04 邂逅
--SIDE:F--
リハーサルと顔合わせを終えた後、布由井照美はひとり楽屋でくつろいでいた。
他のメンバーたちは、どこに行ったのかもわからない。『ソル・ド・スー』は個人主義の集まりであるため、食事をともにすることも滅多にないのだ。とりわけライブ前には、別行動を取るのが常であった。
先刻までは『ドープドランカー』のベースとドラムも陣取っていたのだが、いつまで経ってもギター&ヴォーカルの女性が戻ってこないためか、それぞれ楽屋を出ていった。なおかつ彼らは楽屋にいる間、ひと言たりとも言葉を交わそうとしなかった。
(あちらさんも、個人主義の集まりか。ま、スタジオやステージの外でべたべたつるんだって、バンドの質が上がるわけじゃないしね)
布由井照美はソファの席でゆったりと身をのばし、イヤホンでジャズのサウンドを楽しんでいる。美玲が来場したならば黙ってはいられないので、それまでは心安らかに過ごしておきたかった。
その静寂が、突如として破られる。
本日の出演者の一名が、勢いよく楽屋に踏み入ってきたのだ。
それは、トリ前に出る『ペッパーフロート』というバンドの女性ヴォーカルであった。
まずは布由井照美をにらみつけたかと思うと、雑然とした楽屋の内部に視線を巡らせる。そしてずかずかと楽屋に踏み入り、小さなシャワーユニットの手前に垂れたカーテンを引き開けて、無人であることを確認してから溜息をついた。
「……あんた、なんでひとりなの?」
布由井照美は「あん?」と応じながら、心地好いジャズのサウンドを停止させた。
「なんでって、何がさ? 私がどうしようと、私の勝手でしょ?」
「頼もしいメンバーが二人もいるのに、わざわざ単独行動する必要ないじゃん。ちょっと不用心なんじゃないの?」
「……その言葉、そっくりお返しするよ」
「あたしは、いいんだよ」と勝手なことを言いながら、その女性は布由井照美の正面のソファにどかりと座り込んだ。
「とにかくさ、あんたにちょっと話があるんだよ。真面目な話なんで、真面目に聞いてもらえる?」
「だったらその前に、自己紹介でもしてもらいたいもんだね」
布由井照美は身を起こし、イヤホンを外しながら、相手の顔を見返した。
ショートヘアーで、ちまちまとした体格の、小柄な女性だ。なかなか可愛らしい顔立ちをしているが、今は不機嫌そうに眉を吊り上げている。オーバーサイズのプルオーバーにブラックデニムというラフな格好であったが、端々にセンスのよさが感じられた。
「……あたしは、土田奈津実だよ。そっちは?」
「布由井照美」
「布由井さんね。年齢は?」
「……なんで年齢まで必要なわけ?」
「あたしはキャリアより、年齢重視なんだよ。大人っぽく見えるけど、あたしとそんなに変わらないぐらいでしょ?」
なんだかキャンキャンと吠える子犬のような風情であるが、布由井照美の反感を刺激するほどではない。それで布由井照美も、素直に「十九だよ」と答えることにした。
「十九歳か。じゃ、タメだから、このまましゃべらせてもらうよ。……あんたさ、うちのヴォーカルがちょっかいをかけても、無視してくれる?」
「は? なんだよ、そりゃ。自己紹介が終わっても、やっぱり唐突だね」
「いいから、真面目に聞いてってば。あいつ、女癖が悪いんだよ。もうモメゴトはカンベンだから、あんたの側で用心をしてもらえる?」
布由井照美は馬鹿馬鹿しさのあまり、溜息をつくことになった。
「しょうもない話だね。そんなもんは、まず当人を何とかするべきじゃない?」
「それが無理だから、あんたにお願いしてるんだよ。……まさか、あんな女たらしがタイプなわけじゃないよね? どんなに見栄えがよくっても、あんなやつにひっかかったら最後に泣きを見ることになるよ?」
「……なんか、鬱陶しいわ」
布由井照美は興味を失って、再びソファに横たわった。
すると土田奈津実は、いっそう険悪にわめきたてる。
「こっちにとっては、冗談ごとじゃないんだよ! モメゴトになったら、こっちだって大迷惑なんだからね!」
