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07 セカンドステージ

『こんな暑い中、お疲れさまー! ウチらは「KAMERIA」でーす!』


 町田アンナがギターをかき鳴らしながら、そのように挨拶をする。前回のライブの教訓から、彼女は自分のもとにもMC用のマイクを立ててもらっていた。


 この前置きの時間にも一緒に音を出してほしいと言われていたので、めぐるはクリーンの音色でAの音を鳴らし、和緒は調子を確かめるようにスネアを連打する。ただひとり、リィ様の姿をした栗原理乃は先刻のジェイ店長と同じく棒立ちだ。


『たぶん、ウチらを知ってるのは身内だけだよねー! ウチらは先月、初めてのライブをやったばかりだからさー! こんな新米バンドを参加させてくれて、どうもありがとうございまーす!』


 ベンチシートの最下段のど真ん中では、ジェイ店長が寝釈迦の体勢で缶ビールをあおっている。町田アンナの言葉を受けて、その細長い腕が頭上にビール缶を掲げた。


『じゃ、前置きはここまでねー! 最初の曲は、「小さな窓」でーす!』


 町田アンナはギターの音を長くのばして、マイクから遠ざかる。

 めぐるは頭の中でメトロノームを鳴らしつつ、最後にもういっぺん客席を見回した。


 ステージ正面の空き地には、見知った十名が立ち並んでいる。フユと宮岡部長を除く全員が笑顔であり、町田アンナの妹たちは曲が始まる前から身を揺すっていた。

 ベンチシートのジェイ店長は寝そべったままで、その左右には『ヒトミゴクウ』のメンバーが居並んでいる。あとは名前も素性も知らない人々が、座席にちらほらと散っているのみであり――やはり、閑散とした様相だ。


 しかしそれでも、めぐるが物寂しく思うことはない。めぐるはまだまだライブの何たるかもわきまえていないし、見知らぬ人間の前で演奏をする気後れも払拭しきれていなかったので、見物人などは少ないほうがリラックスできるぐらいであった。


 そんなめぐるがこの場に立っているのは、気後れよりも大きな期待を抱いているためとなる。

 ライブをやれば、バンド活動がもっと楽しくなる――浅川亜季のそんな言葉が、めぐるの心を今もなおしっかりと呪縛しているのだった。


(……まあ、わたしはこの四人で演奏できるだけで、十分に楽しいんだけどね)


 潮の香りをふくんだ夏の風が、おさげにくくっためぐるの髪をふわりとなびかせていく。

 その心地好さにひとつ息をついてから、めぐるは手もとの指板に目を落とし、右手首を小さく振りかぶった。


 エフェクターのペダルをオンにするのと同時に、右手の親指を4弦に叩きつける。

 歪んだサウンドのスラップ奏法による、『小さな窓』のリフだ。ひらけた場所で、音が拡散してしまうため、どうしても普段の重々しさを再現することはできなかったが――その代わりに、町田アンナの考案した迫力のあるフレーズが、とてものびやかに吹きわたっていくように感じられた。


 リフの二回し目でギターとドラムの音色が重ねられると、めぐるの心はぐんぐん満たされていく。

 やはりモニターに頼る比率が上がっている分、音の感触は異なっていたものの、そこにはしっかりと奏者の脈動が感じられた。躍動感の権化である町田アンナのギターサウンドと、正確で力強い和緒のドラムサウンドは、普段と変わりなくめぐるを昂揚させてくれた。


 そしてそこに、栗原理乃の歌声もかぶせられる。

 めぐるはいささかならず栗原理乃の体調が心配であったのだが、その歌声もまた普段通りの迫力を保持していた。機械のようになめらかで、それでいて妙に生々しい、彼女ならではの歌声だ。そちらはモニターチェックもしていなかったが、めぐるたちの演奏にいっさい負けることなく、頭と心に深々と突き刺さってきた。


 ここまで至れば、めぐるももう悦楽の境地である。

 前回のライブから九日しか経過していないが、九日分は成長している。『KAMERIA』はまだまだ未熟であり、『SanZenon』にも『V8チェンソー』にも遠く及びのつかない存在であったが、裏を返せばそれだけ成長の余地が残されているはずであった。そうだからこそ、めぐるたちは飽きることなく練習に没頭できるのではないかと思われた。


『KAMERIA』で演奏するのは、とても心地好い。しかし、その心地好さは一定ではなかった。めぐるたちは機械ではないので、演奏をするたびにどこかしらでニュアンスが変わったりもするのだ。練習に疲れればミスもするし、その疲れを乗り越えると音が冴えわたったりもするし――そういう変化もランダムで、確固たる法則性は存在しなかった。


