はある場所へと向かうのだった。


 ◇


 窓辺から射し込む柔らかな光、風に揺れるカーテン。それから、空間に染み付いて取れない消毒液の匂い。

 静寂に包まれた部屋で唯一揺れる人影が、時折、パラ――と紙の擦れる音を立てる。普段は環境音に()き消されてしまうような些細(ささい)な物音は、ほとんど無音に等しいこの部屋の中でいやに存在感を持ち、やがて誰もいない床の上へと転げ落ちた。

 ここはセントーレア学園内、保健室。布一枚で隔てられた横並びの寝台(しんだい)は綺麗に整えられ、いつ傷病者(しょうびょうしゃ)(かつ)ぎ込まれても問題は無いといった様子だ。

 その片隅、小さな机の上に置かれたマグカップ――()れたてのコーヒーからは静かに湯気が立ち(のぼ)っている。本でも読んでいるのだろうか、物音の(ぬし)は、依然として食い入るように手元へ視線を落としている。


 まるでここだけ時が止まっているかのような穏やかさが、どことない非現実感を(かも)し出す。そんな、つい悠久と錯覚してしまいそうな長い沈黙が終わりを告げる瞬間は、意外にもあっけないものだった。

 コンコン、と三度、入り口のドアが軽く叩かれる。誰か来たようだ。室内に(たたず)む人影の、頭上に生えた猫耳が音に反応し僅かに跳ねた。

「――はあい。()いてるよん」

 気の抜け切った声でそう言うと、彼女は大きく伸びをする。どうやら、一度何かに没頭すると周りが見えなくなる性分なのか、休憩すらも忘れていたらしい。

 淡い紫色の白衣を身に(まと)い、他の教員達の物とは異なる――ループタイではない、ごく一般的なネクタイを胸元で緩めに締めたその人こそが、この学園の養護教諭のようだ。欠伸(あくび)をしながら眠たそうに擦った目元には、少し離れていても分かるほどの深い(くま)が彫り込まれている。

「失礼します、雛芥子先生」

「…………おお、君達か!」

 横開きのドアを両手でそっと開けるユキネと、その後ろで室内を(うかが)うカガリ。彼女達の姿を見るや(いな)や、椅子に座ったままの教員はぱっと表情を明るくする。


 セントーレア学園養護教諭、雛芥子(ひなげし)ラナ。鮮やかな桔梗色(ききょういろ)の髪に、左右で瞳孔の色が異なる赤紫の瞳が印象的な猫眼族(ねこまぞく)の女性。

 普段は主に保健室で救護に(たずさ)わっているが、根っからの研究、解剖好きでもあり、化学や生物系の授業も担当している。腕は確かな一方で、度々奇行に走るため、学園内ではマッドサイエンティスト寄りの変人として見られることも少なくはないのが玉に(きず)――といったところだろうか。


 幸いにも寝台に患者の姿は見えず、今なら多少の対話くらいは許されそうに思えた。おいで、と軽く手招きをされた二人が机の(そば)に来ると、柔らかな表情を浮かべたまま、少し思案した彼女が切り出す。

「と、いうことは、あの件かな? いやはや、私としたことが……わざわざ来てもらってすまないね」

「いっ、いえ……! こちらこそ、学園に戻ってすぐに先生のもとへ来られず……。だいぶ時間がかかってしまいました、すみません……!」

「ふふ。では、お互い様だな」

 深々と頭を下げるカガリに、ラナは目を細め微笑む。所作は相変わらず緩慢なものの、心の内は嬉しさに溌剌(はつらつ)としているであろうことは十分に見て取れた。

「今日はやけに怪我人が多くてね〜。だから一瞬、君達も巻き込まれたのではないかとヒヤヒヤしたのだが――見た感じ、何ともなさそうだ。安心安心」

 フゥ、と一息をついて、読みかけの本に(しおり)を挟みながら、しみじみと彼女が独り言を(こぼ)す。唐突に飛び出したその言葉に、天狐族(てんこぞく)の少女達は驚いて目を丸くした。

「け、怪我人……!?」

「何かあったのですか……?」

「おや、あれだけすごい音がしたのに、気が付かなかったのかい? ……ああでも、もし別の(とう)にいたとかなら、さすがにそこまでは届かないか」

 二人からの軽い質問攻めにも動じず、彼女は変わらぬ口調で答える。それから、少し(ぬる)くなり、もう湯気の出なくなったマグカップの中身――先ほど淹れていたコーヒーをカップごと、くるくると軽くかき混ぜるように回しては、それをゆっくりと口の中へ流し込んだ。……種族に(たが)わず、猫舌らしい。


「私も詳しい事象までは知らないんだけどね。すごい爆発音の後に、何かが崩落する音が聞こえて――それからだったかな? ヒトキ君がナツメ君を、マイ君がイツキ君をここに(かつ)ぎ込んだのは」

「ええええ…………」

 自身の知らないところで起きていた騒動の片鱗(へんりん)を知り、呆然とするカガリ。その横では、ユキネもぽかんとした表情を浮かべたまま言葉を失っていた。

「――っと、呑気にお喋りをしている場合ではなかったな。諸君(しょくん)、“あの魔物”について、私に話があるんだろう?」

 ラナは持っていたマグカップを置くと、おもむろに組んだ両手を机の上に乗せ、どこか不敵な笑みを二人へと向ける。騒動の事も気がかりだが、本題はそれではない――カガリはそう自分に言い聞かせ、必死に雑念を払う。

「……はい。微睡の森(まどろみのもり)にまで現れた書物喰らい(ブックワーム)ですが、例の“変異個体”のように思えましたので、討伐後に送らせていただきました。その件についてなのですが……」

「先生の方で、何か分かったことはありますでしょうか……?」

 再び、室内に沈黙の時間が流れる。彼女は真剣な眼差(まなざ)しの少女達を一瞥(いちべつ)した(のち)、自身も気合いを入れるためか、短く息をつき、それまで(ほころ)んでいた表情をきりりと引き締めた。

「うむ。では、先に君達には伝えておくとしようか。……長くなるだろうから、そこの椅子に掛けてくれ」

 言われるがまま、カガリとユキネは保健室内に備えられた長椅子に座る。ラナは机の引き出しから一冊の魔導書(アーカイブ)――おそらくあの書物喰らいの体内から回収した一部と思われるものを取り出すと、そのページを軽快にパラパラとめくり始めた。


「さて……これから話すのは、現時点で判明している事だが――――、」


 少し物々しい口振りで始まった三者の話し合い。先に終着点へと辿り着くのはこちらか、あるいは、職員会議の方か――その行方は、当事者は(おろ)か、秒針を刻む時計にすら分からない。

 度重なる異常事態を前に、難航する議論の決着を知らせる便りが届くのは、今からもう少しだけ先のようだ。

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