「そんなもん、あんたたちの都合でしょ。こっちだってイライラしてるんだから、余計な話を持ち込まないでもらいたいもんだね」
「……イライラしてるって、なんでさ?」
と、土田奈津実は子供がすねているような顔になる。
見た目ばかりでなく、中身も幼いのだろうか。とうてい布由井照美と同い年とは思えなかった。
「ヴォーカルが、リハをバックレたんだよ。今はそいつを相手取るために充電中だから、あんたの相手をしてるひまはないんだよ」
「なんだ、そんなことか」
と、土田奈津実が肩をすくめたため、今度は布由井照美が眉を吊り上げることになった。
「ずいぶん簡単に言ってくれるね。なんの理由もなしにリハをバックレて、許されると思ってるの?」
「理由もなしに? じゃ、なんでリハに来ないのさ?」
「知らないよ。どうせ新曲が気に入らなくて、へそを曲げてるんだろうさ」
すると、土田奈津実はけげんそうに小首を傾げた。
「新曲が気に入らないって、大ごとじゃん。あんた、歌は歌わないの?」
「はあ? あたしは、ベーシストなんだよ。ベースに専念したいから、コーラスだってお断りさ」
「じゃ、ヴォーカルの気持ちがわからないんだね。気に入らない歌を歌うのって、めっちゃストレスなんだよ? それなら誰だって、へそを曲げるさ」
「あのねぇ」と、布由井照美は身を起こした。
「だったらリハをバックレても許されるっての? 新曲に文句があるなら、そう言えばいいでしょうよ」
「うん。あたしだったら、気に入らない曲にOKを出したりしないよ。なんであんたのとこのヴォーカルは、それで文句を言わないの?」
「……うちらはそもそも、メンバーの好みが微妙にずれてるんだよ。そいつに折り合いをつけながら、活動を続けてるのさ」
「へーえ。でも、へそを曲げるぐらい気に入らない曲をOKするなんて、あたしには考えられないなー」
と、土田奈津実は考えこみかけたが――すぐさま大慌てで声を張り上げた。
「いや、あんたのバンドのことはどうでもいいんだよ! とにかく、あの馬鹿はシカトしてってば!」
「あたしにとっては、そっちのほうが知ったこっちゃないよ。あんたはメンバーの保護者なのかい?」
「だって、あいつがモメたら、けっきょくバンドの評判が落ちるじゃん! あたしだって馬鹿らしいとは思うけど、あたしが何とかするしかないんだよ!」
「……それでもリハをバックレないだけ、上等だけどね」
「そんなことないよ! モメゴトを起こすぐらいなら、リハをバックレたほうがマシでしょ!」
「そんなわけあるかい! 一番重要なのは、ステージの上だろ!」
そうしてついに、布由井照美も声を荒らげてしまったとき――楽屋のドアが、ゆっくりと開かれた。
--SIDE:N--
「あ、あの、どうかしたんですか?」
楽屋に踏み入ってきたのは、『バクライフ』というガールズバンドのドラマーであった。
布由井照美に言い返そうしていたタイミングであった土田奈津実は、出ばなをくじかれた形で押し黙る。すると、布由井照美が「なんでもないよ」と言い捨てた。
「そうですか。それなら、いいんですけど……あたしも休ませてもらっていいですか?」
その女性はにこりと微笑みながら、楽屋に踏み入ってきた。
土田奈津実と同じぐらい小柄で、髪型だけがちょっと残念な、可愛らしい女性である。笑うと、その可愛らしさが倍増した。
「……ちょうどよかった。あんたのバンドにも、ひとこと言っておきたかったんだよね」
土田奈津実がそのように告げると、その女性は「はい?」と小首を傾げた。
「……その前に、あんた年齢は?」
土田奈津実の言葉に、布由井照美がぷっとふきだした。
「あんたさ、名前の前に年齢ってのは、さすがに順番を間違えてるんじゃないの?」
土田奈津実は血圧が上がっていたため、頭が回らなかったのだ。土田奈津実はいっそう頬が熱くなるのを感じながら「うるさいな!」とわめきたてた。
「あたしは土田奈津実! 十九歳! あんたは?」
「はあ……中野晴佳、二十歳です」
「えっ」と、土田奈津実はのけぞった。
「あんた……あ、いや、中野さんは、年上なの?」
「はい。よく童顔って言われます。大学二年生の、二十歳ですよ」
