03 登校
翌朝――文化祭の初日となる、十月の最終土曜日である。
『KAMERIA』の一行は、町田家から学校を目指すことになった。
町田家に宿泊するのは三度目であるが、四人で一緒に登校するというのは初めての体験だ。それだけで、めぐるは何だか胸が弾んでならなかった。
衣替えの移行期間も終了したため、町田アンナを除く三名はブレザーのジャケットも着用している。町田アンナは、相変わらず体育用のジャージを羽織った姿だ。そして、めぐるたちは機材だけでそれなり以上の大荷物であったため、ステージ衣装の詰め込まれたボストンバッグは栗原理乃が受け持ってくれた。
「ま、鞄がないだけ、普段よりはマシだよねー! どーせ教科書なんて、試験前しか持ち帰らないけどさ!」
ギグバッグを背負ってエフェクターボードを携えた姿でも、町田アンナは跳ねるような足取りである。いっぽうめぐるも機材の重量には苦労していたが、気持ちの上では町田アンナと同様であるつもりであった。
五分ほどかけてバス停までおもむき、乗車したのちは十分ほどで学校に到着する。そうして裏門から部室棟に向かうと、そちらでは宮岡部長が待ちかまえていた。
「おはよう。四人一緒に登校とは、仲のいいことだね」
「昨日はうちに泊まったんだよー! ライブ前はそうしようって決めたから!」
「それはますます、仲のよろしいことで。わたしとしては、羨ましい限りだね」
宮岡部長は、普段よりもいっそう大人びた表情で微笑んだ。
自分のロッカーに機材を仕舞い込みつつ、町田アンナは「んー?」と小首を傾げる。
「やっぱブチョーは、苦労してるの? まあ、あの二人だったら苦労して当然だけどさ!」
「うん。ひとりずつなら、そんなに苦労もないんだけどね。二人の相性が最悪だから、それにはさまれるのはひと苦労かな」
同じ表情のまま、宮岡部長は肩をすくめた。
「まあ、バンドのメンバーとしては文句のつけようもない二人だし……どうせそれも、春までだしね」
「やっぱり、春で解散するわけですか」
町田アンナが仏頂面で口をつぐんだため、和緒が何気なく追及する。宮岡部長はこちらの心の動きに気づいた様子もなく、「うん」とうなずいた。
「わたしやテラなんかは、またそれぞれの進学先で軽音のサークルにでも入るんだろうね。いっぽう篤子はゴリゴリのプロ志向だから、満を持してメンバー探しに打ち込むんでしょうよ」
「なるほど。プロ志向でも、予備校に通ってまで進学するんですね。それはやっぱり、家が厳しいからなんでしょうか?」
「うん。個人情報だから、あんまり詳しくは話せないけど……その解釈で、間違ってないと思うよ。あいつもああ見えて、苦労人だからさ」
やはり宮岡部長は、轟木篤子に対しても友愛を抱いている様子である。
ただその顔には、いくぶん寂しげな表情もたたえられていた。
「わたしもあいつぐらいの根性があったら、一緒に夢を見たいところだったけどね。わたしはそんな器じゃないから、バンドは趣味として楽しむつもりだよ」
「そりゃあ音楽でプロを目指すなんて、並大抵の話じゃありませんからね。あたしは常識人の端くれとして、部長さんに共感しますよ」
「そりゃどうも」と、宮岡部長は苦笑した。
「でも、あなたたちだったら、メジャーデビューも夢じゃないんじゃない? 例のイベントの結果についても、もちろんチェックしてるんでしょ?」
和緒を除く三名は、首を傾げることになった。
そんなめぐるたちに、和緒が説明をしてくれる。
「例のイベントってのは、懐かしき『ニュー・ジェネレーション・カップ』のことさ。先月の終わり頃に全国大会が開催されて、クラヴィアさんが優勝したんだよ」
「えーっ! クラヴィアって、あの小学生ピアニスト? あんなちっちゃい子が、全国大会でも優勝したっての?」
めぐるも町田アンナに負けないほどの驚きに打たれることになった。
『ニュー・ジェネレーション・カップ』というのは、『KAMERIA』が初めてのステージを披露したライブイベントであり――小学生ピアニストのクラヴィアなる少女が優勝し、『KAMERIA』は審査員特別賞をいただく結果となったのだ。
