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プロローグ 夏の招待状

 遠藤めぐるにとって、十六回目の夏がやってきた。

 ただし、めぐるは夏という季節に特別な思い入れを抱いていない。それどころか、ここ数年の生活で小さからぬ苦手意識を植えつけられるほどであった。


 それは何故かと問うならば――めぐるの暮らす場所には、扇風機しか存在しないためである。それまでエアコンの完備されたマンションで暮らしていためぐるは祖父母の家の離れに転居したことで、扇風機ひとつで過ごす夏の過酷さというものを骨の髄まで思い知らされることになったわけであった。


「去年なんかは、週三ペースであたしの家にお招きすることになったよね。普段は月イチぐらいしか近寄らないくせに、まったく現金なもんだよ」


 めぐるにとって唯一の友人である磯脇和緒は、そんな風に言いたてた。それはまったくその通りであったので、めぐるとしても恐縮するばかりである。ただひとつ言い訳させてもらうならば、めぐるがなるべく和緒の家に押しかけないようにしているのは、彼女の負担にならないように心がけていたためであり――去年の夏は、そんな自制心が揺らぐほどの猛暑であったということであった。


 ともあれ、めぐるは夏という季節に苦手意識を抱くことになった。

 冬は冬で厳しい季節であるが、可能な限り厚着をしてこたつにうずまっていれば、乗り越えられないこともない。一昨年の冬などはインフルエンザで高熱を出すことになってしまったものの、けっきょく寝ているだけで完治させることがかなったため、冬に対する苦手意識が生じるほどのことではなかった。


 しかし、めぐるの暮らす離れはきわめて風抜けが悪かったため、扇風機ひとつでは熱中症や脱水症状に陥る危険があったのだ。そんな事態を回避するために、めぐるは苛烈な日中だけでも和緒の家や図書館やショッピングモールなどを渡り歩くことになったわけであった。


(でも、そう考えたら……わたしがこの高校に合格できたのは、図書館通いで勉強の時間が増えたおかげなのかもな)


 そんな風に考えると、めぐるは少しだけ前向きな気持ちになることができた。和緒と同じ高校に通えるというだけでも大した話であるのに、しかもめぐるはこちらの軽音学部で町田アンナや栗原理乃と巡りあえたわけであるから――それはめぐるの人生にとって、果てしなく大きな分岐点であったはずであるのだ。


 めぐるはここ数ヶ月でいくつかの分岐点に差し掛かり、その末に幸福で満ち足りた生活を獲得することができている。

 ネットカフェで『SanZenon』のライブ映像を目にして、『リペアショップ・ベンジー』でリッケンバッカーのベースを購入して、浅川亜季のすすめで軽音学部に入部して――そして今、めぐるはロックバンド『KAMERIA』の一員として活動しているのだ。めぐるがどれだけ想像力の翼をはためかせても、これほど幸福な行く末というものを他に思い描くことはできなかった。


 そんなめぐるにとって、今回はどのような夏になるのか。

 その方向性が示されたのは、八月の最初の月曜日――『ニュー・ジェネレーション・カップ』というイベントで初のライブを体験してから、わずか二日後のことであった。


                  ◇


 その日もめぐるたちは、部室でバンドの練習に明け暮れていた。

 前日の日曜日は部室を使えない日取りであったため、ライブ後に初めて行うバンド練習となる。それでめぐるは、あらためて悦楽の時間にひたることがかなったのだった。


「よーしよし! ライブが終わっても、みんな気合は抜けてないみたいだねー!」


 ひと通りの楽曲を合奏したのち、町田アンナは大きな声でそのように言いたてた。オレンジ色の髪でオレンジ色のギターをかき鳴らす、いつでも元気いっぱいの町田アンナである。そのそばかすが目立つ白い面には、至極満足げな笑みが浮かべられていた。


「あたしはべつだん、ライブのために活動してたわけじゃないからね。だったら、ライブの前後で心境が変わる理由もありゃしないさ」


 人を食った言葉で応じるのは、めぐるにとって二年来の友人となる和緒である。格好のいいショートヘアーで、すらりとした長身で、王子様のように秀麗な容姿をした和緒は、ぴんと背筋を張ってドラムセットに座している。夏休みに入ってからは誰もが体操着で練習に取り組んでいたが、どのような格好でも和緒の凛々しさが損なわれることはなかった。


「わ、私はライブで自分の不甲斐なさを思い知らされてしまったので……これまで以上に、頑張るつもりです」


 栗原理乃は、そのように語っていた。艶やかな黒髪のロングヘアーで、ぬけるように色が白くて、どこもかしこもほっそりとした、お姫様のような美少女だ。彼女はめぐるに劣らず気弱であったが、そういった決意を表明するときだけは和緒に負けない凛々しさを垣間見せた。


「く、栗原さんが不甲斐ないなんてことは、これっぽっちもありませんでしたよ。それを言ったら、わたしなんてみんなに大迷惑をかけちゃいましたし……」


 めぐるがそのように答えると、町田アンナは「あはは!」と笑いながらボリュームを絞ったギターをかき鳴らした。


「確かにめぐるは最後の最後でぶっ倒れちゃったけど、演奏のほうはパーフェクトだったじゃん! あの日にサイコーの演奏をできたのは、やっぱめぐるのコーセキが大きいんじゃないかなー!」


「そ、そんなことはないですよ。わたしなんて、みんなに支えられてばかりですから……」


「いやいや! バンドサウンドを支えるのはリズム隊だし、上物とドラムの架け橋になるのはベースだからね! どんなバンドでも、ベースがへぼかったら台無しのはずだよー! しかもめぐるは、ギターに負けない勢いで上物の役目も果たしてるわけだしさ!」


