幼い頃、婚約破棄を約束しまして
僕は、本日の夜会の準備をしながら、新聞記事を読んでいた。
新聞にはこう書かれていた。
『衝撃の婚約破棄事件発生! 真実の愛に目覚めた隣国の王子が婚約破棄を行った。怒った元婚約者が報復。王子は、王位継承権を剥奪された』
「なんて馬鹿なことを……」
口には、そのようなことを言いながら、自分も今から同じことをしようと思っているのだ。
あらゆる人から、罵られるかもしれない。
僕も隣国の王子と同じように、王位継承権を剥奪されるかもしれない。
もたらされる結末を想像すると、心が震える。
「ああ、どうして僕は彼女とそんな約束をしてしまったんだろう」
後悔が胸を締め付けてくるが、それでも後戻りはできない。
なぜなら、彼女の前でカッコ悪いところを見せたくはない。
本当の僕は血筋以外、情けなかったとしても、なけなしのプライドまで捨てたくはなかった。
「僕はこの国の王子アラン」
僕は、頬をパンパンと叩いて活を入れる。
「どんな状況でも、見栄をはるのが王族ってやつだろう」
自分でネクタイを締め直し、会場に向かいながら、僕は約束を交わしたあの日のことを思い出していた。
◇ ◇ ◇
なんて可愛らしい女の子なんだろう。
僕の婚約者であるエルザを見た、僕の第一印象は、そんな感じだった。
僕の婚約者として、紹介された伯爵家の女の子。
僕と同じ金色の髪に、深い海を思わせるブルーの瞳。
この女の子と将来結婚する。
結婚というものが、いまいちよく理解できていなかったが、父上と母上のような関係になるというのは、喜ばしいことのように思えた。
「よろしくね」
僕がそういうと、女の子はぷいっとそっぽを向いた。
その様子を見て彼女の従者が慌てて出てきた。
「す、すみません。殿下」
一緒についてきてくれていたお母様が、従者に「まあ、まあ」と笑顔を向けつつ僕に提案してきた。
「アラン、エルザさんは、まだ緊張されているようですね。一緒に遊んできてはいかがですか?」
「うん!」
僕は、自分の気持ちに促されるまま、彼女の手を引き王宮の裏庭にやってきた。
庭師たちが、競うように一年中手入れを行っているので、極寒の冬以外は、赤や青、黄色や紫など、様々な色をした花が咲いている。
僕は、咲き乱れる花々の中から彼女に合うものを選んで、花の王冠を編んだ。
僕は完成した、彼女の頭に乗せる。
彼女は、頭を振ると、その花の王冠を落としてしまった。
「あ、ごめんね。嫌だった?」
僕が王冠を拾いながら、エルザに聞くと、彼女は小さな声で、ぽつりと言った。
「婚約だなんて、したくなかった」
僕は、花の王冠について聞いてみただけだったけど、彼女は婚約が嫌だと言った。
心がじくりと痛んだ。
「僕のこと嫌い?」
「無理やり結婚させるような人は嫌い」
僕が決めたわけじゃないんだけどなぁと思いながら、彼女の言葉を聞いた。
彼女にとっては、誰が決めたかなんて関係ないということなのだろう。
多分、婚約に関わった人全員が嫌いなのだ。
……僕も含めて。
僕は、哀しみが顔に現れないように笑顔で取り繕いながら、聞いてみた。
「好きな人いるの?」
「いないけど、もうあなた以外好きになったらだめなんだって、お父様が言ってた」
「どうして?」
「婚約したから、私の方が身分が低いから、絶対結婚しないといけないんだって」
「絶対?」
僕には、そんな話一言もなかった。
『そろそろ会ってみたらどうかな?』
お父様とお母様は、そんな感じだった。
エルザは、この世の不幸が、全部身に降りかかったような顔をしていた。
僕は、彼女が天使のように見えたが、彼女には僕が悪魔のように見えているだろう。
彼女が家で言われた言葉を僕に教えてくれた。
「約束は守らないと処刑されるんだって」
「えっ。そうなの」
彼女にとって婚約は、人生をかける覚悟がいることだったなんて、思いもしなかった。
処刑か……。
それは、酷い。
でも、『私の方が身分が低いから、絶対結婚しないといけない』ということならば、僕から破棄するのは、問題ないということだろう。
「うん。わかった」
僕は、彼女の手を取りながら、言った。
「大きくなって、君に好きな人ができたら、僕が婚約破棄してあげるよ」
「本当に?」
潤んだ瞳で、不安そうに聞いてくる彼女に、僕は精一杯の笑顔を向けた。
「もちろんさ。僕は、君に幸せになってほしいんだ」
「私は、自分の幸せを願ってもいいの?」
