第1話:落第魔法師は変態と間違われる
「ここは……氷聖神域か」
無限の時を脱出し、出てきた場所は千年前に俺が祈りを捧げたルシエル像の前だった。
氷の鏡で姿を映してみると、十五歳の見た目のまま変わっていなかった。
身体的な変化はないが、あの中で過ごした時間は、この世界でも経過しているはずだ。あの世界の仕組み上そうでないとおかしい。
……となれば、この洞窟の外は俺が知らない世界が広がっている?
ごくり、と唾を飲み込んだ。
未来への期待と不安を半分ずつ抱きながら、俺は洞窟を出た。
「どこだここは」
千年の間に、学院の敷地の様子はすっかり変わってしまっていた。
たくさんの木々に囲まれ、洞窟の周りはまるで森のようになっている。木の隙間から遠くを見ると、学院の校舎らしき高い建物が見えた。
建て直しをしたのか、校舎の位置は少しだけ変わっていた。古びた様子ではないから、新築してからそれほど長い期間は空いていないのだろう。
……そういえば、俺はまだここの学院生ってことでいいんだろうか?
さすがに退学になってるかなぁ。
ちょっとその辺の確認をしておきたい。教師を探して、この時代の学院長に取り次いでもらえればわかるかもしれない。……探すとするか。
俺は森の中を移動し、学院の校舎を目指した。
途中に通りにくい場所もあったが、なんとか進むことができている。
少し開けた場所に来た。
「よし、もうすぐ着きそうだ。――って、なんだあれ!?」
空から何かが降ってくる。
その『何か』は「きゃああああああああ」と叫んでいて、不測の事態に困っているように見えた。
人……だよな? さすがにあの高さから何もせずに落ちれば、ただでは済まない。
「【衝撃吸収】!」
魔力による衝撃吸収を俺に施し、落下してくる人を受け止めた。
どうやら受け止められたみたいだが、足を滑らせてしまって、抱いたまま後ろに転んでしまう。
「痛て……」
あれ、なんか柔らかいものが当たっているような……。これは胸か? まあいい、そんなことよりも大事なことがある。
「君、大丈夫か? 怪我はない?」
「ありがとうございます。本当に助かりました!」
どうやら、空から降ってきたのはヴィエール学院の学院生ということらしい。制服を着ているのだから間違いない。
金髪碧眼が特徴的な美少女だ。金色の髪は腰まで届きそうなほど長く、引き締まった身体をしている。引き締まっていても胸は大きかった。
彼女は俺を見てしばらく沈黙すると、俺のもとから飛び退いた。
「お、男の人ですか!? な、なんでこの学院に!?」
「まあ……色々とあってな」
「……さっき魔法を使っていませんでしたか?」
「ああ、使ったぞ」
俺が咄嗟に使ったのは、衝撃吸収魔法だ。発動速度が速くて、汎用性も高い。
「男の人なのに魔法を使えるんですか!?」
「ん? そりゃあ使えるだろう」
魔法は男女間の縛りがあるわけではない。誰だって使えるものだ。多少男性の方が魔力量の面で有利だったが、それだけのはずだ。
そんな話をしていると、遠くから数人の女の声が聞こえてきた。
その女たちはリアナを見つけて駆け寄ってくる。
「リアナ、大丈夫!? 飛行魔法を失敗しちゃって心配したんだから!」
「ありがとう、メアリー。ほら、私はこの通り怪我一つないよ。この人が助けてくれて……」
「どうもありがとう……って、男!?」
メアリーという赤い髪の女が、俺を見て驚いた。
男がそんなに珍しいのか? 部外者だと思われて警戒されるのは仕方ないとしても、男って部分に驚くのはちょっと不自然だ。
メアリーと一緒についてきた女子生徒が、大きな声で叫んだ。
「へ、変態がいるわ! 神聖なるヴィエール学院に男が侵入してるのよ! は、早く誰か先生を呼んできて! お願い!」
「え……? ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
俺は何もしてない。ちょっとリアナの胸を触っちゃったけど、あれは不可抗力だ! 彼女も気にしてない!
このままだと大変なことになる気がする。
俺は女子生徒たちの前から走って逃げることにした。
「変態が逃げたわよ! 南に向かって逃走中。――学院長に伝えて!」
あーもう、なんでこんなことになったんだよ!
