第一話 変わった病院
「ここは病院かー」
大声で尋ねた声が響く。
ここが病院なら入口を入るとすぐにあるはずの受付が見あたらない。受付がないので、当然受付係りも見あたらなかった。正確には病院スタッフも患者もいない。
声の主である来訪者は、いったん外へ出て、入口横に赤十字のマークを確認し、もう一度中に入る。
「ここは病院かー」
もう一度叫んで、今度は勇気を出して中に入っていく。何も置かれていない廊下を進むと薄いピンク色の白衣を着た少女が現れた。
身長は百六十五センチメートル程、手足は細いが、胸はアンバランスに大きい。白衣の腰紐をウエストの太さで結わえている為、胸の大きさがさらに強調されている。そんな体型なのに、顔は童顔で可愛かった。
「すまん。コスプレバーには用はないんだ」
「コスプレしているのはお前だ」
白衣を着た少女の右ストレートが来訪者の顎にクリーンヒットする。来訪者は三メートル後ろに飛ばされ床に叩きつけられ、スカートはめくれ無残な姿で倒れた。
「ここが、どうしてコスプレバーなんだ。言ってみろ」
そう言うと少女は容赦なく蹴りを入れる。
この場所でコスプレバーを想像するのは珍しい。しかし、この白衣の少女が夜の街にいたら、ほぼすべての人がコスプレバーのホステスと間違えるだろう。お色気爆裂だ。
「病人に何しやがるんだこの~」
白衣の少女が腕組みして考え込む。
「病人には見えんが……いや、ある意味病人だな」
そう言うと、少女は奥へと受付まで歩いて行く。
白衣の少女は奥の様子を窺う。しかし、誰もいない。机に置いてあるベルを大胆にならす。
すると奥から薄ピンク白衣の少女が、もう一人出て来た。
「あら、シェレン先生どうかなさったのですか?」
「サクラ。病人だ」
サクラと呼ばれた少女も可愛いかった。
身長は百六十センチメートル程、スレンダーなボディなのに巨乳と言う体型。身長はシェレンの方が高かったが、童顔でなく、メガネを掛けているので、シェレンよりお姉さんに見える。
サクラはシェレンのすぐ横にいる人物をスルーしてあたりを見回す。
「病人なんてどこにいるんですか?」
サクラは真顔で言う。
「ここにいるだろ」
シェレンが呆れ顔で言う。
サクラは驚いた顔をする。
「先生。いくら名医と言われていようと、珍獣の治療は無理ですよ」
「誰が珍獣だ」
確かに珍獣と言うのは無礼と言える。しかし、サクラがそう言うのも理由があった。
ロリータファッションのドレスに、コーディネイトされたブーツに手袋、白いハットを身にまとい、ばっちりメークアップしている。
そんな、身長百八十センチメートルの筋骨隆々の男は珍しい。
サクラは来訪者を指差し「お前」と言った。
「こんな侮辱! 許せるものかー!」
女装男は華奢な少女のサクラに容赦ない全力パンチを放つ。しかしサクラは落ち着き払って、ヒラリとかわす。はずれたパンチは本棚に当たり、板を打ち抜いた。
「悪い事は言わん。サクラとど突き合いは止めた方がいいぞ」
シェレンが忠告した。
しかし、それを無視して女装男は蹴る。サクラはそれを左腕でガードした。その時、女装男の目が光る。
「死ね」
パンチが顔面に当たる寸前で、サクラの目がギラリと光る。
「コークスクリューブロー」
サクラは紙一重でパンチを避け、右フックを当てる寸前で強烈な回転を加えて、女装男の顎にヒットさせる。女装男の顎はありえない感じに歪む。そしてフワリと空に浮かび上がり、ぐるりと宙返りをしてビタンと地面に打ち付ける。
「相変わらず容赦ないな。ノーマルなら死んでいるぞ」
シェレンが呆れて言った。
「大丈夫です。珍獣を殺しても器物破損、殺人ではないので問題ありません」
