第十三話「見学」
「――――なに? シロエ君が……?」
模擬戦の後、ライナは報告を行うためにノエルの執務室を訪れていた。それまで、休ませてくれと泣き言を零していた学園長だったが、彼の報告を聞いた途端に顔色が変わる。どうやら、真剣に話を聞く気になったようだ。
「ええ……こちらの攻撃が一切通っていない様子でした。私がこの目で確かめましたので、気のせいでは無いかと」
持ちかけた話を聞き流されなかったことに内心安堵しながら、ライナが続ける。その真剣な口振りも相まって、嘘をついているようには思えない。が、にわかには信じ難いというのもまた事実であった。
「そんな事があり得るのか!? ――いや、待てよ……? もしそれが本当なら、確かに色々と合点がいく……か」
「! 何か心当たりが……?」
「……うむ。実はだな――」
ノエルは“微睡の森でシロエが魔物に襲われかけていたこと”、それから、“そんな状況にもかかわらず、怪我の一つも無かったこと”を彼に告げる。深い眠りに落ち、なかなか目を覚まさなかったという点も気にかかるところではあるが、今の話はそれではない――と思考を頭の隅に追いやった。
「…………なるほど。確かにその状況は違和感がありますね」
「だろう? 会議でも結局、そこに対する明確な答えは出なかったんだ。だから、後で本人に直接確かめようとしたのだが……いやはや、お手柄だよ、霹靂君!」
「ったく……調子が良いんですから……」
呆れるライナをよそに、また一つ謎が解けたと上機嫌なノエル。学園長に生徒会副会長――一見、立場上はそこまで深い間柄ではなさそうな二人だが、その内情は持ちつ持たれつ。利害関係の一致によるものだと知る者は、おそらく当人ら以外に存在しないだろう。
「しかし――これは大変な事だよ。普通では絶対にあり得ない事象が、“あの子”という形で今、我々の目の前に現れているんだ」
「……ええ。存じております」
今、この世界に起きている事――異例の事態――を噛み締めるようにノエルが言えば、それを実際に目の当たりにしたライナも同意を示した。前例の無い、奇跡に等しい事象と、こちらもまた前代未聞の大規模事件――それらが同時に起きているのだ。とても“偶然”の一言では片付けられない。
「ひょっとしたら、彼の存在が、この世界の定義を大きく揺るがすかもしれない――と、私の直感がそう囁くのさ」
窓の外よりもずっと遠く、果てなく広がる空を見上げながら彼女がどこか意味深長に呟く。……が、しかし、ライナの脳裏に浮かんでいたのはつい先ほどの模擬戦の光景。
確かに彼は普通ではあり得ない、天才的かつ人間離れした芸当を披露してみせた。しかし、根本的に運動が苦手なのか、はたまた、本来の運動能力ごと記憶から欠落してしまったためか――言ってしまえば、そこ以外は至って普通、むしろ低水準なようにすら思えたのだ。
ライナは思わず、少し難しそうに首を捻る。
「…………とてもそんな風には見えなかったんですけど」
「ま、まあ……今はまだ、その時じゃないのかもしれないな〜……あはは……」
広い執務室に、ただ二人。やや持て余し気味の空間で、学園長の乾いた空笑いが転がった。
◇
「色々とありがとう。助かったよ」
「いえいえ! お安いご用です!」
学園の寮にて戦闘で汚れた衣服を洗濯している間、ついでにシャワールームで汗も流し、備えられていた予備の運動着に袖を通したシロエは、カガリ達と再び校内へ戻っていた。
「巻き込んでしまったようなものですからね……」
「まったくですわ……あの副会長ったら……」
模擬戦の前にライナから告げられた、エリートの選抜、そして、大規模な作戦――詳細については未だ不明だが、今後の目指すべき方向性は決まったといえる。実際に討伐依頼を何件かこなしていたカガリとユキネには、おおよその見当も付いていた。……おそらく、各地で凶暴化している書物喰らいの件だろう。
例えシロエ自身が何らかの力によって攻撃を受けないとしても、共に戦う他の生徒達はそうはいかない。まずは本格的な戦闘訓練を行い、最低限、足手纏いにならないようにするというのが当面の目標だった。
丁度、次の授業で戦闘訓練を行うクラスがある。学園長に話があるから――と、一旦ライナとは別行動になった三人はその見学のため、本日二度目となる訓練場に足を運んだ。
大きく重たい出入り口の扉を開けると、場内からは既に交戦の音が絶えず響いている。訓練に励む生徒達は既に詳しい話を聞いているのだろうか、心做しか、普段の戦闘訓練よりも熱が入っているように思えた。
訓練場の扉付近、やや壁際。そんな生徒達を黙って見守る人物に、カガリは明るく声をかける。
「こんにちは、入相先生!」
「ああ、埋火さん。お疲れ様です」
入相先生――そう呼ばれた彼が振り向き、挨拶を返した。
後ろで結えた長く暗い茶髪に、獣耳のように頭部の左右から生えた黒鳶色の翼。切れ長の凛々しい黄蘗色の瞳は、向かって右側が革製の眼帯で覆われている。
「見学ですか? ――って、皆さんお揃いで。珍しいですね」
