-Track5- 01 覚悟と命名
「私……ライブをしてみたいです」
栗原理乃がそのように言い出したのは、週が明けて月曜日のことであった。
場所は、軽音学部の部室である。ただし放課後ではなく昼休みで、めぐると和緒は栗原理乃と町田アンナの両名に呼び出されて、それぞれ昼食を手に馳せ参じたのだった。
「……いま何か尋常でなく素っ頓狂な言葉が聞こえたみたいだけど、これはあたしだけに聞こえる幻聴であるということにしておこう」
ハムとレタスのサンドイッチをかじりながら、和緒は素っ気なく言い捨てる。
気の毒な栗原理乃は白い面を真っ赤に染めながら、めげずに言葉を重ねた。
「お、一昨日のライブから帰った後、私はずっと考えていたんです。顔を隠して他人になりきれば、私でもステージに立てるんじゃないかって……それで何とか、覚悟を固めることができました。どうかみなさんにも、ご了承をいただけませんか?」
「ああ……あんたもこのプレーリードッグの同類だったんだね、栗原さん。あんただけは常識人だと信じていたかったのに」
「あはは! でも、ウチらは三人がかりで理乃に火をつけたようなもんだからねー! だったら、みんなで一緒に責任を取らないとさ!」
馬鹿でかい弁当箱を掲げた町田アンナが元気いっぱいに言いたてると、和緒は横目でそちらをねめつけた。
「その顔からすると、あんたも悪だくみの一員ってわけね。ずいぶんなサプライズをしてくれるじゃないのさ」
「いやいや! ウチも昨日の夜、理乃に連絡をもらっただけだよー! で、めぐるだけ後で知るのはかわいそーだから、あんたにも連絡しなかったのさ! やっぱこーゆー話は、本人の口から伝えなきゃだしねー!」
めぐるを除く三名は、連絡先を交換しているのである。ただし、日曜日以外は毎日部室で顔をあわせているため、ほとんど連絡を取り合う機会は生じていないという話であった。
「栗原さんの覚悟が決まったのは、けっこうな話だけどさ。あたしらがまだライブをやれる力量じゃないっていう大前提はどうなったのさ?」
「それがねー、ハルちゃんの言ってたシバウラ楽器のイベントってやつ、本番は七月の終わり頃だったんだよー! それならまだひと月以上もあるから、なんとかなりそーじゃない?」
「そんな見込み発車でライブを決める必要はないでしょうよ」
和緒のぶっきらぼうな言葉に「いえ」と応じたのは、栗原理乃である。
「ライブをする覚悟がないなら、私はやっぱりこのバンドに留まるべきではないと思います。さんざん練習を重ねた後に私が脱退することになったら、みなさんの時間を無駄にするだけですし……だから私は、一日でも早く結果を出したいんです」
「ああもう、その暴走っぷりがプレーリードッグさながらだって言ってるんだよ。あんた、あの娘さんに爪の垢でも煎じたんじゃないだろうね?」
「わ、わたしは何もしてないよ。だいたいわたしだって、ライブなんてまだ早いと思ってたし……」
「その割には、明らかに血圧が上がってるじゃん」
「そ、それはまあ……土曜日に、あんなすごいライブを観ちゃったから……」
和緒は溜息をつきながら、めぐるの頭を小突いてきた。
「多数決を取っても、惨敗しそうだね。民主主義に牙を剥きたくなってきたよ」
「いやいや! こんな話は、多数決で決められないっしょ! 四人の気持ちがひとつにならないと、ライブなんて楽しめるわけがないしねー! ウチは和緒の気持ちだって、二の次にするつもりはないよ!」
そんな風に述べたてながら、町田アンナは鳶色の瞳をきらきらと輝かせている。今は窓も開けているため、陽光にきらめくオレンジ色の髪が燃えさかっているかのようであった。
「で、どーするどーする? 和緒は絶対の絶対に反対な感じ? そうじゃなかったら、ウチらは嬉しいんだけどなー!」
「そんな話に即答できるほど、あたしは思い切りのいい人間じゃないんだよ。まずはあらゆるデータを精査してから、もっとも正しいと思える道を選ばないとね」
「えー? そんなみみっちいやり口は、ロックじゃないなー!」
