第2話「人材の章」
僕は人材A。
名前はまだない・・・と書けば文学的だけど、別に名乗りたくないだけ。
「僕だって人財になれる!」
そう信じて「人財コンサルティング株式会社」に飛び込んでから早1年。
あの頃は若かったな~
僕は大学の看板だけで生きる人間ではない。
サークル、バイト、その他もろもろ・・・
色々な活動を通じ、色々な経験を積んできた。
大企業に入って終身雇用という時代はもう終わった。
これからは自分の実力で切り開く時代だぜ!って意気込んでいた。
会社の同期もそんな奴ばっかり。
大学を聞けば有名私大が並び、幼稚園とか小学校からエスカレーターで登り続けたような、挫折を知らない坊ちゃん、お嬢様だらけだ。
とはいえ、ただの坊ちゃん、お嬢様ではないことは、採用面接の時から理解している。
サークルは体育会系で、「俺はただのエスカレーター上がりの軟弱者とは違う!」と言わんばかりに、地獄の練習の日々、全国が懸かった決勝の舞台で決めたゴール、無死満塁のピンチを三者連続三振で切り抜けた武勇伝と、色々なエピソードを聞いてきた。
更に様々なバイトで社会経験を積み、皆が口々にバイトリーダーを名乗りだす。
そう、有名私大のサラブレッドという看板、体育会系で鍛えたガッツ、バイトで磨いた社会経験、この3つを持って厳しい面接を勝ち抜いてきた連中が、この「人財コンサルティング株式会社」には集まっていた。
だが、こういう書き方から察してほしい。
そう、全て"過去形"なのだと。
コンサル業界では見知らぬ企業相手にプレゼンを行うのだから、ガッツと社会経験が武器になるのは当然だ。
しかし1年も経つと痛感してしまう。
自分には「頭」が足りないと。
人財の方々を見て思った。
年齢は関係ない。
若い人財だって沢山いる。
採用説明会で言われたことは、何1つ嘘では無かった。
だが、いや、だからこそ刺さるのだ。
"実力主義"という現実が。
コンサルティングで求められるのは、相手企業の実情を深く理解する分析力と、既存の考え方に縛られないアイデアを提示できる発想力だ。
自分のアイデアを押し付けるだけでは、「うちの会社には関係ないんで・・・」と跳ね返され、ありきたりなアイデアでは、「その案であれば、御社に依頼するまでもなく社内で実践済ですよ。」と一蹴されてしまう。
哀しいかな、体育会系一本で生きてきた人間は、とにかく当たって砕けろという路線で走ることしか知らない。人間関係だって、バイトで磨いた処世術で築ければ後は何とかなるものだと思っていた。
確かに良い第一印象は得られる。だが、その先が続かない。相手もビジネスマンなだけあって、時として業界の話や、最新の政治経済の話を振られることがある。
経済学部卒と言っても、全く勉強してこなかった僕にそんな話に答えられる訳はない。一応日経新聞にも目を通すが、教養が無いせいか全く頭に入ってこない。第一印象から話が弾むからこそ、必ずどこかでボロが出る。これが、体面だけで生きてきた人間の本質なのかと嫌という程分からされてきた。
そんなこんなで、1年も経てば同期の大半は「人財」になることを諦めてしまった。諦めたところで、「人材」として普通の正社員の給料は貰える。大手コンサル会社勤務の肩書きは残る。別にいいじゃないか。
そう、「人材」に残れれば別にいいのだが・・・
自分の限界を痛感する度、ふと下が見えてしまう。この会社には、「人在」という階級が存在する。ただ存在するだけの、会社にとってはただの在庫。ロクに仕事も振られず、ただ定時まで座っているだけ。
「楽でいいな~」とはならない。「人財」への夢は破れたとはいっても、まだ心の中で有名私大卒というプライドが残り続けている。
「人在に落ちたら終わり」
その危機感が、皆を奮い立たせている。
実によく出来たシステムだと思う。
「人材に残るにはどうしたらいいか?」
難しいことじゃない。皆答えは知っている。今までもやってきたじゃないか。
サークルでは先輩を立たせる、バイトでは客や正社員の言うことに従い続ける、それと同じこと。
「人財」の従順な配下となり、手足となって働き続ける限り、存在価値が失われることはない。「自分の仕事」という価値を追い求めてはならないし、そんな実力もない。尊敬する「人財」の下僕として、その活躍を陰から支えられることこそが、何よりの喜びなのだと、自分に思い込ませなければならない。
おっと、話し過ぎてしまったね。
もう夜の8時か。
でも、「人財様」に言われた通り、明日提出するパワポ資料を15ヶ所修正しないと・・・