メガネのフレームをキラリと輝かせて、サクラは言った。
「問題あるわ!」
女装男がツッコミを入れる。
「ちっ。もう生き返ったか」
サクラが毒突く。
その言葉を聞いて、女装男はゾクリとした。そして『この女を敵に回してはダメだ』と悟る。
「バカはそのぐらいで止めておけ。ちゃんと受付係の役割を果たせ」
シェレンがたしなめる。
「仕方ない。保険証を出せ」
サクラはイヤイヤながら業務を始める。
女装男はハンドバックから保険証を取りだし、サクラに渡す。
するとサクラの眉根を寄せる。
「これは地球の国民健康保険証じゃない。ナカムラ・ケンジさん」
サクラは呆れ顔で言った。
「ナカムラ・ケンジ言うなあ! 俺の名前は、エリザベスだ」
女装男は言った。
サクラはもう一度眉根を寄せる。
女性の名前で名乗ったりするのは、オカマの行為であり、女装趣味とは違う。
「芸名だが、源氏名だか知らないけど、医療機関では本名を名乗りなさい」
サクラはあっさり切って捨てた。
エリザベスことナカムラ・ケンジは歯ぎしりする。
「それと、ここはアルフヘイム星。アルフヘイム星の国民健康保険証じゃないと、医療費全額負担になるけど、支払えるの?」
サクラは厳しい目つきで聞く。
アルフヘイム星とは、地球から最も近い人が住む惑星である。地球人によって発見され、開発が始められた惑星で歴史も浅かった。
地球は地球連合国と言う一つの国を形成している。しかし、アルフヘイムは地球連合国とは別の国として建国されていた。
その為、健康保険証も全く別組織で運用されている。だから、地球の保険証はここでは使えない。
「いくらぐらいするんだ」
エリザベスが聞き返す。
「医療行為によるから、いくらとは断定できん」
サクラはつれない。
「病名は知っている。あとは治せるかどうかなんだ」
「知っていると言う事は、地球の医療機関で診察受けているってこと?」
「当り前だ。地球では治せない不治の病でも、エルフの国アルフヘイムなら治せると言う噂を聞いたからこうしてやって来たのだ」
「それじゃあ、診断書や紹介状とかある?」
「そんな物はない」
エリザベスの答えにサクラは、少し考え込む。
「治療や検査とか一切しないで、問診と治療方針の話し合いぐらいなら、二万エルフ円ぐらいね」
「単位が全然わからん。バーグか、クレジットで教えろ」
バーグは銀河帝国通貨、クレジットは地球連合国通貨である。
「一バーグ、百エルフ円ぐらい。缶ジュース一本百二十エルフ円。後は自分で計算して」
エリザベスは計算する。
「たかー」
「地球の医療機関と変わらないと思うよ。ただし、地球の医療費は三割負担だから高く感じるかも知れないだろうけど」
たしかに十割負担だとすると金額は同じくらいになる。
「金額は地球とあまり変わらないわけだ」
エリザベスはホッとしている。
「あのね。地球で治せない病気が、一回の治療だけで済まないでしょ。常識的に考えてアルフヘイムの国民健康保険に加入しないと治療費払えないわよ」
「治せるかどうかもわからない内に、健康保険なんかに加入できるか」
エリザベスの意見ももっともだ。アルフヘイムの国民健康保険に加入する為には、地球からアルフヘイムに住民票を移動させる必要がある。アルフヘイムに住民票を移動させるには、さらに面倒な手続きの他にかなりお金がかかるからだ。
「そんなこと心配する前に確認することがあるんじゃないか?」
突然シェレンが口を挟んだ。サクラは首を傾げる。
「この病院はエルフ専門病院だぞ。ノーマルも見れない事はないが、病気の種類によっては、エルフじゃないと治せないぞ」
シェレンが言った。
