03 顔合わせ
--SIDE:A--
「それじゃあ、顔合わせを始めるよぉ……」
すべてのリハーサルが終了した後、ジェイ店長が陰気な声で宣言した。
浅川亜季にとっては、馴染みの相手である。知り合ったのは数年前であるが、妙に波長があったのか、バンドと関係のない部分でも浅川亜季を可愛がってくれたのだ。浅川亜季にとっては、頼れる姐さんといった相手であった。
「まずトップバッターは、あたしら『ヒトミゴクウ』だよぉ……今日は女ヴォーカルで固めたかったから、コピバンのあたしらも出張ることになったわけだねぇ……しっかり前座を務めさせていただくから、どうぞよろしくねぇ……」
何名かの人間が、真面目くさった面持ちで手を打ち鳴らす。今日は『ジェイズランド』に馴染みの薄いバンドが多いのだと事前に聞かされていた。
「二番手は、『パルヴァン』を中心に活動してる『バグライフ』だねぇ……うちでやるのは二回目だけど、いい勢いを持ってるからさぁ……今日もよろしくお願いするよぉ……」
二番手は、スリーピースのガールズバンドである。いずれも見目のいい娘さんたちであるが、演奏はラウドで悪くない。とりわけドラムはもっとも幼げな見た目であったが、実に野太い音を鳴らしていた。
「三番手は、うちの常連の『ドープドランカー』だよぉ……リハでは調子が出なかったみたいだけど、本番は期待してるからねぇ……」
浅川亜季はざんばら髪をかき回しながら、頭を下げることにした。リハーサルでも、ヒロキとショータはまったくリズムが噛み合っていなかったのだ。ジェイ店長がこの場でフォローしなくてはならないぐらい、お粗末な演奏であったわけであった。
「四番手は、あちこちで名を馳せてる『ペッパーフロート』……今日はいつもと客層が違うだろうけど、自分たちの持ち味で勝負しておくれよ……」
トリ前は、男女混合の五人編成である。今日の出演者の中ではもっともポップな印象であったが、完成度はトリ前に相応しい水準であった。
「それで大トリは、『ソル・ド・スー』……うちの準レギュラーで、こっちもあちこちのライブハウスを騒がせてるねぇ……ただ、美玲のやつは本当に大丈夫なのかい……?」
「ええ。本番では、きっちり働いてもらいますよ」
ニット帽でエスニックなファッションをした大柄な男性が、気安く答えた。浅川亜季はこのバンドだけリハーサルを見ていないので、誰がどのパートを務めているのかもわからない。今この場に居揃っているのは、やたらと目つきの鋭い美人の女性と、二名の男性のみであった。
(実力的には申し分ないけど、ひと味たりない……ってのが、ジェイさんの評価だったっけ)
浅川亜季も『ジェイズランド』にはしょっちゅう足を運んでいるので、準レギュラーである『ソル・ド・スー』の評判はあちこちから聞き及んでいる。ただし彼らは別なるライブハウスをホームにしており、『ジェイズランド』が主催する野外イベントや年越しイベントには出場していなかったため、これまでステージを目にする機会はなかった。
「じゃ、オープンまでまだ時間はあるから、腹を満たすなり何なりご自由にねぇ……アキ、ちょっといいかい……?」
と、顔合わせの終了とともに、浅川亜季にお呼びがかけられた。
浅川亜季もメンバーたちと口をきく気分になれなかったので、心置きなくそちらに近づいていく。ただ、そちらでも好ましからぬ話題が待ち受けていることは明白であった。
「今日のリハは、いただけなかったねぇ……改善するどころか、悪化してるじゃないのさぁ……?」
二人で雑然とした事務室にこもるなり、ジェイ店長はそのように告げてくる。
浅川亜季は「そうなんだよねぇ」と溜息をついた。
「スタジオでも、まったくリズムが噛み合わなくてさぁ。正直、あたしもめげてるんだよねぇ」
「あんたがそんな泣き言をこぼすなんて、よっぽどのことだねぇ……そろそろあんたたちにレギュラー入りをお願いしたかったんだけど、こいつはしばらく据え置きだなぁ……」
「そりゃあそうだよぉ。こんなざまじゃレギュラーどころか、ブッキングすらお願いできないさぁ」
「あんたたちはレコーディングをしたいからって、次のブッキングは決めてなかったんだよねぇ……そっちのほうは、どうするんだい……?」
「ライブが無理なら、レコーディングだって同様さぁ。今日のライブで大コケするようだったら、解散覚悟で本気のミーティングをするつもりだよぉ」
「ははん……モテる女はつらいねぇ……」
ジェイ店長の陰気な軽口に、浅川亜季は苦笑した。
「そんな話は誰にもしてないはずだけど、やっぱりジェイさんはお見通しだったかぁ」
