気がつけば時代劇・2
「おい!ババア!」
ちょっと待て、と蕗子はカチンときた。いくらサプライズのフラッシュモブとはいえ、主役捕まえていきなり「ババア」とは何事だ。だが言い返す間もなく芝居は続く。
「子供を連れた男がここに来なかったか。顔に傷のある若い男だ」
はは~ん、と蕗子は思った。追われている若い男の子カップルを助けるババアの役なのだな。ということは脚本は美奈子さん。なかなかやるじゃないの、さすが自慢のオタク嫁。
「あんたたち。それが人にものを尋ねるときの態度かい?ババアとはなんだいババアとは」
平素、他人どころか夫婦喧嘩すらしたことのない蕗子である。だがこれは所詮出来レースの大見得。少々声が上ずっていたところでプロはスルーして先に進めてくれるに違いない。
「どうした、ババア。声が震えてるぜ」
てるてる坊主みたいな格好している男たちに鼻で笑われ、しょうがないでしょう!素人なんだから!と蕗子も言い返してやりたいが、美奈子の脚本を台無しにせずに言い返すセリフを思いつかない。アドリブって本当難しいと蕗子は歯噛みする。
「おい。どけ」
蕗子を押しのけ男たちは洞窟に入ろうとする。蕗子は一瞬よろめいたものの、すぐに男たちの前に回り洞窟の入り口に両手を広げて立ちはだかった。
「ちょっちょっちょ、なに人んちに勝手に入ろうとしてんのよ!」
危ない危ない、と蕗子は焦る。この人数で洞窟の中に入っても踊るスペースが無い。たぶん美奈子の脚本ではここでいったん蕗子が足止めして、芝居の山場あるいはダンスシーンの途中で中から華やかにあのふたりが出てくる算段であろう。蕗子は心の中で額の汗をぬぐいながら次の段取りを想像する。なんて大変なサプライス。主役が大変なフラッシュモブ。フラッシュモブか?これ?
「なにが人んちだよ。なんだよババア、ここに住んでんのか?」
男が怪訝な顔で蕗子に言った。
「そうよ!私の家よ!女性のひとり暮らしの家に土足でそんな、ずかずか何人も男が無理矢理押し入るなんてどうかしてるでしょ!入んないで!」
まくしたてる蕗子に一瞬呆気に取られていた男たちは、次の瞬間大笑いし始めた。
「『女性』だってよ、シワくちゃのババアが」
「いっぱしに生娘気取りかよ」
「ひとり暮らしの家って、どうせ家族に捨てられただけなんだろう、ここに」
「子供も産めなくなった女なんかお払い箱なんだよ」
がはがはとさらに大声で笑い出した男たちに、蕗子はだんだんと顔を赤くし、頭から湯気を噴き出さんばかりに怒った。
「捨てられてない!年取ったって女は女なんだよ!」
泣きそうだった。子供みたいに泣き出しそうだった。子供の頃、ブスだなんだとイジメられていたあの頃がフラッシュバックする。むさくるしい男どもに囲まれ理不尽に責められ、還暦にもなって気の利いた言い返しもできずに、ただただ泣きそうだった。というか泣いていた。
美奈子さん、なんでこんなひどい台本書いてくれたの……?もしかして、本当は私のこと嫌い?
「ほら、どけ」
再度男に肩を突き飛ばされた蕗子は、とっさに男の腕を握った。
「ダメだっていってるでしょう!!」
違うよね、美奈子さん。この脚本にはきっとおもしろいオチがあるのよね?
