第五話 新人
性転換治療にあと四百万エルフ円が必要だと知ったエリザベスは、落ち込んでいた。
ノーマル地球人の性転換手術の費用は、高くても五百万クレジット、エルフ円にすると約五百万エルフ円ぐらいである。
その為、今持っている貯金で、性転換治療の費用も足りると思っていたからだ。
「どうした。エリザベス。元気がないな」
元気のないエリザベスを心配した現場監督が言った。
「実は、四百万エルフ円のお金が必要になったんだけど、それだけ貯めるのに四年ぐらいかかるって言われて」
「そう言や、エリザベスは最下級ランクの土木作業員を希望していたな」
「あ、ああ」
「それじゃあ、上のランクを希望してみたらどうだ。ランクが高ければ、見習い期間中に四百万を貯金するのは難しいが、来年度中には余裕だと思うぞ」
「ほ、本当か! どうやったら、ランクを上げられるんだ」
エリザベスは急にテンションが高くなる。
「お前はまだ試用期間中だからな。書類だけだよ。それに高ランクの仕事に着く前に仕事の基本を覚えるのが先だ」
「ありがとう。監督。それと書類はどうすれば良いんだ?」
「書類は俺が書いておく。お前はそれにサインをするだけだ」
エリザベスはお昼休みに書類を渡され、サインをする。
「高ランクの土木作業員になるんだったら、今の内に仕事を覚えるんだぞ」
「お、おう」
「自分に与えられた仕事だけじゃダメだぞ。自分以外の人間がどんな仕事をしているのかも覚えるんだ。いいな」
「お。おう」
現場監督は良い人であった。
エリザベスが働いていると、監督でもないのに、ずっと見ているだけの土木作業員がいることに気付く。
「監督。あれは一体何をやっているんだ」
「早速、仕事を覚えようとしているな。感心、感心」
現場監督はニコニコする。
高ランクの土木作業員になるには、現場全体がどのように動いているのか把握できないとダメなのだ。
「さっきから、ずっと見ているだけで、誰かに助言を与えるわけでもないし、見ているだけじゃないか」
「彼は警備係だよ。あれはなかなかハードな仕事だぞ。現場の動きをちゃんと把握していなきゃいけないし、現場の立地や周りの環境まで知らないとやっていけない。その上、もっとも危険でもある」
現場監督は真顔で説明する。
何もやらずに見ているだけの仕事に納得できないエリザベスは聞く。
「警備係のどこが危険なんだ」
「ここの開発では、さほど危険は多くないけど、それでも危険は潜んでいるものさ」
そんな会話をしている二人を余所に「キッキー!」とタイヤがアスファルトを切り付けるような音がする。すると車が工事現場に方向転換して、突っ込んでくる。
このままでは車は工事現場に突っ込んでくる勢いだ。
先ほどの警備係は、エリザベスがさっき発見した場所からすでに移動していた。そしていつの間に、突っ込んでくる暴走車と工事現場の間に立っている。
そして警備係の手の平には、光が集まっていた。魔力を手の平に集めているのだ。
「チェスト!」
警備係はカウンターで暴走車に張り手をする。暴走車は跳ね返りひっくりかえり止まった。驚異的な腕力にプラスして、魔法の力で車を跳ね返したのだ。
しかし、警備係も空中を舞い地面に叩きつけられる。
「お、おい。や、やばいぞ、あの警備員」
エリザベスは驚く。
現場監督は、しばらく見詰める。
「あいつなら、あの程度の事は大丈夫だ」
現場監督はサラリと言った。
「だ、大丈夫なわけないだろ!」
エリザベスがツッコミを入れる。
「いたた。おーいて」
警備係はそう言いながらゆっくり起き上がった。そして手の平に「フーフー」息を吹きかける。
「あ、あんた大丈夫か!」
エリザベスが話しかける。
「まあな。この程度でケガしてたらおまんまの食い上げだ」
