03 年越しイベント
楽しいクリスマスを終えたならば、あっという間に年の瀬である。
十二月二十九日までは部室における練習で、三十日は町田家の大掃除のお手伝いだ。そしてここから、悦楽に満ちみちた四泊五日の町田家滞在が開始されるわけであった。
十二月三十日から一月三日というのは、ちょうど学校が完全に閉鎖されて部室を使えない期間となる。ついでに言うと、バイト先である物流センターも閉鎖してしまう日取りであるのだ。その無為なる五日間をまるまる町田家で過ごせるというのは、めぐるにとって至福としか言いようのない話であった。
そしてその二日目となる大晦日は、『ジェイズランド』における年越しイベントである。
めぐるとしては、幸せすぎて情緒がどうにかなってしまいそうだった。
「今回はひさびさに、みんなで一緒に出陣だな! なんだか、懐かしく感じられるぐらいだよ!」
町田家の父親はそのように言っていたし、実際に車で送迎していただくというのはずいぶんひさびさであったのだ。めぐるの記憶に間違いがなければ、それは八月の初旬に行われた野外イベント以来の話であるはずであった。
「夏以降は、平日か遠征のどっちかだったもんね。あとはせいぜい、文化祭ぐらいか」
「うん。ここ最近は、ちょっと特殊なイベントが多かったよね」
しかしそれでも、めぐるの幸せな心地に変わりはない。短い持ち時間であるイベントも含めれば、月に一回以上はライブ活動を行えているのだ。それで文句をつけるのは、あまりに不遜であるはずであった。
「それじゃあ、出発しましょうか」
町田家の母親にうながされて、『KAMERIA』のメンバー一行は大きなワゴン車に乗り込んだ。こちらは五名の乗員と機材でいっぱいになってしまうため、父親と妹たちは軽ワゴン車で出陣だ。
助手席には町田アンナが陣取り、残る三名は二列目のシートで横並びになる。栗原理乃は窓際の席で、念のために酔い止めの薬も服用していた。何もかもが四ヶ月ぶりであり、懐かしい限りである。
時刻は午後の四時半ていどで、道路はほどほどに混み合っている。
今日が大晦日であるという実感は、あるようなないような――ただ、めぐるがお祭り気分であることに疑いはなかった。
「今日はすずみちゃんたちも来てくれるんだっけ?」
と、運転席の母親が隣の町田アンナに語りかける。
以前は軽音学部の関係者に対してファーストネームに「さん」づけで呼んでいたが、和緒がそれを嫌がっていることを門下生である工藤里見経由で聞き及び、こちらでも「ちゃん」で統一されることになったのだ。
そんな母親の問いかけに、町田アンナは「うん!」と応じた。
「また親御さんには渋い顔をされたみたいだけど、十一時までには絶対に帰るって約束で許してもらえたみたいだよー! シマ坊と山田ちゃんは、おデートで来られないみたいだけどさ!」
「そう。まあ今日は、出演者のお祭りっていう側面が強いのでしょうしね」
「うんうん! 出演者だけで、すごい人数だからねー! だけどまあ、ジェイズをホームにしてるバンドに限られちゃうけどさ!」
その中で『KAMERIA』のメンバーが懇意にしているのは、『V8チェンソー』と『マンイーター』のみである。『天体嗜好症』や『バナナ・トリップ』は、それぞれ異なるライブハウスの年越しイベントに参戦するのだという話であった。
「花ちゃんさんに至っては、アリーナで大一番だもんなー! ローサからちょろっと聞いたけど、今回はすっげー強敵なんでしょ?」
「大晦日は、いつも大一番よ。でも、そうね。今回は、勝てたら大金星っていう扱いなのじゃないかしら」
町田家の母娘の会話にめぐるが小首を傾げていると、隣の和緒に頭を小突かれた。
「毎年大晦日には、でっかいアリーナの会場で格闘技のイベントが開かれてるんだよ。だけどもう、地上波の放送は取りやめられたんでしたっけ?」
「ええ。けっきょくそちらも、ネット番組の配信のみになってしまったわね。時代の流れなんでしょうけれど、ちょっと寂しいところだわ」
