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気がつけばしわしわ・1


 なんか名画かなんかになかったっけ、こういうの……。そう思いながら蕗子は水際に佇んでいた。

 跪き、横にしなだれ胸に左手を置き、水面に映る自分をただひたすらに見つめる。そう、あれは美しい己の姿にうっとりする美少年であったが、今は顔かたちが悪い方に変わってしまったばあさんが己の悲劇を嘆いている図である。

 決して美人でなかったことは蕗子自身自覚している。だが六十にしては皺も少なくわりと張りのある肌をしていた方だと自負している。高価な化粧品こそ使ってはいなかったが、そこそこちゃんとしたミドルエイジ用の化粧品で手入れは欠かさなかった。ブスはブスなりに肌ぐらいちゃんと手入れしとこうと気を使っていたのだ。なのに……。

 ぽたりと水面に涙が落ちる。それは小さな波紋となって、皺くちゃのばあさんの顔を波立てた。

「おばあさん……」

 清白は蕗子の隣に膝をつき、優しく肩に手を置いた。

「お顔の皺は人生の年輪です。おばあさんがご家族を慈しみ育ててきた歴史を刻んでいるのだと思います。それは人として美しい文様です」

 なんか上手いっぽいこと言うよね……。そう思いながらも蕗子の心には何も刺さらない。

 だって聞いたことがある。転生したら悪役令嬢になれるって。綺麗な悪役令嬢になって、死亡ルート回避のために行動して、結局すっごいイケメンに見初められてハッピーになるって。なのに……。

「ごめんなさいね、もう1回聞いていい?」

「なんでも聞いてください」

 弱弱しい蕗子に清白はますます優しい。

「今何年?」

「正平15年です」

「将軍が?」

「足利公です」

「鎌倉幕府だっけ?」

「室町だ」

 穿拓がぶっきらぼうに答える。

 ああ……、と蕗子は突っ伏した。

 若返るんじゃないの?ねえ、こういうときって若返るもんなんじゃないの?異世界転生ってみんな若い子がやってない?生まれてすぐ、あ、自分転生者だって気づいたり、ある程度大きくなっても若いうちに、あ、そういや自分転生者だわ、って気づいたりしない?こんなおばあちゃんになって家族に捨てられてから、いや、自分転生者だわって気づくパターンとかあるの?転移?転移なの?異世界転移とか言うやつ?それにしたってもちょっと若い身体に転移しない?なにが悲しくて現世の自分より明らかに年取ってるおばあちゃんに転移したりすんのよ。そういうのありなの?こんな年取った身体に転移したってなんの役にも立たないわよ?なに?おばあちゃんの知恵的なもの期待してるの?ふざけんじゃないわよ、こちとら還暦とはいえ生まれたときから冷蔵庫も洗濯機もカラーテレビもあった世代なのよ。おばあちゃんの知恵なんて室町時代に生きてる人たちに太刀打ちできるわけないじゃないの。うまみ調味料だってレトルトパウチだってガンガン使いまくりの主婦なのに。そもそもこれって異世界転生じゃないんじゃない?タイムリープとか言うんじゃないの?タイムリープなの?正しくはタイムリープなの?タイムリープも姿かたちが変わるもんなの?タイムリープって、現世の格好のままやってくるから「おまえどこから来たんだ!?」みたいな展開して面白いんじゃないの?わざわざタイムリープしてきてその土地のおばあさんに乗り移ってたら、ああ、普通にばあさんなんだな、で終わらない?ばあさんボケて未来から来たとか言い始めたぜ、ほっとけほっとけってなって終わりじゃない?ねえ、なんで?なんでなの?お姫様は無理でもせめて町娘とか乳母とか、他にあったんじゃない?なぜ私だけしわっしわでがりっがりのねずみ色したガビガビの着物着たおばあさんなの?

