02 開示
二日間にわたる文化祭をやりとげて、『ジェイズランド』でライブチケットを受け取ったならば、めぐるたちのもとに日常が帰ってきた。
ただし、『KAMERIA』のメンバーにとってはきわめて慌ただしい日々である。文化祭の一ヶ月後に『ジェイズランド』でのライブを控えているめぐるたちは、むしろここからが本番であったのだった。
「何せ次のステージは、三十分もあるんだからねー! 残りの二曲も、しっかりがっちり固めておかないと!」
町田アンナのそんな言葉に、『KAMERIA』の苦労の内容は集約されていた。
めぐるたちは、ついに持ち曲のすべてをステージで披露することになるのだ。『KAMERIA』を結成して、はや五ヶ月半。これはひとつの大きな節目になるはずであった。
「それにしても、結成五ヶ月半で持ち曲が五曲ってのは、多いほうなのかね。それとも、少ないほうなのかね。まあどっちにせよ、これが限界いっぱいなんだけどさ」
和緒がそのような疑念を呈すると、町田アンナは「あはは!」と笑いながら返答した。
「そんなの、よそのバンドと比べてもしかたないっしょ! それに、完成が遅れちゃったのは、あれこれアレンジを追加したせいだしさ! 『あまやどり』なんて、ほとんど完成寸前だったのにねー!」
それは、町田アンナの言う通りであった。『KAMERIA』は夏のバンド合宿でさまざまな課題を抱え込んだため、すべての持ち曲のアレンジを見直すことになってしまったのである。
しかし、それを不満に思っているメンバーはいないだろう。アレンジを見直すことで、より理想的な楽曲を完成させられるのなら、それが最善の道であるに決まっているのだ。『小さな窓』も『転がる少女のように』も、『青い夜と月のしずく』も『あまやどり』も、そして『線路の脇の小さな花』も、栗原理乃のピアノと町田アンナの歌が加えられたことで、格段に魅力が増したはずであった。
「それに、めぐるのベースと和緒のドラムもね! 二人のプレイだって、合宿の前と後じゃダンチガイのかっちょよさだと思うよー!」
「あ、ありがとうございます。町田さんのギターも、さらに勢いが増して格好よくなったと思います」
「あー、そもそもはそのために、理乃のピアノを増やしたんだもんねー! 今となっては、理乃のピアノも大事な武器だけどさ!」
もともとは、歌メロのガイドとしてピアノが加えられることになったのだ。それで歌メロへの干渉を考慮する必要のなくなった町田アンナは、これまで以上に自由奔放なギタープレイを披露することがかなうようになったのだった。
さらに、めぐると町田アンナは新たなエフェクターを、和緒はバスドラのペダルを購入している。それもまた、『KAMERIA』に新たな力をもたらしたはずであった。
これだけの変化がいちどきに生じれば、アレンジに手こずるのも当然の話なのだろう。
だがしかし、めぐるにとっては幸福な限りであった。日を重ねるごとに楽曲の完成度が上昇していくというのは、この上ない悦楽であったのだ。
夏より前の練習音源を耳にすると、物足りなく思えてならない。
つまりそれだけ、『KAMERIA』は成長できているのだ。四人が一丸となってバンドを成長させているという実感が、めぐるを何より幸福な心地にさせてくれた。
また、文化祭を終えた後は先輩部員たちが練習を取りやめるため、再び部室は使い放題となる。その事実が、めぐるの幸福な気分をさらに加速させてくれた。
そうして練習に明け暮れる日々は、あっという間に過ぎ去って――めぐるたちは、ライブの前日たる十一月の最終金曜日を迎えることに相成ったのだった。
◇
「だけどまあ、ライブの前日に町田家で夜を明かすってのも、すっかりマンネリ化してきたよね」
町田家に向かう道中でそんな言葉をこぼしたのは、もちろん和緒であった。
スキップまじりに歩いていた町田アンナは、「なんだよー」と口をとがらせながら振り返る。
「こうやってみんなで集まるのも、楽しみのひとつじゃん! せっかくの楽しみに、水を差さないでよねー!」
「そりゃあ失礼ござんした。ここ最近は何のトラブルもなかったんで、ちょいと一石を投じてみようかと思ってさ」
「そんなもん、投じなくていいから! ま、どーせ和緒もウキウキ気分をごまかすために、そんなクールぶってるんだろうけどさー! 愛しのめぐるとお泊まりできるんだから、嬉しくないわけないもんねー!」
「いやいや、とんでもない。いつ寝首をかかれるかと、こっちは戦々恐々だよ」
と、和緒はめぐるの頭を小突いてくる。
