エピローグ ~キックダウン~
--SIDE:N--
「あ、ナツさんだー! おーい、こっちだよー!」
土田奈津実がスタジオのロビーに足を踏み入れると、すぐさま中野晴佳がぶんぶんと手を振ってきた。
浅川亜季も布由井照美も、すでに同じテーブルを囲んでいる。土田奈津実は気を引き締めて、そちらに近づいていった。
「どうも。遅刻はしてないですよね」
「うん。時間はまだゆとりがあるけど……ナツさん、その髪!」
「髪が、どうかしましたか?」
土田奈津実がキャップを外すと、浅川亜季も「へえ」と目を丸くした。
「こいつは、見違えたねぇ。ハルっちに対抗して、イメチェンしたのぉ?」
「ふん。バンド内でキャラかぶりはご法度だからね。しかも、左右のあんたたちまでド派手な頭をしてるんだから、負けてられないでしょ」
土田奈津実はひさかたぶりに、ホワイトブリーチをかけたのである。
なおかつそれは昨日の話であったので、髪の根もとまで白金であるはずだ。以前は部分染めを楽しんでいた土田奈津実も、こうまで派手な真似をしたのは初めてのことであった。
「……それはつまり、このバンドでやっていく決心を固めてくれたってことかなぁ?」
浅川亜季がにんまりと笑いながら、土田奈津実の顔を見上げてくる。
土田奈津実は何も答えないまま機材を下ろし、布由井照美の隣にどかりと腰を下ろしてから「まあね」と答えた。
「どうせもう聞いてるだろうけど、うちの馬鹿がまた馬鹿をやらかしてさ。いい加減に、愛想が尽きたんだよ」
「へえ。それだけが理由なの?」
布由井照美が横目で皮肉っぽい眼差しを向けてきたので、土田奈津実は「そうだよ」と言い捨てた。
「この前の水曜日がスタジオだったから、その後でミーティングをしようと思ってたんだけどさ。そこに、あの馬鹿がちょっかいをかけた二人が怒鳴り込んできたんだよ。もう、泣くは叫ぶはの大騒ぎで、警察を呼ばれるところだったんだからね。……あんなやつと組んでたって、上を目指すことなんてできない。だから、すっぱりやめてやったのさ」
「そっかぁ……ナツさんがあんなに忠告してくれたのに、けっきょくこんなことになっちゃって……本当に、申し訳ない限りだよ」
中野晴佳がしょんぼりと肩を落としたので、土田奈津実は慌てて身を乗り出すことになった。
「ちょっかいを出したのはこっちの馬鹿なんですから、中野さんに責任はありませんよ。中野さんのほうこそ、大変だったんでしょう?」
「うん。でも、それはこっちの自業自得だから……」
「それは、こっちこそです。……おたがい、人を見る目がありませんでしたね」
土田奈津実がそのように言いつのると、中野晴佳もようやく元気が出た様子で「うん」とうなずいてくれた。
そして、その隣に陣取った浅川亜季がにゅっと首をのばしてくる。
「それで今度は、あたしたちを選んでくれたわけだねぇ。あたしとしては、ありがたい限りだよぉ」
「ふん。この四人は、みんな人を見る目がないんじゃないの? だったら、お先は真っ暗かもしれないけどね」
「あはは。でもみんな、音を聴く耳は確かだと思うよぉ」
「うん! それにあたしは、みんなの人間性にも心をひかれたんだからね!」
「ふん。よりにもよってリトプリを聴くような、変人の集まりだけどね」
「だからあたしは、動画で見かけただけだってば。あんたたちと一緒にしないでよね」
土田奈津実が言い返すと、中野晴佳と浅川亜季は楽しげに笑い、布由井照美もまんざらでもなさそうに目を細めた。
話が丸く収まったようであるので、土田奈津実は内心で息をつく。
実のところ、土田奈津実は水曜日のスタジオの後に『ペッパーフロート』の脱退を宣言しようと考えていたのだ。ナイトの件は月曜日の段階で中野晴佳から連絡をもらっていたが、それも土田奈津実の決断とは関わりのない話であった。
土田奈津実は、この四人で鳴らす音に打ちのめされてしまったのだ。
このさき『ペッパーフロート』がどれだけ練習を重ねても、あれだけのインパクトを出すことはできそうにない。それぐらい、レベルの違う演奏だったのである。