「あの子は全国大会で優勝したあげく、そのままメジャーデビューまで決まったんだよ。まあ、あの子はもともと動画チャンネルの人気者だったから、そのネームバリューも後押しになったんだろうけどさ」
そのように語りながら、宮岡部長はいくぶん表情を引き締めた。
「でも、わたしは『KAMERIA』のほうが魅力的だと思ったし……それ以降も、あなたたちはぐんぐん成長してるからね。潜在能力は、まだ小学生のあの子以上だと思ってるよ。それならプロでも、十分通用するんじゃない?」
「ほほう。ずいぶんけしかけてくれますね」
「あはは。あんまり無責任な発言は控えるべきかな? でもわたしは、本心からそう思ってるよ」
宮岡部長はすぐさま真剣な表情を引っ込めて、また大人っぽく微笑んだ。
「それにわたしは凡人中の凡人だから、プロに相応しい人たちが眩しくてならないんだよ。正直言って、あの小学生には何も感じないけど……あなたたちや篤子なんかが別次元の人間だってことは、痛いほど理解できちゃうのさ」
「でも、世間が求めているのは天才小学生やアイドルバンドなんじゃないですかね」
和緒のクールな物言いに、宮岡部長は「確かに」と笑った。
「実力だけがプロの条件じゃないってのは、わたしも理解してるつもりだよ。でも……あなたたちだったら、素人と玄人の区別なくうならせることができるんじゃないのかな」
「ふむふむ。やっぱり、けしかけるんですね」
「ごめんごめん。凡人のひがみ根性が出ちゃったかな」
宮岡部長はゆったりとした仕草で、前髪をかきあげた。
「まあ、今日は凡人の底力を見せてあげるよ。あなたたちも、期待してるからね。本番は、おたがい頑張ろう」
「ええ。せいぜい目先の楽しさを追求させていただきます」
そうして機材を片付けたのちに部室を出ると、しばらく発言を控えていた町田アンナが「うーん!」とうなり声をあげた。
「まさかあのちびっこが全国大会でも優勝してたなんて、想像もしてなかったなー! しかも、メジャーデビューだって! 和緒はどーして教えてくれなかったのさ?」
「あんたたちだって、興味がないからチェックしてなかったんでしょ? わざわざ話題に出す必要性を感じなかっただけさ」
「むー。まあ確かに驚きはしたけど、ウチらには関係ないか!」
と、町田アンナはすぐに彼女らしい笑顔を取り戻した。
「ウチもめいっぱい上を目指すつもりだけど、あーゆーコンテストにはキョーミないしさ! だから理乃も、あんまり気にしないようにねー!」
その言葉で栗原理乃のほうを振り返っためぐるは、思わず目を丸くすることになった。あの栗原理乃が、苦虫を噛み潰したような面持ちになっていたのである。
「私は別に、何も気にしていないけど……ただやっぱり、複雑な気持ちだよ」
「あはは! 理乃はあのちびっこに負けちゃったのを、すっごく悔しがってたもんねー! 相手がピアニストだったから、余計にフクザツなシンキョーなのかなー?」
そう言って、町田アンナは幼馴染みのほっそりした肩を抱いた。
「でも、今のウチらには関係ないっしょ! 午後には、ひさびさのライブなんだからねー! そっちを楽しむことにシューチューしないとさ!」
「……そうだね」と、栗原理乃は両手で自分の顔を覆った。
めぐるは彼女が泣きだしてしまったのかと思い、慌てふためく。しかし、その白魚のごとき手が下におろされると、そこには気恥ずかしそうな微笑がたたえられていた。
「つい浅ましい対抗心にとらわれてしまいました。他の人たちなんて、関係ありませんよね。……どうか今日のライブも、よろしくお願いします」
「はいはい、こちらこそ」と、和緒はクールに肩をすくめる。
まだ栗原理乃の肩を抱いている町田アンナは、満面の笑みだ。そんなメンバーたちの普段と変わらないたたずまいが、めぐるを大きく力づけてくれた。
(他の人たちなんて、関係ない。わたしはこの四人で頑張れれば、それでいいんだ)
そうしてめぐるたちは気持ちも新たに、今日という日を過ごすことに相成ったのだった。




