徒弟加入申請
四人はソファに座った。シモーネがトモミに説明を始める。
「さっきも言ったけど、組合として寄合所を持てないのは、人数が少ないからってこともあるわ」
「詠唱士はここに居る三人だけなの?」
「いいえ。今は居ないけど、まず、パン職人のクンツが居たわ。」
「ん? 詠唱士なのにパン屋なの?」
「しかも今は親方なのよ。この組合の発起人の一人で詠唱の実力も確かなんだけど、構成員ではなく名誉的なメンバーに変わったの。パン屋で親方になったから、詠唱士としての報酬を受け取れないことになって。」
「へぇ〜。そんな人もいるんだね。じゃあ、その親方を入れて四人だけ?」
今度はハンスが答えた。
「いや。他にニクラウスという男がいて、全部で五人だ。組合の創立時に、少なくとも五人の構成員を集める必要があると参事会に言われてな。」
『いや、学校の同好会かーい』
つい声に出てしまったが、ハンスには無視された。
「クンツは構成メンバーの数に入らんので、早く五人に戻したいのだ。ニクラウスに弟子がいるが力不足だし、詠唱士は遍歴職人もほとんど居ないからな、困っている。」
「ねえ、鑑定書の用紙ってどこー?」
いつの間にかシモーネがキャビネットをゴソゴソしながら声を上げた。ヘルマンが立ち上がって用紙の場所を示すと、シモーネはデスクに座って書類仕事を始めてしまった。
「ダンケ。浴場主のところに送る鑑定書を書かないとねー。えーと、昨日の日付、……の浴場において、鍋いっぱいの水に対して、商品に書かれた通りに呪文を22回詠唱すると、十分な熱さのお湯になることを確認しました。」
シモーネが詠唱士として仕事をしている間、ハンスとトモミの会話が弾むことはなかった。
「……最後に私の署名っと。はいできた! あとで商会に送っておいて貰える?」
「ああ、デスクに置いておくと良い」
「ありがとう。じゃあ、次の手続きをしましょう。ハンス、私、弟子をとることにしたわ。」
「む、まさかこの子供か?」
「ええそうよ。でも子供ではなくって、18歳なんですって」
ハンスが改めてトモミを見た。ゲルマン民族の眼光が鋭すぎて、トモミには睨まれたように感じられる。トモミにはハンスが呟いた言葉のうち「ニヒト」だけが聞き取れた。たぶん「信じられない」と言ったのだろう。また見た目が幼いという話か、トモミはそう思った。
だがハンスが驚いた理由は、もちろん見た目もあったが、それだけではなかった。どう見ても呪文の詠唱に向かない肺活量、言葉もあまり話せず、文字も読めないだろう。それにあのシモーネが、弟子を?
しかしヘルマンがまた無言で立ち上がって、シモーネのサポートを始めた。
シモーネはトモミに向かって説明を始めた。
「歴史あるツンフトなんかとは違って、ここは組合だし、設立したばかりだから便宜を図って貰えているの。珍しく外国人にも門戸が開かれているわ」
そう言いながらシモーネは、ヘルマンが用意してくれた書類をソファテーブルに並べた。
「じゃあまずは組合の徒弟加入申込書ね。」
「待て、それを書く前に適性を確認したい」
ハンスが待ったを掛けた。
「! 良いわ。トモミ、彼らに確認してもらいましょう」
「それではこの呪文を詠んでもらおうか」
シモーネはキャビネットから一冊の本を取り出し、適当なページを開いてハンスに向けた。ハンスは頷いた。
「トモミ、初見の呪文を詠むのは大事な適正なの。だからこれをなるべく早く読み上げて。服が脱げたりはしないから安心してね?」
トモミは渡された呪文を眺めた。思ったより短いのはテストだからだろうか。ページの中央に呪文が記載されている……が、湯沸かしのときとは違う文字が並んでいた。
「ミとゲよ」
「教えるのは規則違反だぞ」
「文字なんてこれから覚えるんだからいいじゃない。さあ、少し待つから、自分のタイミングで始めて。」
一度黙読してみると、この量なら一息で行けそうだった。それに「先読み」もできそうだ。トモミはすっかりリラックスした。
「ミゲミゲミミゲゲミミミ……」
トモミが呪文を詠み始めると、ハンスがほぅ、と声を漏らした。
(なかなか速い。声量も足りている。だが……息が続くかな?)
