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気がつけば還暦・5 


 オーブンレンジの軽やかなメロディに「はいは~い」と美奈子は返事をする。

「5分ぐらいそのまま蒸らして」

 扉を開けようとした美奈子に蕗子が言うと、美奈子は「わっかりました~」と軽く答えてちらし寿司のよそわれた皿をお座敷に運び始めた。

 お座敷で食事をするなど正月以外ないことだが、今日は蕗子の還暦祝いということでこちらを使うことになったのだ。そんなに大袈裟にすることではないと蕗子は言ったが、夫の正道が普段は全然使わない床の間に慣れない花なんか活けていたので、無下に断ることもないだろうと家族の好きにさせることにした。

 正道の活けた花は正解かどうかはわからなかったがそれっぽくはまとまっていたし、何より真っ赤なダリアが活けてあったので嬉しくなってしまったのだ。

 蕗子はダリアが好きだった。あんな華やかな花を好きなどと知られたら恥ずかしいというか、おこがましいのではという気持ちがどこかにあった。だから誰にも言ったことはなかった。お祝いの席に合うようにたまたま華やかな花が用意されたのだろう。そんなことも蕗子には嬉しい偶然だったので、食事中にも長くダリアを眺められるのはやぶさかではなかった。

「あら、う~ん……」

 お盆に小皿やコップを乗せようとして蕗子は眉を寄せた。

「どうしました?」

 戻ってきた美奈子が訊く。

「なーんか手がしびれちゃって、あんまり力が入んないのよ。餃子作るのなんて、あなたたちにお願いしたのにねえ」

 手首を振りながら蕗子が答えると、栞が代わりにお盆を受け取る。

「60年も使ってる身体だからガタが来てるんだよ」

「しーちゃんのお話がショック過ぎて震えてるんです!」

 蕗子が目くじらを立てると、美奈子がダイニングテーブルの椅子を引いて蕗子の肩をそっと押した。

「お疲れなんですよ。この夏も暑かったし。ちょうど夏バテが出る頃じゃありませんか。後は私たちがやりますから、主役は休んでてください」

「すまないねえ……私がこんな身体なばっかりに……」

「お義母さん、それは言わない約束よ」

 肩に乗った美奈子の手に手を重ねて蕗子がため息をつくと、美奈子は顔を寄せて優しく首を振った。昭和のギャグにも付き合える、美奈子は出来た嫁である。

「お父さんたち遅いねえ」

「あそこのケーキ屋さん、いっつも混んでるからしょうがないわよ」

 箸やコップを座卓に並べながら言う栞に、美奈子は餃子のタレやカラシを冷蔵庫から出して答える。

「お義母さん。ラー油無くなりましたっけ?」

「ああ、あるある。この間買ってきたのが」

 そこ、と立ち上がった瞬間、蕗子の視界が大きく傾いた。というか、足に力が入らなかった。

「お義母さん!?」

 どさり、という音と、ガタンという椅子の倒れる音に美奈子は振り返り叫んだ。

「おばあちゃん!?」

 音と美奈子の叫び声に慌てて栞も座敷から飛び出てきた。

 

 身体に力が入らなかった。手先も足先も痺れている。心なしか息も苦しくなってきた。美奈子と栞の叫び声が聞こえるから、辛うじて生きていることはわかる。息を吸っても胸の中いっぱいには入って来ない。不安だから何回も吸ってしまう。美奈子と栞が何度も蕗子を呼ぶ。視界には心配そうな顔。そんな顔今まで見たことないし、させたこともない。そんな顔させるなんて親として祖母として失格だ。大丈夫大丈夫、まだ生きてる。そう答えて手を握り返してやりたいが、手が言うことをきかない。手どころか、身体中が震えてカチカチで動かない。視界が狭くなってくる。モヤモヤと黒い油みたいなのが美奈子と栞の周りに集まってきて、視界を狭めてくる。やめて、ちょっと見えない、それ退けて。しーちゃんが、美奈子さんが。お父さんは?一輝は?まだ顔見てない。ちょっと。ちょっと。ちょっと!




