第3話:落第魔法師は下僕を手に入れる
アネット先生は俺の書いた図を何度も確認していた。
授業は中断されてしまい、そのまま一限の終了を告げるチャイムが鳴った。
「……すまない、午前の授業はこれにて終わる。午後の実技は予定通り行うので、時間になったら校庭に集まるように。以上だ」
先生は覇気のない声でそう言うと、ノートに図をメモして、教室をさっさと出て行ってしまった。
ヴィエール魔法学院の授業は午前の部と午後の部で合計四限の時間割が設けられている。
日によって順番が変わることはあるが、今日は午前が座学で午後が実技の予定だった。
二限の授業は休講となり、昼休みを挟んで三限から再開という流れになる。
「アネット先生大丈夫かなあ?」
「自分にも厳しい先生だからね~」
「生徒に間違いを指摘されたら居た堪れないよ……」
不思議と俺を責める雰囲気にはなっていないが、こうなってしまうとなんだか悪いことをした気分になってしまうな。
俺が教室の扉を眺めていると、
「アネット先生なら大丈夫。午後になったらまた元気になってるはず」
「いつもあんな感じなのか?」
「うーん、でもメンタルは強い人だから」
隣にいたリアナが俺を気遣ってくれる。気の知れた友人がいない俺にとって、彼女が声を掛けてくれるのはとてもありがたい。
「ねえアンタ、アキヤだっけ?」
後ろから名前を呼ばれた。振り返ると、赤髪の少女が俺の顔を覗き込んでいた。確か昨日この子とも会ってたような。名前は確か……メアリーだっけ?
残念胸ではあるが、顔は精緻なガラス細工のように整っていて、かなりの美少女だ。
「昨日の変態が今度はクラスに来たって思ってびっくりしちゃったわよ!」
「えーと、君はメアリーさん?」
「よく覚えてたわね……。私のことはメアリーでいいわよ。ちなみに私はリアナの親友! そうよね?」
メアリーは強い語気でリアナに返事を求めた。
「うん。幼馴染だし、私もメアリーは大切な親友だと思っているわ」
メアリーはリアナの返事に満足した様子でうんうんと頷き、
「そう、つまりそんな感じなのよ! それなのに私を差し置いてなんだかアンタたち仲良さげよね。どうしちゃったのかしら?」
「わ、私は別に! ……アキヤ君とはクラスメイトとして仲良くしているだけ」
リアナが焦ったように早口になった。
「へー、怪しいわね」
「怪しいも何も事実だぞ」
リアナとは昨日が初対面で、たまたま今日同じクラスになった。世間話くらいしかしていないし、ただのクラスメイト以上でも以下でもない。
「まあいいわ。そういうことだから、私とも仲良くしてよね?」
「もちろんだ。よろしく、メアリー」
話せる相手がまた一人増えるってのはありがたい。リアナの親友ならきっとこの子とも仲良くなれるはずだ。
俺とリアナ、メアリーの三人で盛り上がっている中、近づいてくる女がいた。
「あらあら、男の魔法師が来たからと言ってもう男漁りですの? まったく、品がありませんこと」
一目見て驚くほど綺麗な白銀の髪。宝石のように澄んだ赤い瞳。リアナと同じくらい膨らんだ豊満な胸。全てが絶妙のバランスで成立している――そんな美少女がそこにいた。顔もリアナやメアリーに負けないくらい整っていて、どこか気品がある。そんな印象だ。
「……と、男の魔法師を無視できずにここにきたリーシャ様がそんなこと言ってるけど、リアナはどう思う?」
「私も同感かな。もしかして仲良くしたいのかも?」
リーシャという白銀の女は顔を真っ赤にして、反論を始めた。
「わ、私は決して興味ありませんの! 多少座学の方はできるようですけれど、この学院で大事なのは実技なのですわ! 実技ができない生徒に人権はありませんの! 男の魔法師如きに実技ができるわけありませんの。そんなこともわからないとは……庶民は可哀想ですわね」
実技に関しても千年も修行すれば人並みにできるようになったつもりなんだが……それはさておき。
「えっと……じゃあリーシャは庶民じゃないってことなのか?」
「初対面の相手を呼び捨てにするとは良い度胸ですわね……。答えはイエスですわ。私はセルヴィスト家の長女なのですわ! 驚きましたの?」
セルヴィスト家……聞いたことないな。家の名前を自慢するということは多分名のある貴族なんだろう。でも千年前にはそんな名前の貴族は聞いたことが無かったから、多分ここ最近に成り上がった新興貴族だ。
「いや、知らないな。ちょっと世間に疎いんだ」
「セ、セルヴィスト家を知らないなんて……あ、ありえないですの……!」
リーシャは狼狽え、後ずさる。よほどショックを受けているという感じだ。
「アキヤ、セルヴィス家を知らないって本当なの?」
反応からすると常識的なことらしく、リーシャを挑発していたメアリーでさえもかなり驚いているみたいだ。……そんなに驚かれても知らないものは知らないのだが。
「ああ、有名なのか?」
「昔の大戦でセルヴィス家の魔法師が活躍したとかで、有力貴族のうちの一つよ。さすがに知らないとは思わなかったわ」
大戦……つまり俺が知らない間に千年の間に戦争が起こっていたのか。編入という体になっている以上、歴史はちょっと勉強しておいた方がいいかもしれないな。
しかし貴族ってのはこんなに偉そうな態度を取るもんだっけ? 俺の知ってる貴族はもうちょっと外面的には慎ましかった記憶があるんだが。
「わ、私に恥をかかせるとは良い度胸ですのね……いいですわ。決闘を申し込みますの!」
