06 セッティング
イベント開始の十分前に至ると、ようやく機材の搬入の許可が下りた。
搬入する先は、ステージの裏側である。そこにはそれなりの広さを持つ待機スペースが設えられていたが、複数のバンドが楽器を持ち込むとすぐに手狭になってしまった。
「出順の直前までは、こちらにたまらないようにしてください! あと、出番が終わったらすみやかに機材を搬出してくださいね!」
ライブハウスのスタッフと思しき若者が、大汗をかきながら声を張り上げている。それを拝聴するめぐるたちも、屋外での歓談ですっかり汗をかいてしまっていた。なおかつ、こちらの待機スペースにも冷房器具の準備はなかったため、うだるような暑さである。
「うわー、たまんないね、こりゃ! でも、暑くないと夏じゃないもんねー!」
「見上げたポジティブシンキングだね。今日はあたしが倒れる番かな」
和緒は壁にもたれて座り込んでおり、めぐるはその隣でベースを爪弾いている。町田アンナはギターをかき鳴らしながらあちこち歩き回り、栗原理乃は壁に向かって直立不動だ。場所は変われど、前回のライブとさほど変わらないたたずまいであった。
そんな状態でしばらく過ごしていると、ステージのほうから爆音が響きわたってくる。セッティングを終えたトップバッターのバンドが、演奏を開始したのだ。
この待機スペースはステージの真裏であり、現在は左右の出入り口もドアが開放されている。アンプやスピーカーは客席のほうに向けられているのであろうが、こちらでもけっこうな音圧で演奏を聴くことができた。
「ギターの音は、けっこー好きな感じかも! ノゾキ見させてもらおーっと!」
町田アンナはギターを担いだまま、ひょこひょこと出入り口のほうに近づいていく。和緒が腰を上げたため、めぐるもそれに追従することになった。
ベースのヘッドが顔を出してしまわないように気をつけながら、めぐるがそっとステージの様子を盗み見ると――それぞれ楽器をかき鳴らすギタリストとベーシストにはさまれて、ジェイ店長が棒立ちになっていた。彼女は、ヴォーカリストであったのだ。
演奏は、至極シンプルな8ビートの楽曲である。ただし町田アンナの言う通り、楽器の音色が魅力的であった。激しく歪んだギターも、ピック弾きで輪郭が強調されたベースも、疾走感にあふれた力強いドラムも、それぞれがうねりをあげて大いなる奔流を生み出していた。
そうして荒々しいイントロが終了すると、ジェイ店長が棒立ちのまま英語の歌声を振り絞った。
まるでエフェクターでもかけているように、声が歪んでいる。その骨ばった体格からは想像もつかないような、雄々しい迫力に満ちた歌声であった。
「あー、コレって70年代のUKパンクだねー! 一周まわって、新鮮かも!」
町田アンナは弾んだ声音で、そのように評していた。
音楽のジャンルには疎いめぐるであるが、とにかくシンプルで勇ましい楽曲である。小手先のテクニックなど不要とばかりに、ひたすら勢いを追求するような様相であり――その迫力が、めぐるの胸を躍らせた。
(ベースのフレーズなんかは、わたしでも弾けそうなぐらいシンプルだけど……でも、こんな迫力は出せそうにないや)
ピック弾きで織り成されるビート感が、とても心地好い。なおかつこちらのベーシストはベースのボディが膝にぶつかるぐらい低く構えており、ダウンピッキングのみで演奏しているようだ。ピック弾きの経験がないめぐるでも、それが腕力に裏打ちされた奏法であることは察せられた。ただし決して力まかせではなく、その身に備わったパワーを正しく演奏に叩きつけているのだ。
(スラップのサムピングだけで連打したら、こういう迫力を出せるのかな……今度、試しにやってみよう)
めぐるがそんな風に考えている間に、わずか三分ていどであっさりと一曲目が終了してしまった。
すると、短い髪を金色に染めたギタリストがコーラスマイクで語り始める。
『稲見野外フェス、開幕です! みなさん、体調管理にはくれぐれも気をつけながら、最後まで盛り上げていきましょう!』
見た目はずいぶんな強面であったが、なかなかの礼儀正しさである。
しかし、その直後にかき鳴らされたギターサウンドは、先刻までよりもさらに激しく歪んでいた。