「あたしはロッカーを名乗った覚えはないよ。そもそもそのなんちゃらカップっていうイベントは、どういう内容なのさ?」
「はい。応募要項は、昨日の内に調べておきました。あのハルさんという御方が仰っていた通り、十代のアマチュアミュージシャンを対象にしたイベントであるようですね。応募資格は十九歳までで、ロックバンドだけではなくギターやピアノの弾き語りでもエントリーできるそうです」
と、まだ昼食に口をつけていない栗原理乃が、きりりとした面持ちで説明し始める。もとが端麗な面立ちであるため、そんな表情をすると和緒にも負けない凛々しさであった。
「ひと組の持ち時間は十分間で、曲数は二曲まで。エントリー料に一万円かかりますが、一枚千円のチケットが十枚配布されるそうなので、それを売り切れば費用はかからないというシステムであるようです。あと……この『ニュー・ジェネレーション・カップ』というイベントはもう十年以上も前に取りやめられたイベントであるようですが、若い世代の音楽文化の復興という理念を掲げて、今年から再開されるらしいですね。全盛期には、このイベントからプロアーティストを輩出したこともあるそうですよ」
「そんな立派なイベントに、あたしみたいなずぶの素人が出場して許されるもんなのかねぇ」
「はい。演奏技術ばかりを重視しないというのもコンセプトの一環で、コピーバンドの参加なども推奨されているようです。予選大会を勝ち抜けば全国大会に出場というコンテストの形式を取っていますが、主眼はあくまで音楽文化の活性化であるようですね」
「コンテスト、か。それこそ栗原さんにとっては、トラウマを刺激されるイベントなんじゃないの?」
「はい。だからこそ、自分の覚悟を示せるのではないかと考えました」
和緒は嘆息をこぼすばかりでなく、なめらかな咽喉をさらして天を仰いだ。
「そんな覚悟、あたしは求めちゃいないってのに。ったく、ヤブヘビだったなぁ」
「うんうん! 理乃がこんな風に覚悟を固められたのは、和緒が妙ちくりんなたとえ話で追い詰めてくれたおかげだよ! ウチだって、それに関してはめいっぱい感謝してるからねー!」
「そんな御託は、犬にでも食わせちまいな。……それで? エントリーの締切は、いつなのさ?」
「受付の締切日は、六月の末日です。いちおうその際にデモテープの審査というものもありますので、私たちがこのイベントに参加できるだけのレベルに至っていなかったら、そこでふるいにかけられるかと思います」
「至れり尽くせりで、けっこうなこったね。ま、あと二週間ばかりも猶予があるってんなら、あたしもじっくり考えさせていただくよ。恥をかきたくないのは、あんただけじゃないんだからね」
そんな風に言ってから、和緒は不機嫌そうな眼差しでめぐるたちを見回してきた。
「あと、誰も頭にないみたいだから言っておくけど、七月の初っ端には恐怖の期末試験が待ってるよ」
「そんなもん、赤点さえ取らなきゃ、どーってことないさ!」
「へーえ。試験の一週間前からこの部室も使えないことをお忘れなくね」
「あー、そーいえばそーだったね! だけどまあ、いざとなったらスタジオでも借りればいいさ! ……いや! そうじゃなくっても、スタジオ練習は必須だよ! ウチやめぐるは、でかいアンプで音作りしないといけないしねー!」
その言葉に、めぐるは身を乗り出すことになった。
「や、やっぱりアンプっていうのは、種類や大きさによって音作りも変わってくるんですよね。スタジオには、そんなに大きなアンプが準備されているんですか?」
「うん! ウチの知ってるスタジオだったら、ライブハウスと同じサイズのがそろってるよー! ベーアンなんて、こーんな冷蔵庫ぐらいのサイズだもんねー!」
そうして胸を躍らせためぐるは、和緒に再び頭を小突かれることになった。
「あんたたちがそろいもそろって暴走し始めたら、あたしがひとりでミンチにされそうだよ。……で、栗原さんはお顔を隠してライブに挑むわけ? 狼のマスクでもかぶるのかな?」