もちろんめぐるは、そんな仕打ちにも幸福な気分を上乗せされるばかりであった。
午後の六時まで部室での練習に励んだため、すっかり外は暗くなっている。そして、十一月も下旬に差し掛かり、だいぶ気温も下がってきていた。
ついにこの秋も、終わりが近いのだ。夏は夏でとてつもなく充足した日々であったが、この秋も決して負けていなかった。
(まあ、特別なイベントって言ったら文化祭と明日のライブだけだけど……わたしなんかには、十分以上だよなぁ)
去年の秋には、いったい何をしていたのか。めぐるは就職を有利にするために――そして、和緒と同じ高校に進学するために、ひたすら受験勉強していた記憶しか残されていなかった。
「いらっしゃーい! みんな、待ってたよー!」
やがて町田家に到着すると、本日も元気な妹たちが出迎えてくれた。
今回も金曜日であったので、ご両親は道場だ。文化祭の前日と同じシチュエーションであったため、めぐるもいくばくかの既視感を覚えることになった。
しかしこのように幸福な記憶であれば、何度繰り返されても楽しいばかりである。
そんな気持ちにひたりながら、めぐるは町田邸の玄関をくぐった。
客間に案内されたならば、まずは制服をハンガーにかけて、ルームウェアに着替えさせていただく。これも、ひと月前と同じ光景だ。めぐるは本当に、幸福な記憶を追体験しているような気分であった。
「そーいえば、めぐると和緒の家って行ったことないんだよねー! 次の機会には、二人の家に集まらせてもらおっか!」
町田アンナがそのようなことを言い出したため、めぐるはギクリと身をすくませることになった。
そしてめぐるが言葉を失っている間に、和緒が「はてさて」と軽妙に言葉を返す。
「残念ながら、三人ものお客を泊めるスペースは皆無だね。それ以前に、うちに来たって何も愉快なことはないだろうしさ」
「そっかー! でも、どんな家で育ったら和緒みたいな人間ができあがるのか、ちょっと気になるじゃん!」
「あいにく、あんたの厄介な好奇心を満たせるようなネタは転がっちゃいないよ。ニュータウンの家なんてどれも似たり寄ったりだし、あたしの家庭なんざあくびが出るぐらい凡庸そのものだしさ」
「ふーん。それじゃあ、めぐるの家は?」
「プレーリードッグの棲み処はうちに輪をかけてつつましいから、そもそも四人の人間がくつろぐスペースも存在しないだろうね」
「そっかー! ナイスなアイディアだと思ったんだけどなー! ま、ウチは理乃の家にあがったこともないしねー!」
「うん。うちは、親が厳しいからね。それに、私がバンドをやっていることも秘密だから……それでちょっと、磯脇さんと遠藤さんをお招きすることも難しいんです」
栗原理乃が申し訳なさそうに眉を下げると、和緒はもったいぶった調子で「なんのなんの」と応じた。
「あたしはどこかのオレンジ頭さんと違って、自分の家にも他人の家にも興味が薄いんだよ。面倒な話を持ち出して栗原さんを困らせようとは思わないから、心配しなさんな」
「なんだよー! ウチの提案が、そんなに迷惑だったってのー?」
「思春期の人間は、友人知人に家族を見られるのが小っ恥ずかしいもんなのさ。あたしもプレーリードッグも思春期まっさかりってことで、どうかご理解いただきたいところだね」
「あはは! めぐるはともかく、和緒にシシュンキって似合わないなー! 和緒ってこーんな美人なのに、なーんかオッサンぽいもんねー!」
「それはむしろ、世間のおじ様がたに失礼な言い草でしょうよ」
そんな具合に、話はうやむやのまま終了した。
めぐるがひとりでまごまごしていると、和緒が遠慮なく頭を小突いてくる。和緒の気づかいに、めぐるはまた胸を詰まらせることになってしまった。
(でも……町田さんや栗原さんに家の事情を打ち明けないっていうのは……やっぱり水臭いってことになるのかな……)
そもそもめぐるは、ことさら自分の境遇を隠しているわけではない。ただやっぱり、積極的に打ち明けようという気持ちにもなれないのだ。めぐるが何より避けたいのは、彼女たちに同情や憐れみの目を向けられることであった。
「おねーちゃーん! こっちは準備できたよー! おなかすいたから、早く食べよー!」
と、廊下のほうから下の妹の元気な声が聞こえてくる。
「あー、ついおしゃべりに夢中になっちゃったね! さっさと食べて、さっさとくつろごっかー!」
そうして一行は、食事の間に移動することになった。
テーブルには、すでに料理の山が並べられている。また町田家の母親が、忙しい合間をぬってこれだけのご馳走を準備してくれたのだ。そして本日は、揚げ物を主菜にした日本風のラインナップであった。
