気がつけば時代劇・1
「どこここー!?」
洞窟の外に走り出た蕗子は目の前の水は少ないけど広さだけは大きい湖と目にまぶしい緑の木々に悲鳴を上げた。
「なんなのなんなのなんなの!?どういうことなの!?なにが起こっているの!?」
両手で顔を挟み、わなわなと蕗子は震える。
「まったく、死にかけてたばあさんのくせに動きが早いな」
後を追って出てきた穿拓は蕗子の襟首を掴むと洞窟へ戻ろうと引っ張った。
「ちょっと待って。やっぱり死にかけてたのよね?私」
穿拓の手を払うと蕗子は彼に向き直り、縋り付くように訊く。
思いがけない力強さに穿拓が驚いて手を引くと、後ろにいた清白がゆっくりと答えた。
「そうですよ。僕たちがここへ来たとき、おばあさんはこの中で眠っていらしたんです。ゆすっても起きないくらいぐっすりと」
「なんでこんなところに……」
蕗子は出てきた洞窟の入り口を呆然と見上げる。近所ではまずありえない大きな洞窟に、旅先でも来たことのない風光明媚なレイクビューin山の中。死にかけの自分が運ばれるとしたら、まず同じ大きいでも大学病院の方だろうに。
「決まってるだろう」
「穿拓」
吐き捨てるように言いかけた穿拓を、清白がたしなめるように遮る。だが構わずに穿拓は続けた。
「捨てられたんだよ」
「え?」
蕗子の目が点になった。
「役に立たない年寄りを口減らしのために捨てるなんて、このあたりではよく聞く話だ」
「え?口減らし?捨てる?」
家族が?私を?さっきまでちらし寿司作ってたのに?
我が方を指したまま固まっている蕗子を憐れむように、清白が優しくその指を手のひらで包んだ。
「今年は稀に見る凶作で多くの農民も飢えに苦しんでいると聞いています。きっとご家族もやむにやまれぬ思いでおばあさんをお捨てになったのだと思います。あまり気落ちなさらぬように」
凶作?そんなニュース聞いてない。蕗子はぱかりと目と口を開くと、ロボットのように首を回して清白を見た。ジーーーギーコーと音でもなりそうなぎこちなさで、再び清白の足元から麗しい顔面まで視線をパンアップする。さらに首をガコンと回して、穿拓も足元からパンアップする。素足に草履、もんぺみたいなおズボンに着物をイン。脇には刀。清白より年上であることは確かだが、二十歳超えてるのか超えてないのか、佇まいが落ち着いていてちょっとよくわからない。筋肉質であろう身体は力強く、顔も精悍で男らしいイケメンだ。今どきのアイドルにしては少々濃ゆい感じだがおばさんウケはしそうな感じだ。蕗子も好きな種類の顔だ。顔の真ん中、額から鼻にかけて大きく十文字に白く盛り上がった傷跡があるが、むしろそれすら影を感じてきゅんと来てしまう。真っ黒い髪はごわごわと量も多く、ひとつに束ねてポニーテールにしているが、無造作な感じがまた野性味があって非常にいい。いや、顔はこの際どうでもいい。その服装は。
「ここ、どこ?」
ようよう冷静になってきた蕗子は足元を指さす。
「運住山という山ですよ。あそこにあるのは曲玉沼です」
清白が木々の向こうに見える大きいけれどずいぶん水量の減った湖を指して言う。聞いといてあれだが、県とか市とかで答えが返って来ることを想定していた蕗子は山の名前なんか聞いても全然ピンとこない。でもなんとなく日本っぽいことはわかる。なぜなら目の前の少年たちが妙にこなれた着物の着方をしているから。
「えーと、今何年?」
「正平15年ですが……」
しまった、と蕗子は思った。日本史は大の苦手である。元号聞いても何時代かさっぱりわからない。
「えーと、将軍的な人いる?」
