気がつけば龍神さま・4
清白は毎晩寝る前の話をねだるようになった。旅の道中でも、村で借りた納屋の中でも。
蕗子は嫌な顔ひとつせず、毎晩話をしてやった。
あるときは好きだった相手の墓守をしている男のもとに、亡くなったその人物の子供が会いに来る話。またあるときは学問所で出会い切磋琢磨していくふたりの話。さらにあるときは敵味方でありながらお互いを畏敬する武士の話。絶妙に性別や関係性を誤魔化してはいるが、元ネタは全部金時しぐれ先生の話である。
「おばあさんは凄いですね。毎日違うお話をしてくださる」
清白は純粋に感心しているが、凄いのは蕗子ではない。金時しぐれ先生なのだ。蕗子は心の底から感謝していた。
「じゃあ、今日は……」
蕗子はまた金時しぐれ先生原作の物語を語り始める。よかれと思って受にプリンシパルの座を譲ってバレエ団を去ろうとする攻に、一緒に舞台に立ちたいんだ!と受がグラン・パ・ドゥ・シャで攻の胸に飛び込むという『ふたりのプリンシパル』を、いつもの荒業で猿楽にリメイク。もうこうなってくると自分の二次創作の腕に絶大な可能性を感じてしまう蕗子である。
早くもすうすうと寝息を立てる清白は、ぴたりと蕗子にくっついている。お話をせがんだりくっついて寝たり、出会った頃よりずいぶん子供らしくなった清白が蕗子はうれしかった。この時代だから大人びているのは仕方ないのかもしれない。だが栞とて妙に大人っぽかったりわがまま放題の子供だったり、日によって持て余すほどくるくるとご機嫌が変わっていた。でもそれでいいのだ、子供なんだから。そんなことを繰り返して、安心して大人に甘えて、今度は自らが甘えを受け止められる大人になっていくのだから。
清白を挟んで向こうに寝ている穿拓を見ると、まだ目を開けていた。
「眠れないの?なんかお話しようか?」
蕗子が小声で言うと、顔も動かさずに穿拓は言った。
「なあ。本当に雅はあれでよかったんだろうか」
「はい?」
一瞬なんのことかわからず聞き返すが、穿拓は構わず話を続けた。
「翔がいない方が一座は繁盛したのではないか」
さっき話した『ふたりのプリンシパル』猿楽編であることに気づいた蕗子はいやいやと手を振った。
「だって翔がいないと舞も楽も物語も成り立たないじゃん。雅ひとりじゃ中途半端だし」
「だが雅の才能に惚れ込んだ別の一座のシテがいたではないか。あの者と一緒にやっていればもっと良い演目が出来てもっともっと稼げたのではないか」
「翔と一緒じゃないと意味がないって雅も言ってたじゃん。稼ぎなんてあとからついて来るって。愛してる人とじゃないと良い舞が踊れないって」
「うむ……。ん?」
一瞬納得しかけた穿拓が蕗子を見た。
「ん?」
蕗子もついて出た言葉に違和感を感じて穿拓を見る。
「『あいしてる』?とは?」
無垢な目で蕗子を見つめる穿拓に、蕗子も目を逸らさずにさらりと答える。
「うん。心の底から信頼してるって意味」
「なるほど……、『あいしてる』からか……」
再び空間を見つめ頭の後ろで腕を組む穿拓に、蕗子はホッとして胸を撫でおろした。あぶないあぶない、油断した。嘘はついてない。セーーフ。
行く先々で舞は好評を博した。美しい舞手に、顔に恐ろしい傷跡はあるものの、端正な顔立ちの笛方。さらにそのふたりがおばあさんの話に合わせて演じる様子が面白いと人気が出てきた。だがそれとともになかなか雨が降らないことも流布した。出し物は美しいし面白い。だが肝心の雨が降らないのでは……。そう眉をひそめる人も多くなってきた。
「たまたまだったのでしょうか……」
清白も徐々に不安になっていた。なにせ自分の舞が龍を呼んだと本気で信じていたのだ。こう雨が降らないとあれはまぐれだったと認めざるを得ないだろう。ごめんね、はっくん、と蕗子も焦っていた。
「相手は龍神さまだ。気まぐれなところもおありだろう。俺たちが落ち込んでもしょうがない。まずはやれることをやっておこう」
穿拓が清白の肩を叩く。清白は弱弱しくもにこりと笑って穿拓を見た。
どうしよう……、と蕗子は本気で焦っていた。どうしたら……。
「へん、しーーーーん!」
誰もいない林の中、右手を伸ばしてぐるり左手を伸ばしてシャキーンしてみたが、やっぱり龍になる気配はない。ていうか久しぶりにこんなに腕、上に伸ばせる。転生して返って老けたのにこんなに関節が楽とは。嬉しい。
ではなく。
蕗子はため息をつく。このままでは清白もすっかり自信を無くすし、一座の信用が落ちればお金を稼ぐこともできなくなる。なにより雨が降らなければ人々の生活も立ち行かなくなるのだ。
「あれ。なんか私、夢でも見てたのかな……」
清白のことを自己肯定感の塊だなどと呆れていたが、もしかして自分こそなにか大きな思い違いをしていたのかもと、蕗子はいよいよ自分自身を疑い始めた。本当に龍になってたっけ、私……?
