第二十三話 歪んだ愛と、理想のための犠牲
ディラ・フェイユ教皇庁内にある大聖堂オーラム神殿、祈りの間より地下へ降りた〝宝珠の祭壇〟──。
部屋の中心部に〝宝珠〟と呼ばれる透き通る球体を祀った祭壇、地面には魔法陣が敷かれた薄暗い地下の空間で、ノエルは青白く微光する操作盤を指で弾く。視界に捉えた画面には、文字の羅列が次々と表示されている。
(早く……術式改変を進めなければ)
ノエルは苛立ちと焦燥感に囚われていた。
ようやく実験段階へと漕ぎつけたこの計画。各地の祭壇に祀られた宝珠、あるいはその代わりとなる魔耀石を起点に、周囲のマナを搾取・術式の動力へ転用する方法は確立されつつある。
(成果は悪くない。ただ──実験のたびに生じる歪に乗じて、魔神勢も侵攻の手を強めている)
各地で観測された地震と〝漆黒の大穴〟がそれだ。そこを通じて魔獣などの魔神の手勢が入り込み、街を襲っている。枢機卿団は「結界が揺らいでいるのだ!」と騒ぎ立て、姉を〝神聖核〟へ捧げる時期を早めようとしていた。
(最早、一刻の猶予も許されない……!)
ノエルは次なる実験を強行するため、操作盤を弾く速度を早める。警告を示す赤画面と警鐘が鳴り響くが、手を止めることなく作業を続けた。
やがて表示された、実行の可否を問う選択。
「迷うわけがない。実行だ」
ノエルは一切の躊躇なく、パネルを押し叩いた。
すると、足元にある魔法陣がまばゆい輝きを放ち、宝珠が赤く染まった。
わずかに大地が震える。ほどなくして、人知れず聖都の地表に見えぬ魔法陣が展開し、人々から容赦なくマナを徴収してゆく。その様子を画面越しに、ノエルはじっと見つめた。
「ふふ、今回も成功みたいですね♪」
耳朶をくすぐるのは、鈴の音のように可愛らしい少女の声。背に柔らかな感触がして、背後から肩に腕が回る。甘ったるく香る金木犀に似た香気に、少し頭がくらりとした。
「当たり前だよ、このために準備を進めて来たんだから。……それより、急に抱き着いて来るな、アイン」
「減るものじゃないですし、いいじゃないですかぁ。でもぉ、後始末が大変そうですねぇ。みーんなバタバタ倒れちゃってますよ?」
アインの細長い指先が、画面の一つを差し示す。そこには、苦しみ、倒れ伏す聖都の住民の姿が映し出されていた。
「……〝マナ欠乏症〟か」
著しく体内を巡るマナが低下した際に起こる病だ。ほとんどは一過性のものだが、一定のラインを越えると命を落とすこともある。けれど、この程度は想定の範囲内と言える。
ノエルは抑揚なく「何も問題はない」と告げて、実験の成功を喜ぶ。
術式の実験を終えると、周囲にあふれた光が収束してゆき、宝珠が冷えた青白い光を湛える。
ノエルはその光を一瞥しながら、アインの腕をほどいた。
「ここでの作業は終わりだ。戻るよ、アイン。枢機卿団がうるさくなる前に、次のステップへ──」
「……んー、残念ながらもう遅いかもですね。ここに来る前から、ジョセフ枢機卿がノエル様を探してましたし、〝祈りの間〟の入口に、たーくさん騎士様を引き連れて来てる気配がします」
アインが艶っぽい笑みを浮かべる。ノエルは小さくため息をもらし、前髪を掻き上げた。
宝珠の祭壇への通路は女神の血族のみが開けるため、ジョセフらが直接押しかけてくることはないが、待ち構えられては対面を避けられない。
「……面倒だけど、仕方ない」
ノエルが宝珠に触れると、周囲に展開していた画面と制御盤が消失し、光源の一助を失った空間に闇が落ちた。
ノエルはアインを連れて、出入り口へと向かいながら宝珠を振り返り、固く唇を引き結ぶ。
(姉さんは……僕の宝石。守るためなら、何を犠牲にしてもかまわない。僕は修羅、悪鬼にだってなれるんだ)
これから為す事は、歩むこの道は、すべて姉の為に在る。
重い覚悟を胸に、地上へと足を進めた。
❖❖❖
待ち構えていたジョセフに、ノエルが連れて来られたのは密議の間。入室するなり、他の枢機卿がいる前でジョセフは声を荒げた。
