第七話 虚構の楽園で願うもの
聖都にドラゴンが来襲するという、大事件があった夜。
ノエルは横目で、警備に当たる聖騎士たちを眺めながら、教団本部の回廊を進んだ。
教団の信徒・兵士たちは使命感と敬虔さを誇りとしているが、その裏で一部の幹部──私欲に憑りつかれた者たちが独自の思惑を抱き跋扈していた。
(金、権力……そういった力を手にしたがために起きる、政治の腐敗。その筆頭が、枢機卿団だと言うのだから、笑えない。さらに、帝国と結託しているという噂もある。聖職者でありながらその本分を忘れ、外道と成り果てるとは……救いようのないヤツらだ)
激しい怒りの炎が燃え上がる。
だが、けして表面には出さず、内に押し込めて歩む。
やがて、ノエルは重々しい扉の前で足を止めた。
この先は枢機卿や高位司祭たちが重要な議題を話し合う〝密議の間〟。
ノエルは深呼吸して、扉を開けた。
円卓の設置された室内には、すでに枢機卿たちが待ち構えており、彼らの視線が一斉にノエルへ注がれる。
その中には、主席枢機卿ジョセフ・ライネスの姿もあった。
「ノエル聖下、お待ちしておりましたぞ」
ふくよかな体躯に似合わない純白の祭服を纏ったジョセフが、恭しく頭を下げながらも、ニヤリと微笑む。
あくどいと思える笑みには、腹の底が読めない冷たいものが潜んでいる。
「ああ、待たせて悪かったね。……それで、話とは?」
ノエルは淡々と問いかけた。
ジョセフは一度目を伏せたあと、「大したことではありません」と軽く肩をすくめる。
「先ごろ起こったドラゴン来襲の件について、いくつかお伺い出来ればと思いまして。……あれは聖下の御采配、なのでしょう? 破壊の騎士ペイを我らが駒とするための。事前にご相談いただけましたら、相応しき場をご用意致しましたのに」
にこにこと笑うジョセフが、無言の圧をかけてくる。
その意図を察して、ノエルは腕を組み、壁に背を預けた。
(つまりこう言うことだろ? 『勝手なことをするな』と。ルカの手綱を握れなくなって困るのは、お前たちだものな。後がないと知りながら打開策を模索することもなく、安易に姉さんを生贄に差し出そうとする俗物が)
心の中で毒づきながら、表情は変えず冷ややかに答える。
「お前の推察通り、あの騒ぎは〝悪魔〟の幻影によるもの。塔が太陽を任せるに足る実力を持っているか、測らせてもらった。そして、女神の使徒は女神の代理人である私の手足だ。どう使おうと、咎められる謂れはない」
「ですが……」
「何か問題でも?」
「いえ、問題というほどでは……。ただ、ペイには特例の免罪を与えているわけですし、万一の事態が起きないとも限らない。それを防ぐため、もう少し徹底した監視体制が必要ではないか、と私どもは再考しておりまして」
ジョセフの周囲に座する他の枢機卿も、口々に賛同を示す。
ノエルは舌打ちしそうになるが、それを堪え、鋭めた視線で彼らを牽制した。
「ペイの件は私が預かる。力の抑制にも私の祝福が使われているのだから、当然だろう。……それとも、私が信用できないと言いたいのか?」
「とんでもない。私どもは女神様の代理人たる教皇聖下を敬愛しております。聖下がそこまで仰るなら、今回の件は……そうですね、しばらく静観することに致しましょう」
ジョセフが両手を揉み合わせて、媚びへつらう仕草を見せる。
しかし、浮かべている笑みは、目が笑っていない。古狸という言葉がピッタリな男だ。
ここで議論は表向き収束。あとは被害状況の報告と復興計画の策定が話し合われるのだが、ノエルは「一任する」と告げて足早に退室する。
汚物の腐臭が漂う場所になど、一秒たりともいたくなかった。
(……全く、ここ数代の教皇がお飾りに近かったのは知っているけど、酷いものだね。教皇といえば女神の血を引いた一族、その中でも【法王】の祝福によって選ばれる、女神の代理人。絶対的存在であるはずなのに)