「うんうん。やっぱ地上波のほうが、一見のお客さんをがっつり取り込めそうなイメージだよねー。って、こんな考えも、もう古いのかなー?」
「どうなのかしらね。わたしは本当に古い人間だから、さっぱりよ。でも、プロの選手を抱える道場の責任者としては、そうも言っていられないわよね」
めぐるにはいっそう理解が及ばないが、とにかく立派な会場で格闘技のイベントが開催されて、鞠山花子がそれに出場するという話のようである。それならば、『ヴァルプルギスの夜★DS3』も活動のしようがないわけであった。
「ちなみに大晦日のイベントで主役を張ってるのは、あのユーリさんだよ」
と、和緒が悪戯小僧のような目つきで告げてくる。
めぐるはまんまと、心臓をバウンドさせてしまった。
「そ、そうなんだ? そんな大きなイベントで主役になれるなんて、すごいんだね」
「そりゃあユーリさんは、世界最強の女なんて呼ばれてるんだからね。でも何か事情があって、海外の試合には出られないんだっけ?」
「うん。ユーリはちょっと特異体質で、海外の興行ではメディカル面の審査をパスできないんだってさー。その代わりに、今日みたいなでかいイベントでは海外の強豪選手を呼んでゴリゴリにやりあってるみたいだよー」
「あと、猪狩さんも大晦日の顔なんだっけ?」
「そりゃーもう、うり坊ちゃんは海外の団体の王者だもん。日本で試合をすることなんて滅多にないから、大晦日は大盛り上がりらしいねー」
そこまでの情報を引き出してから、和緒はめぐるに向きなおってきた。
「つまり今日のイベントには、鞠山さんとユーリさんと猪狩さんが出場するわけだ。あんたも少しは、うずうずしてきたかな?」
「う、うん。格闘技の話は、よくわからないけど……でも、みんなすごいんだね」
そして、めぐるたちが『ジェイズランド』のステージを楽しんでいる頃、鞠山花子たちは試合に励んでいるわけである。そんな風に考えると、めぐるの胸はいっそうおかしな感じに弾んでしまった。
やがて駅裏のパーキングに到着したならば、機材はそのままで『ジェイズランド』に向かう。『KAMERIA』の出番は午後の八時すぎであったため、それまでは搬入を遠慮しようという方針だ。軽ワゴン車で到着した父親たちと合流すると、いっそうの賑やかさであった。
「いらっしゃいませ。出演者の方々は、バンド名とメンバー名のご確認をお願いします」
『ジェイズランド』の入り口をくぐると、若いスタッフが笑顔で出迎えてくれる。めぐるは言葉を交わしたことのない相手であったが、『KAMERIA』の姿を見知ってくれていたのだろう。『KAMERIA』が初めて『ジェイズランド』のステージに立ってから、すでに一年以上が過ぎているのだった。
そして、町田家のご家族はそれぞれ入場料を支払い、めぐるたちともども手の甲にスタンプを押される。長丁場である年越しイベントならではの、再入場を許可するスタンプであった。
開演時間までにはまだゆとりがあったため、バーフロアのテーブル席に陣取ってホットドリンクを注文する。
これもまた、昨年の年越しイベント以来の行いであるのだろう。甘いカフェオレを口にしながら、めぐるの心はどんどん懐かしさで満たされていった。
「やあやあ……今日も早くから、ありがとさん……」
と、いつも黒ずくめのジェイ店長が、幽霊のようなゆらゆらとした足取りで近づいてくる。本日も、トップバッターはジェイ店長率いる『ヒトミゴクウ』であったのだ。
「どうもどうも! 夏以来だね! 元気そう……ではないけれど、相変わらずみたいで何よりだ!」
町田家の父親が豪快な笑顔で出迎えると、ジェイ店長はにたりと笑った。
「そちらさんも、相変わらずのようで……ここ最近はお姿が見えなかったんで、さびしかったよぉ……」
「うん! 娘の晴れ舞台に駆けつけたいのは山々なんだが、なかなかスケジュールが合わなくってね! もっと日曜日のライブを増やしてくれたら、ありがたいところだよ!」
「うっさいなー! バンドの活動に口を出すなっての!」
隣のテーブルであった町田アンナはおしりを蹴ることができない代わりに、遠くから父親を引っぱたくふりをする。その姿に、ジェイ店長は咽喉で笑った。
