04 輪郭
そうして、午後の五時――『ヒトミゴクウ』の演奏によって、『ジェイズランド』の年越しイベントは開幕した。
『ヒトミゴクウ』の演奏は、相変わらず荒々しい。
ただ今回、ドラムだけメンバーが入れ替わっていた。そういえば、『ヒトミゴクウ』はしょっちゅうメンバーが入れ替わるという話であったのだ。演奏の合間に行われたMCによると、最近の主力であったドラマーは里帰りの都合で参加できなかったらしい。しかし、一月に予定されているライブではまたそのメンバーが復帰するとのことであった。
それで代役を果たしたのは、三番手に出演する若手バンドのメンバーであるという話である。
見た目からして若々しく、もしかしたらまだ未成年なのかもしれない。しかし本日のステージは勢いのあるアップテンポな楽曲で構成されており、そちらの若いドラマーも過不足のないビートを叩き出していた。
「こうやってメンバーが入れ替わったときも、このバンドはスタジオ練習をほとんどしないんですかね? だとしたら、とうてい見習う気にもなれませんよ」
そんな感慨をこぼしたのは、開演の直前に来場した北中莉子である。すると、和緒よりも早く野中すずみが反応した。
「それは、これまでの積み重ねだろうからね。わたしたちが見習うには、まだ早いよ。わたしたちはしっかり練習を積んで、基本の実力をつけないとね」
彼女たちのバンドである『Chun Chun Island』は文化祭以降も週に二回の練習を維持して、めきめき成長しているのだ。めぐるも週に一回ぐらいは指導のために見物をして、その成長の度合いを見届けていた。
「あたしが見習えって教示したのは、バンドを楽しむ心持ちのほうだからね。何も気張る必要はないさ」
野中すずみに先を越されたためか、和緒も穏便な言葉で話題を締めくくる。しかしまあ、北中莉子がぶすっとした顔で押し黙るという構図に変わりはなかった。
そうしてその後は、時おりバーフロアに上がって耳を休ませつつ、年越しイベントの進捗を見守る。さすがに出番の八時すぎまで客席ホールに詰めているのは、耳への負担が怖かったのだ。
時間が進むにつれて、出演バンドや常連客などの見知った顔がちらほらと増えてくる。そして、午後の七時に至る頃には、『V8チェンソー』と『マンイーター』のメンバーも勢ぞろいしていた。
「いやぁ、気がついたら大晦日だねぇ。本当に、今年はあっという間だったよぉ」
来場するなり小瓶のビールを注文した浅川亜季はそれを口にしながら、ふにゃんと笑う。そして、フユがいくぶん怖い顔をしながら、めぐるにぐっと詰め寄ってきた。
「例のセッションの音源、聴かせてもらったよ。ぶっつけのセッションで、ずいぶんなプレイを見せつけてくれたね」
「え? い、いえ、わたしには馴染みのある曲ばかりでしたから……それに、あの日は他のみなさんに圧倒されて、自分のプレイをまったく把握できませんでしたし……」
「把握してない? じゃあ、無意識でプレイしてたとでも言うつもり?」
「あ、いえ、そうじゃなくって……自分のプレイを客観視できなかったっていうか……まあ、それはいつものことなんですけど……」
「じゃあ、いつもと何が違うってのさ?」
フユの剣幕に、めぐるは思わず言葉を詰まらせてしまう。
すると、浅川亜季がフユの肩をにゅるりと抱いた。
「フユはめぐるっちのプレイに感動してテンション上げてるだけだから、怖がらなくっても大丈夫だよぉ。フユもさぁ、まずは笑顔でねぎらってあげればいいじゃん」
「ふん。私がそんな真似をする筋合いはないよ」
フユはぷいっとそっぽを向いたが、そのまま横目でめぐるをにらみつけてきた。
「まあ、あの店の環境じゃ音作りにも限界があるしね。それで逆に、火事場の馬鹿力を発揮できたっていう面もあるのかもしれないけど……何にせよ、あんたのキャリアであのピンク頭と真正面から渡り合ったのは大したもんだと思うよ」
「あ、ありがとうございます。でもそれは、浅川さんとハルさんの力があってのことですし……」
そこまで言いかけためぐるは、後ろ向きな発言ばかりでは申し訳ないと思いいたり、別の言葉を口にした。
「で、でも、フユさんにそう言っていただけるのは、とても嬉しいです。あと、フユさんにその場で聴いていただけなかったのが、とても残念でした」
フユがぐっと言葉に詰まると、その肩を抱いた浅川亜季がにまにまと笑う。
そしてフユはそんな浅川亜季の頭を引っぱたいてから、あらためて発言した。
「きっとブイハチの周年では、またあいつらがセッションさせろって騒ぐだろうからね。あんたも今から、覚悟を決めておきな」
「は、はい。今度はフユさんともご一緒できたら、嬉しいです。……あ、でも、フユさんにはいつも上物をお願いすることになってしまうので、それは申し訳ないのですけれど……」
「自分で提案して、恐縮しないでよ」
