05 特攻
--SIDE:A--
そうして、その日のイベント――その名も『ノンジャンル・ウォー』は粛々と開始された。
そのイベントタイトルが示している通り、今日はあえてバラバラのジャンルのバンドが集められている。70年代パンクのコピーバンド、元気で明るいビートパンク系のガールズバンド、ゴリゴリのガレージロック、男女ヴォーカルのポップロック、そして渋めのミクスチャー系という取り合わせだ。
これだけジャンルが掛け離れていれば、客層が異なるのも道理であろう。さらにはバンド同士の交流も薄いため、自分たちで呼んだお客の他はほとんど一見の相手となるのだ。そこで新たな客層を開拓して、バンドとしての飛躍を目指すべし――というのが、このイベントのコンセプトであった。
唯一の共通点は、すべてのバンドに女性ヴォーカルが存在することである。
それは今回限りの特別な要素であったが、何にせよ、そういう共通点をもたせることでひそかに競争心を煽っているのだろう。いかにも、ジェイ店長の考えつきそうなことであった。
(普段だったら、あたしも存分に燃えてたんだろうなぁ)
客席でひとりぼんやりとたたずみながら、浅川亜季はそんな風に考えた。
ステージ上では、すでに二番手の『バグライフ』が演奏を開始している。トップバッターの『ヒトミゴクウ』は相変わらずの荒くれた迫力であったが、こちらの可愛らしいバンドも決して勢いでは負けていなかった。
三名の女性メンバーたちは、誰もがゴスロリファションに身を固めている。黒を基調にしたフリフリのドレスで、三者三様それぞれ似合っていた。
それに、演奏のほうもなかなかのクオリティである。可愛らしい外見に反して演奏は荒々しく、それでいて歌メロはキャッチーだ。あともうひと押し独自の魅力を開花できれば、とんとん拍子で駆けあがっていくのではないかと思われた。
あとは浅川亜季個人の意見として、ドラムの音がとても心地好い。
楽屋で面識を得た中野晴佳というドラマーはもっとも幼げな容姿をしていて体格もちんまりしているのに、浅川亜季のバンドメンバーたるヒロキを上回るほど野太い音を鳴らしているのだ。
バスドラばかりでなく、スネアまでもがどすどすと身体の芯に響いてくる。シンバルの音色も華やかで、ハイハットは小気味がいい。『バグライフ』はアップテンポの曲が多いが、ミドルテンポの曲であればもっとドラムが映えそうなところであった。
(リズムとかはそこまで安定してないけど、そんなもんは気にならないぐらい勢いがあるし……まだ若いのに、大したもんだなぁ)
そうして美人のヴォーカルさんが可愛らしい笑顔で『最後の曲です!』と宣言したところで、浅川亜季はきびすを返した。
階段を上がり、バーフロアを横断して楽屋のドアを開けると、重苦しい空気がもわっとあふれかえってくる。楽屋では、ヒロキとショータがそれぞれ仏頂面でそっぽを向いていた。
「……遅えよ。もうラストの曲だぞ?」
ショータが不機嫌そうな声を投げかけてきたので、浅川亜季は「あっそ」と応じた。
ショータのほうも、それ以上は言葉が続かない。リハでも情けない演奏を見せてしまったことを、後ろめたく思っているのだろう。浅川亜季も、それをフォローする気持ちにはなれなかった。
「あのさ、アキ……」
と、今度はヒロキがおずおずと声をあげる。
浅川亜季は壁に掛けておいたレスポールをつかみ取りながら、視線も向けずにさえぎった。
「悪いけど、おしゃべり気分じゃないんだよねぇ。言いたいことがあるなら、プレイで語ってよぉ」
どうせ何を話しても、同じ会話の繰り返しであるのだ。
もうヒロキたちの言い訳は耳にしたくなかった。
(あたしは女としてじゃなく、バンドのメンバーとしてあんたたちに認められたいんだよぉ)
浅川亜季の胸に渦巻くのは、そんな思いだけである。
それもまた、ステージ上で叩きつけようという覚悟であった。
「どうもお疲れ様でーす! 搬出、完了しましたよー!」
しばらくして、『バグライフ』の面々がステージから戻ってきた。
美人のヴォーカルは、心から満足そうな笑顔だ。そして、中野晴佳もタオルで顔をふきながら、浅川亜季に笑いかけてきた。
「そっちも、頑張ってね。あたしも客席で応援してるからさ」
「ありがとぉ。死力を尽くして頑張るつもりだよぉ」
中野晴佳を前にすると、浅川亜季は自然に笑うことができた。
この中野晴佳という女性は、根っから善良そうなオーラがあふれかえっているのだ。そして、プレイヤーとしてもあれだけの実力を持っているのだから、もはや文句のつけようもなかった。
「えー、なになに? いつのまに、そんな仲良くなってたのー?」