「あ、いえ、それはまだ考え中ですけれど……口もとだけは露出していないと、歌声をマイクに通すのに支障がありそうですね」
「そんなお顔で口もとしか出さないなんて、もったいない限りだねぇ。栗原さんぐらい美少女だったら、そのビジュアルだけでスカウトされてもおかしくないだろうにさ」
和緒はそんな言葉で栗原理乃を赤面させて、ようやく一矢を報いることができたようであった。
「でさ! そのイベントにチャレンジするにあたって、前々から先延ばしにしてた話に白黒つけよーと思うんだけど!」
「イベントの参加を前提にしないでほしいもんだね。……先延ばしにしてた話って、なんのことさ?」
「バンド名だよ! もうすぐ結成してひと月になるのに、まだバンド名を決めてなかったじゃん!」
その言葉には、めぐるも目を丸くすることになった。
「バンド名ですか……そんなの、想像もしてませんでした」
「そうなのー? ウチはボキャブラリーがヒンコンだから、みんなを頼らせてほしいなー!」
「あたしだって、そんなワードセンスは持ちあわせちゃいないよ。そんな話は、読書家の誰かさんに一任したいところだね」
「い、いえ。私はロックバンドについて疎いので、何も思いつかないのですが……」
ようやく彼女らしさの戻ってきた栗原理乃は恐縮しながら、ようやく弁当箱に手をかけた。そちらはごくつつましい、町田アンナの半分ぐらいのサイズ感である。
「どーせだったら、やっぱかっちょいーバンド名にしたいもんねー! そーいえば、めぐるが大好きな『SanZenon』ってのはどーゆー意味なんだろー? なんかビミョーに英語っぽくないから、もっと別の外国の言葉なのかなー!」
ようやく弁当のひと口目を食べようとしていた栗原理乃は、町田アンナのそんな言葉に「え?」と目を丸くした。
「さ、『SanZenon』って……三全音のことじゃないの?」
「さんぜんおん? アレは、サンゼノンって読むんじゃなかったっけー?」
「う、うん。でも、三全音にしちゃうとそのままだから、ローマ字に開いて別の読み方にしたのかなって思ってたんだけど……」
今度は、栗原理乃を除く三名が目を丸くする番であった。
その代表として口を開いたのは、和緒である。
「それで? 三全音ってどういう意味なのかな? いかにも音楽用語っぽいけど」
「は、はい。三全音はトライトーンとも呼ばれていて、不協和音の中でもとりわけ不快なものだとされています。古い時代には、『音楽の悪魔』とも呼ばれていたそうで……」
「おー、かっちょいー! でも、なんで理乃はそんなのがわかったのー?」
「さ、三全音っていうのは増四度や減五度の音のことなんだけど……属七の和音、いわゆるドミナント・セブンス・コードの中にも含まれる音程なんだよ。それで、磯脇さんに教えてもらったあの動画の曲も、そのコードを多用してるみたいだったから……」
「なるほど。さすがは栗原さんだね。見てよ、このプレーリードッグの目の輝きを」
和緒の言葉に、栗原理乃はあたふたと目を泳がせた。
「ど、どうしたんですか、遠藤さん? なんだか、アンナちゃんみたいな目つきになっていますけれど……」
「い、いえ。ただやっぱり、栗原さんはすごいなぁと思って」
「そ、そんな大したことではありません」
と、栗原理乃はまた顔を赤くしてうつむいてしまった。
思わぬ展開から『SanZenon』というバンド名の由来が判明して、めぐるはどうしようもなく胸が高鳴ってしまっている。『音楽の悪魔』という大仰な言葉の響きが、それに拍車をかけているのかもしれなかった。
「やっぱ、かっちょいーバンドにはかっちょいー名前がついてるもんなんだよー! ウチらも『SanZenon』に負けないぐらい、かっちょいーバンド名を考えないとね!」
町田アンナがあらためて声を張り上げると、コロッケパンの包みを広げていた和緒が軽妙に応じた。
「あたしは何でもかまわないよ。『プレーリードッグと愉快な仲間たち』でいいんじゃない?」
