-Track 2- 01 次なるイベント
『ジェイズランド』主催の野外フェスをやりとげたのちも、『KAMERIA』のバンド活動は至極順調に進められることになった。
夏休みの期間中、めぐるは週三のペースでアルバイトに励むことにしたので、部室でフルタイムの練習をできるのは週に四回のみとなる。しかし、アルバイトのある日でも午前中の三時間は部室におもむいていたので、授業のある期間に比べれば夢のように楽しい日々であった。
なおかつ、町田家のお泊まり会を経て、『KAMERIA』は新たな課題を獲得することになった。『SanZenon』の楽曲のカバーという、めぐるにとっては目の眩むような課題である。それは果てしなく難解であると同時に、果てしなく楽しかったのだった。
「何が厄介って、やっぱこのテンポ感だよねー! このテンポでこのリズムでこの音数を詰め込むってのは、いくら何でもキビしーからさ! このかっちょよさをキープしながら音数を減らせるようにアレンジしないと!」
この課題の発案者である町田アンナはそのように語っていたし、めぐるもまったくの同意見であった。テンポさえ落とせば完全に再現することも可能であるのかもしれなかったが、そのような真似をしても楽曲の魅力を損なうばかりであるし、そもそもめぐるたちは完全な再現など目指していなかったのだった。
もちろんめぐるも個人的には、ベースラインの完全な再現を目指している。ただし、メンバーの全員で完全な再現を目指すことには、まったく興味を引かれなかった。『SanZenon』の楽曲は『SanZenon』の演奏によって完成されているのだから、それをどれだけ真似ようとも、粗悪な模造品にしかならないはずであった。
よって、『KAMERIA』が目指すべきは『SanZenon』の楽曲を自分たちなりに完成させることである。異なる音色と異なるフレーズで、『SanZenon』の楽曲を新たに組みなおすのだ。『SanZenon』に魅了されためぐるとしては、それはあまりに恐れ多い話であったが――しかしそこには、きわめて背徳的な悦楽がひそんでいたのだった。
「だからめぐるも原曲のフレーズにはこだわらないで、ばんばかアレンジしちゃってよ! 方向性は、今のカンリャクカしたフレーズでばっちりだと思うからさー!」
「は、はい。ただ、フレーズっていうのは周囲に合わせて作るものでしょうから……ゼロの状態からフレーズをアレンジするっていうのは、わたしにはちょっと難しいかもしれません」
「あー、確かにねー! となると、ジューヨーなのはやっぱドラムかー! ドラムのリズムが変わったら、ウチらだってそれに合わせてフレーズを考えられるもんねー!」
「また一番のド素人に重荷を背負わせるつもりかい。こんなことなら、考えなしに賛成するんじゃなかったよ」
そんな具合に、『線路の脇の小さな花』のアレンジ作業は人知れず着々と進められていくことになった。
野外フェスの数日後はもうお盆であったため、そちらの三日間だけは和緒が里帰りで不在であり、学校の部室も使えず、バイト先の物流センターもお休みで、めぐるとしても扇風機だけを頼りにひたすら自室で生音の個人練習に励むしかなかったが、そこから先はもう充足した日々であった。死ぬまでこのような生活が続いたらどれだけ幸福だろうと、めぐるはそんな夢想にひたってしまうぐらいであった。
そしてまた、そんな悦楽の日々も二週間足らずでいったん収束することに相成った。
八月の最終金曜日――その日から、二泊三日のバンド合宿が開始されたのである。
◇
「やあやあ、お待たせぇ。こんな暑い中、ご苦労さぁん」
めぐると和緒が最寄り駅で待ちかまえていると、巨大なワゴン車で登場した浅川亜季がのほほんとした笑顔で呼びかけてきた。