リーシャは相変わらず顔を真っ赤にして、俺を睨んでいた。
ざわざわ……と不穏な空気が立ち込める。
「リーシャ様が決闘を申し込んだ!?」
「座学では凄い知識があるみたいだけどさすがに実技では……ねえ」
「アキヤ君断って!」
他の生徒たちの雰囲気から察する限り、このリーシャというお嬢様は実技がかなりできるらしい。実技ができるということは決闘にも自信があるということだ。
断ることもできるが、この手のタイプはそれをすると勝ち誇りそうだし、気分が良いものではない。……決闘の条件次第だな。
「決闘をするとして、リーシャ様は何を求めるんだ?」
「……そうですわね、では、あなたが負けたら私の下僕になるということでどうですの?」
「それ、負けたら自分が下僕になるってことだけどいいのか?」
「構いませんわ。私が負けるわけがありませんもの」
「俺が男だってことわかってるのか? もしかしたら酷いことするかもしれないんだぞ?」
「好きにしてくれて構いませんの。……まあ、あなたが勝ったらの話ですわ」
「わかった。そういうことならその決闘、受けさせてもらうよ」
俺が答えると、リーシャにとっては予想外だったのか、驚いていた。
「い、今なら土下座して謝罪すれば許して差し上げますのよ?」
「なんだ、怖くなったのか? 俺は別に構わないが」
「そんなことはありませんの! ……いいですわ。では、いますぐ校庭で決闘ですの」
◇
「アキヤ君、リーシャ様はあんな性格してるけど本当に強いから……もしダメそうだったらすぐに降参して。約束してほしいの」
リアナがぎゅっと俺の制服の袖を掴んだ。
「約束するよ。ただ、あんな小娘に負ける気はしないけどな」
「……小娘?」
「いや、なんでもない」
Eクラス以外はまだ二限の授業中なので、校庭には誰一人いない。
俺とリーシャが校庭の真ん中まで移動し、その後ろをクラスメイトがついてくる。
「ルールはどちらかの戦闘不能、あるいは降参が条件ってことでいいな?」
「決闘のルールは受け手に選択権がありますわ。ご自由にどうぞですの」
決闘が始まった。
リーシャは俺の様子を見てから動く作戦のようだ。意外と慎重派なのかもしれない。
俺は【身体強化】を使って、リーシャに猛スピードで接近する。
リーシャは俺の動きを見切ったかのように素早く左に躱して、【火炎球】を連射してくる。
【火炎球】は火属性の初級魔法。基本的な攻撃魔法だが、リーシャは発動速度がかなり速い。十数年しか生きていないことを考えると、これは天性の才能だな。
躱すこともできるが、一度攻撃を受けてみよう。
【火炎球】が俺の身体に着弾し、ボンっと爆発する。
そこそこの攻撃力はあるが、俺の【身体強化】を貫くことはできない。……だいたいリーシャの実力はわかった。
「防御力はそこそこ高いようですけど、スピードがまだまだですわね!」
リーシャは【火炎球】が当たったことを自分の実力だと勘違いしたらしい。注意して見ていれば俺が意図的に攻撃を受けたことくらいわかりそうなものだが、その辺がまだ未熟だということか。
俺ははぁ、と嘆息する。
「これが本気だと思ったか? まだ十パーセントも本気を出してないぞ」
「ハ、ハッタリですわ! 私は騙されませんの!」
リーシャはキッっと俺を睨み、次の魔法の準備を始めた。
【炎剣雨】……炎の剣を雨のように振りまく高等魔法。大きな口を叩くだけのことはあるな。
上空には大量の炎剣が浮遊していた。
「どうなっても知りませんの!」
リーシャの宣言で、炎剣が猛スピードで落下してくる。しかし、なぜか俺じゃなくてリーシャに向かって落ちてきたのだった――。
「な、なんですの!? きゃああああああ!」
「バカ! 何やってんだ!?」
くそ、今からあの魔法を無効化させていたらリーシャが死んでしまう。未熟ゆえに生意気な奴だが、ここまでの魔法が使えるようになるまでには血の滲むような努力があったのだろう。助けてやりたい。
頭で考える前に、身体が動いていた。
【身体強化】の効果を最大まで引き上げる。
俺はリーシャを抱えて、剣の雨に飛び込んだ。
「な、何をするのですの!?」
「頭を上げるんじゃない! 俺の陰に隠れるんだ」
俺はリーシャを強引に抑え込む。
そして、数千、数万の炎の剣が降ってくる。【身体強化】で上昇した防御力のおかげで、なんとか怪我をせずに済んだ。
魔法の効果が終わり、炎の剣が消滅する――。
「……ありがとう……ですの」
リーシャは俺の胸の中で、小さく囁いた。魔法の失敗は時に術者が命を落とすこともある。あの瞬間、死を覚悟しただろう。だから、素直にお礼の言葉が出てきたのかもしれない。
「さて、決闘の続きはどうする?」
「私の負けですわ。【炎剣雨】を受けて傷一つ無いなんて、もう勝てる気がしませんの」
「そうか、じゃあお前は俺の下僕ってことでいいんだな?」
「そ、それは……言葉の綾というかその……ですの」
リーシャはさっきとは少し違う感じで顔を真っ赤にした。怒りのようなものは感じられず、ただ焦っているような、そんな感じだ。
「まさか有名貴族の長女が約束を反故にするなんて、そんなことありえないよな?」
「うぅ~~~……わかりましたわ。……うぅ、ご主人様」
「酷いことはしないから安心してくれ。これから仲良くしようぜ、リーシャ」
俺はリーシャに右手を差し出し、握手を求める。
彼女は俺の手を固く握り返してきた。