と、ベース&ヴォーカルの女性が割り込んでくると――中野晴佳の笑顔に、影がさした。
中野晴佳も何か悩みを抱えているという話であったので、きっとこのメンバーが原因であるのだろう。浅川亜季も、ステージの外ではこちらの女性に魅力を感じなかった。
(なんか、笑顔が嘘くさいんだよなぁ。無邪気キャラを装ってるけど、いかにも腹にいちもつ抱えてそうな雰囲気だしさぁ)
そして、ギターの女性はおどおどと目を泳がせながら、メンバーの姿をちらちらと盗み見ている。なんだか、飼い主のご機嫌をうかがう犬のような挙動だ。この『バグライフ』も『ドープドランカー』に負けないぐらい、メンバー間の人間関係に問題を抱えていそうだった。
(それでも立派なステージをこなせるだけ、あたしらよりはマシなのかもねぇ)
そんな思いを込めて中野晴佳に笑いかけてから、浅川亜季はいざステージへと繰り出した。
--SIDE:H--
(うわ……すごいな、これ)
大急ぎで着替えて客席に移動した中野晴佳は、とてつもない感慨に見舞われることになった。
『ドープドランカー』が、それだけのステージを見せていたのだ。知らず内、中野晴佳の背中には鳥肌が立っていた。
ステージでは、浅川亜季がチェリーレッドのレスポールをかき鳴らしながら熱唱している。
いや、熱唱という言葉では追いつかない、獣の咆哮を思わせる迫力である。もとより彼女はリハーサルでもワイルドな歌声を披露していたが、それとも比較にならない迫力であった。
楽屋ではあんなにのほほんとした顔を見せていた浅川亜季が、鬼気迫る迫力で歌声をほとばしらせている。
時にはブレスが追いつかず、もともとしゃがれている歌声がかすれて震えたが、それすらも壮絶な迫力に転じていた。
まるで、歌で世界を壊そうとしているかのようだ。
暴力的で、猛々しい。死にかけた狼が、最後の力で牙を剥いているかのような――その迫力が、中野晴佳の心にぐいぐいと食い入ってきた。
(なんだか、まるで……『SanZenon』みたい)
『SanZenon』は、古い時代に活躍していたインディーズバンドである。ヴォーカルの女性が不慮の事故にあってバンドは消滅してしまったが、この世にたった一枚だけ残されたミニアルバムには凄まじいばかりの迫力と情念が詰め込まれているのだ。今の浅川亜季は、その『SanZenon』に匹敵するほどの凶悪な迫力を爆発させていた。
わずか十八歳でこれほどの迫力を出せるとは、大した話である。
しかし、中野晴佳は心から驚嘆すると同時に、正体の知れない切なさを感じていた。
彼女はこれで、本当に楽しいのか、と――そんな疑念が払拭できないのである。浅川亜季は、それこそ自分の生命を削って世界に噛みついているような様相であったのだ。それもまた、『SanZenon』の音源から受ける印象とよく似通っていた。
そうして中野晴佳が半ば呆然としながら見入っていると、じわじわと重低音がせり上がってくる。
これまで意識の外にいたベースとドラムの音色が、浅川亜季の歌声とギターの音色に追いついてきたのだ。どうやらこれまでは、浅川亜季の迫力でリズム隊の存在がかすんでいたようであった。
まるで浅川亜季の迫力に引きずられるようにして、リズム隊の音圧が増していく。
そういえば、彼らは顔合わせの場でジェイ店長に苦言を呈されていたのだ。他のバンドの人間が居合わせている場で「調子が出ていない」などと評されるのは、よっぽどの話であるはずであった。
(アキさんも、何か悩みを抱えてるって話だったもんね)
そんな悩みを蹴散らそうとばかりに、浅川亜季は凄まじい歌声を振り絞っている。
その悲壮な姿に、中野晴佳は思わず涙ぐんでしまいそうだった。
「……ふん。ようやくリズム隊も、火がついたみたいだね」
いきなりそんな言葉を耳もとに囁きかけられて、中野晴佳は跳びあがりそうになった。
誰かと思えば、『ソル・ド・スー』の布由井照美である。背の低い中野晴佳のために長身を屈めながら、その切れ長の目は一心にステージを見据えていた。
「でも、一曲目からコレじゃあ、先が思いやられるね。これで最後までもつのかどうか、見ものだよ」
「うん、そうかもね。……あ、フユさんにもタメ口でかまわないかなぁ?」
布由井照美はステージのほうを見据えたまま、苦笑を浮かべた。
「なんで、年上のあんたが遠慮するのさ? 年上なら年上らしく、ふんぞりかえってなよ」
「だって、フユさんはすごい貫禄だからね」
そうして布由井照美と語っていると、切ない気持ちが少しだけ緩和された。
しかし、ステージ上の熱気は上昇するいっぽうである。布由井照美の言う通り、浅川亜季が途中で力尽きてしまうのではないかと、中野晴佳はハラハラしてしまった。
