第二十一話「決戦前夜」
「さて……ようやくだね」
執務室の大きな窓の外を眺めながら、ノエルが呟く。見つめるその視線の先には、立入禁止区域――怪奇の泉を捉えていた。
作戦の始動から早数週間。おおよその準備が整い、書物喰らいの討伐計画はいよいよ最終局面へと向かおうとしている。ついに、この時がきたのだ。
「あれからも何度か足を運んでいますが、未だ元凶らしい元凶は見つかっていません。今回も無駄足にならなければよいのですが……」
報告資料をまとめつつ、側でヒトキが言葉を零す。憂いを帯びた黄蘗色の瞳が、僅かに細められる。
「なあに、その時はその時だろう?」
「貴方はまたそんな事を……」
やけに楽観的な学園長に溜息が出るものの、きっとこの人にはこの人なりの考えがあるのだろう――と、そう思うことにした。
なんにせよ、考えていても始まらない。今、自分に出来ることをしなければ。そう己に言い聞かせ、ヒトキは改めて気を引き締めた。
「それじゃ、フウカ君にも伝えてくるよ。皆に知らせてもらわなくてはね」
「え……ここは学長が直々にお話をすべきでは……?」
「ああ、それはもちろん。あの子にするのは単なる事前の情報共有さ」
「なるほど、そうでしたか」
そのままフラリと執務室を出て行くノエルの背中を見送り、ヒトキは再び物思いに耽る。担任として、そして前線で戦う者として、これからどうすべきか――部屋に漂う静かな時間だけが、ただ流れるように過ぎていった。
◇
「先生! どうしてですか!?」
クラス“クレメンティア”の教室前、廊下に響く声。声の主であるリヒトは、自身の担任であるオサキを問いただしていた。
「俺……あれだけ書物喰らいを討伐していたじゃないですか! それなのに精鋭部隊じゃないなんて……!」
「まあまあリヒ君、落ち着いて〜」
熱くなるリヒトとは裏腹に、オサキはいつもの緩い調子を崩さずに言う。何やら、討伐計画の選抜結果について、今になって揉めているらしい。
「強い子達をみんな前線に置いちゃったら〜、各地の書物喰らいを倒せる子がいなくなっちゃうでしょ〜?」
「で、でも……! 兄ちゃんのクラスは強い人を前線に固めてるって……!」
「うちはうち、よそはよそ〜」
「先生!」
どうにか担任の説得を試みる彼だったが、のらりくらりと流され、残念ながら全く届いてはいないようだ。とはいえ、このまま引き下がるつもりも無いらしく、必死に次の言葉を探している。
担任――葛乃葉オサキ。背中まで包み込む少し色素の薄い緩やかな金髪に、透き通るような青い瞳。楕円形の太眉がチャームポイントな彼女こそが、クラス“クレメンティア”を担当する教員だ。
基本的にふわふわとした態度で優しく、大抵のことは笑って済ませるが、怒った様はかなり恐ろしいと、専らの噂になっている。
――と、二人が言い合う丁度そこに、リツカが通りかかった。
「どうかされましたか? 葛乃葉先生」
「あっ、リツ君〜。いやあ〜それがね〜?」
「! 兄ちゃん!」
リツカの姿を見るや否や、リヒトは助けを求めるようにそちらへ駆け寄る。そんな少年の様子に、彼とよく似た霊鳥族の教員は少し気まずそうな表情を浮かべた。
「が、学校では“先生”と呼びなさい……」
「今はそれどころじゃないんだよ〜!」
天陽リヒト。人一倍正義感の強い風紀委員であり、何を隠そう“ヴィルトス”担任、天陽リツカの実の弟だ。属するクラスは異なるものの、学園内でその事を知る者は少なくない。
「お願い! 葛乃葉先生を説得して!」
「ええ……?」
唐突、かつ強引に巻き込まれ、困惑するリツカ。その側ではオサキが、やれやれ、という反応をしている。
「リヒ君がね〜? 自分を精鋭部隊に入れてくれって聞かないんだぁ。私としては、腕を見込んでの配置だったんだけど〜」
「なるほど……」
「それなら尚更、どうしてなんです!?」
尚も詰め寄るリヒトを宥めつつ、リツカは難しそうに溜息をつく。どうしたものか――そんな心の声が聞こえてくるようだった。
「あのなあ……リヒト? 前線で戦うだけが全てじゃないんだぞ?」
「な……! 兄ちゃんまで……!」
「そうだよリヒ君〜。さすがリツ君、分かってるぅ〜」
「ぐぬぬ……」
兄はむくれる弟に言い聞かせるように言葉を続ける。この二人にとってはよくある、いつも通りのやり取りだった。
「戦況はいくらでも変わる。もしかしたら、君も前線に呼ばれるかもしれないんだ。その時に戦える余力が無かったら……どうする?」
「…………う、確かに」