エルフとは、地球人の一種だ。地球人にはノーマル種とエルフ種の二種類ある。ノーマル種はさらに肌の色が、黒色、白色、黄色の三種類いて、エルフ種は黄色のノーマル種とほぼ同じ外見をしていた。
エルフ種とノーマル種の違いは三つある。
一つは、エルフ種はノーマル種より、強力な自然治癒力があること。
一つは、急激な環境変化に対する適応能力が高く、体の特徴を変異させること。
一つは、強力な自然治癒力や環境適応の為の変異をすると副作用として寿命が延びること。
「それは問題ありません。地球の保険証にエルフと書いてありますし、手加減したとはいえ私のパンチを喰らってこんなに早く立てるノーマルはいません」
サクラはしれっと言う。
「お前が手加減して殴るなんておかしいと思ったが、何か理由でもあったのか?」
「殴ろうとした瞬間、不気味な顔に気付いて、少しでも触りたくないと思ってしまい、つい手を引っ込めてしまったのです」
「な、なんだと~」
エリザベスはワナワナと震える。
相手がサクラでなければ手が出ているところだ。しかし、それは命の危険を意味したので堪えている。
「わざわざ遠い地球から来たんだ。治療が出来るかどうかだけでも答えてやろう。そうすれば、今後の方針が立つだろ」
シェレンが言った。
「規則違反ですよ。治療ができるかどうかを話すのも立派な治療行為です」
「う、うるせえ。かてえこと言うな!」
エリザベスが抗議する。
「なーんーだーとー」
サクラの目が真っ赤にギラリと輝く。
エリザベスがデカイ体を小さくして恐れる。それを見て、シェレンがサクラの頭にチョップを入れる。
「何するんですか!」
サクラはクルリと振り向きシェレンに抗議する。
「すぐキレるのは止めなさい」
「キレていません。威嚇しているだけです」
「本当に質の悪い性格だ」
エリザベスのセリフにギラリとした目で睨みつける。
「ひー。ごめんさない」
「落ち着きなさい。そうだな。病名を聞いてここで治療できそうか、どうか答える程度ならどうだ」
シェレンが妥協案を出す。
しかし、サクラはしかめっ面を止めない。
「後で責任問題になっても私は知りませんからね」
サクラはプイッとそっぽを向く。
「それじゃあ、治療可能かどうか教えてくれるのか」
「だが、病気の種類によっては検査入院が必要な場合があるぞ。そのことは先に言っておく」
シェレンの言葉に、エリザベスは緊張し、唾を飲み込む。
「わかった。それじゃあ教えてくれ」
シェレンは全然口を開かない。
「なぜ教えてくれないんだ?」
エリザベスが聞く。
「アホ。病気を知らずに治せるのかわかるか」
エリザベスはコケる。
「すまん。緊張で忘れていた」
「どうでも良いから早く教えろ」
「見た目でわからんか?」
「不気味な物体になっちゃう病」
サクラがボソリと言った。
「なにー!」
エリザベスが怒るが、シェレンがなだめる。ケンカになったらサクラが勝つのは目に見えていた。
「とにかくお前の病気を教えろ」
「そ、それは」
「じらすな。さっさと言え。言わないと殴るぞ」
シェレンの拳が、エリザベスの顔面を殴っていた。
「殴る前に言ってくれ……」
エリザベスはバタリと倒れた。
「私はそういう態度は嫌いだ」
シェレンは半分怒りながら言った。
「笑うなよ」
復活するとエリザベスは言った。
「さっさと言え」
エリザベスは不気味に恥じらう。
「性同一性障害」
シェレンとサクラは唖然とする。
「そう言われてみると、その症状と思われる現象は認められるようだ」
シェレンは、悩むように言った。
「先生。私の認識では、性同一性障害はノーマルだけの病気で、エルフはかからない病気だったはずです」
サクラがシェレンに確認するように言った。
「確かにその通りだ。そんな症例は初めて聞いた」