「ノエル聖下……聖都の各所で住民が次々と倒れているのを、ご存じですかな! 貴方様が密かに繰り返している〝マナ徴収実験〟のせいで、どれだけの混乱が起きているか……!」
激しい叱責に、枢機卿の面々がどよめく。
けれど、ノエルには動揺など微塵もなく涼しい顔で応じた。
「知っているよ。実験段階だもの、多少の犠牲は避けられない。むしろ想定よりも少ないくらいだね」
「なっ……! あれで、少ないと仰るのですか!? 聖都中が大騒ぎですぞ! もし、住民を実験材料にしていると知られれば、女神様の教義からも外れる非人道的な所業だと、各国より非難されかねません……!」
ジョセフの言い分にノエルは鼻で笑った。
お前こそ我欲に溺れ、贅を貪り、裏では聖職者にあるまじき行為を繰り返しているくせに、と。
「女神の教義ね。身勝手なのはお前たちの方だろう。いつまで女神の愛に甘えているつもりだ? 私は先代たちのように、自己犠牲を美徳とは考えない」
ノエルは尊大に腕を組んで、枢機卿らを見回す。
「安易に姉さんを人身御供の生贄に捧げようとする、外道め。その面を見るだけで、虫唾が走る……!」
すっと瞳を細め、冷たい殺意を乗せて睨むと、彼らは震えあがった。
その中で唯一、ジョセフが血走った反抗的な目をノエルに向ける。
「ぼ、暴言ですぞ! 我らは、世界のことを考えて──」
「ゆりかごに姉さんを〝神聖核〟として捧げれば、世界は救われるのか? ……ただの時間稼ぎだろ。女神の血族は今や私と姉以外にいないのだから。それとも、生贄とするために『子を孕ませろ』とでも、のたまうか?」
蔑むように低い声で問うと、枢機卿たちが視線を逸らした。実際にそういう出来事がなかったわけでもない。
腐敗しきった体制、自分と姉を〝道具〟としか考えていない、どいつもこいつも、救いようのないヤツらばかりだ。
「私は、私の愛する者を守る。何を犠牲にしてもいい。たとえ世界が私を恨もうとも構わない。
──私をこんな化物にした責任は、お前たちにもあることを忘れるな」
断言して、ノエルは冷え切った微笑みを浮かべた。
枢機卿たちが息を飲んで押し黙っている。反論出来ないのだろう。
ノエルは再度「フッ」と鼻で笑い、ジョセフを見やった。
「……聖都で多くの住民が倒れ、悲鳴が満ちている現状は、どうするのです!」
「まあ、私にも多少は人の心が残っているからね。倒れた人々へのケアは教団として手配すべきだろう。必要なら〝浄化の奇跡〟を贈ってもいい。お前たちもこんなところで〝実験の是非〟を議論するより、まずは目の前の命を救う努力をすべきだ」
ジョセフが「ぐっ……!」と言葉を呑み、枢機卿らが渋い顔で視線を交わし合う。部屋の中が沈黙に包まれると、これまで静かに付き添っていたアインが、クスッと可笑しそうに笑みをこぼす。
「痺れちゃいますね、ノエル様のこ・と・ば♪ ほらほら、教皇聖下の御命令ですよぉ? 豚さん狸さんは、聖都の民を救うために頑張らなきゃ」
嬉々として言い放つアインに、それでも言い返すことの出来ない彼らは、わなわなと震えるだけだった。
「……私は好きにする。お前たちも好きにすればいい。どちらが正しいか、遠くない未来わかるだろうさ」
これ以上、議論することはない。決定的な決裂とも言える場の空気をそのままにして、ノエルは淡々と踵を返した。
恍惚と喜びに浸るアインがその背を追って来る。
(……姉さん。もう少しだからね)
この選択が最善ではなくとも、姉を失うよりははるかに望ましい。
人々の悲鳴にまったく胸が痛まないわけではないが、自分の全ては、愛する姉の為に在る。
想いを胸に、ノエルは行く先を見据えて歩む。
廊下の灯が揺らめき、木霊する足音が、静かな決意を嘲笑うかのように思えた。
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