04 一夜が明けて
「なるほど。そうして昨日は、二人で熱い夜を過ごしたわけね」
翌朝である。
バスで合流した和緒がクールなポーカーフェイスでそのように述べたてると、コッフィは純真そのものの笑顔で「そうじゃのー」と応じた。
「口笛のセッションも楽しかったわ。よその家で寝るのもひさしぶりじゃったけぇ、ちいとした旅行気分じゃったのー」
「それは何よりでしたね。ご満足いただけたのなら、そのままお帰りになってもかまいませんよ」
「そがいなひやいこと言いなさんなや。みんなとのセッションも楽しみじゃのー」
サックスのケースとリュックサックを手もとに抱え込んだコッフィは、朝からにこにこと笑っている。昨晩の彼女はシャワーを浴びたのち、午前の一時ていどに寝入っていたので、睡眠時間も十分であったのだろう。いっぽうめぐるはいつも通り、午前の三時すぎまで個人練習に打ち込んでいた。
「……それじゃあ、こちらをお返しします」
と、和緒は胸ポケットから取り出したスマートフォンをコッフィに手渡した。和緒の自宅の充電器で、充電してくれたのだ。コッフィは「ありがたやありがたや」と両手でスマートフォンをはさみこみながら合掌した。
「あらためて、スタジオの場所と最寄り駅をお伝えしますんで、連絡先を交換してもらえますか?」
「なんじゃ、登録しといてえかったのに。パスワードもかかっとらんかったじゃろ?」
「だからといって、人様のスマホを勝手に覗けませんよ」
「王子様ちゃんも、律儀なんじゃな。ほんじゃが、連絡先の交換とかようわからんけぇ、そっちでお願いするわ」
と、コッフィのスマートフォンはものの数秒で和緒の手もとに返される。
ポーカーフェイスを保持しながらスマートフォンを起動させた和緒は、自分のスマートフォンも同時に操作しながら見解を述べた。
「どうやらコッフィさんは、こちらの文明の利器をまったく使いこなしていないようですね」
「ほうじゃのー。バンドの連絡で必要じゃけぇ言うて、カーニャに持たされたんじゃ。電話とメッセアプリやらいうもんの他は、いびせくてさわっとらんのー」
「賢明ですね。はい、どうぞ」
「ありがたやありがたや」と再び拝んでから、コッフィはスマートフォンをスカジャンのポケットに仕舞いこむ。そのタイミングで、バスは駅前に到着した。
「それで、コッフィさんはまたストリートパフォーマンスですか?」
「ほうじゃのー。電車賃とメシ代とスタジオ代を稼がんといかんけぇのー」
「参考までに、残金はおいくらなんですか?」
「んー、残りは三百三十円じゃのー」
「それじゃあスタジオの最寄り駅までの電車賃は四百五十円なので、差し引き百二十円ですね。その額を稼いだら、さっさと移動したほうがいいですよ。こんな住宅街よりは、あっちのほうが稼げるでしょうからね」
「おー、そいつはありがたい情報じゃ。やっぱり王子様ちゃんも優しいのー」
「いきがかり上、しかたないですよ。本当はこの場で百二十円お貸ししたいところですけどね」
「そりゃあならんのじゃ。じっちゃんばっちゃんとの約束があるけぇのー。じゃ、二人は学校を頑張ってのー。スタジオ、楽しみにしとるけぇのー」
コッフィはぶんぶんと手を振って、どこへともなく立ち去っていく。
和緒はさっさと駅のほうに足を踏み出しつつ、めぐるの頭を小突いてきた。
「とりあえず、あんたもご満悦の様子だし、何よりだったね」
「う、うん。特に問題はなかったよ。……あの、心配かけちゃってごめんね?」
「別に、心配まではしてなかったさ。そんな危険人物だったら、最初から追い返してるしね」
「う、うん。コッフィさんは、やっぱりいい人だったよ。音楽の話を抜きにしても、魅力的な人だしね」
「ほう……どうあっても、あたしから浅ましき独占欲を引き出してやろうという心意気かい?」
「そ、そんなんじゃないよ。かずちゃんがいてくれたら、もっと楽しかっただろうし……」
「そんなとってつけたようなフォローでごまかされるもんかい。これで勝ったと思うなよ?」