「気がつかれましたか?」

 目を開けるとめちゃくちゃ可愛らしい男の子が目の前にいた。色白でつるりとしたきめ細やかな肌。きりりとした眉に切れ長の目。通った鼻筋に口角の上がった艶やかな唇。下膨れのほっぺがまだまだ幼さを残してはいるが、もちょっと大きくなったら立派な韓流アイドルとしてデビューできそうな子である。

「まあ……」

 思わず蕗子の口から感嘆の声が漏れた。

 目の前の美少年はニコリとほほ笑むと小首を傾げた。

「お腹が空いているのではありませんか?」

 美少年が差し出した手のひらの上には丸い小さな赤い実がいくつか乗っていた。

「あら、かわいらしい」

 木苺だった。蕗子も子供の頃、実家の裏山で摘んで食べていたことがある。その裏山もいつしか更地になり、マンションが建ってしまった。もう何年も見ていなかった木苺に懐かしさがこみあげ、指でつまんでキラキラした赤色を透かして見てみた。

 不意に美少年がぷっと吹き出した。

「え?なに?なんか変だった?」

 焦って蕗子が訊くと、美少年は破顔したまま答えた。

「いえ。食べ物を『かわいい』などと言う人がいるのだなと」

 蕗子の方が少し驚いた。今どき若い者の方が何見ても『かわいい』って言うんじゃなかったけと。マカロン見ても生け簀の魚見ても、ラーメンの上のナルト見ても『かわいい』って言うだろう。木苺なんて『かわいい』の初歩の初歩じゃなかったけ?

 そこまで思って蕗子ははたと気づく。ババアが今さら木苺見て『かわいい』と言ったのがイタかったのか!そう思い当たると途端に恥ずかしくなる。

「あらいやだ、ごめんなさいね、久しぶりに木苺なんて見るもんだから、つい懐かしくて」

 おほほほほなどと口に手を当て笑ってみるが、全然誤魔化せてはいない。だが美少年は気にする風でもなく、やはりにこにこと残りの木苺を蕗子の手のひらを取ってそこに移した。

「どうぞ」

「ありがとう」

 取られた手を握る美少年の指先も細く可愛らしい。だがその指先はまあまあ土で汚れていた。

 よく見ると美少年の服も薄汚れている。服っていうか着物に近い。着物に近いっていうか、着物のようだ。それも大河ドラマで見るような、なんかこう、鎌倉時代?っぽい?え?

 蕗子は下から視線をパンアップする。裸足に草履。義経みたいなふわっとした着物。ヘアドネーションするんですか?というような後ろでひとつ結びした長い髪。

「ん?」

「?」

 首を傾げる蕗子に気づいて、美少年も一緒に首を傾げる。

「コスプレ?」

「こす……?」

 ていうか、私さっきまで何してたっけ?美少年の顔面力にすっかり忘れていたけれど、ここはどこだと蕗子は思い出す。

清白(せいはく)様」

 遠くから響いて来た男の声に、蕗子も美少年もそちらを向いた。向いたところで蕗子は気づく。ごつごつした岩肌。薄暗いけれど大きな入り口から差し込む燦燦とした白い光。たぶんここは洞窟の。

穿拓(せんせき)

「洞窟!?」

 美少年の声に被せるように蕗子は叫んだ。

「なにここどこ!?え!?どこどこ!?どういうこと!?なんなのなんなの!?」

 蕗子は両手で頭を抱える。たしかさっきまで自分の還暦祝いのご馳走を用意していたはずだ。自分で。それでなんだか胸が苦しくなって、身体に力が入らなくなって、美奈子さんが救急車呼んでくれて……!

「病院は!?病院でしょここ!?今どきの病院はコスプレやってんの!?なんかとコラボしてる病室なの!?コンセプトルーム!?やだ、そんな余計なお金かけなくていいのよ美奈子さん!普通の病室でいいって!」

 突然乱心したように叫び出した蕗子に美少年は驚いて退き、入り口から穿拓と呼ばれた男が走って来た。

「看護師さん!?あなたお若くみえるけど実は看護師さんなの!?美奈子さんはどこ!?私、こんな変わった病室じゃなくていいから!美奈子さん呼んで!」

 美少年に詰め寄ろうとした蕗子との間に穿拓が割って入った。

「待たれよ、媼」

 有無を言わせぬ声音に蕗子の乱心がぴたりと止まる。

「それ以上、清白様に近づくことは許さぬ」

 脇に置いた穿拓の手からチャンという金属音が聞こえた。恐る恐る蕗子が目だけで下を見ると、鞘から少しだけ刀身が覗いている。

「なーんで刀なんか持ってんのー!?」

「やかましーい!」

 非難がましく叫ぶ蕗子に穿拓も怒鳴り返した。





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