ベースとドラムも、これまで以上の迫力で音をかぶせる。一曲目もたいそうな勢いであったが、二曲目はさらにアップテンポだ。そんな中、ジェイ店長はマイクを抜き取るや、細長い足でマイクスタンドを蹴倒した。
彼女の歌声も、これまで以上の迫力だ。
そこまで見届けたところで、めぐるは頭を引っ込めることにした。
「パンクってのも、なかなか悪くないもんだねー! ひとりで弾いてたらすぐ飽きちゃいそうだけど、あれだけがっちり演奏が噛み合ったら楽しそー!」
「は、はい。わたしもそんな風に感じていました」
一緒に頭を引っ込めた町田アンナと、めぐるは笑顔を交わすことになった。
いっぽう和緒は、すました面持ちでスポーツドリンクを口にする。
「だったら、ああいう曲を作ってくださいな。あたしの苦労も、少しは減りそうだ」
「あはは! 自分の中から、ああいう曲は出てこないかなー! ウチはどーしても、フレーズをわちゃわちゃ動かしたくなっちゃうしねー!」
「わ、わたしは町田さんの作る曲、すごく素敵だと思います」
「お、ありがとー! めぐるも何か思いついたら、バンバンお披露目しちゃってねー! ベースのフレーズから曲を広げるってのも、楽しそーだし!」
こちらがそのように騒いでも、壁と向かい合った栗原理乃は微動だにしない。しかしそれは精神統一の一環であるのだろうから、めぐるたちもうかうかと声をかけることはできなかった。
そうしてまた三分ほどで、『ヒトミゴクウ』の演奏は終了する。ギタリストが別れの挨拶を告げる中、ジェイ店長は両足を引きずるようにして待機スペースに戻ってきた。
「ああ、しんどい……真夏の朝からライブだなんて、正気の沙汰じゃないよねぇ……」
もともと幽霊じみた風貌をしている彼女であるが、この数分間でさらにやつれてしまったかのようだ。その姿に、町田アンナが「あはは!」と笑い声をあげた。
「でも、このイベントはテンチョーさんが主催者なんでしょー? トップバッターだって、自分で選んだんじゃないのー?」
「ああ、そうだよ……正気の沙汰なんて、クソクラエさ……」
ジェイ店長は床に置かれていた保冷ボックスをまさぐって、缶ビールを引っ張りだした。そうしてそれをひと息に飲み干すと、ピアスの光る唇でにたりと笑う。
「それに、しんどければしんどいほど、ビールが美味くなるからねぇ……自給自足でSMプレイを楽しんでるようなもんさ……」
「あはは! コーショーなシュミですねー!」
そんな奇妙な交流が紡がれている中、ベースとドラムを担当していた面々も舞い戻ってきた。ベースはエフェクターを使用していないため、運んでいるのはベース本体と一本のシールドのみだ。
「お待たせしました。ギターは片付けに手間取ってますけど、もう準備に入っちゃって大丈夫ですよ」
こちらのベーシストはスキンヘッドで、筋肉質の上半身を剥き出しにしている。が、やはり礼儀正しいようだ。厳つい顔で柔和な笑みを届けられためぐるは、へどもどしながらステージに向かうことになった。
ステージは日陰だが、前回のライブイベントに負けないぐらい熱気がたちのぼっている。これはもともとの気温に、電子機器の放熱が掛け合わされているのだろう。そしていくばくかは、『ヒトミゴクウ』の残していった熱気も入り混じっているはずであった。
正面の客席は、相変わらず閑散とした様相である。それでも出番の近い出演者が居揃っているので数十名の人数であるはずだが、客席がだだっ広いために物寂しく感じられるのだ。数百名ばかりも収容できるベンチシートにぽつぽつと人が点在しているそのさまは、のどかに見えるほどであった。
そんな光景を視界に収めてから、めぐるはアンプの脇に準備されていたスタンドにベースをたてかける。
そうして他の機材を運ぶためにきびすを返すと、ギグバッグを抱えた和緒が立ちはだかっていた。
「あんたもそろそろ、エフェクターボードとやらを購入するべきなのかもね。そうしたら、機材の持ち運びもセッティングももうちょいスムーズになるだろうさ」
「ど、どうもありがとう。わたしもちょっと、本気で検討してみるよ」
「あいよ」という軽妙な言葉を残して、和緒はドラムセットへと引っ込んでいく。めぐるは内心で感謝の言葉を追加しつつ、ギグバッグの収納ケースから二台のエフェクターを引っ張り出した。