と、和緒はめぐるのおさげをくいくいと引っ張ってくる。
口が裂けても言えなかったが、めぐるは何だか和緒に甘えられているような心地であった。
「おー、来た来た! めぐる、おつかれー! 昨日は大変だったみたいだねー!」
やがて部室棟に到着すると、町田アンナの元気な声に出迎えられた。
なおかつその場には、軽音学部の一年生と二年生が勢ぞろいしている。そのただならぬ様子に、めぐるは思わず尻込みしてしまった。
「ど、どうしたんですか? みんなこれから、授業ですよね?」
「みんな、めぐるのことが心配だったんだよー! ま、コッフィさんだったらアブないことはないだろうけどさー!」
そのように語る町田アンナはいつも通りの笑顔であるが、栗原理乃は心配げな表情、野中すずみは憤懣の表情である。ただし、北中莉子は仏頂面、嶋村亨はお地蔵様のようにのほほんとした面持ちであったため、トータルとしてはいつも通りの人間が過半数であった。
しかしそれでもめぐるを心配して、全員がこの場で待ちかまえていたのだ。その事実を理解しためぐるは、大慌てで頭を下げることになった。
「ご、ご心配をおかけして、どうもすみませんでした。何も危ないことはありませんでしたので……」
「でも、数回しか会ったことのない相手の家に泊まるなんて、あまりに非常識ですよ!」
野中すずみが怒った声をあげると、北中莉子が冷ややかに応じた。
「でもべつに、向こうから泊めろって言いだしたわけではないみたいだしね。どっちかっていうと、自分から泊めようなんて言いだすほうが非常識なんじゃないの?」
「そ、そんな言い方、めぐる先輩に失礼でしょ!」
「そうかな。あんたが非常識非常識さわぐと、遠藤先輩が居たたまれない気持ちになるんじゃないかって思ったんだけどね」
北中莉子の言葉に、野中すずみはたちまち慌てた顔をする。
それをなだめるために、めぐるは何とか笑顔をこしらえた。
「た、確かにわたしも非常識なんだと思います。ただ、コッフィさんを放っておけなかったので……どうか、気にしないでください」
「うんうん! 合宿中じゃなかったら、こっちで泊めてあげたかったよー! ウチはむしろ、めぐるが羨ましいぐらいかなー!」
にこにこと笑いながら、町田アンナはそう言った。
「ほんでもって、コッフィさんのことも羨ましいしねー! いいなー、ウチもめぐるの家に泊まりたいなー! でも、三人いっぺんは無理って話だったもんねー! ぬけがけすると、理乃に呪われちゃいそうだしなー!」
「そ、そんなことしないよ。でも……何事もなくて、よかったです」
栗原理乃がおずおずと微笑みかけてきたので、めぐるも「はい」と笑顔を返す。そして、和緒に頭を小突かれた。
「今日の放課後は、あたしらも巻き込まれる側だからね。ブイハチのみなさんも、たいそう心配してらっしゃったよ」
「え? 『V8チェンソー』のみんなにも連絡を入れたの?」
「もともとコッフィさんは、浅川さんからの情報でここまでやってきたわけだからね。責任を分かち合うためにも、一報を入れておいたのさ。……ついでに、あっちのメンバーのみなさんにも連絡を入れてほしかったしね」
「へー。それで、バナトリの人たちに連絡はついたのー?」
町田アンナの言葉に、和緒は「まあね」と肩をすくめる。
「カーニャさんからは、迷惑だったら放置してかまわないっていうドライな返事しかなかったとさ」
「あはは! 目に浮かぶなー! まあ、コッフィさんだったらそれ以上の迷惑はかけないだろうって信用してるのかもねー!」
「うん。たぶんこっちが拒絶しても、コッフィさんはすねるだけなんだろうね。それこそ、この前のライブの日みたいにさ」
「それはかわいそーだから、今日ぐらいはおつきあいしてあげよーよ! コッフィさんも一回セッションしたら、気は済むだろーしさ!」
「そう簡単にいくと、いいんだけどね」
そうして和緒が頭をかいたとき、朝の予鈴が鳴り響いた。
あと五分で、朝のホームルームが始まってしまうのだ。軽音学部の部員一同は、大慌てでそれぞれの教室に向かうことになった。
