気がつけば龍神さま・1
壊れた納屋より大きな顔で東雲たちを睨む龍は大きな口を開けると地鳴りのような咆哮を上げた。
突風のような空気の震えに馬も人も倒れそうになりながらも足を踏ん張る。
天に向かって伸びた龍は十間はあろうかという長さで、飛び上がった拍子にまた地上では土埃が起きる。
一瞬消えたかと思った龍は黒い雲の中からまた現れ、驚きで見つめる東雲たちに向かって一直線に下りてきた。
目を剥く東雲のまさに眼前で上昇した龍のあおりを受けて、東雲もその配下たちも馬から落ちる。驚いた馬は嘶きながら走り去る。里人たちは慌てて家の中に逃げ込むが、家もびりびりと龍の飛び去る衝撃で揺れていた。
腰を抜かしているのか呆然と龍を見つめる東雲の前に身体をくねらせ再度現れた龍は、今度は確実に東雲に向かって大きく咆哮する。だが、その前に、東雲と龍の間に、清白が両手を広げて立ちはだかった。
「龍神様!」
ぽつぽつと雨が降り出した。
龍はゆっくり口を閉じた。
大きな鋭い目でぎろりと清白を見つめる龍。震えながらもその場から退こうとせず、睨み返す清白。
「殿!」
その隙に配下たちは東雲を立ち上がらせると、連れ去って行った。
「ばあさん!ばあさん、無事か!?」
残された穿拓は縛られたまま壊れた納屋に駆け寄る。
「おばあさん!?」
龍とにらみ合っていた清白は穿拓の声に我に返り、納屋のあった場所に駆け寄る。
バラバラになった納屋の破片を掘り起こし、蹴飛ばしては悲痛な声で蕗子を呼ぶふたりの背中に、少々の罪悪感と戸惑いを感じながら蕗子は声を掛けた。
「こっち……」
「ばあさん!」
「おばあさん!」
無事でよかった!と駆け寄ってくるふたりに、蕗子はあいまいな笑みを返す。
「お怪我は……!」
清白が蕗子の身体を見分しようとしていると、各々の家の中から里人たちがそろそろと出てきた。そしてぽつぽつと降っている雨を両手で受け止め喜びにあふれる。
「雨が……!」
「本当に雨が……」
「振って来た……!」
ふくが清白の袖を引っ張った。
「ほんとうにかんのんさまなの?」
清白と穿拓の表情が凍りつく。だが気づかないふくは今度は蕗子の顔を見上げて言った。
「かんのんさまのみつかいなの?」
そうかもね、と蕗子はほほ笑んだ。
里を騒がせたこと、納屋が壊れてしまったことを穿拓と清白、そして蕗子はしきりに謝ったが、雨が本当に降ったことで里人はむしろ良かったと大喜びしていた。雨はすぐに止んでしまったが、また降るかもしれないと里人は希望を持っていた。清白さまが舞ってくれれば安心だと、里人たちは里に留まるよう清白に懇願した。
穿拓と清白は戸惑った。里人たちは気づいていない。何故稚児が『観音菩薩の身代わり』と言われるのかを。清白が父に、里人たちの面前で辱められたことを。
清白たちは里を出ることを伝えた。あの調子だとまた東雲たちが追ってくるかもしれない、できるだけ遠くへ逃げることを里人に言い残し、三人はあてもなく出発することにした。
道中の空気は重苦しかった。
何があっても穿拓は清白を見放すことはないだろうと蕗子は確信している。根拠はないが、なんとなく勘で。BLばっかり読んで来たババアの勘などどうあろうというご意見もあろうが、なんとなく勘で。下男ごときがどっから持ってきたのか刀まで携えて稚児を攫って来ているのだ。兄の人生と重なって見えたとはいえ生半可な覚悟ではなかっただろう。この時代は『命がけ』なんて結構当たり前なのかもしれないけど、そうやすやすと命を捨てるとは思えない。一応抗って抗って、抗ってからの『死』ならしょうがないと思っているんだろう。だから清白も。意に沿わない『上童稚児』の役割に甘んじたように見える。なにかこう、生きるために。