考え込む二人にエリザベスは焦れる。
「どうでもいいから治せるかどうか教えろ」
「安心しろ。治せるから。そんな事より重要な事がある」
シェレンは考え込みながら言った。
「いくら女性化しても、お前の不細工な顔は変わらないってことだ」
サクラは容赦ない。
エリザベスは怒りでワナワナ震える。
「もう勘弁ならん」
エリザベスが右ストレートを放つ。サクラは紙一重で避け、クロスカウンターで左コークスクリューブローを命中させる。
エリザベスは窓を突き破って、外まで弾き飛ばされた。
「患者を殺す気か」
シェレンは呆れて言う。
「大丈夫です。性同一性障害なら、肉体の疾患じゃないから」
「そういう問題じゃないから」
「ところで、性同一性障害ってどうやって治すんですか?」
シェレンはサクラの質問を計りかねる。
「それは、ノーマルの治療法? それとも、あの不気味な物体の治療法?」
シェレンまで不気味な物体と呼び始めた。
「聞きたいのは後者ですが、前者も知っておきたいです。全く知識ありませんから」
「では、ノーマルの治療法についてさきに説明しよう。胸にシリコンを埋め込んだり、体の別の部位から採取した脂肪を胸に定着するように手を加えてから注入して乳房を形成する。あと男性器を切除して、女性器を形成する」
「つまり、体のパーツを切ったり、埋め込んだり、取り換えたりするって事ですか?」
「簡単に言うとそう言うことだ」
「でも女性器ってどうやって調達するんですか?」
「それはエルフの我々は知る必要はない」
シェレンはさらりとかわす。
「それに、その治療は、見かけしか女性にならないですよね」
「そうだな」
「でも、ノーマルの治療法がエルフに通用しないわけがわかりました」
サクラは納得する。
エルフは体内に異物が入ると体の外に吐き出す機能や体の部位を欠損しても再生する機能がある。胸にシリコンを入れると胸の皮膚を突き破って体外に押し出され、やがて傷口はふさがる。また陰茎や睾丸を切り取っても、時間が経つと再生してしまうのだ。
つまり、ノーマルの性転換手術は、エルフにとっては全く意味がなかった。
「それじゃあ、あの不気味な物体の治療法は?」
サクラは聞いた。
「俺にも聞かせてくれ~」
病院の外まで飛ばされたはずのエリザベスが戻って来て聞いた。
「ちっ」
サクラは舌打ちした。
シェレンは溜め息を吐く。
「治療その物は、ノーマルより簡単だ。遺伝子レベルの治療になる。性染色体を知っているな」
医療にたずさわっている、サクラは当然知っている。しかし、エリザベスは良くわかっていない。
「簡単に言うと性別を決定する遺伝子がある」
「それがどうかしたのか」
エリザベスはわかっているのか、わからないのか曖昧な受け答えをした。
「男の遺伝子を女の遺伝子に書きかえる。そうすると自然と女になっていくはずだ」
「なるほど」
エリザベスはわかったふりをしている。
「そんなこと本当にできるのですか?」
サクラが驚き尋ねる。
「エルフの体の特性等を鑑みると、それで上手くいきそうだと言う仮説だ」
シェレンの説明にサクラは、左手の平に右手拳で叩き、何かを悟った。
「つまりその仮説を実証する為に、不気味な物体で実験をするわけですね」
サクラは目を輝かせて言った。
「人聞きの悪いことを言うな。れっきとした臨床医療だ。それに本人の承諾なしにやらん」
サクラの表情が少し曇る。
「医学の進歩の為に、多少の犠牲は必要じゃないんですか?」
「犠牲なんかでない」
「ちっ」
サクラは舌打ちする。
「そこは舌打ちする所か!」
エリザベスが舌打ちにツッコミを入れる。
「とにかく、それで治療を頼む」
エリザベスが言った。