「あいつらの目つきを見てりゃあ、それぐらい察するさぁ……あんたはどんなにへらへらしてても、色気を隠しきれてないからねぇ……そりゃあ身近な男どもは、煩悩をくすぐられちまうんだろうよ……」
「うーん。それでバンドを二の次にするなんて、あたしには理解できないなぁ」
「本人たちは、二の次にしてるつもりもないんだろうよぉ……ただ、自分は悪くないって思ってるだけだろうさぁ……」
「そんなん、余計にタチが悪いじゃん。こりゃもう全員で本音を吐き出すしかないなぁ」
浅川亜季がもういっぺん溜息をつくと、ジェイ店長は咽喉で笑った。
「まさかあんたが、そんな話で思い悩むことになるとはねぇ……ま、あんたはいいもんを持ってるから、どこに行っても大丈夫だろうさぁ……今日のライブも雑念は捨てて、好きに暴れ回っちまいなぁ……」
「……あんなヨレたリズムの上じゃ、あたしだってエンジンがかからないよぉ」
するとジェイ店長は幽霊のように不吉な笑みを浮かべながら、浅川亜季の鼻先に骨張った指先を突きつけてきた。
「情けないことを言うんじゃないよぉ……それじゃああんたも、情けない男どもと同レベルじゃないのさぁ……馬が走らないってんなら、尻の皮がずるむけるぐらい鞭をくれてやりなぁ……」
「……そういうのって、あたしの趣味じゃないんだよねぇ」
「あんたの趣味なんて、知ったこっちゃないさぁ……あたしは自分のお気に入りがステージでぶざまな姿をさらすところなんざ、見たくもないんだよぉ……」
ジェイ店長がこうまで干渉してくるというのは、常にないことである。
つまりそれだけ、『ドープドランカー』は不甲斐ない姿を見せているのだ。それを思い知らされた浅川亜季は、溜息を呑み込んで笑ってみせた。
「わかったよぉ。じゃ、馬ごと横転するようだったら、骨は拾ってくださいなぁ」
--SIDE:H--
「今日のイベント、思ったよりもレベルが高かったねー! ノンジャンルのイベントなんてテキトーなバンドの寄せ集めだろーとか思ってたから、びっくりしちゃった!」
コンビニエンスストアを目指しながら、カノコが朗らかな声を張り上げた。
ミナは「そうだね」とおずおず笑っている。ミナが内気であるのは以前からであったが、現在は中野晴佳もその姿を微笑ましい気持ちで見られなくなっていた。
「それに、みんな美人だよねー! 店長さんは美人っていうか、迫力の塊だけど! あんな美人ヴォーカルが勢ぞろいしたら、自信なくしちゃうなー!」
「そ、そんなことないよ。一番美人なのは、カノコちゃんだもん」
「えへへ。そんなことないってばー! バンド内でも、ライバルだらけだしなー!」
カノコの明るく元気な言動も、また然りである。中野晴佳が何より苦にしているのは、カノコがミナにたかっているという事実を自分に隠しおおせていると思い込んでいることであった。
カノコはミナにべったりと甘えているが、それは余人に知られたくないのだ。ミナは中野晴佳に泣きつきながら、最後には必ず「カノコちゃんには言わないでね……?」と懇願するのだった。
(こんなの、不健全だよなー。あたし、どうしたらいいんだろ)
中野晴佳がひとり思い悩んでいる間に、コンビニエンスストアに到着した。
「ねえねえ、今日はイートインで食べてこっか? 知らない人ばっかだと、楽屋も落ち着かないしね!」
「うん。別に、かまわないよ」
「それで今日は、あたしがおごっちゃう! ま、コンビニ弁当の値段なんてたかが知れてるけどさ!」
中野晴佳は「え?」と目を丸くしながら、二人の姿を見比べた。
カノコはにこにこ笑っており、ミナは目を伏せている。ということは――おそらくカノコはミナから借りた金で、そんな大口を叩いているのだ。中野晴佳はうんざりするあまり、胃に鈍痛を覚えてしまった。
「……ごめん。なんか、おなかが痛くなってきちゃった。あたしは戻るから、二人で食べてよ」
「えー! だいじょうぶー? せっかくおごってあげようと思ったのになー!」
中野晴佳は「うん、ごめんね」と笑顔を返しながら、どうして自分が謝らなくてはならないのだろうという不毛な想念に苛まれることになった。
「ライブはきっちりこなすから、心配しないでね。それじゃあ、またあとで」
「うん、気をつけてねー! あんまりひどかったら、どこかで休ませてもらいなよ!」
中野晴佳は逃げるようにして、コンビニエンスストアを後にした。
そうしてひとりでライブハウスに戻りながら、何度となく溜息をつく。バンド活動を続けるごとに、中野晴佳の気苦労は増していくばかりであった。
(でも、本気で上を目指すんだったら、こういう気持ちも呑み込まないといけないのかなぁ。友達づきあいを楽しみたいんだったら、趣味バンドでも組めばいいんだしね)
