気がつけば龍神さま・5
「雲はあるんだけどねえ……」
陽射しを手のひらで遮りながら、空に広がる薄い雲を見上げて蕗子はため息をつく。たしかこれがもう少し広がるとか分厚くなるとかすれば雨が降ると、一輝の夏休みの宿題に付き合っていたとき読んだような気がするのだが……。
「龍神さまはまだお出でにならないのでしょうか……」
空につぶやく清白のひと言が重い。蕗子はうわずった声で「そ、そうね……」と答えた。
「清白」
ふたりの元へ歩み寄りながら穿拓が重い声で言った。
「ここも駄目だった」
朝からもう三軒、店の前で舞うことを断られた。今まで立ち寄った村や里よりも大きい街なので、広場や村の皆が集まる集会所のようなところではなく、店の宣伝にもなるであろうと軒先を借りようと思ったのだが上手く行かなかった。
「町の方たちは水には困っていらっしゃらないのでしょうか……」
戸惑う清白の肩を蕗子は軽くたたく。
「お店の前は迷惑なのかもよ。広いところの方がお客さんも集まりやすいだろうし、どこかこの辺で猿楽やっていいところないか、商店街の会長さんに聞いてみようよ」
「『しょうてんがいのかいちょうさん』?」
「んーと、この辺の店の元締め」
『元締め』にも首を傾げる清白と穿拓を置いて、蕗子は「すみませーん」とその辺の店に入って元締めを聞きだした。
「雨乞いの舞ねえ」
『元締め』ではなく『番頭』と呼ばれた男は、町の一切を取り仕切る寄合のひとりだという。
「聞いたよ。どうせ降らないんだろ?あちこちで踊ってるけど、まだ一度しか降ってないって」
あからさまにバカにする番頭に、清白はぐっと手を握り締める。
「まあ、どうしてもやりたいって言うんなら、町はずれに地蔵さんの祠があるから、その辺でやっとくれ」
しっしと追い払われ戸をくぐり出ると、清白は震える声で言った。
「わたしが……、わたしが不甲斐ないばかりに……」
「違う違う違う!はっくんのせいじゃないよ!お天気は気まぐれだから!ね!?」
蕗子は焦って清白を慰める。これはいよいよである。いよいよ、どうにかこうにか何が何でも龍に変身して雨を降らさなければ、清白のメンタルが保てない。ていうか、雲あるんだから龍いなくても降れよ雨!龍に依存さすなよ、子供をよ!
「清白」
穿拓はまっすぐに清白を見て言った。
「雨乞いの舞にこだわるのはやめないか」
清白も蕗子も虚を突かれた。
「え?」
「龍神様はたしかに戻って来られたのだし、あとはおまえの舞の問題ではないと思う」
「しかし……!」
「清白。おまえの舞は美しい。皆、おまえの舞を見に来てくれていたのだと思う。今まで『雨乞いの舞』と言いながら雨が降って来なくても民が喜んでくれたのが、その証じゃないか?」
「しかし……」
「ばあさんの話に合わせて鹿も異国の御伽噺も演じられるおまえだ。どんな楽の音に合わせても美しく舞える。もう雨乞いにこだわるのはやめよう」
項垂れる清白の両肩に手を置き、穿拓はほほ笑んだ。
「そうねえ、そもそも猿楽ってものまねとかミュージカルみたいなもんなんでしょ?『雨乞い』無しでも充分通じるわよ。はっくんの舞、綺麗だしね」
『ミュージカル』のところでいささか引っ掛かったものの、舞が綺麗と言われて清白ははにかんだ。
「では新しい舞を稽古しているといい。俺は、何か、笛以外の鳴り物が無いか探して来よう」
「いや、笛だけでも充分ではないか。穿拓とて笛を吹きながら他の物もというわけにはいくまい」
踵を返した穿拓を清白が引き留めようとした。だが穿拓は軽く振り返って蕗子を顎で指しただけで歩みを止めなかった。
「太鼓ぐらいばあさんだって叩けるだろう」
蕗子は「え~」と不満の声を上げたが、穿拓は振り返らずに手を振っただけだった。
たまに穿拓の笛ではなく、歌で舞うこともある。
今は穿拓がいないこともあって、練習がてら清白は自ら歌いながら舞っていた。ごく小さなころに母親が歌って聞かせてくれたという子守歌なのか短い歌。往来する少ない人さえ感嘆し、わずかばかりの小銭を稼げた。