「わ、私もそう思います。音を歪ませている『小さな窓』だけじゃなく、『転がる少女のように』でもベースが重要なはずですし……あっ、もちろんドラムだって、同じぐらい重要なんですけど……」


「いちいちあたしに気を使う必要はないよ。生活のすべてを練習に注ぎ込んでる暴走プレーリードッグに張り合うつもりはないからさ」


 和緒が肩をすくめながらそのように答えたとき、軽やかな電子音が響きわたった。

 スマホのメッセージの受信音である。しかもそれが、三重奏になっていた。


「わっ、ブイハチのハルちゃんだー! こんな朝っぱらから、どうしたんだろ!」


 真っ先にスマホを取りあげた町田アンナが、そのように言いたてる。和緒と栗原理乃も、それぞれ小首を傾げていた。めぐるを除く三名は、スマホのメッセージアプリで『V8チェンソー』のメンバーとグループを形成しているという話であったのだ。そちらのアプリの機能で、三名が同時にメッセージを受信したようであった。


「む? むむむ? えーっ、マジで!? すげーすげー! こんなの、オッケーに決まってるじゃん!」


「いやいや、早まらないでよ。こんなの、即答できる話じゃないでしょ。間違っても、フライングで返信しないでよ?」


「で、でも、これは本当にすごいお誘いですね。こんなにお世話をかけてしまって、本当に大丈夫なのでしょうか……?」


 町田アンナは発奮し、和緒は嘆息をこぼし、栗原理乃はおろおろとしている。そしてめぐるは、ひとりできょとんとすることになった。


「えーと……ハルさんが、いったいどうしたんですか? 何か困ったご提案でも?」


「あー、めぐるはスマホを持ってないんだっけ! ブイハチのおねーさまがたが、すっげープレゼントを準備してくれたんだよー!」


「すごいプレゼント……?」


「うん! 野外フェスとバンド合宿のお誘いだってー! わー、今からワクワクしてきちゃったなー!」


 町田アンナは興奮のあまり、さっぱり要領を得ない。

 それでめぐるが和緒のほうを振り返ると、そちらにはクールな仏頂面が待ちかまえていた。


「頼むから、あんたまで暴走しないでよ? ……なんか、ライブハウスの主催で野外フェスが開催されるから、それに出てみないかってお誘いされちゃったのさ」


「えっ! つ、つまり、また『KAMERIA』でライブをやれるってこと?」


「だから、尻尾を振りたてるなっての。……バンド合宿ってのは、また別の話だよ。ベースのフユさんとやらが房総に別荘を持ってるんで、ブイハチのお姉さまがたはちょいちょい合宿をしてるんだとさ。それで恐れ多いことに、あたしら四人も一緒にどうかってお誘いされちゃったわけだね」


 そちらの話は、めぐるもあまりピンとこなかった。

 が、町田アンナはオレンジ色の髪をたてがみのように揺らしながら、浮かれに浮かれきっている。


「くわしい話はよくわかんないけど、ブイハチのメンバーと一緒に練習できたら、楽しいに決まってるじゃん! どっちの話も、速攻でオッケーっしょ!」


「そ、そんな簡単に決めちゃっていいのかなぁ? 野外フェスっていうのは一週間後だし、バンド合宿っていうのは泊まりがけみたいだし……もっと慎重に話し合ってから、結論を出すべきじゃない……?」


「えー? 理乃は反対ってことー?」


「う、ううん……できれば私も、参加させてほしいところだけど……」


 栗原理乃が可愛らしくもじもじすると、和緒がまた嘆息をこぼした。


「野外フェスってのはまだしも、バンド合宿のほうもオッケーってこと? 栗原さんの家は、親が厳しいって話じゃなかったっけ?」


「は、はい。でも私はピアノをやめた時点で、両親に見切りをつけられているので……学校の成績とかそういう話以外では、あまり干渉されないんです」


「そんなヘヴィな話をさらっと聞かされると、挨拶に困っちゃうかな」


「ご、ごめんなさい! ……と、とにかく私は今でもしょっちゅうアンナちゃんの家に泊まらせてもらったりしているので、特に問題はないかと思います」


 そんな風に応じてから、栗原理乃はとても心配そうに和緒とめぐるの姿を見比べてきた。


「で、でも、普通は泊まりがけの旅行なんて、そう簡単に許される話ではありませんよね。やっぱり磯脇さんや遠藤さんは……難しいでしょうか?」


「……あたしとこのプレーリードッグの数少ない共通点は、家が放任主義だってことなんだよね」


 和緒が溜息まじりに答えると、町田アンナは「やったー!」と両腕を振り上げた。


「だったら、全然オッケーじゃん! それじゃー、アレだね! 野外フェスの前日は、ウチの家でお泊まり会ってことにしよー!」


「待った待った。なんで余計に話をややこしくするのさ?」


「だってさー! ブイハチのおねーさまがたはみんな大好きだけど、初めてのお泊まり会はメンバーだけで体験しておきたいじゃん! それに、うちに泊まったら会場までは車を出してもらえると思うよー! この会場って、電車で向かうにはちょっとばっかり交通の便が悪いだろうしねー!」


 町田アンナは激情を持て余した様子で、ギターのボリュームを全開にする。そうして雷鳴のごときギターサウンドが鳴り響いたため、それ以上の会話もままならなくなってしまった。


 ともあれ――めぐるたちが四人で迎える初めての夏は、この日に大きな分岐点を迎えることに相成ったわけであった。

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