ただし彼女が顔を覗かせているのは助手席で、運転席に陣取っているのはベースのフユだ。今日の彼女はスパイラルパーマの黒髪を首の横でひとつにくくっており、大きなサングラスで目もとを隠していた。
「まずは乗っちゃってくれるかなぁ? 手前のスペースを空けておいたから、荷物はそこに詰め込んじゃってねぇ」
「は、はい。わかりました。あの……きょ、今日から三日間、どうぞよろしくお願いします」
「うんうん。どんな三日間になるのか、楽しみなことだねぇ。さあさあ、それじゃあご遠慮なくどうぞぉ」
浅川亜季の笑顔にうながされて、めぐると和緒は巨大なワゴン車に乗り込んだ。
車内にはフユ自身と同じくお香のような香りがたちこめており、管楽器を主体にした音楽が小さなボリュームで流されている。そのどちらもが、めぐるの緊張をわずかに解きほぐしてくれた。
また、こちらの車は町田家のワゴン車よりもさらに巨大で、その気になれば十名でも乗車できるサイズであろう。しかし、三列目と四列目のシートが倒されて、どっさりと荷物が詰め込まれているのだ。浅川亜季の言う通り、手前のスペースがわずかばかり空けられていたものの、そこに大事なベースを押し込む気持ちにはなれなかった。
「あ、あの、ギグバッグだけは自分で抱えていてもいいですか……?」
「あははぁ。ちょっとばっかりスペースが足りなかったかなぁ? 心配だったら、ご自由にどうぞぉ」
「ど、どうもすみません」
手荷物のリュックだけは空いたスペースに置かせていただき、めぐるは座席でギグバッグを抱え込んだ。同じく大きなスポーツバッグとスティックケースを手放した和緒も、めぐるの隣に腰を落ち着ける。
「本当に、予想以上の大荷物ですね。バンド合宿ってのは、こんなに機材が必要になるわけですか」
「そうだねぇ。人数が増えた分、荷物がかさんだって面もあるんだけどさぁ。フユのやつがやたらと気張るもんだから、こんな有り様になっちゃったんだよぉ。きっと、めぐるっちにいいとこ見せたいんだろうねぇ」
「やかましいよ。出発するから、さっさとシートベルトをしめな」
フユの冷然たる声音に首をすくめつつ、めぐるはその指示に従った。それと同時に、メッセージの受信音があちこちで鳴り響く。
「お、ハルからメッセージだぁ。あっちも無事に合流できたみたいだねぇ」
またアプリのグループ機能というやつで、同時にメッセージが受信されたのだ。和緒のスマホの画面には、『アンナちゃんたちと合流できたよー! そっちも安全運転でね!』と表示されていた。
「別荘までは、有料道路をかっとばして一時間ていどだからさぁ。ハルたちとは、現地のスーパーで合流ねぇ」
「は、はい。どうぞよろしくお願いします」
ワゴン車は、驚くほどのなめらかさで発進される。これだけの大荷物をものともしないエンジンが搭載されているのだろう。それを易々と運転するフユもまた、力強く思えてならなかった。
「こちらの車も、フユさんの持ち物なんですか? 失礼な物言いだったらお詫びしますけど、ずいぶん資産家なんですね」
物怖じという概念を持たない和緒がそのように言いたてると、フユではなく浅川亜季が笑いを含んだ声を返してくる。
「フユのママさんって、ベンチャー企業の社長さんでさぁ。フユも非常勤の社員なんだよぉ。で、お給料もがっぽりだから、あたしらもこうして恩恵にあずかってるわけさぁ」
「へえ、すごいですね。ちなみに、どういった系統の会社なんですか?」
「さあ? なんか、エレクトロニクスな感じだったと思うけど、けっきょくナニ系の会社なんだっけぇ?」
「やかましいね。私の家がどんな業務で荒稼ぎしていようと、あんたたちには関係ないでしょ」
