幻を呼ぶ風
「火の玉を…見かけませんでしたか?」
朝の男の子の言葉を思い出す。
まるで幻だったというように、ぼんやりとした青い光はすぐにふっと消えてしまった。
さっき見たのは、彼が言っていた火の玉なのだろうか。
不思議と恐ろしさは少なくて、本当にそこに居るのか確かめたい気持ちの方が勝った。
この道の奥にある祠の方へとゆっくりと歩いていく。
この頃よく聞く鳥のさえずりと風で揺らされ葉がこすれる音、足を踏み出すたびに地面が固められていく規則的な音。
やはり人気を仄めかすような雑音もなく、何かが居るとは思えない静けさだった。
祠についた。
祠の周りには囲むように4つの灯籠が置かれている。
4つを結べば正方形になるのだろう。高さ、向き、意匠まで全て揃えられており、対角線で結んだ中央に祠が鎮座する。
造られた際の意図を感じさせる、狂いの許されない精確さがあった。
やっぱり誰もいない?
ここまで歩いてきた道のりでも何も見かけなかった。さっき見た火の玉らしきものは気のせいだったのかも。
とはいえここまで歩いてきたのだからと祠の周りを一周しようと向きを変え足をついたときだった。
パリン、とおよそ土の上では聞こえない音がした。
驚いて足元を見ると、きらりと光るガラス片のようなものが落ちていた。
綺麗…。
西に傾きだした日の光をうけて、きらりと光を放つ様子に、思わず手を伸ばす。
しゃがんで土との距離が近くなったときに、どうやらかけらは周囲に点在しているらしいことに気づいた。
怪我をしないようにゆっくりと、優しく拾い上げ確かめる。
透かすと向こうの景色をそのまま写すような、無色透明なガラスだ。
なんの変哲もない、
そう思ったときだった。
手元の小さなかけらが小刻みに震え出し、淡い光を放ちだした。
「え…!?」
驚いて手を離してしまった―――はずなのに、ふわりとその場に留まり続けていた。
浮かぶかけらに呼ばれるように、周りに散らばっていたかけらも光の粒となって、ふわふわとその場に浮き漂いながら、だんだんと渦を描いていくように集まっていく。
そうして集まった小さな光の粒たちは、昼下がりの青の深さが目立つ空の下には似合わず、空を飾る小さな星々のような光景を私の目下に作り出した。
…息を呑んだ。
いま見ている景色を形容するならば、美しい、という言葉以外にきっとない。
周りで揺蕩う優しい光の粒たちが、まるで夜の空を案内してくれているような、ふわふわと気持ちも浮足立つ。
息をするのを忘れ、心をきつく締めるほど惹かれてしまう光景に、私はいつのまにか呑まれていた。
ひゅうと風が吹きこんでくる。それは、すべてを包みこんでくれるような優しい風で、暖かくて、穏やかで、
―――どうにも離れがたくて。
風が散り散りとなってしまったかけらをつなぎ合わせていく。
集まった光はきれいな球体を型取り一等輝くと、ヒビはきれいに消えていき、美しく淡い光を帯びながら、ふわふわと中に浮かび続けた。
それはまるで、私が受け取ることをこの光の玉が待っているかのように思えた。
「すごい……」
このときの私は、なぜか今しがた起きた出来事の不可思議さ以上に、宙に浮かぶ水晶玉に興味を吸い寄せられていた。
淡いピンク色と水色が混ざり合い、不思議な色を見せる玉の中を覗きこむと、桜の花や花びらが見えた。まるで、麗らかな春の景色を玉の中に閉じ込めたような世界があった。
両手で受け止めようとそっと光の前へと手を向けると、水晶玉はそれを待っていたかのように両手めがけて形を変えながら飛び込んでくる。それは紐が通った小さなガラス玉となり、手元にふわりと納まった。
―――。
―――?
「いや待って、どういうこと!? 何これ?」
非現実的なことが立て続けに起きると、現実に戻るためには少々時間がかかってしまうらしい。
そうだ。まず私はガラス片を拾っただけだ。だというのに、いつのまにかそのガラス玉が作る幻想的な世界に引き込まれていた。
「そこに浮かぶ宝珠は、あなたのものですよ。ハルセさま」
どこからだろう。ふいに、透き通った若い女性の声が聞こえた。
「だ……誰??」
さっきまで人影などなかったはず。一体どこから――
「……ぎゃぁああああ!!」
今までたぶん、あんな悲鳴出したことなかった。
でも、祠の陰から、青い炎がゆらゆらと出てきたのだから、これくらいの叫びと尻餅くらいは許してほしい。
はあ、はあ。……なるほど。本当に恐怖を感じるときは悲鳴すら出ないと聞くが、私の場合は出せたようだ。そもそも火が火元もなく燃えて浮かんでいることが謎だし、青いっていうのが不気味さを倍増させている。いや待て。炎なんだから喋ることなどできないのではないのか。
ああ、これはあれだ、幻覚だわ。
「驚かせてしまい申し訳ありません。私は千里と申します」
さっきの女性の声が聞こえた。わーお。目の前の浮かんでいる火から聞こえたぞ。いよいよ私もヤバいのかも。
「……あ、あの…」
震えながら声を絞った。目に映っている光景が夢だというなら、まばたきをすれば幻となって消えるかな――うん、消えない。
「ハルセさま、そんなに驚くことですか?」
「!!?」
私はこくこくと激しく頷いてみせた。え?ちょっと待ってね。ナチュラルに私の名前言ってるけど、私こんな火(?)知らないよ!
そんなこんな考えながら目の前の炎を見つめていると、突風が吹いたわけでもないのにゆらりと大きく振れた。その瞬間、炎から出たとは信じがたいくらいの強烈な光が私の目を襲った。
「―――こうして、一日に数刻は人間の姿にもなれるのですよ」
思わずつぶった目をゆっくりと開けてみると、そこには可愛らしい、という表現がよく似合う女性が立っていた。
蒼く澄んだ瞳と、肩にかからないほどでバッサリと切られている濃い青色をした美しく真っ直ぐな髪。濃紺の着物を上品に着こなし、青白い肌に大きな瞳が映える。全身が青っぽく見えることを置いておくと、“可憐”という言葉が似合う。
―――いや、怖いって。ぼんやり青く光る人間ってどうよ。
驚きの連続でショート寸前の脳にツッコミを入れた。
「そ、そうなんですね…あはは……」
こわばる表情をへらへらすることでなんとか誤魔化し、その場から逃げようと足に力を入れた。
―――まずい、力が入らない。
「この宝珠はあなたのものです。受け取っていただけませんか?」
そう言うと、千里――と名乗った女性は浮かんだままの宝珠を指し優しく微笑んだ。
立ち上がることのできない私は、手足を動かし後退する。
怪しい。怪しすぎる。突然手を差し出された上に受け取ってって?
「そんな警戒するものでもないですわ」
「いや、びっくりして、当然だと、思いますよ…」
よく知った声で突っ込みが入る。
急いでここまで来たようで、息が荒れた様子だ。
いやツッコむところはそこではなく。
…えーと、萌葱ちゃん?
お知り合いの方でございましょうか…?