しかし浅川亜季は、そのままの勢いで今日という日のステージを駆け抜けた。
後半にいくにつれて声はどんどんかすれていき、荒々しいギターもミスタッチが増えて、最後の曲ではついに弦が切れてしまったが――それでも、世界を食い破ろうという迫力だけは、最後までまったく揺るがなかった。
「なんとか、乗り切ったか。この次が出番のやつは、ご愁傷様だね」
「うん。本当にすごいステージだったね。でも……アキさんがちょっと心配だなぁ」
「あれだけやったら、死んでも本望でしょ。何があったか知らないけど、しばらくは落ち込む余力もないだろうさ」
布由井照美はいかにも素っ気ない物言いだが、あまり冷たい感じはしない。なんとなく、浅川亜季のステージに衝撃を受けている中野晴佳を思いやってくれているような気配も感じられた。
(……本当に優しい人っていうのは、こういう人のことを言うのかな)
最近のカノコはどんなに笑っていても、中野晴佳の気分を沈ませる。いっぽう布由井照美は皮肉っぽい表情や苦笑ぐらいしか見せないのに、中野晴佳の心を安らがせてくれるのだ。本当に、年少とは思えないような包容力であった。
「あんたのステージも、悪くなかったよ。ま、あんまり私の趣味じゃないけど、メンバーそれぞれいいものを持ってるんじゃない?」
「うん、ありがとう。あたしも、バンドそのものには不満もないんだよね」
そうして中野晴佳が溜息をつくと、布由井照美はまた苦笑を浮かべた。
「ステージはしっかりこなせたんだから、さっきのあいつよりはマシなんじゃない? あいつなんて、不甲斐ないメンバーのために生命を削ったようなもんだからね」
「ああ、あたしもそんな風に思ってたんだよね。最初はリズム隊が頼りない感じだったからさ」
「リハではまったくリズムが噛み合ってなかったし、ステージでもけっきょく綱渡りだったよ。それであいつは無茶苦茶な特攻をして、リズム隊を引っ張り回すしかなかったんだろうさ」
「うん。あれはちょっと、しんどそうだよね」
「ちょっとどころの騒ぎじゃないさ。もしもうちの連中が、あんな不甲斐ない姿を見せたら――」
「なになに、なんの話かなぁ?」
と――中野晴佳と布由井照美は、まとめて肩を抱かれることになった。背後からのしかかってきた浅川亜季が、二人いっぺんに肩を抱いたのだ。
「わ、びっくりした。アキさん、お疲れ様」
「あんた、汗だくじゃん。こっちはこれからステージなんだから、勘弁してよ」
「あはは。そいつは、失礼しましたぁ」
身を引いた浅川亜季は、その手にぶらさげていた小瓶のビールをラッパ飲みする。そのために、年齢を詐称しているのだろう。彼女はTシャツ一枚の姿で首からスポーツタオルをひっかけており、真っ赤なざんばら髪から汗を滴らせていた。
「しばらくは、楽屋でへたばってると思ったよ。意外に、しぶといね」
「メンバーと口をきく気になれなかったから、さっさと退散してきたのさぁ。こんなにしんどいステージは、もうカンベンだよぉ」
そんな風に言いながら、浅川亜季は呑気な笑顔である。
その姿に、中野晴佳はまた感じ入ってしまった。
「アキさんって……のほほんとしてるけど、タフなんだね。あたし、尊敬しちゃうなぁ」
「あはは。今のあたしはめろめろだから、そんな甘い言葉をかけられるとクラッときちゃうなぁ。あの尻軽男とは大違いだねぇ」
「え? もしかして、あのヴォーカルさんにナンパされちゃったの?」
「うん。楽屋に戻ったら、いきなり打ち上げに誘われたよぉ。シカトしてたら、ナツっちが間に入ってくれたねぇ」
あんなステージを見せた直後の浅川亜季に気安く声をかけるなど、呆れ返るほどの蛮勇である。中野晴佳にしてみれば、感性がどうかしているとしか思えなかった。
「だけど今日は、とことん飲みたい気分だからさぁ。よかったら、こっそりご一緒してくれるぅ?」
「うん、もちろん! フユさんも、どうだろう?」
「そんな話は、ステージの後でお願いするよ。こちとら、これから本番なんだからさ」
布由井照美はしなやかな腕を組みながら、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
そのとき、店内のBGMがフェードアウトして、優しいピアノの演奏によるSEが流され始めた。
次の出番は土田奈津実と軽薄な男性ヴォーカルが所属する『ペッパーフロート』である。
リハーサルではそれなりの演奏を見せていた彼らが、凄まじい迫力であった『ドープドランカー』の直後にどのようなステージを披露するのか、中野晴佳も心して見守ることにした。