そう言って、中野晴佳はいっそうあどけなく笑った。
確かに容姿は幼いが、中身はしっかりしているのだろう。見た目も中身も子供じみている自分とは、大違いであった。
「じゃあその、話をさせてもらいたいんだけど……メンバーさんたちにさ、うちの男ヴォーカルに気をつけろって言ってもらえます?」
「なんだ、本当に年齢で言葉づかいまで変えるのかい。意外と、律儀なんだね」
「う、うるさいな! 今は中野さんと話してるんだよ!」
土田奈津実がわめきたてると、中野晴佳は可愛らしく「あはは」と笑った。
「あ、笑っちゃって、ごめんなさい。二人は、仲がいいんですね」
「はあ? あんた、どこに目をつけてるのさ? こんなやつは初対面だし、仲良くなれる要素はないね」
「それは、こっちの台詞だよ! あんたには遠慮しないからね!」
土田奈津実と布由井照美がにらみ合うと、中野晴佳はいっそう楽しげに微笑んだ。
「あたしには、仲良しさんに見えますよ。えーと、そちらは『ソル・ド・スー』のベースさんですよね?」
「あたしは、布由井照美だよ。……あんたまで年齢を聞こうとしないだろうね?」
「はい。でも土田さんが遠慮しないってことは、あたしより年下なんですか? だとしたら、びっくりです」
「そんな話より、あたしの話を聞いてくださいよ! うちのヴォーカルは女癖が悪いから――」
と、そこで再び楽屋のドアが開かれた。
ひょこりと顔を覗かせたのは、『ドープドランカー』のギター&ヴォーカルを担当している赤髪の女性である。
「なんだか騒がしいねぇ。モメゴトだったら、店の外でお願いするよぉ?」
「今度はあんたかよ! ……まあ、話が早くて助かるか」
土田奈津実が溜息をつくと、また布由井照美が皮肉っぽい声をあげた。
「まさか、こいつにも忠告しようっての? じゃ、まずは名前と年齢の申告だね」
「うるさいな! あたしは、大真面目なんだからね!」
土田奈津実がわめいている間に赤髪の女性はひょこひょこと進み出て、中野晴佳の隣に立ち並ぶ。こうして間近から見ると、何だか年寄りの猫めいた雰囲気であったが――やはり、美人であることに変わりはなかった。
「なんだかよくわからないけど、楽しそうだねぇ。あたしは浅川亜季ってもんで、年齢は……」
と、浅川亜季はそこで声をひそめた。
「……お店に迷惑をかけないように二十歳すぎってことにしてるけど、本当は十八歳だからよろしくねぇ」
「えーっ! あなたも年下なの? 最近のコは、みんな大人びてるなぁ」
そんな風に言ってから、中野晴佳はきょとんと小首を傾げた。
「えーと……あなた、アサカワアキさんって言った?」
「うん。それがどうかしたぁ?」
「それであなたはツチダナツミさんで、あなたがフユイテルミさん……わあ、春夏秋冬がそろっちゃったね!」
「ほうほう。それじゃあ、そちらはハルさんで?」
「うん! あたしは、中野晴佳っていいます! ちなみに年齢は、二十歳です!」
「へえ、そいつは面白い偶然だねぇ。せっかくなんで、ハルっちと呼ばせていただくよぉ」
「はーい! じゃ、あたしはアキさんって呼ばせていただくね!」
すると、布由井照美がうろんげに声をあげた。
「あんたたち、本当に初対面なの? それにしては、ずいぶん親しげな雰囲気だけど」
「うん。ただ、『バグライフ』の評判は聞いてたよぉ。あたしらも、ときどき『パルヴァン』のお世話になってるからさぁ」
「あ、あたしも『ドープドランカー』の噂は聞いてたよ! ジャンルは全然違うけど、女ヴォーカル同士だしね!」
浅川亜季はのんびり笑い、中野晴佳はにこにこと笑う。
そんな中、土田奈津実は声を張り上げることになった。
「それより、あたしの話を聞いてってば! 浅川、あんたもターゲットのひとりなんだからね!」
「ふむふむ。そいつは、なんのお話で?」
「うちのヴォーカルは、女癖が悪いんだよ! それで、あんたと布由井と……それと、中野さんのメンバーさんたちがターゲットの候補ってことさ!」
「はあ……そいつは、カンベン願いたい話題だねぇ」
と、にわかに浅川亜季が溜息をついた。