カガリの後ろをついてきたユキネやナギサの姿にも気が付いたのか、その教員は不思議そうな表情を浮かべる。……とはいえ、ほぼ無表情な顔色は全く変わっていない。ユキネとナギサが軽く会釈をする側で、終始淡々とした彼の口振りに、少し言いにくそうな様子でカガリは話を続けた。
「えっと、見学もなんですけど……実は、先生に魔術のご指南をお願いしたい方がいまして……!」
「…………え、」
彼女の言葉で、細められていた教員の目が驚いたようにぽかんと丸くなる。無理もない。ここ、セントーレア学園では、基本的に他クラスの生徒から模擬戦等を挑まれることはあっても、指導まで担当することは――ましてや、直々に指名を受けることなど皆無に等しいからだ。
「……失礼。決して難色を示すつもりはありませんよ。ありませんが――」
困惑を浮かべつつ、コホン、と軽く咳払いをした彼が言う。それから、必死に言葉の裏側を探りでもしているのか、伏し目がちにその視線をうろうろと泳がせている。
「頼む相手、本当に私で合ってます……? 魔術のことなら、他にもっと習熟した――例えば、天陽先生や葛乃葉先生辺りがいらっしゃるのでは……と」
遠回しに、自分なんかが――と言わんばかりに念押しをする教員。やや卑屈な物言いの彼に対し、カガリは慌てたように言葉を繋げる。
「今回教えていただきたいのは、そういった“応用”ではなく、“基礎”の方なんです……!」
「基礎……」
「それでその、魔術の基礎となった時に浮かんだのが……入相先生の授業で……」
「……なるほど?」
まだあまりピンと来ていないのか、彼は曖昧な返事をする。それでも、先ほどよりは自身が指名を受けた理由について納得できたようだ。あともう一押し――首を縦に振ってもらう、決定打となる言葉が思うように見つからない。カガリはほとほと困り果て、黙り込んだまま何かを掴むように、行き場の無い両手を空中で静止させるばかりだった。
「天陽先生も葛乃葉先生も、すごく強いけど、何だろう……感覚派……? っていうのかな。入相先生と違って理屈より感覚、まずは動け……みたいな……」
「あー……、言えてますわね……」
「聞こえてますよ、お二方」
懸命に次の言葉を探さんと頭を抱えるカガリの背に隠れ、ユキネとナギサが内緒話をする。……が、教員の耳にはしっかりと届いていたらしい。彼からの鋭い指摘を受け、二人の肩が小さく跳ねた。
「ひとまず、事情は分かりました。それで、その、“魔術の訓練を受ける方”はどちらに……?」
「あっ、はい! ……シロエさーん!」
二者が話をしている間、目の前で繰り広げられている戦闘風景にすっかり見入っていたシロエ。カガリに呼ばれたことで我に返り、彼女の声のままに振り向いた。
(……ん? シロエ――って、確か……)
彼の脳裏に過ったのは、先刻の職員会議。学園長が“特異点”と呼んだ青年が、今、視線の先にいる。話を聞いた時には多少身構えたものの、いざ実際に顔を合わせると、確かにごく普通の、生身の人間にしか見えない。
「初めまして。僕、シロエといいます」
カガリに促され、目の前まで来ると共にぺこりと頭を下げるシロエ。物理的な距離が縮まると、その幼げな顔立ちとは裏腹に、背丈は意外と高い方なのだということがよく分かった。現に、教員の彼は身長を六センチほど抜かされている。
「初めまして。セントーレア学園、“テンペランス”担任の入相ヒトキと申します。よろしくお願いいたします」
教員――改め、ヒトキは自己紹介をしつつ、何かを確かめるようにシロエをじっと見つめる。しかし、頭を上げた彼と目が合うと、特に何を話すでもなく、そのままふいと目を逸らした。
「では、早速ですが始めましょうか? 少々お待ちくださいね。今、皆さんにもご紹介を――――ッッ!?」
ヒトキがそこまで言いかけた時、不意にその姿がシロエの視界から消える。……否、魔法等で跡形もなく消失したわけではない。誰かが彼の背に覆い被さり、体格差によって見えなくなってしまったのだ。
「せんせー! さっきから何をお話しされてたんですか…………って、君、誰!? 転校生!?」
「ちょ、ちょっと……!? いけませんよ、朔鵠さん……!」
「急にどうしたのさ〜?」
「見て見て! 鵤さん! 柘君も! 新しい人がいる!」
どうやら、こちらが話をしている間に、生徒達の模擬戦が終わったらしい。その中でも特に元気の良い男子生徒が、ヒトキの背に飛び込んできた。
鮮やかな空色の長髪に、額から伸びた一本の角。どこか神秘的な雰囲気を纏う少年は、担任の背にしがみ付きながら、橙色の瞳を輝かせ、シロエを興味津々といった様子で見つめる。
「まったく……」
飛び付かれるのはいつもの事なのか、当のヒトキは特に驚く素振りも見せない。少年との身長差に押し潰されそうになりつつも、彼は体幹のみで男子生徒の体重を支える。
「…………そろそろ降りていただけます?」
「あっ!? すみません!?」
こうして始まった、シロエの魔術訓練。……だが、どうにも先は長そうだ。