ノエル自身は権力にほんの少しも魅力を感じない。
女神の血筋だとか、アルカディア教団の頂点だとか、そんな肩書どうでもいい。
しかし、今は必要なのだ。
最愛の人を守るために──。
ノエルは鬱憤を吐き出すようにため息をつき、私室へ向かう足を速めた。
❖❖❖
教団本部の上層階に位置する、教皇専用の執務室。
その隣には寝室を兼ねたノエルの私室がある。
煌びやかだが薄暗い室内。ノエルが足音を立てぬよう豪奢なベッドへ近寄ると、静かな寝息を立てる美しきイリアの姿があった。
祝福の力で眠らせたからだろう、よく眠っている。
ギシリと軋む音を立てて、ベッドの傍らに腰を下ろしても、起きる気配はない。
ノエルは艷めき輝く長い銀糸を一房摘み、口元に寄せた。
ほのかな花の香りを楽しみながら、親愛を込めた口付けを贈る。
「……姉さん。僕の……宝石」
ノエルにとってイリアは唯一無二の存在だった。
喜び悲しみを分かち合いながらともに育ち、いつも身近にあって自分を守ってくれた強く優しい姉。
彼女のためなら、他の何を犠牲にしても構わない。自分の命を懸けても惜しくないほど、大切で愛しい人。
「絶対に枢機卿の思い通りになんてさせないから、安心して」
ノエルは眠るイリアに柔らかく微笑んだ。
(姉さんは宿命を受け入れて自らを犠牲にしようとしているけど──このクソみたいな世界、人にそんな価値はない)
世界は歪んでいる。女神の愛した理想郷は、虚構の楽園だ。
そこに生きる人々は、齎された恩恵が、輝きが、数多の犠牲の上に成り立っていると知らず生きている。
(そして、僕たちは世界を存続させるための歯車でしかない。女神の子孫だから、神秘に選ばれたから、という理由だけで当然のように犠牲を強いられる。……腹立たしいことだ)
ノエルは抑えきれない怒りから、拳を握りしめた。
「〝惑星延命術式〟に頼るしかない世界なんて、大人しく滅びてしまえばいいのに。……そうは思わないか、アイゼン?」
ノエルは顔だけ、執務室の出入り口へ傾ける。
扉を守るように長身でがたいが良く白銀の鎧を身に着けた壮年の男性、聖騎士アイゼンが姿勢を正して立っていた。
アイゼンは同意を示すことなく瞼を伏せる。
「聖下、過激な発言はお控えください。どこに耳が潜んでいるかわかりません」
「僕が何を言ったところで、ヤツらは何もできないさ。もはや僕らの代わりなんて、どこを探してもいないんだから」
「それは……そうかもしれません。私が言いたいのは……」
「わかっているよ、叔父上。敵を欺くなら徹底的にってことだろ」
「はい。事を為し終えるまで、気付かれてはなりません」
ノエルは眠るイリアに視線を落とした。
脳裏に街中で見た姉の笑顔が浮かぶ。
自分の知らないところで、優しげな微笑をルカへ向ける様子には、嫉妬や寂しさもある。
だけどそれ以上に、「姉さんが幸せであってほしい」と願う想いが、ノエルを突き動かしていた。
(ルカには頑張ってもらわないと困る。……あの力をうまく使いこなして、姉さんを支えてもらわなきゃな)
ノエルは「ふぅ」とため息をつく。
名残惜しいが、いつまでもこうして眺めてはいられない。
〝変革〟のため、やるべきことが山積しているのだから。
「……待っていて、姉さん。絶対に、生贄になどさせない。世界を生かそうというのなら、代案もある。そして、教団に巣食う害悪も残さず粛清しよう」
穏やかに眠るイリアの頬を愛おしんで撫で──ノエルは立ち上がった。
戦う理由はただ一つ。
〝最愛の姉のため〟。彼女が生きて、幸せであることが願い。
静かな決意を胸に、ノエルは光なき道を征く。
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