残念な誤解
トモミとシモーネは改めて名前を伝え合った。それから一階の作業机に向かい合って座った。
極めて落ち着いたふうを装って、シモーネが尋ねた。
「落ち着いたみたいね。それで? トモミは何故あんなところに一人で?」
じつに当然の質問ながら、トモミには現時点で最も答えにくい質問だった。
「わかりません。そもそもあんな場所まで行った記憶がありません。」
「……そうなのね。そう言えば頭を打ったようだし、そのせいかも知れないわね」
「あっ、血が出てたんだっけ」
そっと後頭部に手を当ててみると、思ったよりも痛くなかった。髪の上からさらに触ってみて、一番痛いところでも大した痛みではないのを確認できたので、トモミの関心はケガから離れた。
「ここはどこなんですか? ジャパンでは無いの?」
シモーネは首を傾げ、しかし「ジャパン」が「ジャーマン」と聞こえたと思って、素直に答えた。
「ええ、ジャーマニーよ」
「ジャーマニー?!」
トモミの声が裏返った。トモミは少し前からこの状況を説明できる理由を探していた。でも流石にドイツというのは斬新すぎると思ったので、話を続ける前に、ちょっと整理してみる事にした。
【素人をターゲットにしたドッキリ説】
→日本にドイツのテーマのパークってあったっけ? あったとしても、手が込み過ぎてる。たぶん外の雰囲気はそういったパークとは違う。後で確かめよう。
【誰かに何かの催眠を掛けられている説】
→あー……それはあるかも?
【健忘状態で外国に来て、ふと記憶を取り戻した説】
→いや、そんなに時間が経った様子はないし。
【頭を打ってじつは病院のベッドで長い夢を見ている説】
→やっぱりこれか。
【打ちどころが悪くて死んで転生したか、転移か何かで】
→いや、転移って(笑)
どうにも現実感が無さすぎて、残念な候補しか出てこなくなった。
『はっ、いかんいかん。』
思わず口をついて出たのは誰の口マネだっただろうか。
「……いいえ、私はジャーマニーと言ったのではなくて、ジャッッパンと言ったんです」
「ジャッパン……ジャーマン……ジャパン?」
「ジャポンでもヤーパンでもハポンでもいいです。私は日本人です。」
「あぁジャポン!」
それは確か、中国の近くにある国で、中国やオランダとしか交易しない国。
シモーネはさらに日本について知っている事を思い出そうとした。そういえば、最近借りて読んだ本に書いてあったのは、たしか……
《世俗の皇帝が専制政治を行っている。国民はちょっとした犯罪でもすぐ死刑になる。皇帝はハーレムを持っているのにソドム。カトリック信者は全て迫害により殉教した。迫害の際には女性が裸で市中に晒されたり、母子が互いに熱湯を掛けるよう強いられた……》
(そういえばそんな、とんでもない国だったわ! この子はそんな野蛮な国から逃れてきたというの? もしかして迫害から逃れるため?)
シモーネの脳内に何かがあふれ始めた。
(はっ。もしかしてオランダ商館が奴隷として連れてきた子供の一人が逃亡してきたのかも知れない。海からこんな内陸まで、いったいどれほどの苦労が……?!)
あれこれとトモミの身の上を想像して、シモーネはもはや涙ぐんでいた。
『ああ、なんて可哀想なの! 私が、私が庇護しなければ!!』