と、フユは口もとを手で覆い隠す。おそらく、苦笑したのを隠したのだ。
すると浅川亜季がまたにまにまと笑ったので、再びフユに引っぱたかれることになり――そして、亀本菜々子の背後に隠れた柴川蓮は、怒れる柴犬の眼差しでめぐるのことをにらみ据えていた。
そうして楽しく騒いでいると、また新たな面々が来場する。
宮岡と寺林の、卒業生コンビである。これは予期せぬ来訪であったため、町田アンナが「あれー?」と小首を傾げた。
「二人とも、おつかれー! 今日来てくれるとは思ってなかったよー!」
「うん。今日はバンドごとのノルマもないって話だったから、連絡する必要もないかと思ってさ。もしかして、迷惑だった?」
「そんなわけないじゃーん! でもでも、テラセンパイは彼女さんをほったらかしでだいじょぶなのー?」
「あいつは里帰りで、三が日が明けるまで帰ってこないんだよ。俺は束の間の休息ってこった」
こちらの両名とは先月のスリーマンライブでも顔をあわせているため、取り立てて変わりはないようだ。ただ、卒業後に肉がついてしまった寺林は、分厚いダウンジャケットを着込んでいるといっそう丸っこい体型になってしまっていた。
「『KAMERIA』の出番は、八時すぎだったよね。まずは、のんびり観戦させていただくよ」
「うん、ありがとー! うちらはそろそろ準備しなきゃだから、あとでゆっくりおしゃべりしようねー!」
『KAMERIA』はパーキングまで機材を取りに行かなくてはならないし、リィ様への変身もこれからであったので、そうそうのんびりしていられなかったのだ。合計六バンドの演奏が終了して、午後の七時半に至ったならば、準備を開始する刻限であった。
「じゃあ、わたしも一緒に行ってくるから、パパはエレンたちをよろしくね」
こういうとき、町田家の母親はいつも車まで同行してくれる。それは機材の搬入を手伝うためであるので、ありがたい限りであった。
車に到着したならば、まずはリィ様に変身である。長い黒髪は三つ編みに仕上げていたので、あとはそれを頭の後ろで丸めて、ウィッグと目隠しを装着するのみであった。
しかるのちに、すべての機材をワゴン車から下ろして、五人がかりで運んでいく。ずっと店内の熱気に包まれていたため、十二月の寒さがひとしおであった。
「うー、寒い! でも、こーゆーのもちょうど一年ぶりだから、懐かしいよねー!」
真っ白な息を吐きながら、町田アンナは笑顔でそう言った。
同じ思いを抱いていためぐるは、「はい」と笑顔を返す。そして、和緒に頭を小突かれた。
『ジェイズランド』に到着したのちは、人で賑わうバーフロアを横断して楽屋を目指す。
ただし、バーフロアの面々もおおよそは客席ホールに向かうさなかであった。めぐるたちが準備をしている間に七番目のバンドも終了して、ついに名うてのベテランバンドのステージが開始されるのだった。
「それじゃあ、頑張ってね」
楽屋の前まで電子ピアノのカートを運んでくれた母親は、手を振って人の波にもぐっていく。めぐるたちがドアをくぐると、楽屋はすでに無人であった。
「よーし! 出番までに、かじかんだ手をほぐしておかないとねー! リィ様は、例のアレをよろしくー!」
「はい。準備のできた御方から、どうぞ」
例のアレとは、真っ赤なリップで左頬に英文字をペイントする作業のことだ。その前に、まずは上着を脱いでTシャツ姿にならなければならなかった。
今回も、色とりどりであるカラーリングのTシャツだ。いち早く身軽になった町田アンナが、真っ先に栗原理乃のもとに駆けつけた。
「でも、このTシャツもけっこー着たおしてきたよねー! ちょうど年もかわることだし、次のライブでリニューアルしよっかー?」
「苦労するのはあんただから、べつだん異存はないけどね。次のライブまで三週間ていどしかないけど、大丈夫なの?」
「あー、そう考えると、あんま時間がないんだねー! タケちゃんをせかすのは申し訳ないから、今から準備を始めて春先ぐらいのリニューアルを目指したほうがブナンかなー!」
「あんたの辞書にも、無難なんて言葉があったんだね」
「あはは! たまには自分でブレーキを踏まないとねー! リィ様、ありがとー!」
左頬の処置を終えた町田アンナが身を引いたので、上着をハンガーに掛けためぐるが進み出る。
その瞬間、モニターから鮮烈な音が響きわたった。
「お、これがウワサのベテランバンドかー! どれどれ、和緒を圧倒したのは、どんなサウンドかなー?」
「べつだん、圧倒まではされてないよ。ただ、さすがの完成度だったけどね」
今回も、事前にライブ映像をチェックしたのは和緒ひとりであったのだ。
そして和緒の言葉通り、楽屋のモニターからはきわめて完成度の高い合奏の音色が鳴り響いていた。
ジャンルとしては、ヘヴィロックに類するのだろう。ヴォーカルは歌に専念し、ギターが二本存在する、五人編成だ。モニターの絞られた音量でも、音の密度と迫力の度合いがひしひしと感じられた。