料理の味は申し分ないし、食卓の賑やかさも好ましいばかりである。
しかしめぐるは、胸の奥につかえを抱えてしまっていた。さきほど頭に浮かんだ疑念が、じわじわと重くのしかかってきたのである。それはどうやら、大切な相手に秘密ごとを抱える罪悪感というものであるようだった。
(どうしよう。今からでも、家の事情を打ち明けたほうがいいのかな。でも、さっきの話題はかずちゃんのおかげで丸くおさまったし……こんな話をいきなり聞かされても、町田さんたちは反応に困るだろうし……)
めぐるがそんな風に思い悩んでいると、食事の終わりかけで和緒が思わぬ発言をした。
「あのさ。恒例の公開練習をお披露目する前に、ちょっとミーティングをしておきたいんだよね。悪いけど、妹さんたちはそいつが終わるのを待っててもらえるかな?」
「あ、はい。もちろんです。エレンも、ワガママを言っちゃダメだよ?」
「うん! でも、エレンがねむたくなっちゃう前に、演奏を聞かせてね?」
「ミーティングなんて、ものの数分さ。そもそも、本番は明日なわけだしね」
「でも、おうちの演奏もすっごく楽しいから! 『KAMERIA』をひとりじめにしてる気分なの!」
「あはは。ひとりじゃなくって、あたしと二人だけどね」
そうして町田家の妹たちは、笑顔で和緒の提案を了承した。
まずは、六名がかりで食後の後片付けに励む。そのさなか、町田アンナがけげんそうに和緒へと呼びかけた。
「ところで、ミーティングって何のこと? 今さら話し合うネタなんてあったっけ?」
「うん。可及的速やかに解決するべき案件が持ち上がったのさ」
もしかして、和緒はめぐるの内に生じた惑乱を見透かしているのかもしれない。そんな風に考えると、めぐるの心はいっそう千々に乱れてしまった。
「か、かずちゃん、あの……」
「ミーティングは、客間に移ってからだよ。あんただって、心置きなく明日のライブを楽しみたいでしょ?」
和緒のそんな返答で、めぐるの疑問はほとんど確信に変わることになった。
しかし、四人の場で和緒は何を語ろうとしているのか。そこまでの予測はつけられなかったので、めぐるは危うく洗いたての皿を落としてしまいそうなぐらい動揺してしまった。
そうして『KAMERIA』のメンバーは、だだっ広い客間に移動する。
そちらに腰を落ち着けた和緒は、いつも通りのクールな面持ちで「さて」と口火を切った。
「それではミーティングを開始する前に、不肖わたくしめから前口上を述べさせていただきたく存じます」
「なーにをかしこまってんのさー! ライブの前日に、あんまり妙ちくりんなことを言い出さないでよー?」
「あたしだって、こんな話を持ち出すつもりはなかったけどさ。もとをただせばあんたの軽口が原因なんだから、黙って聞いてもらいたいもんだね」
「ウチが原因って、なんのことさ? さっぱり身におぼえがないんだけど?」
和緒は町田アンナの言葉を黙殺し、めぐるに向きなおってきた。
めぐるは最初から、緊迫の極みである。しかし、和緒の切れ長の目がひそかに優しげな光をたたえていたので、わずかながらに心を慰められることになった。
「親愛なるマイフレンド。たぶんあんたは大事なことを失念してるだろうから、あたしがそいつを指摘してあげるよ。あとは、あんたの好きにするがいいさ」
「う、うん……わたしが失念してることって……?」
「それはね、あの高校にはあたしたちと同じ中学出身の人間が、数名ばかり存在するってことだよ」
めぐるは、小首を傾げることになった。
そして、傾げた頭にじんわりと和緒の言葉がしみこんでくる。
和緒の言う通り、あの高校にはめぐるたちと同じ中学校を出た生徒が数名ばかり存在する。めぐるたちの通っていた中学校は学力が低かったようで、市内きっての進学校であるあの高校に合格できたのは、ごく限られた人数であったが――それでも、めぐると和緒の他に二、三人は存在するはずであった。
もとよりめぐるは和緒以外の相手にいっさい関心がなかったため、それらの人間の顔や名前すらわきまえていない。
だが――同じ学年で、めぐるの名前や素性を知らない人間は存在しないことだろう。社会不適応者であるめぐるは、学年が上がるごとに小さからぬ騒ぎを起こし、ひどいときには全校集会を開かれることさえあったのだ。めぐるとしては、周りの人間が勝手に騒ぎたてているという印象であったので、何も気にせずぼんやり過ごしていたのだが――ともあれ、めぐるが中学時代に悪名を轟かせていたというのは、厳然たる事実であったのだった。