「あはは! それだと、めぐるがリーダーみたいだねー! ま、なんだかんだでめぐるはバンドの中心っぽいけどさー!」
「と、とんでもないです。というか、わたしはプレーリードッグで確定なんですか?」
「だったらいっそ、『プレーリー』とか? ちょっとバンド名っぽいじゃん! プレーリーの意味は知らないけど!」
「プレーリーは、大平原の別称みたいなもんだよ。そこに生息するのが、プレーリードッグってことなんだろうね」
「プ、プレーリードッグから離れようよ。これは四人みんなのバンドなんだし……」
「プレーリードッグとしての自覚が芽生えたんなら、何よりだね。ちなみにプレーリードッグってのは、縄張り争いで殺し合ったり相手を生き埋めにしたりするらしいよ」
「おー! ますます、めぐるっぽい!」
「な、なんでですか! わたしなんて、一番弱気な人間でしょう?」
「だってめぐるは、中身が狂暴そうだからなー! ベースの音だって、あーんな極悪だしさー!」
と、めぐるたちが益体もない話で盛り上がっていると――栗原理乃が、ふいに「カメリア」とつぶやいた。
「んー? 理乃、なんか言ったー?」
「あ、うん……『カメリア』とかは、どうかなと思って……」
栗原理乃のおずおずとした返答に、町田アンナはきょとんと首を傾げた。
「カメリアって、なんだっけ? なーんか聞き覚えはある気がするけど、よくわかんないや」
「うん。たしか、オランダ語でツバキの意味だったと思うよ」
「へー。でも、なんで? オランダ語なんて使っても、喜ぶのはウチのママぐらいっしょ?」
「オランダ語だったのは、たまたまだけど……みんなの頭文字を繋げてみたの」
そのように言われても、めぐるにはさっぱり意味がわからなかった。
すると、フルーツジュースのストローをくわえた和緒が「ああ」と反応する。
「あたしらのファーストネームの頭文字を繋げたわけか。よくもまあ、そんな話をぽんと思いつくもんだね」
「あー、そーゆーことか! 和緒の『カ』、めぐるの『メ』、理乃の『リ』、アンナの『ア』ってことね! いいじゃんいいじゃん! この四人は、取り換えのきかないメンバーだもんねー!」
町田アンナのそんな言葉に、めぐるは激しく情動を揺さぶられてしまった。
そのかたわらで、和緒は「ふーん」と気のない声をあげる。
「それじゃあ脱退するときは、『カ』のつく誰かを身代わりにしなきゃいけないわけか。こいつはちょいと、難儀だねぇ」
「脱退すんなよー! 和緒の代わりなんて、誰にも務まらないんだからさ!」
「あ、それじゃあ、第二案。文字を入れ替えて、『アメリカ』はいかが? 礼儀を知らない人間の順番ってことでさ」
「かっちょわりー!」と、町田アンナは大笑いした。
「そんなの、却下だよ! 『カメリア』だったら、いい感じにバンド名っぽいし――あ、だけど、バンド名っぽいってことは、もう先に使われてる可能性もあるのかな? ウチ、他のバンドとはかぶりたくないなー!」
「それなら、ローマ字にしてみたらどうだろう? オランダ語だったら、スペルが違うだろうし……ローマ字のほうが、名前の頭文字だってことを強調できるだろうしね」
栗原理乃がいくぶんもじもじとしながら言葉を重ねると、町田アンナは満面の笑みでその肩を抱いた。
「今日の理乃は、さえまくってるじゃん! それじゃあバンド名は『KAMERIA』で決定ね! みんな、今後ともよろしくー!」
「よ、よろしくお願いします」と、めぐるは馬鹿正直に頭を下げてしまった。
その間も、心臓はとくとくと胸郭を叩いている。この楽しい集団に名前がつけられたことにより、めぐるはむやみに昂揚してしまっていたのだ。
(しかもそこに、わたしの名前まで入ってるなんて……わたしは本当に、このメンバーでバンドを組むことができたんだ)
間もなく結成からひと月も経とうとしているのに、今さらそんな感慨を噛みしめるのは遅きに失しているだろうか。
しかしそれでも、めぐるは自らの昂揚を止めることができず――また、止める理由を見出すこともできなかったのだった。