 草を掴み嗚咽する蕗子を穿拓と清白は哀れむような目で見ていた。

「まあ、鏡があるような家で暮らしていたわけではなさそうだしな」

「水鏡を見るような余裕もなく働いていらしたのかもしれません」

「女というのはいくつになっても美醜や若さに執着するものなのだな」

「美しいものが好きなのは男女に関係ありませんよ。むしろそんなことにこだわるおばあさんに、わたしは愛おしさを感じます」

 清白はほほ笑むとそっと蕗子に寄り添った。

「おばあさん。いつまで泣いていても若返りはしませんよ」

 いや、そこじゃないのよ、と蕗子は泣きながら清白を見た。たしかに、なんでせっかく生まれ変わったのに余計ババアになってんだって話ではあるんだけど、そこじゃなくって。

「おうちに帰りたい……」

 蕗子は涙と共にぽつりとこぼした。

 今日は蕗子の誕生日だった。還暦祝いのちょっと豪華な食事を用意した。ちらし寿司にはまぐりのお吸い物に茶わん蒸し。しーちゃんのリクエストの餃子に、誕生日にしか買わない美味しいケーキ屋さんのデコレーションケーキ。床の間には真っ赤なダリヤを正道さんが活けてくれていた。

「家族に会いたい……」

 上司に勧められるままお見合いして結婚した正道さんだったけど、喧嘩もしないで28年間仲良くやってきたのに……。ちっちゃい頃からちょっと変わった子で、イジメられたらどうしようとか不登校になったらどうしようとか毎日心配だったけど、変わった子なりに堂々と大きくなって立派に成長した一輝。家庭も持って巣立ったけれどもやっぱりなんかもうちょっと手をかけてやりたいと思ってたのに……。嫁なのに息子以上に我が子みたいで、それ以上に良いオタク友達の美奈子さん。まだまだいっぱいおしゃべりしたいことたくさんあったのに……。息子と嫁の良いところだけ受け継いで、この世の誰より可愛く育ったしーちゃん。オタク過ぎてあらゆることにキビシイしーちゃんのお眼鏡に適う彼氏だか彼女だかのこと、おばあちゃん楽しみにしてたのに……。

 そのすべてが叶わなくなったことに、蕗子はぱたぱたと涙をこぼした。


「ばあさん。悲しいのはわかるがもうすぐ夜になる。暗くなる前に少しでもここから離れたい。それに人里に入ってないと獣に襲われる可能性が高くなる」

「里に行けば、おばあさんのご家族を知っている方もいるかもしれませんし」

 穿拓も清白も優しい。こんな見ず知らずのばあさん、足手まとい以外の何物でもないんだから置いて行けばいいのにそうしない。美奈子さんの台本でもないのに……。蕗子は笑いがこみあげた。そう。美奈子の台本ではなかったのだ。

 ……美奈子の、台本では、ない……?

 はたと気づいた蕗子は涙も止まり、真正面から清白の顔を見た。

 見つめられた清白はことりと首を傾げる。まさに紅顔の美少年ここに極まれり。

 蕗子はみるみる目を見開いて絶叫した。

「稚児灌頂ですってーーーーー!?」

 清白は尻もちをつき、穿拓は一瞬驚いて声を張り上げた。

「なんなんだ、ばあさん!」

「ダメじゃないのそんなの!何納得してんの、あんた!怒りなさい!逃げなさい!拒絶しなさい!」

 清白の肩を揺する蕗子を穿拓が引きはがす。

「だから逃げてる途中だろうが!今!」

「あんたもーーーーー!!」

 今度は穿拓に掴みかかる。

「なにがよくある話よ!納得してんじゃない!殴れ!燃やせ!そんな寺!!」

「できるかそんなこと!追われるだけじゃ済まなくなる!」

「こんのヤロー、スケベ男のクソどもが!セックスしたい言い訳に子供と観音様、良いように使いやがってゲス中のゲスめ。まとめて成敗してくれるわ!」

 正平の世に現代の価値観を持って転生して来た蕗子は、肩をいからせずんずんと、もと来た道を戻り始めた。

 が。

 羽交い絞めにされ、すぐに連れ戻された。


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