「仲睦まじい親子愛も相変わらずのようで、何よりだねぇ……たしか年明け一発目のライブは日曜日だった気がするから、よかったらお越しくださいな……」
「うん! 実はその日も用事があるんだが、夜には動けるはずなんでね! 『KAMERIA』の出番には間に合うはずだよ!」
ジェイ店長も町田家の父親も社交的な人柄であるため、顔をあわせればそれなりに話が弾むのが通例となっている。
そしてジェイ店長は意外にお年を召しているようであるので、町田家のご両親とそれほど年齢も変わらない可能性があるのだ。町田家のご両親も身体を鍛えているためにきわめて若々しく見えるが、不吉な幽霊のごときジェイ店長は年齢の見当をつけることも難しく――何にせよ、別世界の住人のように共通点は見当たらなかった。
「ところで、今日もなかなかの試練を準備してくださったそうですね」
和緒がそんな言葉を届けると、ジェイ店長はにたにたと笑いながら振り返った。
「はてさて……さっぱり心当たりがないんだけど、そいつは何の話かねぇ……」
「出順ですよ。あたしらの直前に出演するのが、メジャーデビューの経験もあるベテランバンドらしいじゃないですか」
「ああ、そのことかい……メジャーレーベルに所属してる間は鳴かず飛ばずだったんだから、なんも気にすることはないさぁ……」
「それで契約を打ち切られた後は自分たちでレーベルを立ち上げて、怒涛の快進撃だって話なんでしょう? そんな実力派のバンドが、どうして八時前なんていう早い出順なんですか?」
「あいつらは、都内のハコがホームなんだよぉ……そっちでカウントダウンを受け持つから、こっちは早い出順にするしかなかったのさぁ……そうまでして出演してくれるなんて、ありがたい限りだねぇ……」
「それで割を食うのが、あたしらなわけですか」
和緒がクールに追及すると、ジェイ店長はいっそう楽しげにほくそ笑んだ。
「心配しなくても、勢いだったらあんたたちも負けてないよぉ……ていうか、あいつらの直後に下手なバンドを出したら、せっかくのイベントが盛り下がっちまうからねぇ……それで、あんたたちの爆発力を頼らせていただこうって考えたのさぁ……」
「名もなき高校生バンドには、あまりに重荷なんじゃないでしょうか?」
「いやいや……あたしはあらゆる選択肢の中から、ベストの出順を考案しぬいたつもりだよぉ……我ながら、諸葛孔明さながらの名采配だねぇ……」
そこで、『ヒトミゴクウ』のベーシストであるスキンヘッドの若者が笑顔で近づいてきた。
「店長、そろそろ出番ですよ。スタンバイをお願いします」
「ほいよ……それじゃあよかったら、あたしらのステージもお楽しみくださいな……」
礼儀正しく会釈をする若者ともども、ジェイ店長は楽屋のほうに立ち去っていく。
和緒がひとり肩をすくめると、町田アンナがけらけらと笑った。
「和緒はまーだ出順にこだわってたんだー? 誰の後でも、関係ないじゃん! ウチらはウチらなりに頑張るだけさー!」
「あんまり過大評価されるのはおっかないんで、釘を刺しておいただけだよ。店長さんの目論見が外れたときに備えて、予防線も張っておきたかったしね」
「もー、和緒は心配性だなー! ほらほら、めぐるもなんか言ってあげなよー!」
「は、はい。……周りにどう見えようと、いつも通りの演奏ができれば、きっと楽しいよ」
和緒は苦笑をにじませた目つきで、めぐるの頭を小突いてくる。
実のところ、和緒もそうまで出順にこだわっているわけではないのだ。ただ、『KAMERIA』に負担のかかるような話には黙っていられないという、和緒の優しさと真面目さが発露しただけの話であるはずであった。
(どんなバンドの後でも、わたしたちは大丈夫だよ)
たとえ物凄い実力派バンドの直後で『KAMERIA』の未熟さが露呈することになったとしても、演奏そのものの楽しさに変わりはないはずだ。お客の反応が鈍くなれば、若干以上の物寂しさは募るやもしれないが――それでもめぐるたちは、持てる力を振り絞るしかなかった。