フユはやっぱり、本日も不機嫌で不愛想だ。しかし、浅川亜季ののほほんとした雰囲気に相殺されて、居心地が悪いことはまったくなかった。
「それにしても、ずいぶんひさびさの再会になっちゃったねぇ。めぐるっちも、ご家族のみなさんに緊急連絡先を渡してくれたかなぁ?」
「あ、は、はい。かずちゃんに教えてもらった電話番号を伝えておきました」
といっても、めぐるは手書きのメモを母屋のポストに投函したのみである。学校関係の書類などで祖父母のサインやハンコが必要な際などでも、めぐるはそのように取り計らっているのだ。おかげさまで、めぐると祖父母は年単位で顔をあわせないまま平穏な日々を過ごせているわけであった。
「そ、それであの、フユさんにお聞きしたいことがあるのですけれど……」
めぐるがそのように言葉を重ねると、「あん?」という不機嫌そうな声が返されてくる。めぐるは尻込みしそうになる自分を叱咤して、さらに言いつのった。
「か、かずちゃんに連絡先を教えてもらったときに、フユさんやハルさんの本名を知ることができたので……今後は布由井さんとお呼びしたほうがいいでしょうか?」
フユの本名は、布由井照美。ハルの本名は、中野晴佳。出会って四ヶ月ばかりも経過して、めぐるはついに彼女たちの本名を知るに至ったのである。
が、フユの声は不機嫌さを増すばかりであった。
「なんだよ、そりゃ。そんなもん、あんたの好きにすりゃいいでしょうよ」
「そ、そうですか。わたしとしては、フユさんっていう呼び方に慣れてしまったのですけれど……ただ、浅川さんのことは浅川さんって呼んでいますし……同じバンドの方々に対しては、呼び方を統一したほうがいいのかなと思って……」
「あははぁ。だったら、あたしのことをアキって呼べばいいんじゃない?」
「そ、それも考えたのですけれど……で、でも、今さら呼び方を変えるのは不自然かなと思って……で、でも、浅川さんによそよそしいと思われるのも心苦しいのですけれど……」
「あたしも別に、好きに呼んでもらってかまわないよぉ。ひとりだけ苗字呼びってのも、なんか特別感があって悪い気分じゃないからさぁ。それよりも、フユやハルの呼び方を変えるほうが、よそよそしく感じられちゃうんじゃないかなぁ」
「そ、そうですか……そ、それじゃあみなさん、これまで通りの呼び方で……かまわないでしょうか……?」
「だから、あんたの好きにしろって言ってるでしょうよ」
優美な手つきで力強く運転しながら、フユはぶっきらぼうに言い捨てる。
めぐるはたいそう恐縮しながら、後部座席で「あ、ありがとうございます」と頭を下げることになった。
「あ、そ、それじゃあもうひとつ、フユさんにお伝えしておきたいことがあるのですけれど……」
「……なんであんたは喋るたんびに、余計な前置きをひっつけるのさ?」
「ど、どうもすみません。……あ、あの、フユさんの演奏を間近に拝見できるのは、すごく嬉しいです。合宿中は、あれこれ余計な質問をしちゃうかもしれませんけど……そのときは、ごめんなさい」
「……謝るぐらいなら、最初から口をつぐんでおけばいいんじゃないの?」
「そ、それはそうなんですけど……わたし、舞い上がるとついつい口が止まらなくなってしまうもので……」
「あははぁ。なかなか熱烈なラブコールだねぇ。こんなことなら、あたしもベーシストを志すべきだったかなぁ」
フユが口をつぐんでしまうと、浅川亜季がすぐさま声をあげてくれる。
「だけどまあ、今日のところはアンナっちとギター談義を楽しませてもらうかぁ。和緒っちも、遠慮なくハルと語らってねぇ」
「はあ。ド素人の身としては、何を語ればいいのかも判断がつかないんですけどね」
