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白い手招き

作者: 加納安

 家で一番涼しい廊下に倒れてぼーっとしてたら、ふいに顔をのぞきこまれた。


「おにーちゃん、遊んで」


 くりくりとした目が俺を見ている。数日前からこの家に預けられている、親戚のこども。

 夏休みを持て余していて暇なのか、しょっちゅう俺に絡んでくる。


「え、やだよ、暑い」


 視線を外して体を横向ける。冷たい廊下の床板に、ほっぺたが当たって気持ちいい。

 だけどこいつは諦めず、さらに俺の前に顔を出す。


「そりゃ、夏だし、暑いのはなおらないよ」


「なおるとか、なおらないとかじゃないだろー」


 再びさっきの位置に体を戻したら、俺の体温でぬくもった床に、うえってなった。ああ、涼しくない。


「じゃあ、じゃんけん」


 そして降ってきた掛け声に、俺は無意識に手を動かす。この歌聞いたら勝手に体が反応してしまうよな。もう、そういうふうにできている。

 伸ばした手の先、俺の指は握りこぶし。その上でひらひらと、こいつの開いた手がゆれる。


 負けた。


 じゃんけんで負けたし。しつこいし。俺はため息をついて立ち上がる。

 俺の貴重な盆休みは子守で終わるなこりゃ。


「お前、ゲームとか持ってきてねーの? スマホとか、タブレットとかでもいいけど」


 どうせ遊ぶならそういう、俺が楽なのがいい。だけど、こいつは頭を横に振る。なんだ、持ってきてないのか。

 がっかりする俺に、こいつはあっさりと言い放つ。


「もう、そういうのは飽きてるから」


「そっか、お前大人だなー」


「おにーちゃん、まだ飽きてないんだ。こどもだねー」


「かもなー」


 じゃんけんだけじゃなくて。なんかもう、何言っても勝てそうにない気がしてきた。

 俺は引き下がり、しばらくこいつの奴隷になろうと決意する。


「で、なにして遊ぶんだっけ?」


「外行こ」


「外ぉ?」


 奴隷になると決めたけど。むり。さっそく俺は口ごたえする。


「暑いぞ、外」


「だっておにーちゃんと一緒じゃないと、外出ちゃいけないって」


「まーな、危ないからなー」


 山の上のこの家は、庭のすぐ横が崖で転落の危険。裏山に迷い込んだら遭難の危険。表の道まで出たら出たで、川がある。溺れるの、危険。

 その上近所の人も知らない人ばかり。どの人間が安全で、どの人間が危険かも、こいつはわかってないから。


「お前のまわり、危険だらけだな。家にいたほうがよくね?」


 しかし俺が止めるのを無視して、こいつは靴をもう履き終えている。帽子もかぶって準備万端。

 めんどくさいけど仕方ない。俺は説得を諦めた。


「どこ行くんだよ」


 玄関の土間に出しっぱなしのサンダルをつっかけて、俺も外に出る。

 あー、わかってたけど。あっつい。


「んっとねー」


「行きたいとこあんのか」


「二階の窓から見えたんだよね、こっち」


 とりあえず、こいつの後ろをついて行く。危ないところ行きそうになったら、止めりゃいいだろ。

 ある程度自由にさせといたほうが、適度な疲労感で夜もぐっすりだろ。俺が。


 こいつが選んだのは、畑を通り抜けて、裏山につづく道だった。


「裏山に何が見えたんだよ。つーか、虫、いんぞー」


 それもカブトムシとかそういう、見つけたら、うおってテンション上がる虫じゃなくて。

 蚊とかアブとか。できることなら会いたくない虫。

 虫のことを考えるだけで、昨夜噛まれたふくらはぎが、ちょっとかゆくなる気がして爪をはわす。かゆ。


「だいじょーぶ、スプレーしてるから」


「は? お前だけずりーぞ、俺、してねーぞ」


「あと虫よけの腕輪もしてるし」


「はあ? ほんとお前ずるい」


「人間食べる虫はぜんぶ、おにーちゃんのほう行くから。大丈夫」


「それって大丈夫じゃないだろ、俺が!」


 ぶつくさ文句を言いながらも、裏山の木陰に差し掛かると、ちょっと涼しくて。

 ふいーって、勝手に息が漏れた。


 カナカナカナカナ。ヒグラシが鳴いてる。この山、ふつうのミーンミンミンのセミより、ヒグラシが多い。

 多すぎて耳が痛くなる。だから切なくならない。

 重なって聞こえる調子っぱずれの鳴き声は、よく聴くとツクツクボウシだ。

 通り過ぎた草むらから、リーンリーンって、秋の虫じゃね? これ。

 お前ら季節感大丈夫か、もうちょっと出番遅くなかったか。


 俺が耳から入ってくる情報に文句たれてる間も。

 山の中にいつからかできている道を、こいつは迷いなく歩いてゆく。

 見えるのはその頭と背中だけど、きっときらきらした目で。楽しそうな顔で。歩いてるんだろうなあ。

 だってこんなに準備万端で、外に出たがってたんだから。


 俺はちょい、息が切れてきた。どこまで行くつもりだ、こいつ。


「なーあ、どこまで行くんだよ」


「この上」


 俺の質問に、こいつは迷いなく空を指差す。

 飛ぶのか? と思ったが、違うな。空じゃないな。

 指したのは石でできた階段だった。


「そこの階段の上って、あれだぞ、墓だぞ」


 うちのご先祖様の眠る墓。きっと俺も死んだらこの墓場に埋められる。

 階段を上りはじめたこいつに、俺は再度、尋ねる。なんかもう、嫌な予感しかしない。


「まじで、墓。何の用?」


「かくれんぼしようって誘われたから」


「え、なにそれ、怖いんだけど」


 おいおい大丈夫か、それとも俺をからかってんのか。まあでも、まだ明るいし。お日様出てるし。お化けは出ない時間だよな。な?


 石の急な階段を上ったら、少し開けた場所に出る。そこにはぽつぽつと、墓が並ぶ。新しいのと古いのと。

 墓前に供えた花は、まだ新しい。けど暑さにやられて、もう、長くはなさそうだった。


 こいつは墓場をぐるりと見渡し、首をかしげる。


「おかしいなあ、ここにおいでって言われたのに」


 芝居ごっこなら、百点のセリフ回しだった。俺は顔をしかめる。お化け出なくても、やだ。


「だから誰に」


「白い手が、夜に、窓の外でゆれてて」


 あ、お化け出るんだ。ほんとやだ。


「いやまじ怪談やめてくんないかな」


 怖い気持ちを振り払うように、俺は片手を目の前でゆらしてみる。

 しかしこいつはそれを見て、ゆっくりと、頭を横に振った。


「一個じゃないよ、いっぱいだよ」


「え、手、いっぱい? よけい怖いって」


 俺はこいつが寝てる二階の部屋の、窓の外に。夜無数の白い手がゆれるのを想像して、ぞっとする。


「もう、先に隠れてるのかなあ」


「いやいやいや、探すの嫌だよ。墓場でかくれんぼとかマジやめようよ、な!」


 俺は必死に説得する。もう今すぐこいつをひっつかまえて、階段走って下りたいぐらい。


 けど、その前に。

 来てしまったら挨拶ぐらい、しないと。


 俺は墓場の中の、一番新しい墓石の前で手を合わせる。ぐっと目も口も閉じて、祈る。

 祈る? 違うな、願う? 考える?

