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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Side:V-

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337/364

10 破壊と再生


     --SIDE:H--


「ハ、ハルカちゃん、本気で言ってるの……?」


 ミナが泣きそうな顔で詰め寄ってきたので、中野晴佳は心を鬼にして「うん」とうなずいた。


「突然の話で、ごめんね。でも、あたしは新しいバンドに全力で取り組みたいから……『バグライフ』を脱退する」


 四人で取り組んだスタジオ練習から一日置いて、月曜日の午後である。大学のラウンジにカノコとミナを呼び出した中野晴佳は、二日前に下した決断を両名に伝えることになった。


 ミナはおろおろとしているが、カノコは他人顔でそっぽを向いている。自分の意に沿わない話が持ち出されたとき、カノコはそうやってやりすごそうとする人間であるのだ。しかし今日ばかりは、中野晴佳もなあなあですませるつもりはなかった。


「今まで黙ってたけど、あたしはずっと悩んでたんだよ。このバンドを続けていくべきかどうかって。あたしは、本気で上を目指したいからさ。真剣に考えて、答えを出したの。どうか、受け入れてもらえる?」


「……べつに、いいんじゃない?」と、カノコはあらぬ方向を向いたまま言い捨てた。


「あたしだって、本気で上を目指してるからさ。余所のバンドに浮気するような相手とは、やってられないよ。まあ、けっきょくはご縁がなかったってことだね」


「カ、カノコちゃん、本当にいいの? これまでずっと、三人で頑張ってきたのに……」


「その結果が、これでしょ? やめたいって言ってる人間を引き留めたって、どうにもならないよ。あたしが歌えば、それが『バグライフ』だから。ドラムなんて、誰でもかまわないさ」


 やはりこのような結末に至っても、カノコは中野晴佳の前で本心をさらさないようである。

 これが彼女の価値観であり、美意識であるのだ。それもまた、中野晴佳に決断を下させた大きな一因であった。


「……でも、やり口がセコいよね。本当に、そんなバンドで上を目指すつもりなの? もしかして、あたしに嫌がらせをしてるつもり?」


 と――カノコの声に、じわりと陰湿な悪意がにじんだ。

 これまで中野晴佳には、決して見せなかった一面である。それで中野晴佳が驚いていると、カノコはさらに言いつのった。


「『ペッパーフロート』の女ヴォーカルなんて、大した実力じゃなかったじゃん。そんな相手と新しいバンドを組むなんて、あてつけだとしか思えないなぁ」


「……ごめん、意味がわからないんだけど。どうしてそれが、あてつけになるの?」


「わかってるくせに。……けっきょく、あたしがナイトくんとつきあったのが気に入らないだけなんじゃないの? あんたはわざわざ、ナイトくんを相手にしないようにっておせっかいを焼いてきたもんね。あれも本当は、自分がナイトくんを狙ってたんじゃないの?」


 中野晴佳は、心から驚かされることになった。


「ナ、ナイトくんって、『ペッパーフロート』のヴォーカルのこと? あの人とカノコちゃんが、つきあってるの?」


「白々しい」と、カノコはそっぽを向いたまま口もとをねじ曲げた。

 それもまた、中野晴佳が初めて目にする表情である。中野晴佳はお別れの日になって、ようやく彼女の本心に触れることができたようであった。


(あたしがあんなに忠告したのに、陰でこっそりつきあってたのか……せっかくナツさんが忠告してくれたのに……)