空から降ってきた女の子を助けただけでこんな仕打ちを受けるなんて、どうかしてるだろ!
俺はなんとか追いかけてくる女子生徒たちを振り切ることができた。まだ学院の敷地の外には出られていない。なんかもう、俺の在籍確認なんてできる雰囲気じゃなさそうだ。
「はぁ……散々な目にあったな」
とりあえず敷地の外を目指すか……と、また走り出した時だった。
「やっと捕まえたぞ、変態の男。この学院に不法侵入するとは良い度胸だな。生きて帰れると思うな」
「ひっ!」
俺は妙齢の白髪女性に肩を掴まれていた。
制服を着ていないということは、生徒ではなさそうだ。……つまりこの学院の教師。こうなったら、きちんと事情を説明しよう。きっとわかってくれるはずだ。俺はそのまま、学院長室に連行された。
◇
「ふむ……『アキヤ・イナヅキ』か。確かに記録によれば、千年前にこの学院を逃亡したとあるな」
「信じてもらえてよかったです」
俺が捕まった白髪の女性は、この時代の学院長だったらしい。俺は千年前にここの生徒だったということを説明し、彼女が記録を調べてきたところだ。
「信じるわけではない。……が、否定する根拠もないのでな」
学院長ははぁ、と息を漏らす。
「しかし男の魔法師とは……信じ難いが、魔法が使える以上認めるしかないか」
「ずっと気になってたんですけど、どうして男が魔法を使えるというだけで驚くんですか? そんなに珍しいものでもないですよね?」
「七百年前、あるウイルスが世界中で蔓延した。……魔法阻害ウイルス。どういうメカニズムかわからないが、全ての男が魔法を使えなくなり、その子供も遺伝することが確認された。それ以来、魔法師とは女性の魔法使いを指すことになったのだ」
そんなことがあり得るのか? 男だけが魔法の適正を失うなんて……いや、学院長が嘘をつく理由もないか。男が魔法を使えないのだとすると、あの驚きようも理解できる。
「不法侵入者は殺処分というのが学則だが……今回ばかりはそうはいかないだろうな。こんな貴重な存在を勝手に殺したとあっては、私の立場が危うくなりそうだ」
「見逃してくれるということですか?」
「殺しはしないということだよ。だが、私がこのまま君を追い出したら困るのは君の方だ」
俺が困る……? またわけのわからないことを言う人だな。
「世界でただ一人だけの男の魔法師……そんなものがいると知れ渡れば、研究対象として自由がなくなるのは簡単に予想できる」
「そんなの嫌ですよ……。千年かけてやっと出られたのに、また檻の中なんて」
俺がそう答えると、学院長はにやりと笑って、
「そうだろうな。そこで、君に提案があるのだ」
「提案?」
「この学院では、卒業するまで生徒の身の安全は保障される。君は空から降ってきたリアナを無傷で受け止めたそうだな?」
「確かに受け止めましたけど……」
「それなら、魔法の実力は十分だ。各国の魔法学院には自治が認められている。君がこの学院に所属し、学院に戦力を提供することを約束するのなら、我々は君を保護すると約束しよう」
学院長はサラッと言ったが、この学院に所属するってのはまさか……。
「その所属っていうのはどういうことなんですか……?」
「復学という形にするのが一番だろうな。千年前の記録が間違いであったと訂正し、君は今日まで休学していた、とな」
「この学院の女性比率って結構高いんですよね?」
「君以外は全員が少女だが、何か問題があるか?」
「いえ……特には」
自分だけ男で、それ以外は全員女。……しかも、この学院は全寮制だ。ここに来るまでに新築された寮があったから、その辺の仕組みは変わっていない。
復学するか、檻の中に戻るか。
本音を言えば、どちらも御免被りたい。……でも、この二択なら選ぶまでもないんだよな。
「わかった。学院長、復学させてくれ」
「ふふ、君ならそう答えると思ったよ。足りない単位はどうにかしてやるから、今度は三年で卒業できるよう頑張ることだな」
「……それはどうも」
こうして、俺はヴィエール魔法学院に復学することになった。
俺以外の全員が女子生徒という環境でしか自由に生きることを許されないとは、未来の世界は俺に優しくないみたいだ。
でも、この学院を卒業できなかったことは千年の間もずっとモヤモヤしていた。せっかく掴み取ったチャンスだ。今度こそ卒業しよう。そう思った。