水晶に閉じ込められた巫女は200年後に実体を取り戻す
桜が咲き誇る季節は、桜が一番嫌いな季節だ。桜の花は一等嫌いだ。昔は大好きだったその花は、今はどうしても好きにはなれない。
そんな桜の樹の下で、元気よく響き渡るのは、愛の告白。
「桜!好きだ!私にはあなたしか考えられない!どうか、一緒に生きて行ってはくれないだろうか。」
桜は、
「もう(侍女として)、一緒に生きておりますゆえ。改めて、おっしゃられなくても良いと思いますがの。私も、あと数年はお世話になるつもりなので、よろしくお願いしますの。」
と、答えたとか、なんとか。
この王国には、八百万の神がおわす。神様を祀るための祠は各地にあり、この今となっては、人里にほど近い山の麓の岩の一部を利用して作られた祠もありふれたその中の一つだった。洞窟を祠に仕立てていて、入り口の6尺はあろうかというほどの高さだ。入り口には連中縄がかかっている。
連中縄をくぐり、奥へ入ると、長く人が2人ほど並んで通れるくらいの道が続いている。畝る道をゆっくりと進むと、そこには錆びた鉄格子のはまった横幅が1尺に満たないほどの横長の窓のような穴が空いている。
その窓の手前には、白い美しい石柱があり、その石柱の上部には人の拳ほどの青く光る水晶がはめ込まれているのだ。そして、盗賊などが入らないためだろうか。窓とは反対の祠の入り口に続く通路側にも何人の侵入も許さないかのように、堅牢な鉄格子がはめてあるのである。
桜は、200年もの間、丸い水晶の中に閉じ込められていた。桜の閉じ込められた水晶は青い光を放ち、彼女はキラキラとした世界の向こうの出来事を、時折見ることができた。それは、微睡みの中ふと目を開けた時に見る景色のようで、200年もの時間がたっているとは、感じさせないものだった。
私が、ここにあるようになってから、時折視える外の世界の様子は随分様変わりしたことよの。里も繁盛して大きゅうなったようで何よりじゃ。美味そうなもんもようけえある。
母さまや、父さま、それに姉様やみんなもこれだけ豊かな時を生きられたらよかったんじゃがのう。
桜は、巫女だった。当代一とされる力を若干8才で開花させてからは、それまでの幸福な子供時代は終わりを告げ、ひたすらに奉仕する日々だった。
まぁ、今視えるほどに、平和じゃあなく、魔の物との戦いで、食べるものにもことかいておったからのぉ。
巫女としての彼女の仕事は、結界の維持と、穢れ払いだった。当時、もはや、里の周りは魔で溢れ、巫女が絶えず結界を維持しなければならなかった。少なくとも、桜が今の姿になる10年前には、他の里とのやり取りは完全にできなくなった。
そうして、あの日桜はまんまと騙されて、水晶に入れられ、結局助けたかった人は誰一人救われず、死んでしまった。
その頃は、今ほど覚醒している時間はなく、微睡んでいる時間の方が多かったから、桜は詳しいことを知らない。
石に入れられ、次に気がついたら周囲は魔で溢れ、里は見るも無残な姿になっていた。次に目がさめると、魔は消え失せ、新しい里が出来ていた。そして、目がさめるごとにその里は大きくなっていった。
この頃は、桜の覚醒の時間が長い。だから桜はよく知っているのだ。この里について。不浄の海は、命の恵みを与える清らかなものに変わり、味をつけて干してある美味しそうな魚があることも。そのままの魚を食べることができることも。品種改良が進んで、甘い柿の出来たことも。
ええのぉ。私も食べてみたいものよの。
そんな願いが神に通じたのだろうか。ある日がけ崩れが起きて、祠のお山は形を変えた。その時、桜の入った水晶は放り出され、落ちてきた岩の下敷きになってぱきりと割れた。
冷たい。なんだかしっとりしている。
おかしい。と桜は思った。冷たいなんて思うはずがないのだ。だって、桜は触れないのだから。込み上げてきた違和感に突き動かされて、まぶたを持ち上げた。
目の前には、雑草が生えている。昔、ひっぱり相撲をしたオオバコに似てるの。とぼんやりとした頭で考えた時、桜は覚醒した。草の匂いがする。土の匂いがする。森の、、、匂いがするのじゃ!
パチリパチリと目を瞬かせ、おもむろに起き上がった。
!!
体がある!!
あの頃の巫女の衣を着た、自分の体があった。
そうっと頬に手を持っていくと、ほわほわとした感触がある。桜は、不意に思い立って、近くのため池まで足を運んだ、朝焼けの中映るのは、200年前と変わらない自分の姿だった。
暫く呆然と佇んだ桜だったが、やがて口角をあげた。
「始祖神様、いらっしゃらないかもしれないと思いましたことお詫び申し上げます。私は、今度こそ、間違わず、幸せに生きます。」
桜はそう呟くと、里への道へと消えて行った。
一月後
桜の姿は、魚屋にあった。呼び込みは、どうに入っており、耳を傾けると、どこにでもありふれた文句が聞こえる。
半年後
彼女の姿は領主邸にあった。先の魚屋では、どこにでもありふれた文句を、神力の入った言霊で発する元巫女に惹きつけられて、老若男女皆集まってくるという、恐ろしい光景を日々生み出してしまい。しまいには、村の集会のような有様になり、(もちろん魚は飛ぶように売れた)大問題になったところ、領主が視察にきて、桜を回収して行ったのだった。
彼女は、今、領主ダナンの監視下にある。ダナンはこの一帯を古くから治める一族の末裔で、3年前に領主を引き継いだばかりだ。漸く、全てが滞りなく進み、これから新たに遠方の領との同盟を考えている時に、桜と言う異端を拾ったのである。
彼女の力は、膨大すぎて、そのまま捨て置くことはできなかった。ダナンの一族の氏は神山という。神山のものは代々、霊力を受け継いできた。だが、彼女が使うのは霊力ではない。その力は、はるか昔に滅びた神力に似ているような気がするのだ。だが、神力の使える者は、200年前の魔の者との戦いによって、滅びたはずなのだ。だからダナンは、この異端な少女を、調べなければならないと思ったのだった。
一方の、桜は、済ました顔をして、神山邸で侍女の仕事を学んでいた。
この時代のことをよく知るには、ここにおるのはええことだの。権力者のところにはいい情報が集まるものよ。これが終わったらどこにいくか考えるのもまた一興。
一年後
ダナンはすっかり桜に骨抜きになった。誰にでも優しく、穏やかで、それでいて芯の通った凛とした姿は美しい。サラサラ流れる銀髪も、神秘的な蒼い瞳も、闊達な彼女らしく日焼けした肌さえも美しく見える。
落ち着いた声で、「ダナン様」と呼ばれるのが嬉しい。今時珍しい古典的な話し方が、可愛い。
神力のような力のことは、どこか遠くに放り投げて、ダナンは桜沼にのめり込んでいた。
一方の桜は、ダナン殿は、優しいの。初めは嫌なやつじゃと思ったが、あの顔だったしの。とぼやけた感想を持っていた。
一年半後
ダナンはとうとう桜に愛の告白をするも、伝わらず、これからも悪戦苦闘することになる。