「もちろんだよ」
僕は、彼女の小指に、僕の小指を絡ませた。
「僕は、君が、『好きになった人ができた』と言った時、婚約を破棄する」
ゆびきり。
子供が行う、約束。
「これだって、婚約と同じぐらい大切な約束だから」
大きくなったら、国全体を幸せにしなければいけないのだ。
今の僕でも、目の前の女の子一人ぐらい幸せにしてみせる。
「ありがとう」
涙を浮かべる、エルザ。
「だからさ、今日は、友達として、一緒に遊ぼう? 好きにならなくてもいいからさ」
「うん」
ようやく、笑顔を見せてくれたエルザ。
それから、僕らは時間が許す限り、一緒に遊んだ。
幼い頃の僕の大切な記憶。
◇ ◇ ◇
僕が、軽く手をあげ挨拶しながら会場に入ると、令嬢達の会話が聞こえてきた。
「隣国の王子、婚約破棄したらしいわよ」
「まあ、最低ね」
「でも、殿下は大丈夫ね」
「そうね。エルザ様、溺愛されているみたいだし」
ああ、そうだね。
僕が彼女のことを愛してるのは、間違いないんだ。
だけど、僕が願うのは、彼女の幸せなんだ。
僕が、前まで来ると彼女が待っていた。
彼女は優美なデザインで彩られ深紅のドレスを着ていて、子供のころから変わらない美しい黄金の髪も編み込みで結い上げている。すごく大人っぽい。
久しぶりに会った彼女は、あの頃より、ずっとずっと綺麗になっていた。
本当に久しぶりだった。
すれ違いばかりで、なかなか会うことができないでいた。
久しぶりの邂逅。
そして、会場中が、僕らのやり取りに注目しているように感じた。
彼女は、僕と、目が合うと、意を決したように言った。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。私、好きな人ができました」
「そっか」
いっぱいいっぱい幸せを僕は彼女から貰った。
今度は彼女の番だろう。
僕は彼女に誰よりも自由な翼を与えたい。
「僕は君との婚約を……破棄する」
僕の言葉に彼女は驚いた顔をした。
「あなたは、本当に約束を守って……」
キュッと口元をまっすぐにすると彼女は丁寧にいった。
「はい。喜んでお受けします」
会場は静まり返っていた。
多分、誰も僕が婚約破棄するなんて思っていなかったのだろう。
僕が熱心に手紙をかいたり、花を贈ったりしているのはみんな知っていたから。
これで彼女との関係は終わり。
あまりにあっけない。
今にも、僕は泣いてしまいそうだ。
さすがに、それは、みっともなさすぎるので、僕は笑顔で取り繕った。
いろいろな気持ちを我慢している僕に彼女は静かに言った。
「ただ、私の話を聞いていただけないでしょうか」
「ああ、もちろん」
彼女の声が、少しでも聞けるのであれば、嬉しいに決まっている。
罵倒だろうとなんであろうと、受け入れようと僕は耳を澄ませた。
「あの日、私は許されないことをしました。初めてあったばかりのあなたに嫌いだなんて。何度謝っても謝り切れません」
初めて会った日のことを言っているのだろう。
「許されないというのは、君の気持ちを考えずに、婚約を結んだことだろう。君はなにも悪くはないさ」
彼女は首を振る。
「あなたのあの日の言葉があったから、私は誰よりも自由に恋をできました。どんな殿方と結婚しようかと恋に恋する乙女になりました」
彼女は、幸せそうに語る。
そう、この世界はどんな人間だって、恋をせずにはいられないようにできている。
それが自然なことだ。
「ですが、どんな時も、思い浮かぶのはあなたの顔ばかり。今日だって立場があるのに、国よりもこんな私のことを優先し、あの日の約束を守っていただきました」
彼女は、今にも泣きそうな潤んだ瞳で僕を見つめてくる。
「あなたのことを心の底から、お慕いしています」
彼女の言葉で、凍えてしまっていた心に温かみが生まれた。
「だから、もう一度私と婚約していただけないでしょうか」
親のいいなりではなくて、自らの意志で結ぶ大切な約束。
あの日の指切りように。
勇気を振り絞って、僕は言った。
「これからの人生、僕と共に歩んでくれるかい?」
「はい。喜んで!」
僕が両手を広げると、彼女が僕に飛び込んできた。
会場全体から沸き起こる万雷の拍手。
世界が祝福で満ちる。
僕の人生が意味を持ち、あの日の花畑のように色彩を帯び始めた。
これは、幸せな国のささやかな歴史の1ページ。
そして、今から幸せな人生を歩む僕ら二人のプロローグ。