だからと言って大人が子供の覚悟の上に胡坐かいてちゃいけないんだけどね。蕗子はべーっと舌を出した。
暗くなる前に休めるところを探し火を起こす。里人に分けてもらった痩せた芋を焼きながら、清白はぽつりと言った。
「穿拓……、話しておきたいことがある」
「……別に、言いたくなければ言わなくていい」
穿拓は枝をひとつ火にくべた。
「聞いて欲しい……」
「察しはついている。おまえの本意ではない」
「穿拓……!」
「はっくん」
諭すような蕗子の呼びかけに、穿拓も清白も目を点にして蕗子を見た。そして同時に言った。
「はっくん?」
蕗子は清白の目をじっと見つめて語り掛けた。
「話して楽になるんだったら話しても良いけど、せっきーは話しても話さなくても、あなたのこと見捨てやしないからね」
「せっきー?」
またふたりは同時に首を傾げた。
「突然アウティングされて焦る気持ちもわかるけど、話しにくいんだったらカミングアウトは今じゃなくていいと思う。突然聞かされたせっきーは戸惑ってるだけだから。はっくんから気持ちが離れたわけじゃない」
清白を安心させるよう穏やかにほほ笑む蕗子に、清白と穿拓はものすごく戸惑っていた。
「すまん、ばあさん。『はっくん』と『せっきー』とは……?」
蕗子は軽い驚きと共に二回瞬くと、人差し指で清白と穿拓を順番に指した。
「『はっくん』と『せっきー』」
指されるままに自分たちでも指してみるが、「なんで?」という問いしか出てこない。
「清白だから『はっくん』。穿拓だから『せっきー』」
蕗子はなんでわかんないの?という顔をするが、穿拓と清白にしてみれば、ますますもって「なんで?」である。蕗子は「ああ!」と手を打った。
「未来ではね、親しい人を愛称で呼ぶの。名前を少し短くして呼びやすいように。大事な人だから、しょっちゅうお話する人だから、何度でも呼べる短い愛称にしてね。可愛いでしょ、『はっくん』とか『せっきー』とか。私たちだけの呼び方だよ」
うふふと笑う蕗子に釣られて、ぽかんとしていた穿拓と清白も徐々に笑いがこみあげてくる。
「『はっくん』……」
「『せっきー』……」
お互いの名前を呟き、うつむいたままくすくすと肩を揺らす。
「おばあちゃんの可愛い孫たち。呼ばれたらちゃんと返事するんだよ」
蕗子が手にした枝でしかつめらしく穿拓と清白を指すと、顔を上げたふたりはまだくすくすと笑いながら目を合わせた。
「変」
「変ですね」
「今は変でも未来ではナウいの!おばあちゃんといるときは可愛い『せっきー』と『はっくん』でいいの!」
とうとうふたりは声を上げて笑い始めた。蕗子もこらえきれずに笑い出す。
「そっか。愛称とか無いんだっけ、この時代」
「幼名はあるが、誰かにそんな親し気な名で呼ばれたことはない」
笑いながら答える穿拓に、蕗子はなるほどと顎を押さえた。
「そっか、幼名があったね。穿拓の幼名はどんなだったの?」
「豪竹と呼ばれていた」
「おお。なんか強うそうな名前だねえ。丈夫な子に育つようにっていう親御さんの願いがこもってるのかしら」
「生き生きとした強い音が出る笛に由来しているそうだ」
「へ~。音楽とかお好きだったの?親御さん」
「……そうだな。父も母も兄たちも、何かしら嗜んでいたな……」
少し陰りを帯びた穿拓にさっきの東雲と清白の言葉を思い出し、なんか余計なことを思い出させてしまったような気がすると蕗子は清白に話を振った。
「はっくんの幼名は?」
と思ったが、振ってすぐ、こっちの親の方がヤバかったと蕗子は冷や汗を流した。
「わたしは元服しておりませんので、幼名のままです」
清白は困ったように笑った。
そしてぱちぱちとはじける焚火の炎を見ながらとつとつと語り始めた。