しかしまた、土田奈津実の目的は音楽で身を立てることとなる。
たとえば布由井照美が所属している『ソル・ド・スー』も大層な実力派バンドであるが、あれでメジャーデビューを目指すことは難しいだろう。ヴォーカルの女性はソロシンガー、残る三名はスタジオミュージシャンでも目指すほうが、よほど近道なのではないかと思われた。
よって、どれだけの迫力があろうとも、それだけで土田奈津実が心を動かすことはない。
しかし、この四人であれば音楽の玄人をうならせるほどの完成度を目指しつつ、誰もが素通りできないほど魅力的なバンドを作りあげることができるのではないか、と――土田奈津実は、そんな思いに見舞われたのだった。
(そこで一番のネックになるのは……あたし自身なんだけどな)
何せこのバンドには、浅川亜季が存在するのである。
このバンドのヴォーカルに相応しいのは、彼女なのではないか――前回のスタジオから一週間が過ぎた今でも、土田奈津実はそんな思いをぬぐいきれずにいた。
しかしまた、彼女の存在が土田奈津実の力を底上げしてくれたのも事実である。
彼女の歌声に対抗するために、土田奈津実は死力を振り絞ることになった。それで自分がまだまだ限界を踏み越えていなかったことを思い知らされたのだ。
そして、布由井照美と中野晴佳の存在もまた然りである。
彼女たちの演奏も浅川亜季の歌と同様に、土田奈津実の底力を引き出してくれた。その魅力的で力強い演奏もまた、土田奈津実のライバルであると同時に起爆剤に成り得たのだった。
だからこれは、勝負である。
三人の力を我が物にできるか、あるいは土田奈津実が潰されることになるのか――土田奈津実がこのバンドに確かな居場所を見出すことさえできれば、これまで想像もしていなかったようなバンドを完成させることができるはずであった。
「それじゃあ今日は、バンドの結成記念日だね! あたし、ほんとに嬉しいよー!」
と、中野晴佳のはしゃいだ声が、土田奈津実を現実に引きずり戻した。
「そこで、提案があるんだけどさ! 同じバンドでやっていくなら、敬語やさんづけは禁止にしない?」
「ふん。私は最初から、そうしてるけどね」
布由井照美が素っ気なく応じると、中野晴佳は「あはは」と笑った。
「でも、苗字の呼び捨てっていうのも、ちょっとよそよそしいかなー! よかったら、名前で呼んでもらえる?」
「それともいっそ、春夏秋冬の部分をステージネームにしちゃうとかねぇ。正直、テルミよりもフユのほうがしっくりくるからさぁ」
「あー、いいかも! それじゃああたしは、フユちゃんって呼ばせてもらうね!」
「どうぞ、ご随意に。どうせ苦労するのは、こいつだけだろうしさ」
布由井照美がそんな風に言いたてたので、土田奈津実は「ふん」と鼻を鳴らしてみせた。
「言っておくけど、あたしだってバンドのメンバーに遠慮したりしないよ。前のバンドだって年上の人間はいたけど、そいつらにだってタメ口だったしさ」
「あ、そーなんだ? じゃ、あたしにもその方向でよろしくねー!」
「うんうん。試しに、ハルって呼んでみたらぁ?」
たちまち中野晴佳と浅川亜季に挟撃されて、土田奈津実は顔を赤くすることになった。
「そんな正面から切り込まれたら、こっちだって身構えちゃうでしょ! あたしのことは、ほっといてよ!」
土田奈津実がどれだけいきりたっても、他の面々の楽しげな様子に変わりはない。
土田奈津実は憤懣やるかたなかったので、とっておきの爆弾を投下することにした。
「それじゃあ、ファーストライブは来月だからね! 大恥かかないように、気合を入れな!」
「え? 来月? いくら何でも、それは早すぎない?」
「そうだよ。そんな短期間で、オリジナルの曲を固められるわけないでしょ」
「……それとも何か、急ぐ理由でもあるのかなぁ?」
「うちのバンドで、ブッキングを入れてたんだよ! こっちの都合で穴をあけたらライブハウスの信用を失うから、無理やりにでも出るんだよ! 何か、文句ある?」