中野晴佳は大学の軽音楽サークルに所属しているためか、趣味バンドと本気バンドの線をきっちり分けていた。趣味で楽しむバンド活動を体験した上で、中野晴佳は本気で上を目指すバンド活動をしたいと願うことになったのだ。
そこで巡りあったのが、カノコなのである。
カノコは高校も中退して、親もとで暮らしながらバンド活動に励んでいる。そして彼女は音楽的な才能ばかりでなく、バンドでのしあがろうという上昇志向もきちんと持ち合わせており――ただ、社会で穏便に過ごすという素養だけが欠けているのだ。
バンドマンには、そういう社会不適応者が多いのだろうと思う。ひと昔前に比べればずいぶんマイルドになったのかもしれないが、それでもやっぱりロックに取りつかれる人間には反骨精神が備わっており、それは社会に対する怒りや不満に起因しているように思うのだ。
こんなつまらない社会には迎合したくない。だから、好きな音楽で成り上がる――ロック的な反骨精神というのは、きっとそういうものであるのだろう。
中野晴佳にも、そういう気持ちがないわけではない。だからこそ、大学には入っても就職活動はせず、真っ直ぐバンドマンを志そうと決めたのだ。親には申し訳ない限りだが、いつかは必ず孝行をしようと決意していた。
だがやはり、中野晴佳は社会の常識を踏みにじろうという意識を持ちあわせていない。
大学を卒業したのちにはきちんとアルバイトで収入を得ながら、家に金を入れるつもりであるのだ。そうしなければバンド活動に打ち込むことも許されないというのが、中野晴佳の価値観であり美意識であった。
しかしコトノはそんな常識を二の次にして、奔放に生きている。
アルバイトは三日も続かず、バンドの活動費もミナに頼りきりで、それでいて機材やファッションには金を惜しまない。以前はパパ活とやらで金を稼ぎ、豪遊していたのだ。おそらくは、ミナが泣いて頼んでパパ活から足を洗わせて――その代わりに、ミナがコトノの面倒を見ることになったわけであった。
中野晴佳は、コトノのそういう生き様を格好いいとは思えない。
しかしまた、自分のつつましい生き方が正しいと主張する気持ちにもなれないのだ。ロックというのは、そんなお上品なものではない――という意識が、中野晴佳の心を縛っているのかもしれなかった。
(でも、コトノちゃんだってそういう部分をあたしに隠そうとしてるんだから……どこかに恥ずかしいって気持ちがあるんだろうなぁ)
ともあれ、中野晴佳は思い悩んでいる。
バンドのメンバーはただの友達ではないのだと割り切って、音楽的な才能やバンドの発展などを優先するべきか――あるいは、意に沿わない相手と同じ夢を見ることはできないという価値観や美意識に従うべきか――道は、真っ二つに分かれていた。
(身近な相手には、相談できないもんなぁ。かといって、関係の浅い相手にも愚痴れないしなぁ)
中野晴佳は何度目かの溜息をつきながら、『ジェイズランド』の入り口をくぐった。
すると、バーフロアでは派手な身なりをした若者たちが歓談に励んでいる。これはトップバッターを務める『ヒトミゴクウ』のメンバーたちだ。ただし、ジェイ店長の姿は見当たらなかった。
「あ、どうもお疲れ様でーす! なんかしょんぼりしてますけど、大丈夫ですかー?」
と、金色の頭をツンツンに立てた若者が陽気に笑いかけてくる。『ヒトミゴクウ』のメンバーはみんな強面でありながら、礼儀正しいのだ。それで中野晴佳も気を張ることなく「大丈夫です」と答えることができた。
「ちょっと楽屋で休みたいんですけど、今って大丈夫でしたっけ?」
「押忍! オープンするまでは、自由ですよ! さっき別のバンドの女の人たちも入っていきました!」
今日のバンドには、知り合いもいない。知らない人間とともに楽屋にこもるというのは、あまり気が進まなかったが――しかし今は、同じバンドのメンバーと一緒にいるよりはマシであった。
「それじゃあちょっと覗いてみます。時間になったら、すぐに出ますね」
「気をつかわなくて、いいっすよ! 俺たち、メイクも着替えもないですから! 好きなだけくつろいじゃってください!」
スキンヘッドのベーシストも同意を示すように微笑んでおり、赤い髪をしたドラマーはおずおずとうなずいている。性格は三者三様のようだが、何にせよ中野晴佳の警戒心を刺激するような面々ではなかった。
そうして、中野晴佳がバーフロアを横断して楽屋のドアを開いてみると――そこでは『ソル・ド・スー』の女性ベーシストと『ペッパーフロート』の女性ヴォーカリストが喧々と言い争いをしていたのだった。