 いつもここに来るたびに、定まらない俺の思考。


「このお墓、誰が入ってるの」


 隣から声が聞こえて、俺はちらりとそちらを見る。

 こいつが不思議そうに、墓石を見据えていた。


「あー、俺のかあちゃん、だった人」


「そうなんだ」


 そして、いっちょまえに、こいつも、俺の隣で手を合わせる。


「おにーちゃん。報告したらいいんだよ。元気だって」


 まるで俺の悩みを知ってるみたいに。こいつに教えられて俺は思わず頬が緩む。

 目も口も開いたら、いつもの自分がこぼれて、楽になる。


「元気でーす。でも暑いから早く家に帰りたいでーす」


「暑いからだけじゃないよね、怖いからだよね」


「その通りでーす、はい、報告終わり。もういいか? 行くぞ」


 俺は有無を言わさずこいつの手を引いて、墓に背を向け階段を下りる。


 しばらくこいつは何も言わなかったけど。階段を下りて山道に戻ったところで、俺の背中にぽつりと尋ねる。


「おにーちゃんは、何がそんなに怖いの」


「お前が怖い話するからだろ。手が見えたとか。おいでって言われたとか。かくれんぼに誘われたとか」


 つないだ手に汗がにじむ。俺の汗かな、こいつの汗かな。


「でも本当に怖いのは。墓の前に行くたびに。思い出すから」


 こんなこと、こいつに話してもわかんねーよな。

 だけど、わかんねー相手だからこそ、言ってしまえることもある。

 ずっとずっと俺の心の中に。もやもやと残る、最後にあの人と喋ったシーン。

 ベッドに横たわり、白い顔で。体中が痛いと言うから、俺はずっと背中をなでてたときのこと。


「聞かれたんだよな、どうしてそんなにやさしいの、って」


 俺はあのとき、何も言えなかった。えー? って、照れたふりをして、言葉を濁した。

 だけど心の中には確実に、思い浮かんだ言葉があった。


「それはあんたがもうすぐ、死ぬからだよって」


 みんな、なんとなく気づいてた。この人はもう長くない。だからみんな、やさしかった。最期まで、やさしかった。


「でもそんなこと、言えるわけないじゃないか。絶対に」


 あれからずっと。あの人がいなくなってからもずっと。俺はあのとき本当は、何と言えばよかったのか。そのことを考えている。

 ひどい言葉を真っ先に思いついた自分がとても嫌で。目も口も、ぎゅっと閉じてしまう。


「あ、おにーちゃん、ほっぺた」


「あ、うわ」


 こいつに指摘されて、ようやく感じた気配に、俺は慌てて自分の頬をぱちんと叩く。だけど手ごたえはなくて。


「ひひ、逃げられたね」


 背後から聞こえた笑い声に、俺は顔をしかめて振り返る。

 そのとき、見えた。

 木立の間に白い影。ゆらりと誰かが笑っている。


「えっ」


 カナカナカナ、ミンミンミン、ツクツク、オーシ、リーンリーン。

 頭の中に響く夏の音、そこに重なる、誰かの声。


「かあちゃんのことが大好きだからね、って言えばよかったんだよ」 


 目を見開いた俺の手を、ぎゅっと、こいつがひっぱった。


「おにーちゃん、どうしたの?」


「あ、あれ、えー」


 おいあそこ、誰かいるぞ、と、こいつに言う前に。俺は自分で答えを見つける。

 木々の間にのぞいていたのは、白いユリの花だった。この山の栄養をたっぷり吸い取って、人の背丈ほどに伸びた茎。そのてっぺんには白いラッパ状の花が、いくつか束になって生えている。まるで広げた手のひらの、手首を合わせて椀にしたような、形。

 どうやら俺はあの花を、人影だと見間違えたらしい。

 耳をすませば、高い位置で、名前もわからない鳥がキュイキュイ鳴いている。虫の音や風の音に合わさって、それが誰かの声に聞こえたのかも。