「そこのところは、ハルがうまいことリードしてくれるさぁ。今さら言うまでもないけど、ハルはブイハチきっての良識派だからねぇ」
きっとあちらの車では、町田アンナとハルが盛り上がっていることだろう。こちらはめぐるたちと浅川亜季がご近所であったため、こうしてご一緒することになったわけだが――めぐるとしても、不満を抱くいわれはなかった。
そうして四名を乗せたワゴン車は、どんどんめぐるの知らない道に突き進んでいく。夏の日差しに照りつけられた風景がびゅんびゅんと過ぎ去っていくさまが、何だかとても爽快で――そんな気分に背中を押されたのか、めぐるはまた自分から口を開いてしまった。
「あ、あの、今さらですけど、野外フェスはお疲れ様でした。あの日もみなさんの演奏は、すごく格好よかったです」
「うんうん。めぐるっちにそう言ってもらえるのは、心強い限りだねぇ。何せめぐるっちは、あたしらを迷走状態から救ってくれた救世主だからさぁ」
「と、とんでもありません。わたしなんて、本当にただの初心者ですので……」
「……あんたはこれで、どれぐらいのキャリアになったのさ?」
と、今度は運転席のフユが口をはさんでくる。
それに答えたのは、和緒であった。
「このプレーリードッグがベースを買ったのは四月の半ばなんで、ついに四ヶ月を突破しましたね。まあ、あたしはキャリア二十ヶ月ぐらいに見なしてますけど」
「あははぁ。めぐるっちはその期間、毎日十時間以上練習してるのかなぁ?」
「夏休みでバイトのない日は、一日十七、八時間だそうですよ。怠け者のあたしなんかは倍々ゲームで引き離されて、永遠に追いつけないという寸法です」
「なるほどねぇ。それは確かに、驚異的な練習量だなぁ。あたしも丸一日ギターに没頭する日ってのは、なくもないけど……そんなのは、たまにの話だしねぇ」
シートの隙間からこちらを覗き込みつつ、浅川亜季はにんまりと微笑んだ。
「でも、練習量イコールキャリアってことにはならないかもねぇ。一日に二時間練習して二十ヶ月と、一日に十時間練習して四ヶ月ってのは、やっぱり内容が違ってくるだろうからさぁ」
「そうですか。寝だめができないっていうのと同じような理屈ですかね」
「いやぁ、あたしが言ってるのは逆の話だよぉ。一日に十時間以上も練習だなんて、普通は集中力が続かないだろうからさぁ。それだけの集中力で練習してたら、普通よりもいっそう血肉になるかもしれないねぇ」
「そうしたら、あたしはますます引き離される一方ですね」
姿勢よくシートに座した和緒は、気安く肩をすくめる。
その姿に、浅川亜季は咽喉を鳴らして笑った。
「和緒っち、なんだか鼻高々だねぇ。やっぱり大切なオトモダチがほめられるのは嬉しいのかなぁ?」
「このプレーリードッグは確かに数少ないマイフレンドのひとりですけど、それは浅川さんの勘違いだと思いますよ」
「あははぁ。出発早々に嫌われたくないから、そういうことにしておこっかぁ。まあ何にせよ、めぐるっちはキャリア二十ヶ月でもきかないポテンシャルを発揮してると思うよぉ。もちろんそれにくらいついてる和緒っちたちも、大したもんだけど……まだまだ成長の余地はあるだろうねぇ」
「そりゃあそうでしょう。こちとら、まごうことなき初心者ですから」
「いやいや。めぐるっちや理乃っちはもちろん、和緒っちやアンナっちにもバケモノの片鱗を感じるんだよねぇ。だからこうして、みんなを合宿にお誘いしたのさぁ」
そんな風に言いながら、浅川亜季は目を細めて笑った。
そうすると、年老いた猫のようにふにゃんとした笑顔になる。めぐるは、その笑顔がとりわけ魅力的だと感じていた。
「この三日間でみんながどれだけ成長するか楽しみだし、あたしらも存分に刺激を頂戴するつもりだよぉ。あらためて、この三日間よろしくねぇ」