そんなめぐるの悪名を知る人間が、あの高校には数名ほど存在する。
そして、めぐるのクラスに該当者が存在しないということは――他の四クラスに、それらの生徒は振り分けられているわけであった。
めぐるは、頭の芯がぐんぐん熱くなってくる。
そして、その熱を放出するために口を開くことになった。
「あ、あの! わたし、中学に上がる前に、家族を亡くしているんです! それで、今の家に引っ越してくることになったんです!」
町田アンナはきょとんとして、栗原理乃は驚愕に目を見開いた。
「めぐる、いきなりどーしたの? 家族が、何だって?」
「ちゅ、中学校に上がる前の春休みに、両親と弟が交通事故で他界したんです! それであの、わたしはこういうぼんやりした人間になっちゃって……あ、いや、それは家族がいた頃から、おんなじことなんですけど、それが余計にひどくなっちゃったっていうか……とにかく、それが原因で色んな人に嫌われて、色んな騒ぎを起こすことになっちゃったんです!」
「べつだん、あんたが暴れ回ったわけじゃないでしょうよ。教科書や上履きを切り刻んだのも、机や椅子をスクラップにしたのも、みんな周りの連中なんだからさ」
和緒がそのように言いたてると、町田アンナは「何それー!」と眉を吊り上げた。
「そんなひでーやつらがいたんだね! もちろん和緒がボコボコにしてやったんでしょ?」
「あいにく犯人の正体は不明だし、そもそもあたしは暴力で物事を解決しようって考えを持ち合わせちゃいないよ」
「うわー! だったら、なおさらムカつくねー! 今からでも、ウチがボコボコにしてやりたいなー!」
「あんたはメガネ先輩との抗争で、いったい何を学んだのかね」
和緒はしれっとした顔で、肩をすくめる。
すると、栗原理乃が思い詰めた面持ちで身を乗り出してきた。
「お、お話はわかりました。でも……どうしていきなり、そんな話を打ち明けてくださったのですか?」
「そ、それはその……同じ中学の出身だったら、みんな知ってることですから……じ、自分以外の人の口から、そんな話が伝わるのは……すごく、嫌だったので……」
体内に満ちた熱を吐き出しためぐるは、その反動でぐったりしてしまった。
すると、和緒がほとんど撫でるような力加減で頭を小突いてくる。
「それで、何がきっかけで暴発することになったんだっけ?」
「え……? あ、そ、そっか……それであの、わたしは祖父母に引き取られたんですけど……そちらとも折り合いが悪くて、四畳半のせまい離れで暮らしていますから……それで、お二人を自宅にお招きすることはできないんです。どうも、ごめんなさい」
「そんなの、あやまる必要ないってば! もー! めぐるはいちいち、驚かせてくれるなー!」
町田アンナはあぐらの姿勢からバネ仕掛けのように跳ね上がって、めぐるに飛びついてきた。そのしなやかで力強い腕が、横からめぐるの肩を抱いてくる。
「そんなのみんな、周りの連中が悪いに決まってるんだからね! めぐるがそんな不安そうな顔をする必要はないよー!」
「あ、いえ……たぶん原因のほとんどは、わたしのほうにあるはずなので……」
「それでも別に、かまわないけどね! ウチはめぐるのこと、大好きだもん!」
「そうです。私だってアンナちゃんがいなかったら、きっとひどい学校生活になっていたでしょうから……どうか遠藤さんも、お気になさらないでください」
栗原理乃も膝を進めて、温かい手でめぐるの手をぎゅっと握ってきた。
そんな二人の温もりが、めぐるの涙腺を決壊させる。それを見て、和緒は「あーあ」とまた肩をすくめた。
「そんなしょっちゅう泣いてたら、ありがたみも半減だね。あたしのマイフレンドは、いつからこんなに軟弱になっちゃったんだろ」
「和緒もほんっと、いい根性してるよねー! まあだけど、あんたはそーゆー人間だから、めぐると仲良くなれたのかな!」
そんな風に言いながら、町田アンナはめぐるの頭に頬ずりをしてきた。
「とにかくめぐるは、なーんも心配いらないからね! めぐるがどんだけ面白いかは、ウチも理乃も思い知らされてるから! 今さらどんな話を聞かされたって、めぐるから離れたりしないよー!」
「はい。明日のライブも、一緒に頑張りましょう」
めぐるはどうしようもなく涙をこぼしながら、なんとか「はい」と笑顔を返してみせた。
そうしてめぐるの抱えていた秘密は、和緒の導きで白日のもとにさらされ――そして、ライブ前日の夜はしんしんと更けていったのだった。




