後編 「女王陛下の一喝と、次期天子の決意」
挿絵の画像を作成する際には「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
そう問い掛ける妾に応じた声は、しかし丞相の物ではなかった。
「予の世継ぎとして少しは骨があるかと期待しておったが、とんだ買い被りであったか…次期天子として不覚悟なるぞ、麗蘭第一王女!」
宮中に重く響き渡る、気品と威厳に満ちた一喝。
その声の主である御方を知らぬ者は、少なくとも我が中華王朝には存在せぬであろう。
「へ、陛下!?」
「は…母上!?」
ほぼ同時に呟きを漏らした文武百官と妾の視線を一身に浴びながら、その御方は悠然と佇立しておられたのだ。
艶やかな黒髪と白い額の特徴的な類稀なる若々しい美貌、そして均整の取れた肢体を包む緑色の満州服。
それは正しく、我が中華王朝の三代天子であらせられる愛新覚羅芳蘭女王陛下の御姿に他ならなかった。
「ふ、不覚悟?母上…妾が不覚悟ですと…?」
「ほう…嘲罵を浴びせられても意気消沈する事なく即座に問い返すとは、まだ見込みはあるようだのう。よかろう、麗蘭第一王女。これも貴殿の後学のためよ。心して聞くがよい。」
妾の反応に気を良くされたのか、女王陛下の威圧感がほんの少しだけ和らいだように感じられた。
そうは申しても、口角が微かに上がったかという微々たる変化に過ぎなかったがな。
「国家と国民を背負って立つ覚悟は君主の必須条件だが、それだけで務まる程に容易い物ではない。己の治世下で起こり得る様々な事象にも、君主は責任を負う必要がある。そして類稀なる名君が優秀な賢臣と力を合わせて可能な限りの仁政を敷いたとしても、その治世が常に平穏無事である事など万に一つも有り得ぬのだ。災害に疫病、それに反政府組織のテロ活動に内戦。そうした事態に対処するのもまた天子の務めであるが、それでも犠牲が生じるのは避けられぬ。国家と国民を背負う天子は、治世の上で生じた犠牲をも背負う覚悟が必要なのだ。」
「あっ…!」
穏やかに諭すような陛下の御言葉を御聞きするうちに、妾は己の過ちに漸く思い至ったのじゃ。
そして陛下が妾を「不覚悟」と一喝された真意についても…
「勿論、犠牲を最小限に留める努力はした上でだがな。それでも生じてしまった犠牲は、決して目を背けずに背負う。犠牲を背負う事を恐れてばかりでは、大切な物を守る事すらままならぬぞ。」
「ああ、そうであったか…妾は先程まで吹田少佐の戦死を恐れていたが、それは『吹田少佐の身を感じて』というよりも『彼女の殉職で生じる責任と罪悪感を負いたくない』という保身の意味合いの方が強かったのか…」
此度の囮作戦の決行に踏み切った丞相や人類防衛機構の高官達も、吹田千里少佐の身に万一の事が起きた時の覚悟は事前に決めていたのだろう。
そして当の本人である吹田千里少佐にしても、武運拙く戦死した時の覚悟は予め済ませていたはずだ。
それなのに、妾だけは恐れていたのじゃ。
まるで一卵性双生児のように妾と瓜二つの容姿を持つ吹田千里少佐を、影武者として敵地に送り込む事を。
そして万一にも吹田千里少佐が武運拙く戦死した際に、彼女の死を背負う事を。
「それに自ずと思い至る事が出来るとは、それでこそ予の後継ぎよ。」
「もう妾は逃げも隠れも致しませぬ。吹田千里少佐が妾の身代わりとなった事実からも、その先に何が起きるのかも…しかし妾の為に危険に身を投じてくれた吹田千里少佐に、如何に妾は報いれば良いか…」
特命遊撃士として人類防衛機構に所属している吹田千里少佐は、謂わば職業軍人。
充分な給金は貰っているし、万一の時には恩給や遺族年金も受けられるだろう。
中華王朝の側からも見舞金を送る事は出来るが、それで良いのだろうか。
彼女の忠勇を讃えるのに、より適切な方法は無いものか…
否、あった!
「陛下、我が国が清朝から受け継いた制度の一つに巴図魯の栄誉称号があると聞き及んでおります。妾の第一王女としての権限で、生死を問わず吹田千里少佐に巴図魯の称号を下賜する事は可能でしょうか?」
「良い所に目を付けたのう、麗蘭第一王女。我が満洲族の言葉で『勇者』を表す巴図魯の称号は、貴殿の影武者という大任を務めた吹田千里少佐に申し分のない栄誉と言えよう。」
「恐れながら、陛下。史記に拠れば、清代には外国人を巴図魯に任じた前例も幾つか御座います。日本人の吹田千里少佐に巴図魯の称号を下賜するのは、歴史的にも理に適って御座います。」
幸いにして、妾の提案は陛下にも丞相にも快く受け入れて頂けた。
後は妾の権限をもって、書類を交付するだけだ。
とは言え妾としては、生きている吹田千里少佐に下賜したいものではあるがな。
「死ぬではないぞ、吹田千里少佐。貴殿の生還を望む者は、この紫禁城にもおるのだからな…」
日本への帰路に着いた枚方京花少佐達も、きっと今頃は吹田千里少佐の生還を祈っているのじゃろう。
妾が彼女等と過ごした時間は決して長くはないし、吹田千里少佐の刎頸の友である彼女達三人と妾とが同じ熱量を持ち合わせているのかもまた、難しい所ではある。
しかしながら、想いはきっと共有出来ているに違いない。
そう思うと、妙に喜ばしく感じられるのじゃ。