そののほほんとした面がまえには似合わない所作である。それで中野晴佳が、心配げに声をあげた。
「どうしたの? なんか、しんどそうだね?」
「今はちょっと、色恋がどうのって話はおなかいっぱいでさぁ……どうしてこう、人間ってのは煩悩から逃げられないのかねぇ」
「なんか、切実だね! よかったら、話を聞くよー?」
「ああ……そんな真っ直ぐな目を向けられると、あたしもついつい口がすべっちゃいそうだなぁ」
「あんたの話は、どーでもいいんだよ! とにかく、うちの馬鹿をシカトしてってば!」
すると、浅川亜季はふにゃんと笑った。
「言われなくっても、今はそんな気分じゃないんだよねぇ。でも、ハルっちのバンドはメンバーさんだけなのぉ?」
「……あいつは小動物系に興味がないんだよ。あたしは中野さんが一番可愛いと思うけどね」
「えへへ、そんなことないよー。ナツさんのほうが、可愛いじゃん!」
「ナ、ナツさん?」
「あ、ごめん。春夏秋冬のイメージが残っちゃっててさ。……ついでに、タメ口でかまわないかなぁ? なんだったら、そっちもタメ口でかまわないから!」
「私は最初から、そのつもりだよ。ぺえぺえのバンド同士なら、年齢なんて関係ないでしょ」
ソファの背もたれに頬杖をつきながら、布由井照美がそう言い捨てた。
「でさ、けっきょく誰もあんたんとこの馬鹿男になんて興味ないわけよ。もうそのくだらない話はおしまいにしてくれる?」
「こっちにとっては、死活問題なんだってば! そんなこと言って、後でほいほいなびいたりしないだろうね?」
「だから、こっちはそれどころじゃないってんだよ。あんたもいい加減、しつこいね」
布由井照美がぶっきらぼうに言い捨てると、浅川亜季がしみじみと息をついた。
「まあ、色欲ってのは三大欲求のひとつだからねぇ。バンドを二の次にするぐらいの情念が暴発するとなると、メンバーにとっては大ごとなんだろうと思うよぉ」
「……あんたは意外に、話がわかるじゃん。そっちのバンドでも、何かあったの?」
「そいつはシークレットだけど、ついつい口がすべっちゃいそうでおっかないよぉ」
「うんうん。バンドをやってると、色々あるよねー。あたしも色恋沙汰とは別件だけど、あれこれめげてる最中でさ」
と、中野晴佳までもが溜息をついた。
すると、浅川亜季が年老いた猫のような顔で笑う。
「ハルっちのほうこそ、切実そうじゃん。あたしでよかったら、話を聞くよぉ?」
「うわー、確かにこれは、口がすべっちゃいそうだね! でもやっぱり、ここじゃあ無理だよー!」
「うんうん。楽屋なんて、いつ誰が踏み込んでくるかわからないしねぇ。……よかったら、ライブの後にどっかにくりだそっかぁ」
「あー、いいかも! よかったら、ナツさんとフユさんも一緒にどう?」
「ふん。私はそんなヒマ人じゃ――」
布由井照美がそのように言いかけたとき、テーブルに放り出されていたスマートフォンがバイブ機能でメッセージの受信を告げた。
そちらを確認した布由井照美が、「ふざけんな!」とスマートフォンをソファに叩きつける。
「なになに、どーしたの?」
「……あのクソ女、出番のぎりぎりに来るつもりだ。私の説教から逃げやがったんだよ」
「あははぁ。フユっちも、あれこれ溜め込んでるみたいだねぇ」
浅川亜季は同じ顔つきのまま、ふにゃふにゃと笑った。
「よかったら、今日は一緒に飲み明かそうよぉ。それでまた、明日からそれぞれ頑張ろぉ」
ワイルドな外見に反して、浅川亜季というのはずいぶん人懐っこい性格であるようだった。
いっぽう中野晴佳は、見た目通りに無邪気で朗らかだ。そんな彼女が何か悩みを抱えているというのは、いかにも気の毒な話であった。
そして、土田奈津実の目の前でふんぞりかえっている布由井照美は――どんなに粗雑な物言いをしても、どこかに品があって格好がいい。しかも美人でベースの腕も超一流というのは、なんだか腹立たしい限りであった。
(……そんなこいつでも、メンバーの勝手な行動に振り回されてるのか)
そんな風に考えると、土田奈津実は何だか胸の内側をくすぐられるような心地であった。




