第十八話「暗雲」
「雛芥子先生、そちらはどうですか?」
「ん、特に変化は無いね。いつも通りだよ」
「そうですか……」
書物喰らい討伐計画の始動から数日。クラス“テンペランス”の担任であるヒトキは、保健室にて養護教諭のラナと近況を語り合っていた。
緩やかな午後の時間に、淹れたてのコーヒーの香りが溶け込む。まるで、この世界には何の問題も起きていないと錯覚するほどの穏やかさだ。
「それよりヒトキ君、君の方はどうなんだい? 何か進展は?」
「いえ……こちらも相変わらずです」
「そうか〜」
お互い大変だね、と彼女が苦笑いを浮かべる。ヒトキもそれにつられるように、まったくですよ――と言いつつ浅く溜息を零した。
「出没域が増え、連日転移薬で研究室に送られてくる書物喰らい達の変異個体に、魔力量のわりには、やけに少ない体内のアーカイブ……一体、どうなっているのやら」
そう言うと、ラナはゆっくりとコーヒーカップを口元に運ぶ。その中身を一口啜ると、小声で、あちち、と呟いた。
「こんな状況を日常にはしたくないものです……」
ヒトキが目をやる先には、おそらくラナの手によって書物喰らいの体内から取り出されたであろう、大量の魔導書が積まれている。いくら討伐をしても個体数が減っているとは思えないそれに、彼はすっかり辟易としていた。
「ふふ、そうかな? 私は毎日、存分に解剖が出来て満更でもないと思っているが」
「ちょっ……勘弁してくださいよ……!」
「なんてね。冗談だよ」
貴方が言うと冗談に聞こえない――という本音は飲み込むことにして、ヒトキは呆れ混じりに二度目の溜息をつく。ラナはそんな彼の様子を、頬杖をつきながらどこか楽しげに眺めている。
「まあ……あまり貴方の負担になってはいなさそうで、少し安心しました。討伐はこちらでやりますので、引き続きお願いいたします」
「うむ。任せておくれ。ヒトキ君こそ、くれぐれも無茶はするんじゃないよ?」
「はい、ありがとうございます」
それでは、と部屋から出るべく、扉の方へと向かうヒトキ。そんな彼を、ラナが軽く呼び止めた。
「……ああ、そうそう」
「ん……?」
「あの子は――編入生の、シロエ君だっけ? どうだい? あれから」
机の上に散らばる魔導書を片付けながら、彼女が尋ねる。顔はこちらを向いていないが、その声色から、多少の好奇心が窺えた。
「ええ、順調ですよ。魔術の扱いにだいぶ慣れてきたようですし、飲み込みも早い……引き続き、討伐計画を進めつつ見守っていく予定です」
「ほう、それは良かった」
戦闘訓練が本格化してからというもの、シロエも授業の中で、着実に成長を重ねていた。元より精鋭部隊として抜擢するつもりとはいえ、周囲の納得のためにも、ある程度の実力は必要だろう。
まだ、やるべき事は山ほどある。
「ま、ほどほどにね。ナツメ君にもよろしく〜」
相変わらず緩い調子の彼女に見送られ、ヒトキは保健室を後にする。こうしている間にも、問題は起き続けているのだろう――そんなやり場の無い、どこか重苦しい気持ちを引きずりながら、自身の教室へと戻っていった。
◇
「書物喰らいの……討伐……?」
「そーそー。戦える人は向かってるんだよ〜」
今のシロエ君ならそろそろ大丈夫なんじゃない? と言うのは、同じクラスの男子生徒――柘アユム。両目を覆い隠すほどに長い前髪は深緑色をしており、頭上には兎の耳が生えている。先日の模擬戦を見守っていた男子生徒の一人だ。
「僕は戦闘より救護だからねぇ。前線には出られないんだあ」
「そうなんだ」
討伐へと出向いたハルマとマナミが不在の、少し広い教室。凶暴化した書物喰らいの発生は相変わらず後を絶たないようだ。生徒達は学園生活の合間を縫って、自主的に討伐活動を行っている。
「噂によると、その討伐成績で精鋭部隊の選抜をするんだとか。だから皆、どこのクラスもすごく張り切ってるよ〜」
怪我人の手当てでもしてきたのか、机の上で救急箱の中身を片付けながらアユムが言う。そんな彼の様子を、シロエは黙って見つめていた。
「でも、一人だと危険じゃない? また埋火さんに心配かけちゃいそうだよ」
「あー、そこはだいじょーぶ。ハルマ君もマナミさんも、単独では動いてないから〜」
「どういうこと……?」
シロエの問いに、後ろを振り返った彼は、むふふ、と不敵な笑みを浮かべる。そんなアユムに、尚もキョトンとした視線を送るシロエ。そもそも、書物喰らいについても詳しくは知らない――まだまだ、分からないことだらけだ。