◇
そしてその日の、放課後である。
『KAMERIA』のメンバー四名は、学校からそのまま電車に乗り込み、スタジオを目指した。そのために、めぐるたちも機材を抱えて登校しているのだ。いったん家に戻ると練習の開始が遅くなってしまうため、放課後のスタジオはこれが通例であった。
そしてスタジオ練習の際には和緒と栗原理乃も機材を持参するため、ライブのときと同程度の大荷物に成り果てる。その日も『KAMERIA』のメンバー一同は電車内の片隅に陣取って、ひそかに言葉を交わしていた。
「コッフィさんから連絡はなし、と。無許可のストリートパフォーマンスで警察に捕縛されていないことを祈るばかりだね」
「あはは。なんだかんだで、和緒もセッションを楽しみにしてるのー?」
「そんなわけあるかい。回避しようのない苦労なら、さっさと決着をつけたいだけだよ」
和緒はあくまで、クールなたたずまいである。浅ましき独占欲とやらにとらわれていないのなら、何よりの話であった。
(でも……もしもわたしが同じ立場だったら、おかしな感情にとらわれちゃうかもなぁ。最近知り合った誰かがかずちゃんの部屋に泊まるなんて、やっぱり何か悔しい気がしちゃうもんなぁ)
めぐるがそんな想念にとらわれると、すぐさま和緒に頭を小突かれてしまう。めぐるはよほど考えていることが顔に出てしまうのか、あるいは和緒の眼力が鋭敏に過ぎるのか――おそらくは、その両方なのだろうと思われた。
「おや。こんなタイミングで、受信だ」
と、目的の駅に到着して電車を降りたとき、和緒がポケットからスマートフォンを引っ張り出した。
「スタジオで待っとる、だとさ。どうやら自力で到着したみたいだね」
「ふーん? セッションが待ちきれないのかなー? ま、ウチらはシリョクをつくしてお相手するしかないねー!」
スリーマンライブから十日ばかりが過ぎても、『KAMERIA』のメンバーの気持ちに変わりはない。残念ながら、まだ『KAMERIA』にはコッフィの全力を受け止めきれるほどの器がないのだ。コッフィは何の疑問も抱いていない様子であったが、今日のセッションで心から満足することはできないはずであった。
(わたしたちは、どんな気持ちになるんだろう。でも、どんなに悔しい気持ちになったとしても……それを乗り越えられるように、頑張るしかないよね)
めぐるはそんな思いを胸に、スタジオまでの道のりを辿った。
そうしていざスタジオに到着してみると、意想外の人物が待ち受けている。それは、浅川亜季に他ならなかった。
「おー、来た来たぁ。コッフィっち、お待ちかねの『KAMERIA』だよぉ」
「おー! かわいこちゃんが勢ぞろいじゃー! みんな、今日はよろしゅうのー!」
オープンのテーブル席についていたコッフィは、満面の笑みでぶんぶんと手を振ってくる。その向かいに座した浅川亜季は、年老いた猫のごとき笑顔であった。
「コッフィさん、おつかれー! でも、なんでアキちゃんまで一緒なのー?」
「今日は夜に用事があったんで、行きがけに寄ってみたんだよぉ。よかったら、あたしも見物させてもらえるかなぁ?」
「おー、いいよいいよー! どうせだったら、アキちゃんも参加しちゃったら? ギターだったら、レンタルできるしねー!」
「いやいや。あたしひとりがまぎれこんでも、不純物にしかならないさぁ。それぐらい、『KAMERIA』はがっちり四人で固まってるからねぇ」
そう言って、浅川亜季はのんびりとコッフィに笑いかけた。
「そんな『KAMERIA』にコッフィっちがまぎれこむとどんな有り様になるのか、興味があってさぁ。あたしは優雅に、見物させていただくよぉ」
「おー! 美人猫ちゃんは、ケンキョじゃのー! うちじゃったら、セッションのチャンスは見逃せんよー!」
いよいよセッションの開始が近づいて、コッフィはご満悦の様子である。
それがいったいどのような結末を迎えるのか、めぐるにもまったく予想はつかなかった。