「……ミゲゲミゲゲミミミゲ……」
ヘルマンもじっとトモミの顔を見つめている。トモミの詠唱が続き、気づけば徐々に早くなっていく。
「……ゲミゲミミミゲゲミ!」
トモミが呪文を詠み終えたとたん、部屋に鐘の音が響いた。大きい音ではないが、まるでお寺の鐘のような重く低い音だった。
「これは……こんな低い音が鳴るのは初めてね」
「ああ、大きい鐘のようだな」
「でも鳴ったことは確かだし、詠み間違えてもいなかったわよ」
「それに速かった。小さい肺を早口で補うのか。どこかで修行したか?」
トモミに心当たりがあるとすれば、テレビで見たアナウンサーの密着番組くらいだったので、首を横に振った。
「良いだろう。俺は認めても良い」
「………」
「ヘルマンもいいのね? では、私を入れて三人が認めてるから、多数決で承認されました! じゃあトモミ、この徒弟加入申込書を作成しましょう。」
トモミはペンを受け取って、用紙に向かった。
「トモミ、自分の名前は書ける? 署名するのはココ。このくらいの長さに書いてね」
「うん、ローマ字で良いんだよね……これでどう?」
「ええ、問題ないわ!」
今度はシモーネが署名した。
「えーと面倒を見るのは私、保証人も私……と。はい、二人も推薦人として署名しておいてね」
「あ、ああ」
ハンスとヘルマンに用紙を渡したシモーネは、次の書類を読み上げだした。
「念のために私との契約書も作ります。あのね、あなたが私や組合の仕事を手伝う代わりに、仕事を教えます。その間、私と住んでもらうし、あなたの食費は私が面倒を見ます。賃金の支払いはないけど、出仕事のときだけはあなたにも取り分があるわ。保証人である私が衣服も面倒を見ます。と、ここまでは良い?」
「うん、よく分からないけど、徒弟ってそう言うものなんじゃないかと思う。」
「では続けるわね。徒弟加入金は私が立て替えます」
「本当にありがとう。助かります。」
「呪文や詠唱について教えるので、組合の正式な試験を受けて合格して下さい。そうすれば市参事会から徒弟修了証明書が下付されます。」
「それでようやく一人前と認められるのね」
「その後も職人としての手続きがあるけど、まずは修了を目指してね。で、書類の残りは師匠の権利と保証人の義務だから、読むのは省くわね。……はい、私の署名を書いたから、その下、ここら辺に署名を」
「……はいっ」
トモミが署名するとヘルマンが契約書を受け取り、次の書類をシモーネに渡す。
「あとは……これは市参事会への外国人就労申請。もう一つは通行証の申請。街を出る仕事も多いからね。トモミは外国人だから出身地の名前だけで良いわ。一応聞くけど、身分を証明するものは持ってるかしら?」
「少し落ち着いた方がいいぞ、シモーネ」
思い当たる物があるにはあった。しかし、皆に見せたものかどうか、トモミは迷っていた。
「厳密には身分証ではないのだけれど。」
トモミは「大事なもの入れ」の中から大学入学共通テストの受験票を取り出した。2枚の写真はもう貼ってある。
「何コレすごい! 日本の絵描きは器用ね」
「身分証に似顔絵を描くとは、考えたものだな」
『やっぱりこうなった!』
「ただ……これは誰も読めんなぁ」
「そうですよね……ではこれは仕舞っておきます」
「……!」
気づくと、ヘルマンが近寄ってきて食い入るように受験票を見ていた。彼のジェスチャーに応じてトモミは受験票を手渡した。
「トモミ、身分証でないのならこれは何?」
「えーと、大学入学試験のチケットです」
「ほう。自国の大学か」
「はい。試験の前の試験というか、大学に行きたい人が学力を証明するための試験が毎年行われて、多くの大学がその成績を利用します。」
「北のお隣りが自国外の大学に行くことを禁止したそうだけど、色々な制度が試されているのねぇ。」
ヘルマンはまだ、受験票を光に透かしたり、匂いを嗅いだりしながら、しげしげと眺めていた。その様子を見ながら、トモミは受験当日のことを思い出していた。