「おー、確かに勢いあるねー! ベテランって、どれぐらいのトシなんだろー?」
「さてね。四十まではいってないはずだよ。メジャーデビューしたのは、もう七、八年も前の話らしいしさ」
では、三十歳前後でメジャーデビューにこぎつけつつ、結果を出せずに契約を打ち切られて、自主レーベルを立ち上げたということなのだろうか。そんな前情報も相まって、彼らの演奏にはとてつもない情念が込められているように感じられた。
ただ、音の迫力は申し分ないが、めぐるの好みには合致しないようである。
完成度が高くて、とても洗練されている。ベースも二本のギターに負けず、存在感のある重低音だ。どこにも不備は見当たらなかったが――その代わりに、めぐるの心を震わせる要素も見当たらなかった。
(やっぱりわたしは、好みの幅がせまいんだろうな)
数々の音楽イベントを経験したことで、めぐるはそんな結論に至っていた。名のあるバンドが集結する『サマー・スピン・フェスティバル』でさえ、めぐるが魅了されたバンドはごく限られるのだ。また、めぐるは荒々しい調和というものを好んでいるためか、ベテランバンドの洗練された演奏にはそうまで心を動かされないようであった。
しかしまた、洗練されたバンドを否定しようという気持ちは持ち合わせていない。
きっとめぐるは未熟であるがゆえに、そういった演奏の魅力を理解しきれていないのだろうと思うのだ。今よりも経験を重ねたならば、また違う感想が浮かぶのではないかと思われた。
(別にそれで、誰が困るわけでもないもんね)
めぐるがベースを始めてから、およそ一年と九ヶ月――その期間で、めぐるは数多くの魅力的なバンドと巡りあってきた。『SanZenon』から始まり、『V8チェンソー』、『マンイーター』、『ヴァルプルギスの夜★DS3』、『リトル・ミス・プリッシー』、『天体嗜好症』、『バナナ・トリップ』――そして、『トライ・アングル』といった顔ぶれである。めぐるの器量では、まだそれらのバンドについても消化しきれていない部分が多いはずであった。
しかし、そういったバンドはもちろん、そこまで心をひかれないバンドの音色も、めぐるの血肉になっている。極端な話、好みに合わない部分を自分から削ぎ落とすことも、大きな影響であるはずであった。
たとえばめぐるは、ジャズベースやプレシジョンベースといったポピュラーなベースを選ばなかった。硬いアタック音が魅力であるピック弾きを選ばなかった。パワーのあるアクティブサーキットのベースを選ばなかった。エフェクターを排除してベース本来の音色を重んじるという道も選ばなかった。バイオリンベースをメインのベースとして使うことを選ばなかった。そういう選択が、今のめぐるの輪郭を作っているのだ。
そしてそれは現時点での話であり、いつかはめぐるも今と異なる音や機材やプレイスタイルを選ぶかもしれない。そして、現時点で異なる道を選んだプレイヤーでも、好ましく思える相手はいくらでもいた。
だからめぐるは自分の好みを最優先にしつつ、好みに合わない存在を否定するつもりもなかった。
そして、自分の好みを他者に押しつけるつもりもなかったし――ただ、自分の選択したものを、ありのままの形で世界にぶつけたいだけだった。
「……あんたは何をひとりで、忘我の境地に至ってるのさ?」
と、いきなり和緒がめぐるの頭を小突いてきた。
それでめぐるは、愕然とする。めぐるはいつの間にかソファに座して、自分のベースに指を走らせていたのだった。
「あ、あれ……? わ、わたしはリィさんにペイントをお願いしてたんじゃなかったっけ?」
「あんまり怖いこと言わないでよ。本当に、無意識で動いてたっての?」
隣に座っていた和緒は、苦笑を浮かべながらめぐるの顔を覗き込んでくる。そのなめらかな頬にも、すでに『K』の英文字が書かれていた。
「まさか、今さら怯んだんじゃないだろうね? このバンドはすごい完成度だけど、そうまであんたの好みには合わないでしょ?」
「う、うん。でも、やっぱり上手だし、すごい迫力だよね。『サマー・スピン・フェスティバル』に出てたバンドにも負けてないように思えるよ」
「あるていどのレベルに達すると、違いがわかりにくくなるよね。まあ、こっちはキャリア二年足らずの、ずぶずぶの素人だしさ」
すると、元気にテレキャスターをかき鳴らしていた町田アンナが「あはは!」と笑った。
「何にせよ、こっちはいつも通りフルパワーで突っ走るだけさー! ワカゲのイタリで、ぶちかまそー!」
めぐるは指先を走らせたまま、「はい」と笑顔を返した。
言うまでもなく、めぐるの輪郭をもっとも力強く固めているのは、『KAMERIA』のメンバーたちであるのだ。ややこしい話を考えるまでもなく、めぐるはこの四人でステージに立てるだけで幸せであるのだった。