「足利公のことですか?」
足利といえば足利尊氏。日本史オンチの蕗子でもこれはわかる。学生の頃から『足利尊氏』のことを『あしかがたかしし』だとずっと思いこんでいて、夫の正道に大河ドラマを観ながら「なんで『尊氏』だけ『氏』が付いて他の足利さんとか将軍には『氏』が付かないの」と聞いたことがあったのだ。あのときの正道の『間』は忘れられない。人とは驚くとあんなにも停止する時間があるものかとあとから回顧したものだ。しばらくののち正道は、嗤うでもなく落胆するでもなく至極冷静に穏やかに「『氏』まで名前なんだよ」と教えてくれた。あのとき蕗子は30手前だったと思うが、世の中まだまだ聞いて驚くことがあるのだなと思った。『尊氏』まで名前だったら『尊氏氏』になってしまうじゃないの!?そう叫ぶ蕗子に正道は優しく「誰にも『氏』は付けなくていいんだよ」と頷いたのだった。それはともかく、足利公が何時代かやっぱりわからない。
「鎌倉……?」
「室町だ」
恐る恐る訊く蕗子にあからさまに気分を害した穿拓が被せた。
「あ~……」
なるほどね~などと呟きつつ、蕗子は首を伸ばして清白と穿拓の後ろを覗いたり、洞窟の上や後ろの木々の間をきょろきょろと見回す。これだけボケたら、というか天然のアホだけど、もう取れ高は充分でしょう、そろそろテッテレーとか『どっきり』の看板を持った人が出てくる頃合いでは。
「おばあさん?」
怪しい動きをする蕗子を清白も穿拓も怪訝な目で見る。そんなふたりに顔を寄せて、蕗子はこっそり耳打ちする。
「誰に頼まれたの?」
つられて耳を寄せていた清白と穿拓が「はあ?」と蕗子を見る。
「美奈子さん?一輝?まさかお父さんではないわよね」
清白と穿拓はますます怪訝な顔をして蕗子から顔を離す。
「お誕生日のフラッシュモブとかそういうんでしょ?『どっきり』が出てこないなら、そろそろ踊りだすの?」
穿拓はますます眉を寄せ、清白はきょとんとしている。
「もちょっと騙されたフリしてた方がいい?そうね、せっかく息子夫婦がサプライズ仕込んでくれてたんだったらノッた方がいいのかしら。あんまりこういうのって好きじゃないんだけど、せっかくの好意を無下にしちゃ悪いものね」
とか言いつつ蕗子は少し頬を染める。他人のサプライズプロポーズだって恥ずかしくて見ていられないところがあるが、やってもらうとちょっとなんかこう、気恥ずかしいながらもごくごく平凡な人生を送って来た自分としては良い冥途の土産が出来たようで嬉しい。
「やだー、私ったらどこに来ちゃったのー。ここはどこー。まさか異世界転生しちゃったのー。どうやたら元の世界に戻れるのー」
「……何を言っているのだ、媼」
「おばあさん、落ち着いてください、おばあさん」
ものすっごい声高な棒読みで見えないカメラに向かって叫ぶ蕗子を冷めた目で穿拓は見、清白はおろおろと宥めようとした。
「あそこだ!」
そのとき遠くから何人かの男の声が聞こえた。
蕗子はいよいよかと口の端を上げた。ちらりと見やると、穿拓と清白にも緊張が走っている。蕗子と目が合った穿拓は小さく頷くと清白の手を引き、急いで洞窟の中へと入って行く。なるほど準備があるらしいと蕗子は合点する。最初からいたふたりはきっと大詰めでシャンシャンなる鈴とか『還暦おめでとう!』とか書かれた垂れ幕とか持って出てくるに違いない。ここはひとつ気づかなかったふりをして、とりあえず山場のキャストのご登場を待つとしよう。
これから始まるであろう小芝居とダンスにアドリブでついて行けるよう、蕗子はいったん息を整えた。