気がつけば龍神さま・3
大きな木の根にもたれかかりながら眠りしな、清白が蕗子にねだった。
「おばあさん。なにかお話が聞きたいです」
「……甘えんぼさんだねえ」
目を閉じていた蕗子はふんと笑って話始めた。
ある山に黒い鹿と白い鹿が住んでいた。
二頭の鹿は山の神様とあがめられていたが、白い鹿の美しさに目がくらんだ領主が射止めて連れ去ってしまった。
白い鹿はなんとか逃げようと檻に体当たりをするが、身体が傷つくばかりで全然檻は壊れない。そのうち美しかった白い体毛は血で赤く染まり、白い鹿も生き荒く弱ってしまった。
だがそこに黒い鹿が助けにやって来た。黒い鹿も傷だらけになりながら何度も体当たりし、とうとう檻は壊れ、白い鹿は外に出ることができた。
傷ついた二頭の鹿は必死で山へ逃げ込んだ。
山の中へ追って来た領主たちは大きな声で叫んだ。
「白い鹿よ!戻って来なければ、この山の動物たちを一匹残らずすべて捕らえてしまうぞ!」
追い詰められた白い鹿は我が身を差し出そうとしたが、森の動物たちがそれを止めて言った。
「ならばあいつらをこの山から追い出してしまいましょう」と。
貉は獣道の草を倒し、猪は岩で道を塞ぎ、熊は木の枝を落とし道を変えた。
来た道は塞がれ、向かう道は見失い、領主と追手たちはとうとう迷子になり、這う這うの体で山から下りて屋敷へ帰って行った。
以来人間はこの山に入って来ることはなく、動物たちにとっての桃源郷となり、白い鹿と黒い鹿は幸せに暮らしましたとさ。
どっとはらい。
清白は静かな寝息を立てていた。まあいいかと蕗子はほほ笑む。
実はこれも金時しぐれ先生のBL作品のリメイクである。まさにBL界が獣人ネタ最盛期の頃、金時しぐれここにありと謳われた半獣人BLであった。白鹿のSMシーンがあったり、領主に捕まった黒鹿の衆人環視の中でのプレイ強要があったりと、とてもじゃないけどそのまま子供に話せるような代物ではない。だがそんな物語なのになぜかファンの間では「これ、エッチシーンを省いて読めば立派な童話じゃね?」と話題になったのだ。エッチ無しでも読ませるとはさすが金時しぐれ大先生と。というわけで、蕗子は今回も金時しぐれ先生を採用させて頂いたのだが、本当にエッチ省いてぎゅっとすれば子供に聞かせられる童話になるとは。大天才か、金時しぐれ。ていうか、子供にお話しせがまれて、童話でも児童書でもなく連続してBLしか出てこない脳みそってどうよ。反省したいところだが、読み聞かせも卒業して十数年。最近読んでるのがBLばかりなんだからしょうがないわよねと諦める蕗子であった。むしろ金時しぐれ先生大好きで本当によかった。
「とりあえず、雨乞いの舞でお金を稼ごうと思います」
道中、この先に小さな村があると旅人に訊いた清白は蕗子と穿拓に言った。
「そうだな。雨乞いの舞だと引く手あまただろう」
穿拓も良い案だと賛同する。
「雨乞いの舞?」
不思議がる蕗子を蚊帳の外に、清白は頷く。
「また雨の降らない日が続いておりますし、先日の雨はわたしの舞の後に降って来たと言えば謝礼も少々弾んでいただけるのではないかと……」
「待って待って待って」
蕗子は慌てて遮る。
「それ詐欺にならない?」
「さぎ?」
「とは?」
揃って首を傾けるふたりに、蕗子はやや呆れる。たくましくなったのは良いことだが、いきなり詐欺商売とはいかがなものか。
「噓ついてお金巻き上げるってことよ。いやま、たしかにあくまで『儀式』だから降っても降らなくても謝礼は頂けるかもしれないけど……」
「降るだろう」
穿拓は当然と言わんばかりで、清白も何をいまさらという顔をする。
「龍神さまが戻って来てくださいましたし」
「は?」
蕗子はあんぐりと口を開けた。
「あれ?おばあさん、見ませんでしたか?私と穿拓が父に連れ去られそうになったとき、龍神さまが現れてわたしたちを助けてくださったのですよ。それから雨も降らせてくださって」
感謝するように胸に手をあてる清白を口を開けたまま蕗子は見る。
「やはり心を込めた舞は龍神さまに届くのだと、わたしはあの時確信したのです」