「邪魔だ!ババア!」
「入るなって言ってんのよ!」
「クソババア!斬るぞ!」
「やれるもんならやってみな!!」
振り払う男の腕に必死にしがみついていた蕗子であるがとうとう振り飛ばされ、それでも立ち上がったところに刀を抜かれた瞬間だった。
なんの前触れもなく大きな稲光が光ったと思うと、轟音と共に一筋の閃光が湖近くの木に落ちた。バリバリと生木はてっぺんから真っ二つに裂け、片方は森の木々の間へ、もう片方は水量の減った湖の中へばしゃりと落ちる。
足の裏にも響いてきた地鳴りに男たちは尻もちをつき、震えながら目を見開いていた。
「龍神様が……竜神様が怒ってる……」
そして我先にと男たちは一目散に走り去って行った。
雷で木が裂けるところを初めて見た蕗子は感動していた。
「すっごーい。よくできてるう~。VRとかいうの?だいぶお金かかったんじゃない?美奈子さん、そこまでしなくていいのに」
さっきまで美奈子の気持ちを疑っていたくせに、大きな仕掛けの前にはコロっと忘れる蕗子である。しかし肝心のフラッシュモブの人たちが退場してしまった。この先の展開が読めなくなって蕗子は呆然としてしまう。
「媼」
「おばあさん……」
洞窟の奥から穿拓と清白が出てきた。手にはシャンシャンする鈴も垂れ幕も持っていない。なにかもう少し間を繋がねばならないのだろうかと蕗子は頭を働かせる。
「雷、凄かったね。ほらあそこ、木、裂けちゃってるよ」
蕗子が沼の方を指さすと、穿拓も清白も頭を下げた。
「かたじけない」
「ありがとうございます」
「いや、いいのよ、かしこまらないでよ、気にしないで」
だって私のためのフラッシュモブだもの。蕗子は照れながら両手を振るが、もはやフラッシュモブの域を出ているような気がする。長い。長いのだ美奈子さん。一体何ページの台本を書いたのか。素人がアドリブだけで付いて行くには度を越えている。これからどうやってこのふたりのBL話に流れていくのか皆目見当がつかないが、さっさとそういう流れにして、尻切れトンボでもなんでもいいからとっとと踊って終わって欲しい。もう頭が回らない。ていうか、この美少年どう見てもしーちゃんと変わらない年頃だと思うんだけど、そんな子メインのBL書いて大丈夫?美奈子さん?
「辛い思いをさせてしまいましたね」
清白はそっと蕗子の手を両手で包んだ。
「え」
清白の慈愛に満ちた目を見て、先ほどの男たちの暴言のことを言っているのだと気づく。
「ああ、いいっていいって」
蕗子は笑って清白の手を握り返し、ぽんぽんと甲を叩いて下ろす。思い出したらまたちょっと辛くなる。だから話を逸らすように男が忘れて行った刀を拾った。
「こんな偽物で脅されたってちっとも怖くないからね。あら。お芝居用の模造刀ってもっと軽いのかと思ってた。意外と重いのね」
片手で拾った刀を両手で持ち直し、蕗子はふん!と振ってみる。
「重っ」
穿拓は無言で歩み寄ると蕗子から刀を受け取り、横に生えていた竹に向かってぶんと横に振り払った。
綺麗に横一直線。定規で引いたように竹がずれる。そしてゆっくりと切れた上の方が右の方へ倒れて行く。
じっとそれを見ていた蕗子は、はてと眉をひそめた。
「普通斜めに切らない?居合切りとかさ、かぐや姫とかさ」
「真剣だ」
動じることなく真顔で答える穿拓に蕗子は怒鳴った。
「なんで本物の刀とか出てくんのよ!銃刀法違反!」
「武士が偽物なんか持ってる方が大問題だ!たわけが!」
負けじと穿拓も怒鳴り返す。
「たわけとは何よこのすっとこどっこい!助けてもらった恩を忘れたか!」
「それはそれこれはこれだ!こんな危ないもの、死にかけの年寄りが手にするものではない!」
「危ないってわかってんのなら、おばあちゃんに寄こしなさい!子供が持ってる方が危ない!」
「触るな触るな!これは俺が預かっておく!」
「だーめ!あんたなんか血の気が多そうだから突然振り回しだしたら危ない!現に今だってこれ見よがしに竹切ったでしょう!寄こしなさい!」
「危ない危ない危ない!手を出すな」
「ちょっと!」
「やめろ!」
「やめてください!」
真剣を挟んで危険な押し問答をする蕗子と穿拓を見かねた清白が声を上げる。
「とりあえず、中に入りましょう。それはわたしが預かります」
清白は長い袖を手の上に重ねると、恭しく抜身の刀を受け取った。
なんだかんだ3人の中で一番年少の清白が刀を預かっていた。