 中野晴佳がそんな無念を噛みしめたとき、ミナが「……嘘だ」とつぶやいた。

 ミナは深くうつむいて、テーブルの表面を見据えている。その目に何か、どろどろとした情念が渦巻いているように感じられた。


「……ナイトくんは、カノコちゃんとつきあったりしないよ。どうして、そんな嘘をつくの?」


「何が嘘なの? ミナちゃんには関係ないでしょ」


「関係あるよ。ナイトくんは、わたしとつきあってるんだから」


 カノコはそっぽを向いたまま、肩をすくめた。


「何それ? 馬鹿みたい。ナイトくんがミナちゃんなんか相手にするわけないじゃん」


「そんなことないよ。ナイトくんはコトノちゃんみたいな正統派の美人はタイプじゃないって言ってたよ」


「ナイトくんは、首から下だけならミナちゃんも合格点って言ってたよ。お気の毒さま」


「嘘だ!」と、ミナがひびわれた声を張り上げた。

 その声に鼓膜を脅かされながら、中野晴佳はひとり天井を見上げる。どうやら中野晴佳が決断を下す前から、『バグライフ』は崩壊を始めていたようであった。


 一年余りも活動してきた『バグライフ』は、今日この場で跡形もなく消滅するのだ。

 きっとこれから、女同士の恐ろしい修羅場が展開されるのだろう。中野晴佳はそのさまをしっかりと見届けてから、過去の自分と決別するしかないようであった。



     --SIDE:F--


「……それでけっきょく、大学のど真ん中で壮絶なキャットファイトが繰り広げられたわけかい。そいつは、お疲れさんだったね」


 初めてのスタジオ練習から一週間後の土曜日――スタジオのロビーにて『バグライフ』解散の顛末を聞き終えた布由井照美は、そんな風に答えながら肩をすくめることになった。


 今日は浅川亜季も早々に到着しており、そろっていないのは土田奈津実のみだ。中野晴佳は意外にさばさばした顔で、「まったくだよー」と苦笑した。


「だけどまあ、あれがみんなの本性だったわけだからね。あたしは人間性に目をつぶってバンドを頑張ろうなんて考えてたから、文句を言う資格はないかな」


「ハルっちが、悟りの境地に至っちゃったねぇ。そんな話で、人間不信にならないことを祈るばかりだよぉ」


「あはは。アキさんこそ、男性不信になったりしてない?」


「ふふん。そうしたら、女に走るだけのことさぁ。まあ、バンド内の恋愛禁止ってポリシーに変わりはないから、みなさんはご心配なくぅ」


 そんなふざけたことを言いながら、浅川亜季は布由井照美に向きなおってきた。


「でもまさか、知らないところでそんな騒ぎになってたとはねぇ。ナツっちは、大丈夫なのかなぁ」


「さてね。キャットファイトの一件は、あいつに連絡を入れたんでしょ?」


「うん。ナツさんは落ち着いたもんだったよ。返信も、『うちの馬鹿がご迷惑をおかけしました』のひと言だったしね」


「そっかぁ。それで尻軽くんに見切りをつけてくれたら、何よりなんだけど……でも、そんな話がなくっても、こっちのバンドを選んでほしいところだなぁ」


 そんな風に語りながら、浅川亜季はあくまでのほほんとした面持ちである。本当に、演奏中とは別人のように脱力した姿であった。


「あんたのほうこそ、話はついたの? 今日までに決着をつけるって話だったよね」


「うん、ついたついたぁ。ま、むこうもフラれるイコール解散ぐらいの覚悟で告ってきたんだろうしねぇ。最後は、あっさりしたもんだったよぉ」


「そうかい。じゃ、あとは土田のやつだけだね」


「うん。フユさんは、もめる理由もないもんね」


 と、中野晴佳が無邪気に笑いかけてくる。

 それで布由井照美も、ついに事情を通達することになった。


「ああ、こっちも『ソル・ド・スー』は解散することになったからさ。いちおう、そのつもりでね」


 中野晴佳と浅川亜季は「え?」と目を丸くした。


「ちょ、ちょっと待ってね。解散って、どういうこと? フユさんは、掛け持ちで続けていくんじゃなかったの?」


「私はそれでかまわなかったけど、あっちが解散するって言い出したんだよ。無理に引き留めたってしかたないから、ブッキングしてる分のライブだけこなして、きっちり終わらせることになったのさ」