「し、信じられん」
「おーい。助けてくれー」
暴走車の運転手が助けを求めている。
「警察と消防を俺が呼んでおくから、さあ仕事に戻った」
エリザベスは驚愕しながら仕事に戻る。
「警備係はいくつ命を持っているんだ」
エリザベスが言う。
「このぐらいこなさないと警備係は無理って事だ」
現場監督は、笑い飛ばす。
「普通、車に撥ねられたら死ぬだけだから」
試用期間の三十日はあっという間に過ぎ、研修期間の三百三十日の内、百五十日が過ぎだ。
現場に向かうバスに乗り込もうとすると、エリザベスは呼び止められる。
「お前はそっちじゃないぞ。今日から、こっちだ」
いつもと違うバスだ。
「どういうことだ」
「お前の働きが認められたから、今日からはこちらのバスだ」
「そうか、そうか。俺の働きが認められたのか」
高いランクの土木作業員が働く作業場へ行くバスであったが、エリザベスは気付かなかった。
バスに暫く揺られた後、到着した場所に降りたら、そこは砂嵐であった。
「な、なんじゃこりゃー」
エリザベスが驚く。
「おい。ルーキー。この程度で驚くなよ。作業はこれからなんだから。とにかくあの休憩小屋に入れ」
親切に近くにいた土木作業員が教えてくれる。
「なんだかボロッちい小屋だな」
しかし中に入ってみると案外ちゃんとした造りだった。入口の扉を開けると中から外へと空気が噴き出し、砂嵐の砂が中に入らないようになっていた。そして入口を通り抜けると、強風が体に着いた砂を落とし、床に落ちた砂を吸引して、除去している。かなりハイテクな小屋だった。
エリザベスはこのハイテクぶりに呆然としていると、「これから警備係が結界をはるからしばらく待っていろ」と言われた。
「あ、あんたは?」
「俺はこの現場の現場監督だ。お前は暫く俺の下で働くことになる。いいな」
「お。おう」
ラウンジのような場所があり、バスに乗っていた面々がくつろいでいる。
「おい。ルーキー。ここのティーコーナーのコーヒーは無料だぞ」
そう言うとエリザベスにコーヒーを勧める。エリザベスはコーヒーをもらうと、砂糖を二つとミルクを入れ、そして飲み始めた。
『結構くつろげるもんだ』と感心した。
しばらくすると外に出ても良いと言う合図がある。
外に出てみると全く風はなかった。
「どうなっているんだ。さっきはあんなに酷い砂嵐だったのに」
「ああ、警備係が結界を張ったんだ。結界の内側は砂嵐から守られているから。結界の境目はわかるように赤い旗の付いた棒が地面に刺してあるから、それを見たら外に出ないように気をつけろ」
「わ、わかった。それにしても急に物騒な現場になったな」
「そりゃそうだ。高ランクの土木作業員を目指しているんだろう。だったら、こういう危険な現場の仕事も覚えなければな」
「そ、それじゃあ、ここは、高ランク土木作業員の現場なのか」
「おい。誰にも聞いてこなかったのか?」
「あ、ああ」
「そう、なんだ。まあ、とにかく今日からお前はこういう危険なところで仕事する事になる。わからない事があったら周りにいる奴、誰にきいても良いぞ」
「あ、ありがとう。どうしてそんなに親切なんだ」
「そりゃ。俺たちだって仲間が必要だからな」
「仲間が必要って……」
「ここにいる奴みんな優秀ではあるが、それでも人材は不足しているってことさ。お前が戦力になってくれればそれだけ、俺たちも働きやすくなるってもんだ」
「な、なるほど」
そんな事を話している内に、もうパワーショベルやブルドーザーが動き始めている。
「ここの現場は何をやるんだ」
「池と防風林と丘を造成する」
「どうしてそんな物を造成するんだ?」
「それを知りたかったら監督に聞いてくれ。俺は自分達がする仕事の内容だけで、その目的まではわからん」