 今この瞬間のコンディションも、決してベストではないだろう。栗原理乃は車酔いに悩まされていたし、そうでなくてもまだ起床してから二時間と少しという時間帯であったし、音響の環境も普段とまったく異なっているし、人前の演奏で気が昂っている面もあるだろうし――プラスよりはマイナスの要因のほうが、よほど多いはずであった。


 ただ、演奏が楽しいという事実に変わりはない。そして、めぐるたちにできるのは、この環境で最善を尽くすことのみであった。

 演奏をするたびに内容が変わってしまうというのなら、今この瞬間の演奏を観てもらうしかない。十分間という短い時間で、かなう限りの力を尽くすしかなかった。


(もっともっと練習すれば、もっともっと上手になれるだろうけど……今はこれが、わたしたちの精一杯なんだ)


 めぐるはとても澄みわたった気持ちで、そんな風に考えることができた。

 その間も、めぐるの指は凶悪な音を奏でている。町田アンナのギターサウンドはオレンジ色の火花のように弾け散り、和緒のドラムは確かなリズムでめぐるたちを支えてくれた。そしてその上で、アイスブルーの稲妻めいた歌声が世界を八つ裂きにしていた。


 今日はおかしな浮遊感も生まれない。やっぱりあれは、寝不足から生じる不調の表れであったのだろう。

 その代わりに、めぐるはどっしりと両足を踏まえながら、心地好い音の奔流にひたることができた。そこに野外の熱気と潮風まで入り乱れるのが、とても不思議な心地であった。


 あっという間に四分ていどの時間が過ぎ去って、『小さな窓』は収束に向かっていく。

 めぐるは和緒のリズムに支えられながらベースの弦を乱打して、町田アンナは自由奔放にギターをかき鳴らした。そうして栗原理乃が機械人形の断末魔めいたシャウトをあげると、いつも通りにめぐるの背筋が粟立った。


 楽曲は終了して、和緒のフィルに従って最後のA音を打ち鳴らす。

 そうして演奏の音色が途絶えると、拍手や歓声が巻き起こった。目の前にいる十人の祝福だ。ただ、ベンチシートに点在している人々もあちこちで手を打ち鳴らしているようであった。


『どうもありがとー! 野外フェスって初めてだったけど、やっぱ気持ちいいもんだねー!』


 町田アンナが元気な声で言いながら、耳を頼りにチューニングをした。彼女は荒っぽいプレイスタイルであるため、たった一曲でもチューニングが狂ってしまいがちであるのだ。めぐるもエフェクターと一緒に繋いだチューナーで確認してみると、2弦がわずかに狂っていた。スラップのプリングの影響か、めぐるのベースも1弦や2弦の音が狂うことが多いのだった。


 チューニングを終えためぐるは、あらためて客席に向きなおる。

 すでに拍手はやんでいたが、二人の妹たちは熱情を持て余した様子でぴょんぴょんと跳ねている。その子犬のように愛くるしい姿が、めぐるを温かい気持ちにしてくれた。


『それじゃあ名残惜しいけど、次が最後の曲だねー! みんな、準備はいいかなー?』


 町田アンナが、メンバーを見回してくる。めぐるは慌てて頭を下げ、和緒は小さくスネアを鳴らし、栗原理乃は直立不動だ。町田アンナは不敵に笑ってから、またマイクに向きなおった。


『次の曲は、「転がる少女のように」!』


 言いざまに、町田アンナはイントロのフレーズをかき鳴らした。

 テンポ180の、疾走感にあふれたフレーズだ。和緒がスネアを連打して、めぐるはエフェクターを切った音で追いかけた。


 たとえ日陰でも熱気が渦巻いているため、汗が頬にまで滴ってくる。ステージ衣装のTシャツはすでに汗だくで、背中にべったりと張りついてくる感触が不愉快きわまりなかった。

 しかし、そんな不快感を帳消しにするサウンドが、五体を包み込んでくる。普段以上に睡眠を取った恩恵か、美味しい朝食でカロリーを補給した恩恵か、めぐるはいっさい疲れを感じていなかった。そうすると、左手の指先が普段よりも元気に跳ね回り、イントロのフレーズを思うさまうねらせてくれた。


 そこに、栗原理乃の歌声が重ねられる。

 その瞬間、わずかばかりの違和感が生じた。

 機械のように正確な栗原理乃の歌声が、ほんの少しだけ乱れを見せている。普段であればなめらかに移行する音階が、力ずくで動かされているような印象であった。


 そうして曲が進むにつれて、その違和感が増大していく。

 もとより栗原理乃の歌声というのはデジタル機器でプログラミングされているような正確さと緻密さでありながら、時おり限界を超えて引きつったりかすれたりする。それこそが人間らしい生々しさを垣間見せて、彼女の歌声をいっそう魅力的に彩るのだが――その限界を超える割合というのが、明らかに増していたのだった。