 うん。そうに違いない。


 ビビりすぎだろ。


「なんでもない。帰るぞ」


「あはは、おにーちゃん、顔赤い」


 俺の手をするりと振り払い、こいつは楽しそうに先に行く。

 顔、と言われて手を当てた頬。さっき叩いたほっぺたがじわりとうずく。


「あー、最悪だ。噛まれてる。つーか、お前その腕輪貸せよー。スプレーしてんだろー」


「やだよ」


 こいつは俺から逃げるみたいに、軽い足取りで山を下りてゆく。


「転ぶなよー」


 と、言いながら。俺はもう一度、振り返る。山の上を。墓の方を。

 上ってくるときは、気づかなかった。今年はユリがたくさん咲いている。去年はこんなに咲いてなかった。種が飛んできたんだろうか。

 山の斜面のあちこちに、ゆらりゆらりとユリの花。うっそうとした木の葉の間、少しでも太陽を探して斜めに生えたものもある。


 ああ、もしかして。


 俺はふと、ひとつの考えにたどり着く。

 こいつが誘われたという、窓の外の白い手は。このユリたちではなかったのか、と。


 *


「ほらな、やっぱりな!」


 日が落ちて、夜になり。俺はこいつが居座る二階の部屋の窓から、裏山を見た。俺の予想通り、真っ暗な山に、月の光に照らされて、いくつもの白いユリがゆれている。

 まるで、おいで、おいで、私の正体を探しにおいでって。手招きしているみたいに。


「やっぱ、花だったわ。お前の見間違いだったわ。お化けとかいないから! な!」


 自分の考えの正しさをわかってもらおうと一生懸命な俺に、こいつの反応はないに等しい。

 さっきから俺のスマホを取り上げて、なにこのアプリおもしろーって、こいつはのんきに遊んでる。

 ゲームもスマホもタブレットも、飽きたんじゃなかったのかよ。オイ。


「そろそろスマホ返してくれませんかねぇ」


「まーだ」


「だよ、なー!」


 なんだよ結局、自然いっぱいのこの家に預けられてる間は、ゲームもスマホもタブレットも、こいつの親が取り上げてたって話。

 そんなこどもにこっそり毒をまた与えてしまった俺は悪い大人だな。

 でも大丈夫、こいつちゃんと、おにーちゃんとのことは秘密にするって言ってくれたから。俺の悪事はきっとばれない。


「でも、おにーちゃん、ぜんぶほんとに、花かなあ」


「えっ」


 こいつの呟き、マジ嫌なんですけど。俺はそーっと、窓の外を見る。山にゆれる、白いユリ。いち、に、さん、し、……数えきれない。


「ねえ、あれ。ぜんぶ、本当に花だって、しょーめいできる?」


「ああああ、もういいよ、もういい」


 俺は慌ててカーテンを閉めた。


 おかしいな。昼間はまだ、大丈夫だったのに。夜になるとなんか、しみじみ、怖えーな。

 あたりの田んぼで合掌してる、かえるの声までなんか怖い。げろげろ、怖い。


「あのさあ。今日俺、ここで寝ていい?」


 恥を忍んで頼んだら、こいつは視線を動かさずに答える。


「スマホ貸しといてくれるならいいよ」


 俺は小さく舌打ちしながら、自分の頬に爪を立てる。ああ、ほんと、かゆ。


 *


 目も口も耳もしっかり開いて。

 見つけたのはあの日の答え。


 にこりと微笑むユリの花。

 聞こえてくるのは夏の音。


 俺が報告しなくたって、あんたはきっと知っていた。


 俺があんたにやさしくできたのは。

 大好きだからだよ。

 今も大好きだからだよ。


(白い手招き/終)


「もういいかい」「まーだだよ」「もういいよ」、作品中に隠しました。見つかりましたか?

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