「あ、ああ。そうするよ。ありがとう」
現場監督の所へ行き、同じ質問を投げる。
「そりゃ、この辺の気候を変える為だ。宅地はできたが、ずっと砂嵐では、住み辛いからな」
「そりゃそうだけど、防風林と丘を作るだけで、そんなに気候が変わるのか?」
エリザベスの疑問ももっともだ。
結界がなければ、目を開けるのも大変な程の砂嵐が吹いている土地だ。これだけで変わるとは思えないだろう。
「まあな。池を作る為に穴を掘り、掘った土を盛り上げて丘を作る。高低差や林、池で土壌を変え、風の流れを変え、環境を変えていくんだ」
「頭の悪い俺にはわからんが、環境が変わるってわけだな」
エリザベスは顔をしかめながら言った。
「なに、造成が完成してきたらわかる」
現場監督が言った。
「それにしても結構掘るんだなあ」
エリザベスがショベルカーが掘る穴の様子を見ながら言った。
「まだ、序の口だ。もっと深く、幅広く掘る。底をコンクリートで固める必要があるからな」
「へえ。コンクリートで固めるんだ」
「この辺の土壌が砂と岩だから、池を作るには、コンクリートで固めないと、水が全部地下にしみ込んでしまうんだ」
「なるほど」
「だが、砂の地層に直接コンクリを流しても上手く行かないから、掘って、掘って、掘りまくって、砂じゃない地層にぶち当たるまで掘るってわけだ」
「なるほど」
エリザベスは、ネコという一輪車で砂を運ぶように指示される。言われた場所にもって行くと何かを混ぜ合わせている箱の中に入れるように言われる。
「何と混ぜているんだ?」
混ぜている人にエリザベスは聞いた。
「これは、ヘドロを微生物に分解させて、できたドロだよ。これと砂を混ぜて、土壌の質を変化させるんだ」
「変化させてどうするんだ」
「この土の土壌の上を防風林にするんだ」
「どうして土壌の質を変えるんだ。砂のままじゃダメなのか?」
「砂のままじゃ、木が育たないし、仮に育っても、地面が砂じゃ、木が自分自身の重みで倒れちゃうだろ」
「おう。なるほど」
エリザベスが、空になった一輪車を押していると「ギャー」と悲鳴が響く。エリザベスが悲鳴の方を見ると、茶色いモコモコしたような物が動いている。
「きょ、巨大なハムスターだー」
エリザベスが驚く。
モコモコしたボディに間抜け顔、ハムスターに似た姿をしている。極端に違うのは、大きさが二メートル近くあると言うことだ。
その巨大ハムスターの足元に悲鳴を上げた土木作業員が細い棒三本に突き刺され倒れていた。
「気をつけろ。そいつは危険だ。見かけに騙されるな」
近くにいた土木作業員が言った。
ボーとした表情で、何も考えていない感じの顔をしている。一見確かに危険に見えない。
「髭を動かし始めた。エリザベス逃げろ」
するとヒクヒク動いていたが、急に毛先がエリザベスに向く。すると鬼○郎の毛針のようにエリザベスへ飛んで行く。
「ギャー。こえ~」
エリザベスは悲鳴を上げる。
「いいぞエリザベス。そのまま避けながら逃げろ。戦いは警備係に任せるんだ」
様子を見にやって来た現場監督が言った。
「そんなこと言ったって、避けるのがやっとで逃げらんねえ」
エリザベスは言った。
「良く頑張ったわね。ルーキー」
すると背も小さく華奢な子供が現れた。
「あ、あぶないぞ」
巨大ハムスターが子供に向かって髭を飛ばす。
子供はそのうちの一本を素手で受け止めると、それを利用して他の髭を弾き飛ばす。そしてその髭を投げる。投げた髭は、巨大ハムスターの肩を貫く。
巨大ハムスターは、「ギャー」と鳴き、髭を手で引き抜き、子供を威嚇する。
「ヒスイ。一匹だけと限らないぞ。気をつけろ」
現場監督が子供に言った。子供の名前はヒスイと言った。
「わかっています」