恐るべし高自己肯定感。昨日までべそべそしていたおまえはいったいなんだったのだと蕗子は慄いた。ていうか龍見たあと全然驚いてないなあとは思ったけど、龍神伝説とかあったんだな、この辺。どおりで。ていうかマジで伝説信じてるタイプなのかキミら。都市伝説とか陰謀論とかコロっと騙されちゃうタイプなのか。
「仏様の教えを学んだ期間はまだまだ短かったと思っておりますが、これからより一層研鑽すればますます龍神さまに想いは通じると信じております。それもこれもおばあさんがわたしを導いてくださったおかげ」
清白に「ありがとうございます」と手を握られ、蕗子はなんか余計なやる気スイッチ押してしまったような気がすると若干不安になってきた。
「そういやあの時ばあさん、どこ行ってたんだ?」
穿拓に言われ、目の前にいたじゃん、と蕗子は言いたかった。
真正面にいたじゃん、と。
龍の姿して。
東雲が清白と穿拓を連れ去ろうとしたとき、蕗子の堪忍袋の緒がブチギレた。
ブチギレる音は雷鳴とも轟音とも重なり、目の前が真っ赤に染まるとともに目からも鼻からも血潮が噴き出るような感覚に襲われ、これは文字通り脳血管が切れたのではと蕗子は覚悟した。せっかく異世界転生してきたばっかりなのにこれからなのにと思いつつ、でもどうせ死ぬなら東雲に一矢を報いて清白と穿拓を取り返してから!と思っている間にむくむくと全身が伸びあがる感覚がして、気づけば怒りのあまりもう一度叫んでいたのだ、ふたりを返しなさい!と。しかしその叫びは人の言葉の形を成さず、咆哮として東雲を襲い、そして荒ぶる気性のままに天を地を駆け回り、いっそ東雲を食い破らんと驀進したところで清白に止められたのである。
てっきり蕗子と知って清白は立ちはだかったとばかりに思っていたので、今になって彼の座った肝っ玉にいささか驚いている蕗子である。ていうか、気づいてないんかこの子ら。私って。
それにしても、と蕗子はうっとりと息を吐く。
天に上るときの疾走感。雲を突き破るときの爽快感、巨体をくねらす躍動感。
ほう……、と蕗子は頬を染めてため息をつく。今まで全く経験したことのない感動だった。子供の頃に乗ったジェットコースターなんてなんのその。あんなの尾てい骨のあたりがぞわぞわするだけの子供だましだと今なら言える。生身で空から駆け下りるなんて、あなた。今ならバンジージャンプでもスカイダイビングでも命綱無しでやれそうな気がする。まさかここに来てチートスキルに目覚めるとは。これよこれ、異世界転生とくればこれでしょう。やっと異世界転生してきてよかったと思える日が来たわ。これで私も怖いものなし。
だが。
実は昨日から龍になろうとしているのだが、どこに力を入れても龍にならないのだ。
龍!私は龍!と唱えても、血管切れそうなくらい頭に力を入れても、奥歯を噛みしめても、ミが出そうなくらいお腹に力を入れても、全然龍になる気配がない。
何きっかけ?怒り?それならばと、一輝が小学生の頃夏休みの宿題を全然しないまま始業式を迎え「お腹が痛くていけない……」などとうそをついて学校をサボろうとしたことや、栞が冬の寒さを憂えて金魚鉢に熱湯を注ごうとしたことや、姑の来訪があることを夫が蕗子に伝えるのを忘れていたため掃除をしてない汚い部屋で迎える羽目になったことや、ママ友に騙されて学校の役員をやる羽目になったことなどいろいろ思い出してみたりしたが一向に龍になる気配はなく。それじゃあなにかい、某美少女戦士とか愛の戦士とかみたいになんとかフラーッシュ!とか決め台詞吐いてくるくる回った方がいいのかしらと拾った小枝をスティックよろしく振り上げてみるが、やっぱりキラキラ光ってリボンが身体に巻きついて龍に変身することもなく。
「長らく姿を消していた曲玉湖の主が戻って来たんだ」
「龍神さまはきっとわたしたちの願いを聞き届けてくださいます」
いやもう、こういうところがまだ子供っていうか無邪気っていうか昔の人っていうか。
そんなつもりはないのだろうけれどと、重い期待に蕗子は冷や汗を流していた。