 彼女の歌声はヒステリックなバイオリンにも似ているが、その弦が千切れてしまいそうな危うさが漂っている。

 しかし、また――それでもなお、彼女の歌声の正確さは損なわれていなかった。声をかすらせ、引きつらせながら、ただ音程だけは正確であった。それで生々しさが倍増し、めぐるに新たな衝撃をもたらした。


 今にも壊れてしまいそうな危うさが、鬼気迫る迫力を生み出しているのだ。

 めぐるの内に生じた違和感は、すぐさま熱情の養分に変質した。栗原理乃の身を案じながら、めぐるは目眩を起こしそうなぐらい楽しかった。


(栗原さん! 大失敗しちゃってもいいから、最後まで頑張ってください!)


 めぐるは指板から目を離すことも、演奏の手を止めることもできない。よって、心中でエールを送るしかなかった。

 まるで、安全ベルトを装着しないままジェットコースターに乗っているようなスリルである。その緊張感が、めぐるに新たな悦楽をもたらしたようであった。


 そんな危うさの中で中盤に差し掛かると、町田アンナのギターソロが開始される。そちらはまったくいつも通りの躍動感と迫力だ。和緒のドラムも、揺るぎなく力強いリズムを刻んでいた。


 そうして、最後のBメロに差し掛かると――思いも寄らないことが起きた。

 町田アンナの歌声が響きわたったのだ。


 栗原理乃が歌う力を失ってしまったのかと、めぐるは慄然としてしまう。

 しかしそれでも、演奏の手を止めることはできなかった。町田アンナと和緒が演奏を続けている限り、めぐるだけ離脱することはできないのだ。


 町田アンナはギターのフレーズを簡略化して、声も高らかに歌いあげている。もとよりこちらは彼女の作りあげたメロディであるし、最初の日には彼女自身が歌っていたのだ。そして彼女は、無邪気で乱暴な幼子を思わせる、実に魅力的な歌声を有していたのだった。


 これはこれで、決して悪い出来栄えではない。栗原理乃の歌声とはあまりに対極的であるため、そのギャップが胸を躍らせる効果を生んでいた。

 ただ、このまま町田アンナの歌声で終わってしまうというのは、あまりに物寂しい話である。『KAMERIA』のヴォーカルは、あくまでリィ様こと栗原理乃であるのだ。


 そうしてめぐるが歯を食いしばりながら、サビのフレーズに移行すると――そこに、アイスブルーの稲妻めいた歌声がかぶさってきた。

 栗原理乃が、復活したのだ。

 しかも、そのメロディラインが変化していた。ただでさえ高いキーであるメロディがさらに高みへと舞い上がり、町田アンナの歌声とハーモニーを奏でたのだ。


 その歌声は最初から最後まで限界を超えており、機械人形の悲鳴じみた質感になってしまっている。しかし、町田アンナの元気な歌声が、それをしっかりと支えていた。文字通り、オレンジとアイスブルーの閃光が複雑にもつれあっているかのようであった。


 それで新たな力を得ためぐるは、おもいきり指先を走らせる。

 ハイ・フレットまでスライドさせて、ビブラートで音を震わせると、普段以上に音色をうねらせることができた。


 軌跡のようなサビが終了して、町田アンナはアウトロのフレーズをかき鳴らす。

 本来であれば、栗原理乃がシャウトを響かせる場面であるが――そちらはかすれたうめき声を振り絞るばかりだ。しかしその瀕死の機械人形めいた声音は、めぐるを昂揚させてやまなかった。


 そうして楽曲は終了し、和緒がスネアを乱打する。それに合わせて、めぐるも町田アンナとともにC音のパワーコードをかき鳴らした。


『どうもありがとー! 「KAMERIA」でしたー!』


 もはや左手を動かす必要はなくなったので、めぐるは右手だけを動かしながら、ステージの上に視線を巡らせる。

 栗原理乃は、ステージの中央でへたりこんでいた。町田アンナはモニターに片足をかけてギターをかき鳴らしており、和緒はポーカーフェイスでスネアを叩いている。


 栗原理乃はぐったりしていたが、意識までは失っていないようだ。

 その姿に安堵の息をつきながら、めぐるは最後の瞬間を待った。


 和緒がタムのほうにスティックを回して、少しずつ連打のテンポをゆるめていく。町田アンナが驚くほどの高さに跳躍し、それが着地するタイミングで、締めのC音がステージを終了させた。


 再び巻き起こった拍手と歓声を聞きながら、めぐるは大きく息をつく。

 今回は、演奏中に思わぬアクシデントが起きてしまったが――めぐるはようやく正気を保ったまま、ライブの終了する瞬間を見届けることがかなったのだった。

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