「な、なんでなんで? フユさんが別のバンドを始めることが、そんなに気に入らなかったの?」


「うちのメンバーはみんな掛け持ちしてるんだから、今さら文句をつけられることはないさ。ただ、音楽性の違いが露呈して、続ける意義がなくなっただけだよ」


 それは、すべて真実である。もとより『ソル・ド・スー』は音楽性の違いに折り合いをつけながら活動していたので、その折り合いがつかなくなっただけの話であった。


 ただし、最後の引き金を引いたのは、布由井照美自身である。

 つい三日前に行われた『ソル・ド・スー』のスタジオ練習において、布由井照美が思いのままにベースをかき鳴らすと、すべてのメンバーから文句をつけられることになったのだ。


「この曲で音を歪ませる必要はないだろ。ヘヴィロックじゃあるまいしさ」

「そうそう。こういう曲は、ベースのウォーミーな音が醍醐味だろう?」

「ただでさえ、こんなレゲエっぽい曲はあたしの好みじゃないんだからね。余計な真似をして、かき乱さないでよ」


 布由井照美がより理想的な完成を求めて練りぬいた音とフレーズに、そんな言葉を返されることになったのである。

 それが三曲続いたところで、ついに「解散」の言葉が飛び出したのだった。


「それが照美の出したい音なんだったら、そういうバンドを作ればいいさ」

「そうだな。このバンドには、余計な要素だよ」

「ベースは、アンサンブルの要でしょ? ステージでいきなりそんな音を出したら、あたしは帰るからね」


 三名のメンバーたちは怒るでもなく、そんな風に言っていた。

 ヴォーカルの美玲のみは不機嫌そうな面持ちであったが、布由井照美がこれまで通りの音でこれまで通りのフレーズを紡ぐと、何事もなかったかのように美しい歌声を響かせた。そして、解散することにもいっさい異議はないようであった。


 だからこれが、『ソル・ド・スー』の限界であったのだろう。

 布由井照美が我を抑えて、三名の好みのバランスを取ろうと腐心することで、かろうじて和が保たれていたのだ。解散が決定した折には、心なし誰もが清々しげな表情を見せていたものであった。


(だけどまあ……けっきょく原因は、こいつらなんだけどな)


 浅川亜季の呑気な顔と中野晴佳の心配げな顔を見比べながら、布由井照美はこっそり考えた。

 布由井照美は彼女たちとの合奏で、好きなように我を出す楽しさを思い知ってしまったのだ。さまざまなジャンルの音楽を聴きあさり、さまざまなベースのテクニックを習得して、さまざまな音作りを学んだ布由井照美が、あのスタジオでは持てる力をすべて振り絞ることになり――そして彼女たちは、真正面からそれを受け止めてしまったのである。


 ベースはアンサンブルの要であるのだから、そうまで我を出すことが正しいとは思わない。

 しかし布由井照美とて、やみくもに超絶技巧を見せつけたいわけではないのだ。その楽曲にもっとも相応しいと思える音とフレーズを選びぬき、理想の楽曲を完成させたいと願っているのみなのである。


『ソル・ド・スー』のメンバーは、それを受け入れてくれなかった。

 そして、このスタジオに集まった面々は受け入れてくれた。要約すると、それだけの話であった。


 本業の合間に楽しむユニットや、サポートを受け持っているバンドであれば、自分よりも相手の意向を重んじるべきであろう。

 しかし、自分にとってのメインバンドでは、対等の立場で我をぶつけあいたい――布由井照美がひそかに抱えていた欠落感の正体が、それであったのだ。『ソル・ド・スー』では決して満たされることのなかった思いが何であったのか、布由井照美はようやくその正体を知ることになったのだった。


(私がどんな音を出したって、こいつらはムキになって立ち向かってくるんだろうな)


 布由井照美がそんな風に考えていると、浅川亜季が「おやおやぁ?」とチェシャ猫のように笑った。


「フユっちも、何だかご満悦だねぇ。あんなに立派なバンドが解散しちゃうのに、そんなに嬉しいのかなぁ?」


「そんなわけあるかい」と、布由井照美は浅川亜季の真っ赤なざんばら髪を引っぱたいた。

 酒の席では同じ行為に及んでいたが、素面では初めてのことだ。しかし浅川亜季は、むしろ嬉しそうににまにまと笑っていた。

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