その間に『ヒトミゴクウ』のギタリストも撤収したようで、町田アンナがいち早くギターの音色を響かせる。彼女はめぐるよりエフェクターが少ないぶん準備が手早いし、何よりせっかちな性分であるのだ。
(でも……やっぱり前のライブより、音が遠いや)
ステージが広くてアンプの距離が遠い分、音が遠ざかるのは道理である。ドラムセットもギターアンプも、前回のステージに比べると倍以上も離れているのではないかと思われた。
「あのー、楽器の中音を強めに返してもらえるかなー? 四人全員のモニターにねー!」
エフェクターのセッティングを終えためぐるが身を起こしたところで、町田アンナの声が聞こえてきた。彼女自身も遠い位置にいたが、その声はやたらと響きわたるのだ。
「楽器の音を、強めに返すんですね? 歌はどうしますか?」
「歌はたぶん、必要ないかなー! リィ様の声は、めっちゃヌケるから!」
そんなやりとりを遠くに聞きながら、めぐるはベースアンプと向かい合った。
前回のライブイベントと同じく、冷蔵庫のごとき巨大アンプである。幸いなことに、メーカーも同一だ。そして今回も『DI』という謎の機材がアンプの上に設置されていたため、めぐるはそちらのインプットジャックにシールドを差し込むことになった。
そうして各種のツマミを設定して、いざベースの音を鳴らしてみると――ベースの音までもが小さく聴こえる。本日はまごうことなき吹きっさらしのステージであるため、音が拡散してしまうようだ。それでめぐるはスタジオ練習や前回のライブの際よりも、アンプのボリュームを上げることに相成った。
モニターから返ってくるギターとドラムに合わせてベースの音を鳴らしてみると、いまひとつ物足りない。モニターから返される音はミキサーを経由しているためか、クリアーであるぶん生々しさに欠けるのだ。
「あ、あの、もう少しだけギターとドラムを返してもらえますか……?」
めぐるも勇気を振り絞ってスタッフに呼びかけると、インカムマイクによってその旨が伝えられた。
ギターとドラムの音色が、わずかばかりに音圧を増す。そのわずかな変化が、確かな調和をもたらした。ギターアンプやドラムセットの本体から響くサウンドとは異なる耳ざわりであれども、これだけのボリュームでいただければベースの音色と同列に知覚することができた。
「めぐるー! 歪みの音も出してもらえるー?」
町田アンナの要請に従って、めぐるはエフェクターをオンにした。
すると、そちらの音色も普段といくぶん違って聴こえる。どうにも低音が拡散して、いつもよりも重みが損なわれてしまうようなのだ。めぐるは大慌てでアンプに駆け寄り、ベースを上げたりトレブルを下げたりと四苦八苦することに相成った。
(あ、だけど……クリーンの音には、そんなに不満もないんだった)
そのように思いなおしためぐるはすべてのツマミをもとに戻してから、エフェクターのほうに舞い戻った。
まずは、ラインセレクターのツマミで歪みの音よりも原音の割合を増幅させる。それで削られた歪みの成分を、ビッグマフのツマミで調整することにした。
これまでの知識と経験を総動員させた苦肉の策であったが、さきほどよりは重量感が増したようである。スラップの音色でもそれを確認しためぐるは、ほっと安堵の息をついた。
やはり、環境が変われば音作りも変わるようである。
未熟な初心者であるめぐるには、とうていこの短い時間でベストの音を作りあげることはかなわなかったが――それでも、自分なりの最善を尽くすことはできたようであった。
「オッケーですね? それじゃあ、お願いします」
すべてのスタッフが、待機スペースに消えていく。
あらためて客席に向きなおっためぐるは、そこに見知った面々の姿を見出すことになった。『V8チェンソー』のメンバーと、町田家のご家族と、軽音学部の先輩たち――前回のライブイベントでチケットを購入してくれた十名が、ステージの真ん前の空き地にずらりと立ち並んでいたのだ。
前回のステージでは客席も暗がりであったため、最前列に陣取っていた町田家の妹たちぐらいしか視認することはできなかった。しかし、午前の十時を過ぎたばかりの炎天下では、ひとりひとりの表情もはっきりと見て取れて――その事実が、めぐるの胸をむやみに高鳴らせたのだった。