「ふっふっふー、簡単だよぉ。誰か、強くて戦える人を討伐に誘っちゃえば良い……ただそれだけ! きっと今ならすぐに見つかるってぇ」
「そっか。誘う……」
そう呟いて、シロエは教室内をきょろきょろと見渡す。自分と共に戦ってくれそうな人はどこにいるのだろう。簡単とは言われたものの、すぐに見つけるというのは難しそうだ。
「別にうちのクラスじゃなくても良いんだよ〜。誰かいない? 強そうで頼れる人〜」
「誰か……かあ」
記憶を遡ってみるも、この学園に編入して日の浅い彼には友人と呼べる相手は少なく、ましてや他のクラスの生徒達のことなど、ほぼ知らないに等しい。唯一、色々と手助けをしてくれた天狐族の少女達はかなりの実力者であり、学園長の指示のもと、既に討伐任務に赴いているようだった。
「うーん……やっぱり思い付かな――」
シロエがそこまで言いかけた時、教室のドアがガラリと勢い良く開け放たれる。それまで静かだった教室内の雰囲気は一変し、一気にその場の視線を釘付けにした。
「おいこら堅物ゥ! 今日こそ俺と勝負しやがれ! 勝ち逃げとか許さねえからなァ!」
その音の主はクラス“モデストゥス”の問題児、イツキ。ついこの間、校舎内で派手に暴れた際に教員であるヒトキに止められたのが気に食わなかったらしい。
突然の不良少年の来訪に、緊張感が走り、一層静まり返る教室内。ふと横を見ると、前の席のアユムは驚きと怯えが入り混じったような反応で固まっている。
「――ンだよ、いねえのか? チッ……」
ヒトキの不在に気が付き、イツキは何事も無かったかのように教室を出て行こうとする。一方で、シロエはというと、そんな彼を真っ直ぐに見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「見つけた……」
「…………えっ?」
戸惑うアユムをよそに、席を立ち、そのままイツキのもとへと駆け寄るシロエ。誰かがこちらへ近付いてくる気配を察したのか、不良の彼もその場で立ち止まっている。
「あ゛? なんだテメェ――」
怪訝そうに睨み付けられながらも、シロエは全く気にする様子を見せない。それどころか彼の手を取り、まるで幼い子供が友人に話しかけるかの如く、嬉しさに満ちた、ぱっと明るい表情で言い放った。
「君! 相楽さん……だっけ? 僕と一緒に、書物喰らいの討伐に行ってくれませんか?」
「…………は?」
「――っえ……えええええ!?」
沈黙を破るように、アユムの叫び声が教室内に響き渡った。
◇
「サナちゃん、そっちはどう……?」
「……いない。見失った」
同刻、某所。書物喰らいの討伐に向かったマナミとサナは、深い森の中で今回の標的を探していた。
「まったく……逃げ足の速いことで」
そんな二人と行動を共にするのは、長い金髪を頭上で二つに結えた猫眼族の少女、懐嬌アコ。彼女の紫色の瞳が、暗闇で妖しく光る。
「それにしても、逃げてばかりで襲ってこないなんて珍しい……私達を誘っているのかしら?」
「どんな狙いがあろうと、関係無い。書物喰らいは全て駆除する」
「蔓日さんったら……相変わらず、ブレませんわね」
書物喰らいへの敵意が揺るがぬサナに、アコは少し呆れたような反応を示す。その少し後ろでは、マナミが辺りを警戒しつつ、何かを考え込んでいた。
通常、凶暴化した変異個体は錯乱状態に陥っており、こちらを無差別に攻撃する。しかし、今相手にしている書物喰らいは逃げ惑うばかりで、何やら様子がおかしかった。
きっと裏側に何かがあるような――そんな胸騒ぎがする。
「やっぱり、あの書物喰らいは他の個体とは何かが違う……討伐しなきゃいけないのはそうなんだけど、一旦学園に戻って、作戦を練らない……?」
ここで深追いをするには嫌な予感がする。そう思ったマナミは、二人に提案を持ちかけた。
「ええ。それが良いかもしれませんわね」
「…………分かった」
すんなり快諾するアコと、渋々といったように了承するサナ。二人の返答に、彼女はほっと胸を撫で下ろした。
――が、その刹那、背後の茂みが揺れ、先ほどの書物喰らいが現れる。
「っ! 逃がすか!」
「あ……えっ!? サナちゃん! 駄目……!」
マナミの制止を振り切り、サナは魔物を追って森の奥へと姿を消した。
鬱蒼とした暗い森に取り残された二人。そこにはただ、空虚な風が吹き抜けるばかりだった。