雨乞いにも龍神様にもすがらなくて良いと自信が出てきた清白と、龍にならなければいけないというプレッシャーから少し開放された蕗子は「よかったね~」と無邪気に喜んでいたが、いつまで待っても穿拓は帰って来なかった。
いよいよ暗くなってきても、穿拓は戻らなかった。
先に宿に戻っているかと思ったが、宿にも穿拓はいなかった。
宿には貴人の使いから一通の手紙といくらかの金が届けてあった。
穿拓は貴人の従者になると。なのでこの金で楽師を雇えと書いてあった。
穿拓を連れ戻しに行こうとする清白を蕗子は引止めた。
「待って待って待って!もう夜だから会ってもらえないって!」
「すぐに連れ戻さないと……!」
「なんで……!」
「貴人など!信用できるものではありません!」
清白が何を焦り出したのか蕗子も察し、冷や汗が出る。経験から清白がそんな想像をするのも無理からぬことだし、時代を考えれば無きにしもあらずな話ではあるけれど、そうそう誰でも彼でもという話でもないだろう。
「気持ちはわかるけど、貴人だからって全部が全部そういうわけではないわよ。そういう安易なBLみたいな想像はやめなさい」
「『びーえる』?」
「うん、なんでもない」
素知らぬ顔で首を振り、蕗子は止まった清白に冷静に言った。
「今から行ってももう遅いし門前払いされるだけだから、明日話を聞きに行ってみましょう」
そして宴のときから気になっていたことを清白に聞いてみた。
「領主の家で会った貴人は誰だか知ってる?」
「お名前までは。ただ、昔関わりのあった貴人とご一緒のところをお見かけしたことがあります」
まだ落ち着かない風の清白は嫌な過去を思い出し、眉をひそめて言った。
「はっくんと直接面識はないんだ」
「はい。ご挨拶までは。……なぜ?」
訝し気に見る清白から目を逸らさず蕗子は訊く。
「じゃあ、せっきーは?せっきーと知り合いの可能性は?」
「顔見知りであればあの席で何か話はあったのではないですか?」
何故そんなことを聞くのだと清白は言いたそうだが、蕗子には引っかかるものがあった。
「せっきーのお家はそもそもどんなところなの?お兄さんが稚児修行に出たって言ってたけど、そんなに簡単にお寺に入っていいお家なの?」
穿拓の身のこなしはどう考えても武道の経験がある。たしかに笛は上手いのだが、武士の家であればそのまま家を継ぐなり分家した方が筋ではないのか常々蕗子は不思議だった。
「穿拓の家は外様衆のひとつです。一番上の兄上が跡を継がれることが決まってすぐに穿拓の兄上が寺に修行に行かれ、あとを追うように穿拓も入りました。ただ、穿拓は武道に熱心だったのでてっきり武士になるものだと」
「本人はどうだったんだろ。別に武士にならなくてもよかったのかな」
「わたしにはどうとも……。たしかに兄上のことを慕っていたのも確かでしたし、笛も上手だったのでそれが理由かと」
「ふ~ん」
「ただ、兄上の自害と兄上が穿拓を斬りつけた件が醜聞となり、お家の立場も微妙となって……。今はあまり豊かな暮らしではないと聞き及んでおります」
「でも、おとり潰しにはなってないんだね」
「ですが、今回わたしを逃がした件でどうなっているのか……」
あー、それは微妙と蕗子は考える。
「本当にあの貴人とせっきー、顔見知りじゃないと思う?」
年を押してくる蕗子に、清白は思い切り眉を寄せた。
「それは……。穿拓が、あの貴人となにか関わりがあると……?」
「わかんないけど、なんか様子が変だったんだよね、宴に呼ばれたときさ」
咄嗟に走り出そうとした清白の手を蕗子は掴んだ。
「待って待って待って待って」
「何故です!?」
「とりあえず先方はこうして穿拓の居場所を教えてくれたんだし、悪いようにはされてないって」
「でも……!」
清白の必死の形相に蕗子は眉を下げる。
「穿拓にもなにか考えがあって貴人のところに行くって決めたんだろうから。ね?少し冷静になって。明日になったらあちらに伺ってみましょう」
清白の背中をぽんぽんと叩きながらも、夕べの穿拓の不穏な言葉を蕗子は思い返していた。
 