土田奈津実がにらみ回すと、三人はそれぞれ異なる表情を浮かべた。浅川亜季はチェシャ猫のような笑顔、中野晴佳は感心したような表情、布由井照美は思案深げな表情だ。
「本当に、ナツは律儀なんだねぇ」
「うん……実はこっちも一本だけ、ブッキングを入れちゃっててさ。土下座してでも許してもらうつもりだったんだけど……そんなことされたって、ライブハウスの人も困るだけだよね」
「ライブに穴をあけたら、それがそのままライブハウスの損失になるんだからね。ステージのキャンセル料だけ払っても、その日に見込んでたドリンク代はパーなんだからさ」
そんな風に言ってから、布由井照美はいっそう真剣な面持ちになった。
「ただ……それでも、オリジナルは間に合わない。そんな中途半端なステージを見せたら、それこそ評価を下げるだけだからね。やるなら、カバー一択だよ」
「ほうほう。このせっかくのバンドを、コビバンでスタートさせるのぉ?」
「コピーじゃなくて、カバーだよ。なんなら、セッションバンドっていう扱いにして……いずれはこの四人でオリジナルバンドを結成するって告知したら、いいピーアールになるんじゃないの?」
「おー、それはちょっと楽しいかも! この前のカバーも、めっちゃ楽しかったもんねー!」
「うんうん。いっそ、ワンドとベイビーのカバーで固めちゃおっかぁ。『トライ・アングル』のおかげで、違和感はないだろうしねぇ」
土田奈津実の投じた爆弾は、とんとん拍子で解体されてしまった。
しかし、それが当然の話であるのだろう。このていどの話でつまずいていたら、土田奈津実が覚悟を固める甲斐もなかった。
「じゃ、ナツとハルのブッキングを埋める形で二本のライブをやって、その後にオリジナルバンドのデビューライブだねぇ。うまくいけば、年明けぐらいには実現できるかなぁ」
「余裕を持つなら、二月あたりだろうね。生半可なものは見せられないから、じっくり音を固めるべきでしょ」
「異議なーし! じゃ、今日の練習はどうしよっか? この前の二曲を合わせながら、オリジナルのほうも進めちゃう?」
「よかったら、あたしの曲を使い回してほしいなぁ。このメンツなら、まったく違う仕上がりになるだろうしねぇ」
「それは、あんたの作詞作曲なんだろうね? それならまあ、許容してやらなくもないよ」
その場では、ぐんぐん熱気が高まっていった。
『ペッパーフロート』では体感したこともないような、熱気と活力である。彼女たちはそれだけバンド活動に熱意を持っているからこそ、あれだけの演奏を実現できるのだろう。
その熱気が、土田奈津実の心をも昂揚させていく。
しかし、ここで浮かれることは許されなかった。
(あたしはバンドに、楽しさややりがいを求めてるんじゃない。あたしは音楽で、上を目指すんだ)
それが、土田奈津実の覚悟である。
この四人で集まることが、どんなに楽しくても――この四人の演奏が、どれだけ刺激的でも――上を目指せなければ、意味がない。そしてまた、そこに自分の居場所を確保できれなければ、どれだけの結果を出しても虚しいだけであった。
(……ただバンドを楽しむだけだったら、こんな最高のメンバーは他にいないんだろうけどさ)
そんな思いを腹の底に呑みくだして、土田奈津実は立ち上がった。
「ほら、そろそろ予約の時間だよ? お金はもう払ってるの? じゃ、さっさと練習を始めるよ!」
「最後に来たやつが、偉そうに仕切るんじゃないよ」
「あはは。もうお金は払ってるから、大丈夫だよー! 今日も頑張ろうねー!」
「うんうん。楽しみなことだねぇ」
他の面々も、それぞれ熱意をみなぎらせながら身を起こす。
そうしてひょんなことから寄り集まった四名は、その先にどのような結末が待っているかも知らないまま、理想のバンドを求めてひた走ることになったのだった。
2026.1/27
今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。