そう言うとヒスイは、巨大ハムスターへ突っ込んでいく。
巨大ハムスターは、ヒスイに唾を吐きかける。その唾は強酸で、命中したら酷い火傷を負う。その唾がヒスイに命中したかのように見えたが、唾は通り抜ける。残像だったのだ。
「ヒスイパンチ」
ヒスイは必殺技名を言いながら巨大ハムスターの顎にパンチを決めた。
巨大ハムスターはパンチの勢いで、地面を転がる。止まった所で、巨大ハムスターは立ち上がるが、顎の骨が砕け、口から血を垂らす。巨大ハムスターは鳴き声のような唸り声を上げる。
すると巨大ハムスターはヒスイにお尻を向ける。ヒスイは円を描くように巨大ハムスターの横側に向かって走る。
巨大ハムスターはお尻から、黒い物を放つ。
「気をつけろヒスイ。ウンコ爆弾だぞ」
現場監督が叫ぶ。
「う、ウンコ爆弾って……」
エリザベスは絶句する。
ウンコ爆弾とは、当たると爆発し、ダメージを与えるだけでなく、ウンコの破片でばばっちくして精神的ダメージも与える最低最悪の攻撃である。
『プー!』
巨大ハムスターはおならをした。
「クッサー」
エリザベスは臭さに悶絶する。
「鼻を摘ままないと鼻が曲がるぞ」
現場監督がエリザベスに言った。
「先に言ってくれー」
エリザベスの抗議を余所に、巨大ハムスターは今度は股間をヒスイに向ける。
「な、なんて下品なケモノなんだ。レディに向かって」
エリザベスはオカマである。レディではない。
「ヒスイは女の子だもんなあ」
現場監督が言った。『レディ』と言う言葉をヒスイに向けられた言葉と誤解した。
「ヒスイって女の子なの?」
エリザベスは言った。
「じゃあ、だれがレディなんだ」
現場監督が悩む。
そんな事を話している間に、巨大ハムスターは映像ならモザイクなしでは放送できない状態になる。
「気をつけろションベンビームの体勢だぞ」
現場監督が警告する。
ヒスイは、また巨大ハムスターの横側に向かって走る。
『ジョジョジョジョー!』と言う音を立てながら弧を描くようにビームが飛ぶ。
「お、おい。あれはただのションベンじゃないのか……」
エリザベスが現場監督に聞く。
「あれがただのばばっちい汚い液体だと思ったら死ぬぞ。アレにあたるとビームに当たったのと同じようなダメージを負う」
エリザベスは絶句する。
事実ションベンビームが当たった岩や地面にビームで焼き切られたような跡が残っていた。
「普通のビームと違う所は、命中した所からアンモニア臭が漂うところだけだ」
現場監督の言葉にエリザベスはコケる。
横へ回り込もうとするヒスイを、巨大ハムスターはしつこくションベンビームで狙う。しかし、ヒスイは上手く避ける。
暫く逃げ回っていたが、ヒスイは砂に足を取られ、バランスを崩す。
「あ、あぶない」
現場監督が叫ぶ。
そこに巨大ハムスターは、容赦なくションベンビームを撃つ。しかし、ヒスイの手前で地面に着弾した。
一同が呆気にとられる。
「弾切れだ!」
エリザベスはコケる。
「ヒスイキーック!」
ヒスイはビームの発射口に必殺キックを決める。巨大ハムスターは泡を吹いて昏倒した。
それを見ていた男たちは、顔をしかめる。男にしかわからない痛みが走っているはずだ。
「おーい。警備係。ヒスイにばっか活躍させるなー」
現場監督が言った。
「それじゃあ、ヒスイは警備係じゃないんですか」
「ヒスイは優秀な土木作業員だから、なんでもできるぞ。だから警備係も兼任しているんだ」
「そ、そうなんですか。見かけはどう見ても子供なのに」
「そりゃそうだろ。肉体年齢では、おそらく子供だしな」
「でも、バカにしちゃ行かんぞ。年齢は五十歳なんだから」
「ゲゲッ! 俺よりはるかに年上じゃん」
エルフは見かけで年齢がわからない良い例である。