リツカの問いかけに、分かったよ……と、渋々ではあるが、ようやく納得した様子のリヒト。そんな二人を見て、オサキはうんうんと満足げに頷いた。
「そうそう〜、ちゃんと重要な役割なんだよ〜? 期待してるねぇ」
ひとまずは一件落着だろうか。決戦の時は近い。そのためか、学園内の士気も高まっている。このまま何事も無く――とはいかないかもしれないが、無事に事件が解決することを、誰もが祈らずにはいられなかった。
◇
セントーレア学園内、体育館。
先日、生徒会長であるフウカが全校生徒を集めたように、今度は学園長、ノエルが一同をこの場に集めていた。呼ばれた理由は分かっている――そうとでも言うかの如く、静寂が全てを物語っていた。
「――諸君、時は満ちた!」
壇上から告げられた第一声が、一瞬にして体育館内を緊張感で包む。水を打ったようにしんと静まり返った広い空間で、尚も彼女は言葉を続ける。
「今日に至るまでの討伐への協力、誠に感謝している。おかげで、騒動の根源――怪奇の泉へ乗り込む手筈が整った」
作戦の始動から、凶暴化した書物喰らいは着実に個体数を減らしている。それは生徒達の協力があってのものだった。しかし、このままでは一連の騒動に決着がつかない。
そこで、職員会議にて決められたあの作戦を決行する運びとなったのだ。
「君達にはこれから、我々と共に前線で根源を調査する精鋭部隊と、まだ各地を脅かしている書物喰らいの変異個体を討伐する殲滅部隊に分かれて行動をしてもらう。どちらも重要な役割だ」
部隊に選ばれた者、選ばれなかった者、また別の役割を背負う者――この場にいるのは様々だが、皆一様に学園長の話に耳を傾けている。今回は、前回のようなどよめきは上がらない。そこには確かな覚悟の色が窺えた。
「殲滅部隊の方は、ギルドや自警団からの協力も得られた。彼らと力を合わせて各地での個体数を更に減らし、なるべく奴らを泉に近付けないようにして欲しい」
秘密裏に彼女が交渉でもしたのか、世界の危機に、他の組織も立ち上がっていた。もはや、この作戦は学園内だけのものではないといっても過言ではないだろう。こうなってしまえば、目指す終着点は同じだ。
「現時点での作戦は以上だ。――では、諸君の健闘を祈る!」
とうとう始まった、書物喰らい討伐の最終決戦。
立入禁止区域の奥底に待ち受けるのは何者なのか――ついにその正体が明らかになろうとしている。各々が使命を胸に抱え、決戦の地へと向かうのだった。
「だ、大丈夫でしょうか……」
「まあ……どうにかなりますよ。きっと」
目的地へ向かう最中、不安そうなナツメの横で、悠然と構えるリツカ。そこに後方から歩いてきたヒトキも加わり、三者が並ぶ。
「そうそう。皆さんもついていますし、一人ではありませんから」
「うう……ありがとうございます……」
話をしている間にも、立入禁止区域――怪奇の泉が近付く。普段は誰一人として立ち入らないその場所に、今日、この瞬間だけは多くの人々が集った。
「ここが……立入禁止区域……」
「はっ、いかにも何かが潜んでいやがるって感じだな」
鬱蒼と生い茂る木々を前に、シロエとイツキが呟く。今からこの中に足を踏み入れるのかと、怯える生徒、どこか非日常を楽しむ生徒など、反応は多様だ。
「っし……バケモンだか何だか知らねーが、さっさと潰して終わりにしよーぜ。行くぞアカシ、アオバ」
「はい! 兄貴!」
「参りましょう」
イツキの弟分、アカシの隣にいるのはクラス“クレメンティア”の生徒、篠宮アオバ。青い髪に犬耳、片側の長い前髪が印象的な彼もまた、不良少年といつも行動を共にしていた。
「ちょ、ちょっと……! 勝手な行動は……!」
「まだダメだよアオ君〜!」
ナツメとオサキの制止も聞かず、三人は深い森の中へ入ってゆく。どうするんだ、と残された者達が少しどよめいた。
「わ……私達も参りましょう……! 待ってください〜!」
三人を追って、ナツメも怪奇の泉へと足を踏み入れる。……相変わらず、問題児を抱えるクラスの担任は大変そうだ。
「それじゃあ私も〜! 皆、また後でねぇ〜」
ナツメに続いて、オサキも自身の教え子を追う。まるで緊張感の無い作戦開始の様子に、思わず、本当に大丈夫だろうか? という空気が漂っていた。
「……順次、配置につきましょうか」
「そうですね……」
ヒトキとリツカの言葉で、失われかけていた統率がほんの少し、元に戻る。各クラスが立入禁止区域の入り口で一列に並び、突入の準備を始めた。
――もう、後には引けない。長い長い戦いが今、静かに幕を開けた。