その町に入ると領主に呼ばれた。評判の一座の舞を間近で見たいという。東雲との関わりを一瞬警戒した穿拓と清白であったが、ふたりとも聞き覚えの無い名前だったので甘んじて招待を受けることにした。
座敷から見渡せる外にあつらえられた舞台でひと通りの舞と出し物を披露し終わると、領主はたいそう喜んだ。振る舞われた食事も久しぶりに米も魚も汁物も揃ったご馳走で蕗子は目を輝かせたが、穿拓の箸は進まない。若いくせにどうしたんだと穿拓の顔を覗けば、いささか強張った表情をしていた。
旅の途中で起こった出来事や立ち寄った村の話をするなかで、やはり雨が降らないゆえの凶作の話にもなる。「なかなかお力になれなくて……」と肩を落とす清白に、領主はまあまあと言葉を掛ける。
「たしかに雨乞いの舞だけが名物では、そのうち村人たちの怒りすら買いかねんだろうな」
清白の肩がびくりと揺れる。領主は扇子に隠した口の端をにやりと上げた。
「どうだ。しばらくの間雨乞いの舞はやめて、雅やかな宴に合う舞やあてぶりの演目に集中してみたらどうだ」
「は?」
清白は驚き、穿拓は眉をひそめて領主を見る。
「村人を相手に小銭を稼いでも心もとなかろう。それよりも芸を研鑽して貴人の前で披露する方がおまえたちのためにもなると思うのだが」
てことは~?などとのんきに蕗子が出された魚を咀嚼している横で、清白は戸惑い、穿拓の眉間はますます寄っている。
「私が後ろ盾になろう。屋敷も日々の食事も私が用意してやる。おまえたちは何も心配せず、芸のことさえ考えていればよい。悪くない話だと思うのだが、どうだ?」
さてどう答えるのかと蕗子はもぐもぐしながら清白を見ていた。不思議なことに一座の決定権は最年少の清白にあった。旅路や食事の準備などは穿拓が率先して指示を出すが、舞や演目などに関しては清白が主導権を持っている。なので後ろ盾うんぬんと言われたら清白が答えを出すだろうと蕗子は思っている。蕗子としてはなんとなく断って欲しかった。たしかに芸事にパトロンは付き物だが、口うるさいスポンサーが付いた途端ダメになって行くエンタメは多い。なんかこの領主、金も出さんといらん口ばっかり出しそうな男に見えたのだ。だが清白も長い旅生活にそろそろ疲れてきている頃だろう。雨がなかなか降らないことにも落ち込んでいた。ここは安易にお金持ちの口車に乗ってしまいそうな……。
「せっかくのよいお話ですが、ご遠慮させていただきます」
宴席に呼ばれていた客人たちは「なんと」と非難がましく驚き、穿拓も蕗子も驚いていた。
「わたしたちはあくまで雨を乞う舞を生業としております。そして今あちこちの村はそのような舞を待っておられるのです。たしかに雨を降らせられるかどうかもわからぬ稚拙な舞ではございますが、たとえ慰め程度でも、この生業を止めるつもりはございません」
清白は深々と頭を下げる。穿拓も蕗子も慌ててそれに倣って両手を揃えて頭を下げた。
「立派な志であるな」
領主はほっほと笑うと頭を上げるように言った。
町にいる間はこの屋敷へ逗留すればいいと勧められたが、清白はにこやかに断った。
「いえ。ありがたいお申し出ですが、すでに町の方に宿を取っておりますので……」
領主に対して失礼な態度が続いてないかと心配する蕗子をよそに、領主はあっさりと了解した。
「そうか。では、仕方がないな」
領主の屋敷を後にした穿拓は清白を伺い見た。
「……よかったのか、あれで……」
清白は前を向いたまま冷たく言った。
「穿拓も気づいていただろう。あのお方はこの辺の領主などではない。貴人だ」
蕗子は眉を上げて驚く。
「貴人て……」
「あやつではありません。貴人も何人かおりますゆえ。ですが」
清白はキッと前を睨むと言い放った。
「この身体も心も、もう何人たりとも好き勝手されたくはありません」
清白は昂然と顔を上げた。




